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SUMMARY:駆逐艦不知火：起工日(1937)
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DESCRIPTION:　不知火は浦賀船渠で1937年8月30日に起工、1938
 年6月28日に進水。1939年12月20日に竣工した。呉鎮守府在
 籍。
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SUMMARY:駆逐艦旗風：竣工日(1924)
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DESCRIPTION:　本艦は1923年（大正12年）7月3日に起工[14][21]
 。1924年（大正13年）3月15日、「第九駆逐艦」として進
 水[14][22]。 艤装中の4月24日附で「第九駆逐艦」は「第
 九号駆逐艦」と改称[8]。 6月10日、日本海軍は荒糺（あ
 らただし）少佐（当時山風駆逐艦長心得）を第9号駆逐
 艦艤装員長に任命（後任の山風艦長心得は中圓尾義三
 少佐）[23]。6月19日より艤装員事務所での事務を開始す
 る[24]。8月30日に竣工した[14][27]。 \n　4年後の1928年（昭
 和3年）8月1日附で、「第九号駆逐艦」は「旗風」と改
 名された[1][29]。
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SUMMARY:駆逐艦照月：竣工日(1941)
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DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度（マル4計画）の第105号
 艦[4]。1940年（昭和15年）11月13日、三菱重工業長崎造船
 所で起工[4]。1941年（昭和16年）10月25日に命名[2]、同日
 附で一等駆逐艦秋月型に類別される[5]。「照月」は真
 珠湾攻撃直前の11月21日に進水[4]。本艦は8月31日に竣工
 して佐世保鎮守府籍となる[12][4][13]。
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SUMMARY:駆逐艦高波：竣工日(1942)
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DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第121号艦として浦
 賀船渠で建造[3]。1941年（昭和16年）5月29日起工。1942年
 （昭和17年） 3月16日午後4時30分[7]、横須賀鎮守府長官
 平田昇中将立ち合いの元で本艦は進水[8][3]。同日、第
 五航空戦隊（瑞鶴、翔鶴）と随伴艦（秋雲、霰、陽炎
 ）も横須賀に入港している[3]。  \n　1942年8月31日に竣工
 [13][14]。同日、秋月型駆逐艦2番艦「照月」（佐世保鎮
 守府籍）も8月31日竣工しており、本艦は舞鶴鎮守府籍
 となる[17]。その上で、2隻（照月、高波）は警備駆逐艦
 に指定された[17]。
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SUMMARY:駆逐艦朝潮：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　 1935年（昭和10年）9月6日、建造予定の駆逐
 艦2隻にそれぞれ『朝潮』と『大潮』の艦名が与えられ
 た[1][5]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦を新
 設[6]。 本艦は佐世保海軍工廠で9月7日に起工[7][8]。 1936
 年（昭和11年）12月16日に進水した[7]。日本海軍は、吹
 雪型駆逐艦潮・峯風型沖風艦長等を歴任した成田茂一
 中佐を朝潮艤装員長に任命する[9]。当事の佐世保工廠
 では、白露型4番艦夕立の建造が最終段階に入っていた
 （翌年1月7日竣工）[10]。12月28日、佐世保海軍工廠に朝
 潮艤装員事務所を設置[11]。\n　1937年（昭和12年）8月2日
 、成田艤装員長は正式に朝潮駆逐艦長（初代）に任命
 される[12]。本艦は8月31日に竣工した[7]。
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SUMMARY:駆逐艦涼風：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　1935年（昭和10年）6月20日、日本海軍は浦賀
 船渠で建造予定の駆逐艦を「涼風」と命名した[2][4]。
 同年7月9日、「涼風」は浦賀船渠で起工[6][7]。 本艦は19
 37年（昭和12年）3月11日に進水[6][12]。\n　5月1日、日本
 海軍は井上良雄少佐（吹雪型駆逐艦「響」艦長）を涼
 風艤装員長に任命する（後任の響艦長は駆逐艦雷艦長
 竹内虎四郎少佐）[13]。5月3日、浦賀船渠に涼風艤装員
 事務所を設置し、事務を開始する[14]。 「涼風」は同年
 8月31日に竣工した[6]。主要幹部は、井上良雄少佐（駆
 逐艦長）、浅井秋生大尉（砲術長）、藤田淳大尉（水
 雷長）、西村定男大尉（航海長）、斎藤孝吉機関大尉
 （機関長）[15]。同日附で艤装員事務所を撤去する[16]。
 \n　竣工と同時の8月31日附で姉妹艦3隻（海風、山風、
 江風）の第24駆逐隊（5月31日附で編制。駆逐隊司令久宗
 米次郎大佐）に編入[17][18]。定数4隻（海風、山風、江
 風、涼風）を揃えた第24駆逐隊は第二次上海事変（昭和
 12年）に投入され、中国大陸に進出した。
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SUMMARY:駆逐艦夏潮：竣工日(1940)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「夏潮」は藤永田造船所で1937年（昭
 和12年）12月9日に起工[4]。 1938年（昭和13年）9月20日、
 日本海軍（米内光政海軍大臣）は舞鶴海軍工廠で建造
 の陽炎型4番艦を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦
 （本艦）を『夏潮』、川崎造船所の陽炎型7番艦を『初
 風』と命名した[2][5]。 同日附で、各艦（親潮、夏潮、
 初風、伊号第十八潜水艦、伊号第二十潜水艦、伊号第
 二十二潜水艦等）は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[6
 ]。\n　「夏潮」は1939年（昭和14年）2月23日に進水[4]。
 本艦の建造は陽炎