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 っくたっく
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SUMMARY:駆逐艦秋霜：起工日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第346号艦として
 藤永田造船所で建造、1943年（昭和18年）5月3日起工、8
 月31日、18番艦を秋霜と正式に命名[1]。また19番艦も清
 霜と命名された[1]。同日附で2隻（秋霜、清霜）は夕雲
 型駆逐艦に類別された[2]。 1943年12月5日に進水。\n　1944
 年（昭和19年）1月22日、日本海軍は平山敏夫少佐（吹雪
 型駆逐艦白雲駆逐艦長）を秋霜艤装員長に任命する[3]
 。 3月11日に竣工[4]。同日附で横須賀鎮守府籍と正式決
 定[5]。平山少佐も秋霜初代駆逐艦長となった[6]。
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SUMMARY:駆逐艦嵐：起工日(1939)
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DESCRIPTION:　仮称第112号艦として舞鶴海軍工廠で1939年（
 昭和14年）5月4日起工[4]。舞鶴海軍工廠で建造された陽
 炎型は嵐以外に4隻（陽炎、親潮、天津風、野分）が存
 在する。1940年（昭和15年）2月23日、陽炎型17番艦萩風と
 同日附で命名された[1]。同年4月22日進水[4]。登録上は
 舞鶴工廠で建造された姉妹艦野分が陽炎型15番艦で嵐が
 16番艦だが[3]、起工・進水・竣工のいずれも野分より嵐
 の方が早い[5]。 同年9月16日附で朝潮型駆逐艦2番艦大潮
 駆逐艦長渡邉保正中佐は嵐の艤装員長に任命された[6]
 。同時期、舞鶴海軍工廠に嵐艤装員事務所を設置[7]。
 渡邉は11月25日附で嵐初代駆逐艦長に任命された[8]。同
 時期、嵐艤装員事務所を撤去[9]。\n　嵐は1941年（昭和16
 年）1月27日に竣工した[4]。横須賀鎮守府籍となり、た
 だちに横須賀へ回航された[10]。 
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SUMMARY:駆逐艦海風：起工日(1935)
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DESCRIPTION:　「海風」は舞鶴工廠で1935年（昭和10年）5月4
 日に起工[9]。第四艦隊事件のため一時工事を中止し、19
 36年（昭和11年）5月より工事を再開[2]。11月27日に進水[9
 ][10]。12月1日附で日本海軍は、睦月型駆逐艦11番艦「望
 月」駆逐艦長成富武光少佐を海風艤装員長に任命する[1
 1]。同日附で山田雄二中佐も江風艤装員長に任命されて
 いる[11]。 1937年（昭和12年）4月9日、若狭湾（宮津湾）
 で全力公試を実施、同時期には海上試運転中に冠島と
 衝突しかけている[12]。4月15日、成冨海風艤装員長は制
 式に海風初代艦長となり、艦幹部達も任命された[13]。 
 5月31日に竣工[9]。佐世保鎮守府所属。 \n　起工、進水
 、竣工ともいずれも「江風」の方が「海風」より早か
 った[14]。また、進水も白露型8番艦「山風」の方が早か
 った[15]。
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SUMMARY:駆逐艦樫：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造された。1944年5月5日起
 工、8月13日進水、9月30日竣工した。就役後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
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SUMMARY:駆逐艦菊月：戦没日(1942)
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DESCRIPTION:　1942年（昭和17年）4月29-30日、ツラギ攻略部
 隊（指揮官志摩清英少将、第十九戦隊司令官）および
 第23駆逐隊はニューブリテン島の日本軍拠点ラバウルを
 出撃、続いてＭＯ攻略部隊主隊と特務隊もラバウルを
 出撃した[11]。 5月3日、第十九戦隊はツラギ島（フロリ
 ダ諸島）を占領する（オーストラリア軍守備隊は一週
 間前に撤退）[12][13]。5月4日午前5時30分、第23駆逐隊（
 菊月、夕月）は敷設艦「沖島」（第十九戦隊旗艦）に
 横付けして燃料補給を開始する[16][3]。\n　TBD艦攻8機が
 旗艦「沖島」を包囲して雷撃を敢行した[16]。このうち
 魚雷1本が「沖島」から離れたばかりの「菊月」右舷機
 関室に命中[3]。12名が戦死し、22名が負傷した[18]。「菊
 月」は第563号駆潜艇となっていた特設駆潜艇「第三利
 丸」に曳航され[19]、ガブツ島（英語版）の海岸に擱座
 した[16]。\n　5月5日22時25分、放棄された「菊月」はカ
 ブツ島のハラボ南緯09度11分 東経160度13分で沈没した[22]
 。
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SUMMARY:駆逐艦三日月：竣工日(1927)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1925年（大正14
 年）2月16日、佐世保にて建造予定の睦月型駆逐艦は「
 第三十二号駆逐艦」と命名される[3]。なお同日附で妙
 高型重巡洋艦「足柄」と「羽黒」も命名されている[4]
 。同日附で「足柄、羽黒」は一等巡洋艦に、「第32号駆
 逐艦」は一等駆逐艦に類別された[5]。 「第32号駆逐艦
 」は佐世保海軍工廠で同年8月21日起工、1926年（大正15
 年）7月12日進水、1927年（昭和2年）5月5日に竣工[6]。佐
 世保鎮守府に所属した。1928年（昭和3年）8月1日附で「
 第32号駆逐艦」は「三日月」と改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦夕暮：進水日(1934)
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DESCRIPTION:　「夕暮」は1933年（昭和8年）4月9日に舞鶴工
 作部で起工[5]。1934年（昭和9年）5月6日に進水[5]。建造
 初期の段階で初春型1番艦「初春」の復元性能不良が判
 明し、設計を改めたため、本艦と姉妹艦「有明」は有
 明型駆逐艦（改初春型）とも呼ばれる[6]。\n　一等駆逐
 艦初春型「夕暮」は1935年（昭和10年）3月30日に竣工し
 た[5]。4月1日附で姉妹艦「有明」と共に第9駆逐隊を編
 制、初代駆逐隊司令は伊崎俊二中佐となる[9]。
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SUMMARY:駆逐艦暁：進水日(1932)
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DESCRIPTION:　1928年（昭和3年）6月16日、日本海軍は今後建
 造予定の吹雪型駆逐艦4隻について暁、響、雷、電の艦
 名を内定する[6]。駆逐艦暁は1930年（昭和5年）2月17日、
 佐世保海軍工廠で起工[7][8]。同年3月15日、建造中の吹
 雪型4隻は正式に暁、響、雷、電と命名される[2]。 1932
 年（昭和7年）5月7日午前8時15分、暁は進水した[8][9]。 5
 月16日、日本海軍は高橋一松少佐を暁艤装員長[10]に任
 命した[注釈 2]。 5月19日、吹雪型姉妹艦2隻（狭霧、漣
 ）により第10駆逐隊（駆逐隊司令栗田健男中佐）が編制
 される[11]。栗田司令は司令駆逐艦を狭霧に指定した[12]
 。 8月20日附で高橋は暁初代艦長となり、幹部達もそれ
 ぞれ任命された[13]。 11月18日、暁艤装員事務所を撤去[1
 4]。\n　同年11月30日に竣工[8][注釈 3]。竣工と同時に第
 十駆逐隊に編入され、同隊は3隻（狭霧、漣、暁）とな
 った。 
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SUMMARY:駆逐艦冬月：起工日(1943)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）度計画（マル急計画）に
 よる乙型一等駆逐艦の第361号艦[9]。舞鶴海軍工廠で1943
 年（昭和18年）5月8日に起工[10][9]。当初は三菱長崎造船
 所で建造される予定であったが、艦型変更と線表改訂
 により舞鶴での建造に変更された[11]。1944年（昭和19年
 ）1月20日に進水[13][9]。同日附で横須賀鎮守府に入籍[15]
 。\n　本艦は同年5月25日に竣工した[20][21]。同日附で、
 佐間中佐は正式に冬月初代駆逐艦長となる[22]。
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SUMMARY:駆逐艦陽炎：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）、ムンダやコロンバンガ
 ラ島の部隊が栄養不良などのために戦力が低下してい
 たため部隊の補充交代が実施されることになり、4月29
 日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガ
 ラ輸送が行われることになった[166][167]。第15駆逐隊（
 親潮、黒潮、陽炎）は奇数回、陽炎型駆逐艦17番艦「萩
 風」（第4駆逐隊）および白露型駆逐艦7番艦「海風」（
 第24駆逐隊）は偶数回で、交互に駆逐艦輸送を行うこと
 になった[168][169]。 「陽炎」は4月29日の第一回、5月3日
 の第三回と参加したが[170]、毎回同じ航路を取ったため
 5月6日にアメリカの機雷敷設艦3隻がブラケット水道に
 機雷約250個を敷設していた。\n　5月8日3時49分（3時59分
 ）、アウェイ島北西約0.6海里で「親潮」が触雷した[177]
 [178]。 それを潜水艦の雷撃と考えた健在2隻（黒潮、陽
 炎）は爆雷を投下した[179][180]。ところが親潮触雷から
 数分後、「陽炎」（親潮から北方2000ｍ地点航行中）は
 触雷[181][182]。機関部艦底付近で起爆したため、航行不
 能となる[174]。 \n　その後米雷撃機、戦闘機から攻撃を
 受け、その後、北西方向に漂流していた「陽炎」は18時
 17分にブラケット水道北西口で沈没した[189][190]。船体
 が分断されたり転覆することもなく、そのまま水没し
 ていったという[191]。沈没までに時間があったた為に食
 糧や医薬品を持ちだす余裕があり、また島にも近かっ
 たため避難上陸は容易だった[191][188]。戦死者18名[177]、
 重傷者11名、軽傷者25名[188]。
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SUMMARY:駆逐艦親潮：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）、ムンダやコロンバンガ
 ラ島の部隊が栄養不良などのために戦力が低下してい
 たため部隊の補充交代が実施されることになり、4月29
 日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガ
 ラ輸送が行われることになった[166][167]。第15駆逐隊（
 親潮、黒潮、陽炎）は奇数回、陽炎型駆逐艦17番艦「萩
 風」（第4駆逐隊）および白露型駆逐艦7番艦「海風」（
 第24駆逐隊）は偶数回で、交互に駆逐艦輸送を行うこと
 になった[168][169]。 \n　5月7日17時、第15駆逐隊3隻（親潮
 、黒潮、陽炎）はブインから第五回の輸送に出発した[9
 4]。3隻は前回同様ファーガスン水道、ブラケット水道
 を通って5月8日午前1時ごろにコロンバンガラ島ビラ沖
 に入泊し、搭載人員、物資を下ろして帰還者を乗せる
 と3時10分ごろに出港した[96]。3時49分、「親潮」はアウ
 ェイ島北西約0.6海里で触雷、航行不能になった[97]。\n
 　漂流中、米機の爆撃により、「親潮」の三番砲塔付
 近に爆弾1発が命中した[99]。「親潮」は南方に漂流し、
 同日17時5分にアンウィン諸島西端付近で沈没した[100]。
 「親潮」では91名の戦死者が出た（黒潮戦死者83名、陽
 炎戦死者18名）[97][101]。艦齢は約2年8ヶ月だった[102]。 
 第15駆逐隊司令牟田口大佐や東（親潮駆逐艦長）以下生
 存者は近くの島へ移動[103]。引き揚げ船でショートラン
 ド泊地に戻った[104]。 
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SUMMARY:駆逐艦島風：竣工日(1943)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）8月8日、舞鶴海軍工廠で起
 工。 1942年（昭和17年）5月15日、第125号艦を島風（シマ
 カゼ）と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風
 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦
 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20]
 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻（秋月、初
 月）や夕雲型駆逐艦4隻（巻波、340号艦早波、341号艦浜
 波、342号艦沖波）の建造[39][40]、軽巡4隻（那珂、名取
 、天龍、龍田）や駆逐艦複数隻（薄雲、大潮、霞、不
 知火、初春）等の修理整備工事を抱えており[41]、島風
 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水
 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n　1943年（昭和18年
 ）3月20日附で、広瀬弘中佐（駆逐艦春雨艦長等を歴任
 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附
 で同艦駆逐艦長免職[44]）が島風の艤装員長に任命され
 た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に
 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5
 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。
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SUMMARY:駆逐艦朝霜：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年5月10日、第21駆逐隊は解隊された[138]。
  同日、「朝霜」は夕雲型駆逐艦[139]、帝国駆逐艦籍よ
 り除籍された[140]。
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SUMMARY:駆逐艦叢雲：竣工日(1929)
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DESCRIPTION:　1927年（昭和2年）4月26日、建造予定の一等駆
 逐艦4隻に、それぞれ「第36号駆逐艦（のちの白雪）」[8
 ]、「第38号（〃深雪）」、「第39号（〃叢雲）」、「第
 44号（〃浦波）」の艦名が与えられた[9][10][6]。 「第39
 号駆逐艦」は藤永田造船所で、同年4月25日（正式命名
 の前日）起工[11]。 1928年（昭和3年）8月1日附で「第39号
 駆逐艦」は「叢雲」と改名された[1][12]。 同年9月27日進
 水[13]。 10月20日、日本海軍は砲艦「嵯峨」艦長柳原信
 男中佐を叢雲艤装員長に任命する(後任の嵯峨艦長は熊
 澤桝蔵中佐《当時、潜水母艦迅鯨副長》)[14]。 11月3日
 、藤永田造船所に叢雲艤装員事務所を設置する[15]。\n19
 29年（昭和4年）5月10日、本艦は竣工[11][16]。柳原信男中
 佐（叢雲艦長）、有田雄三大尉（叢雲水雷長）[注釈 1]
 、小倉藤三郎大尉（叢雲砲術長）、室田勇次郎（叢雲
 航海長）[注釈 2]、高橋伊三次機関大尉（叢雲機関長）[
 17]。 同日附で艤装員事務所を撤去[18]。第二艦隊・第二
 水雷戦隊・第12駆逐隊（駆逐隊司令有地十五郎大佐）[19
 ]に編入され、同隊は定数4隻（東雲、薄雲、白雲、叢雲
 ）を揃えた[20]。 
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SUMMARY:駆逐艦霞：除籍日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260510T150000Z
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DESCRIPTION:　1945年5月10日、「霞」および「朝霜」は除籍
 された[280]。また姉妹艦全隻を喪失した夕雲型駆逐艦と
 満潮型(朝潮型)駆逐艦は艦艇類別等級表から削除された
 [281]。 第21駆逐隊も同日附で解隊[282]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦夕霧：進水日(1930)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260511T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260512T150000Z
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DESCRIPTION:　舞鶴工作部で建造。1929年4月1日に起工、1930
 年5月12日に進水。同年12月3日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別された。竣工と同時に第8駆逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦電：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260514T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年5月3日、「電」は「響」とともにヒ61船
 団に加入し、六連島沖を出撃[109][110]。5月9日にマニラ
 に到着後、船団加入船のうち3隻の特設運送船（給油）
 、「日栄丸」（日東汽船、10\,021トン）と「建川丸」（
 川崎汽船、10\,090トン）、「あづさ丸」（石原汽船、10\,
 022トン）は第一機動艦隊（小沢治三郎中将）への補給
 任務のためマニラでヒ61船団から分離し、「響」ととも
 に護衛にあたることとなった[101][109][111]。\n　5月14日未
 明、北緯05度03分 東経119度36分のシブツ海峡で哨戒中の
 アメリカ潜水艦ボーンフィッシュ（USS Bonefish\, SS-223）
 が距離7\,000ヤードのかなたに3隻のタンカーを発見し、
 戦闘配置を令する[112]。そのころ、「電」は「響」と位
 置を交代したばかりであった[114][115]。そこにボーンフ
 ィッシュからの魚雷が接近した。魚雷は中部と後部に1
 本ずつ命中し、「電」は右舷側に45度に倒れて後部は二
 つ折れとなり、間もなく沈没した[116]。「電」乗員のう
 ち常盤駆逐艦長以下169名が戦死したが[114]、121名は「響
 」に救助された[117][115]。
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SUMMARY:駆逐艦初春：起工日(1931)
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DESCRIPTION:　仮称第59号駆逐艦（初春）は佐世保工廠で193
 1年（昭和6年）5月14日に起工[6][7]。 1932年（昭和7年）8
 月1日、初春型駆逐艦3隻にそれぞれ初春・子日・若葉の
 艦名が与えられる[1][2]。同日附で二等巡洋艦最上型に
 最上と三隈[8][9]、千鳥型水雷艇2隻に千鳥と真鶴、夏島
 型敷設艇夏島等の艦名が通達された[1][1]。\n　「初春」
 は1933年（昭和8年）2月27日に進水[7][10]。 5月1日、日本
 海軍は峯風型駆逐艦15番艦「沼風」駆逐艦長田原吉興少
 佐を、初春艤装員長に任命する[11]。 5月11日、艤装員事
 務所を設置[12]。 7月1日、田原艤装員長は制式に初春駆
 逐艦長（初代）となる[13]。 9月22日、初春艤装員事務所
 を撤去[14]。 9月30日竣工した[7]。これは初春型2番艦「
 子日」と同日附の竣工である[15]。
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SUMMARY:駆逐艦汐風：起工日(1920)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1920年5月15日起工、同
 年10月22日進水。1921年7月29日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦菊月：進水日(1926)
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UID:192127119343
DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1924年（大正13
 年）11月10日、舞鶴工作部で建造される予定の駆逐艦に
 「第三十一号駆逐艦」の艦名が与えられ[4]、同日附で
 「第28号駆逐艦（のちの水無月）、第29号駆逐艦（〃文
 月）、第30号駆逐艦（〃長月）、第31号駆逐艦（〃菊月
 ）」は一等駆逐艦に類別された[5]。本艦は1925年（大正1
 4年）6月15日に起工、1926年（大正15年）5月15日進水、同
 年11月20日に竣工した[6]。佐世保鎮守府に所属。 1928年
 （昭和3年）8月1日附で「第31号駆逐艦」は「菊月」と改
 名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦清霜：竣工日(1944)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第347号艦として
 計画され、浦賀船渠の第517番船[1]として建造される。19
 43年（昭和18年）3月16日に起工、8月30日、清霜と命名さ
 れた[3]。同日附で夕雲型18番艦「秋霜」等も命名[3]。2
 隻（秋霜、清霜）は駆逐艦一等夕雲型に分類される[4]
 。 \n　1944年（昭和19年）2月29日進水。3月4日、浦賀船渠
 に清霜艤装員事務所を設置[5]。 3月5日附で、日本海軍
 は吹雪型駆逐艦曙水雷長[6]、睦月型駆逐艦11番艦望月艦
 長、峯風型駆逐艦11番艦太刀風艦長[7][8]等を歴任した宮
 崎勇少佐を清霜艤装員長に任命する[9]。 5月16日竣工[1]
 。宮崎艤装員長も正式に清霜駆逐艦長（初代）となっ
 た[10]。海軍に引き渡されて[11]横須賀鎮守府籍となる。
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SUMMARY:駆逐艦春風：起工日(1922)
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DESCRIPTION:　本艦は舞鶴工作部で建造[10]。第5駆逐艦は192
 2年（大正11年）5月16日起工[14]。8月24日、第5駆逐艦は、
 姉妹艦や軽巡洋艦「夕張」および給油艦2隻（鳴戸、早
 鞆）と共に艦艇類別等級表に登録された[15][16]。 12月18
 日進水[14][17]。 1923年（大正12年）5月31日に竣工した[14][
 18]。同年12月1日、初代「春風」は駆逐艦から掃海艇に
 類別変更[9]。\n　1924年（大正13年）4月24日に、第5駆逐
 艦は第五号駆逐艦に改名[8][19]。さらに1928年（昭和3年
 ）4月1日附で初代「春風」は除籍[9]。これにより同年8
 月1日附で第5号駆逐艦は「春風」と改名された[8][19]。
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SUMMARY:駆逐艦時雨：進水日(1935)
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DESCRIPTION:　白露型駆逐艦2番艦・時雨は浦賀船渠で1933年
 （昭和8年）12月9日に起工[9]。12月15日、建造中の駆逐艦
 3隻にそれぞれ白露（シラツユ）、時雨（シグレ）、村
 雨（ムラサメ）の艦名が与えられた[10]。当時、有明・
 夕暮・白露・時雨・村雨・夕立・春雨は『有明型駆逐
 艦』に類別されていたが、諸事情により有明・夕暮は
 初春型駆逐艦に類別され、新たに『白露型駆逐艦』が
 新設されている[11]。 1935年（昭和10年）5月18日進水[12]
 。1936年（昭和11年）9月7日に竣工[1]。横須賀鎮守府籍[13
 ]。
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SUMMARY:駆逐艦漣：竣工日(1932)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「漣」は舞鶴工作部で建造[3]された
 。1930年（昭和5年）2月21日に起工[3][4]。同日、舞鶴工作
 部では姉妹艦「響」の建造も始まっている[5][6]。1931年
 （昭和6年）6月4日[3]もしくは6月6日に進水[4]。1932年（
 昭和7年）5月19日に就役[3][4]。一等駆逐艦に類別され、
 第二艦隊・第7駆逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦柳：解体日(1946)
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DESCRIPTION:　7月14日、折から日本本土への最終攻撃作戦
 を行っていた第38任務部隊（ジョン・S・マケイン・シ
 ニア中将）は、朝から艦載機を飛ばして北海道および
 東北地方の市街や港湾施設、飛行場、艦船を片っ端か
 ら攻撃していった。その後、偵察機に発見された「柳
 」は渡島福島沖で空母「エセックス」艦載機の空襲を
 受ける[8]。魚雷の回避には成功したものの、ロケット
 弾攻撃が命中。11時52分頃、艦尾切断、舵機室・推進機
 能喪失の被害を受けた[12]。大湊に曳航された「柳」だ
 が、8月9日にも大湊湾で第38任務部隊の艦載機による再
 度の空襲を受ける（大湊空襲）。敷設艦「常磐」とと
 もに攻撃を受けて大破し、浸水が激しく葦崎東方海岸
 に擱座して沈没を免れた。8月15日の終戦を迎えて乗員
 が艦を去っていく事により排水作業が出来なくなるこ
 とから、8月15日中に艦の保全のために同じく葦崎東方
 海岸に擱座し、曳船の助けを得て投錨して艦を固定し
 た[15]。\n　その後本艦「柳」は1946年（昭和21年）10月か
 ら翌年5月20日頃までに解体された。
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SUMMARY:駆逐艦睦月：起工日(1924)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。同年7月19日、
 舞鶴工作部で建造予定の駆逐艦に第十九駆逐艦の艦名
 が与えられた[4]。同日附で「第十九駆逐艦」、第二十
 一駆逐艦、第二十三駆逐艦、第二十五駆逐艦、第二十
 七駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。1924年（大正13
 年）4月24日、艦名に「号」の字が加えられ艦名を第十
 九号駆逐艦に改正した[6]。\n　第19号駆逐艦(睦月)は佐
 世保海軍工廠で1924年5月21日に起工、1925年（大正14年）7
 月23日進水、1926年（大正15年）3月25日に竣工し[7]、佐世
 保鎮守府に所属する。その後1928年（昭和3年）8月1日附
 で第19号駆逐艦は睦月へと改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦朝凪：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）4月上旬、「朝凪」は白露
 型駆逐艦6番艦「五月雨」（第2護衛船団司令官清田孝彦
 少将座乗）や給糧艦「間宮」等と共に東松四号輸送船
 団に参加[47]。この船団は輸送船2隻（4月3日、東征丸。4
 月10日、美作丸）沈没のみで、おおむね成功した[47]。\n
 　船団は5月14日にサイパンへ到着するが、このうち水
 無月以下3隻に護衛された輸送船4隻（5月16日サイパン発
 ヤップ行）は日吉丸・復興丸沈没等の被害を出した[48]
 。 5月17日、朝凪以下護衛艦7隻と船団10隻はサイパンを
 出港[24][49]。横須賀に向け航海中の5月22日午前3時頃[49]
 、小笠原諸島の父島北西沖北緯28度19分 東経138度54分地
 点において[50]、アメリカ海軍の潜水艦ポラック（USS Pol
 lack\, SS-180）の雷撃を受ける[24]。魚雷1本が左舷後部に
 命中、老朽化のため浸水がとまらず大西（朝凪艦長）
 は総員退去を発令[49]。「朝凪」は艦尾から沈没した[49]
 。戦死者約30名[49]。
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SUMMARY:駆逐艦萩風：起工日(1939)
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DESCRIPTION:　マル4計画、仮称第113号艦として浦賀船渠で1
 939年（昭和14年）5月23日起工[3]。同造船所では、萩風の
 ほかに5隻の陽炎型（不知火、早潮、時津風、浜風、秋
 雲）を建造した。 1940年（昭和15年）2月23日、仮称第113
 号艦は「萩風」（ハギカゼ）と命名された[1]。同日附
 で姉妹艦嵐や敷設艦津軽等も命名されている[1]。萩風
 は同年6月18日に進水し[3]、1941年（昭和16年）3月31日竣
 工[3]。横須賀鎮守府籍。 同日附で萩風は陽炎型16番艦
 嵐と共に、新たに編制されたばかりの第4駆逐隊に所属
 することになった[8]。
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SUMMARY:駆逐艦山風：起工日(1935)
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DESCRIPTION:　本艦は浦賀船渠で1935年（昭和10年）5月25日
 に起工[11][12]。 1936年（昭和11年）2月21日進水[13][11]。当
 事の浦賀船渠は白露型3隻（時雨、五月雨、山風）を同
 時に建造していた[14]。 7月1日、日本海軍は野間口兼知
 少佐（前職、睦月型駆逐艦5番艦皐月駆逐艦長）を山風
 艤装員長に任命した[15]。\n　1937年（昭和12年）1月21日
 、浦賀船渠に山風艤装員事務所を設置[16]。 5月31日、姉
 妹艦2隻（江風、海風）により第24駆逐隊が編制される
 （司令久宗米次郎大佐）[17][18]。初代司令駆逐艦は「江
 風」[19]。「江風」は本艦よりも先に竣工していたので
 ある[20]。 編制直後の第24駆逐隊は佐世保警備戦隊に編
 入、同戦隊は（戦艦《金剛》、巡洋艦《妙高、長良、
 北上》、第24駆逐隊、第23駆逐隊《菊月、三日月、望月
 、夕月》、第29駆逐隊《追風、疾風》）となった[21]。\n
 　6月30日、「山風」は竣工した[11]。同日附で野間口艤
 装員長は山風駆逐艦長（初代）となる[22]。佐世保鎮守
 府所属[23]。竣工と同時に、佐世保へ回航[24]。
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SUMMARY:駆逐艦水無月：進水日(1926)
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DESCRIPTION:　1925年（大正14年）3月24日、第二十八号駆逐
 艦（水無月）は浦賀船渠で起工[9]。 1926年（大正15年）5
 月25日、進水[9][17]。 12月1日、日本海軍は第27号駆逐艦
 《皐月》、第29号駆逐艦《文月》で第二水雷戦隊（旗艦
 「夕張」）麾下に第22駆逐隊を編成[18][19]。第22駆逐隊
 司令は池田武義大佐[20]。 同日附で古賀七三郎中佐（当
 時、第九号《旗風》駆逐艦長）は第二十八号駆逐艦艤
 装員長に補職[20]。 12月3日、浦賀船渠の第二十八号駆逐
 艦艤装員事務所は事務を開始する[21]。\n　1927年（昭和2
 年）3月22日、竣工[9]。1928年（昭和3年）8月1日附で第二
 十八号駆逐艦は「水無月」と改名[1][25]。また各艦の改
 名（命名）と同時に、第十九号型駆逐艦は睦月型駆逐
 艦に改訂された[8]。
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SUMMARY:駆逐艦桑：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260525T150000Z
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DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造され、1943年12月10日起工
 、1944年（昭和19年）5月25日に進水、7月25日竣工。訓練
 部隊の第十一水雷戦隊（司令官高間完海軍少将・海軍
 兵学校41期）に編入される[2]。瀬戸内海に回航され、8
 月3日から8月30日までは輸送任務に従事中の長良軽巡洋
 艦1番艦「長良」に代わって第十一水雷戦隊の旗艦を務
 めた[3]。
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SUMMARY:駆逐艦磯風：除籍日(1945)
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UID:295307731544
DESCRIPTION:　駆逐艦磯風は1945年5月25日附で 第17駆逐隊[218
 ] 帝国駆逐艦籍[219]、 不知火型駆逐艦[220]のそれぞれか
 ら除籍された。磯風は連合艦隊の栄光から終焉、さら
 に大和型戦艦姉妹の最後を見届けた歴戦の艦だった[1]
 。 元磯風の乗組員であった井上理二（昭19年1月、磯風
 に配属）は、自著『駆逐艦磯風と三人の特年兵』にお
 いて磯風が最高武勲艦であると記している[223]。
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SUMMARY:駆逐艦冬月：竣工日(1944)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）度計画（マル急計画）に
 よる乙型一等駆逐艦の第361号艦[9]。舞鶴海軍工廠で1943
 年（昭和18年）5月8日に起工[10][9]。当初は三菱長崎造船
 所で建造される予定であったが、艦型変更と線表改訂
 により舞鶴での建造に変更された[11]。1944年（昭和19年
 ）1月20日に進水[13][9]。同日附で横須賀鎮守府に入籍[15]
 。\n　本艦は同年5月25日に竣工した[20][21]。同日附で、
 佐間中佐は正式に冬月初代駆逐艦長となる[22]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦菊月：除籍日(1942)
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UID:191241550338
DESCRIPTION:　1942年5月25日、駆逐艦「菊月」は帝国駆逐艦
 籍[30]、睦月型駆逐艦[31]より除籍された。\n　現在もソ
 ロモン諸島のフロリダ諸島を構成する島のひとつ、ン
 ゲラスレ島(フロリダ島)にあるトウキョウ・ベイと呼ば
 れる湾内[33]の海岸に座礁した状態となっている。南緯0
 9度07分24.2秒 東経160度14分16.0秒。長年の風雨や波浪によ
 る風化により水上に出ている船体のほとんどが崩壊し
 、原形をとどめていない。 現在、水上にある唯一の日
 本海軍艦艇[34]ではあるが、近年、地球温暖化による海
 面上昇により、少しずつ海面下に没しつつある。
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SUMMARY:駆逐艦夏雲：進水日(1937)
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DESCRIPTION:　1936年（昭和11年）6月10日、佐世保工廠で建
 造予定の駆逐艦に「夏雲」の艦名が与えられる[1]。佐
 世保工廠で建造された朝潮型は、「朝潮」と「夏雲」
 の2隻である[3]。「夏雲」は同年7月1日に起工[4][5]。 1937
 年（昭和12年）5月26日に進水[4][6]。神戸川崎造船所で建
 造していた朝潮型4番艦「荒潮」と同日附の進水である[
 6]。 8月16日、日本海軍は吹雪型駆逐艦「東雲」および
 「薄雲」駆逐艦長を兼務していた北村昌幸中佐を、夏
 雲艤装員長に任命した[7]。8月23日、佐世保工廠に夏雲
 艤装員事務所を設置[8]。本艦は朝潮型1番艦「朝潮」と
 共に建造された。 同年12月8日、北村は正式に夏雲初代
 駆逐艦長となる[9]。\n　1938年（昭和13年）2月10日に竣工
 [4]。ただちに横須賀に回航された[10]。同日附で第41駆
 逐隊（山雲、夏雲）が編制された（駆逐隊司令高間完
 大佐）。
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SUMMARY:駆逐艦荒潮：進水日(1937)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260526T150000Z
UID:208742603071
DESCRIPTION:　1935年（昭和10年）9月28日、建造予定の駆逐
 艦2隻に「満潮」と「荒潮」[4]、8500トン級巡洋艦に対し
 「筑摩」の艦名が与えられた[5][1]。同日附で3隻（筑摩
 、満潮、荒潮）は艦艇類別等級表に登録された[6]。 「
 荒潮」は神戸川崎造船所で同年10月1日に起工[7][8]。神
 戸川崎造船所で建造された朝潮型は、「荒潮」と「朝
 雲」の2隻である[9]。\n　「荒潮」は1937年（昭和12年）5
 月26日に進水[7][10]。佐世保海軍工廠で建造中の朝潮型7
 番艦「夏雲」と同日附の進水だった[10][11]。 7月15日、
 日本海軍は吹雪型駆逐艦「白雲」艦長山隈和喜人少佐
 を、荒潮艤装員長に任命する[12]。 7月22日、荒潮艤装員
 事務所を設置[13]。 「荒潮」は12月20日に竣工した[7]。
 同日附で山隈艤装員長は制式に荒潮駆逐艦長（初代）
 となる[14]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦桐：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260527T150000Z
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5486号艦として横須賀海軍
 工廠で建造され、1944年2月1日起工、5月27日進水、8月14
 日に竣工した。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦初桜：竣工日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260528T150000Z
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DESCRIPTION:　仮称5522号艦、橘型（改松型）駆逐艦の1艦と
 して横須賀海軍工廠で建造された。1944年12月14日起工、
 1945年2月10日進水。同年5月28日に竣工した。竣工後、訓
 練部隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期
 ）に編入され[2]、特令あるまで待機を行うよう命じら
 れ[3]、6月4日付で「潮」とともに横須賀鎮守府部隊に編
 入され[4]、そのまま無傷で終戦を迎えた。
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SUMMARY:駆逐艦夕風：進水日(1921)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260528T150000Z
UID:305959247833
DESCRIPTION:　三菱長崎造船所で建造。1920年12月14日起工、
 1921年5月28日進水。1921年8月24日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 同じ峯風型の島
 風、太刀風と共に第三駆逐隊を編成し、第二艦隊に所
 属。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦樺：竣工日(1945)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260528T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260529T150000Z
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DESCRIPTION:　仮称5500号艦、橘型（改松型）駆逐艦として
 藤永田造船所で建造された。1944年10月15日起工、1945年2
 月27日進水、5月29日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第
 十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編入。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦高波：起工日(1941)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260529T150000Z
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DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第121号艦として浦
 賀船渠で建造[3]。1941年（昭和16年）5月29日起工。1942年
 （昭和17年） 3月16日午後4時30分[7]、横須賀鎮守府長官
 平田昇中将立ち合いの元で本艦は進水[8][3]。同日、第
 五航空戦隊（瑞鶴、翔鶴）と随伴艦（秋雲、霰、陽炎
 ）も横須賀に入港している[3]。  \n　1942年8月31日に竣工
 [13][14]。同日、秋月型駆逐艦2番艦「照月」（佐世保鎮
 守府籍）も8月31日竣工しており、本艦は舞鶴鎮守府籍
 となる[17]。その上で、2隻（照月、高波）は警備駆逐艦
 に指定された[17]。
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SUMMARY:駆逐艦峯風：竣工日(1920)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1918年4月20日起工、1919
 年2月8日進水。1920年5月29日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦春風：竣工日(1923)
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DESCRIPTION:　本艦は舞鶴工作部で建造[10]。第5駆逐艦は192
 2年（大正11年）5月16日起工[14]。8月24日、第5駆逐艦は、
 姉妹艦や軽巡洋艦「夕張」および給油艦2隻（鳴戸、早
 鞆）と共に艦艇類別等級表に登録された[15][16]。 12月18
 日進水[14][17]。 1923年（大正12年）5月31日に竣工した[14][
 18]。同年12月1日、初代「春風」は駆逐艦から掃海艇に
 類別変更[9]。\n　1924年（大正13年）4月24日に、第5駆逐
 艦は第五号駆逐艦に改名[8][19]。さらに1928年（昭和3年
 ）4月1日附で初代「春風」は除籍[9]。これにより同年8
 月1日附で第5号駆逐艦は「春風」と改名された[8][19]。
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SUMMARY:駆逐艦海風：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　「海風」は舞鶴工廠で1935年（昭和10年）5月4
 日に起工[9]。第四艦隊事件のため一時工事を中止し、19
 36年（昭和11年）5月より工事を再開[2]。11月27日に進水[9
 ][10]。12月1日附で日本海軍は、睦月型駆逐艦11番艦「望
 月」駆逐艦長成富武光少佐を海風艤装員長に任命する[1
 1]。同日附で山田雄二中佐も江風艤装員長に任命されて
 いる[11]。 1937年（昭和12年）4月9日、若狭湾（宮津湾）
 で全力公試を実施、同時期には海上試運転中に冠島と
 衝突しかけている[12]。4月15日、成冨海風艤装員長は制
 式に海風初代艦長となり、艦幹部達も任命された[13]。 
 5月31日に竣工[9]。佐世保鎮守府所属。 \n　起工、進水
 、竣工ともいずれも「江風」の方が「海風」より早か
 った[14]。また、進水も白露型8番艦「山風」の方が早か
 った[15]。
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SUMMARY:駆逐艦若月：竣工日(1943)
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DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度計画（マル4計画）仮称1
 09号艦[5]。1942年（昭和17年）3月9日、三菱重工業長崎造
 船所で起工[5]。同年11月24日、進水[5]。 1943年5月31日、
 竣工[5]。同日附で横須賀鎮守府籍[10]。当初は舞鶴海軍
 工廠で昭和17年6月に起工し、1944年（昭和19年）5月に竣
 工というスケジュールが立てられていた[11]。
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SUMMARY:駆逐艦桜：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5496号として計画され、1944
 年（昭和19年）6月2日に横須賀海軍工廠で起工。8月25日
 に「桜」と命名され、9月6日に進水した。11月25日に竣
 工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍
 兵学校41期）に編入された。
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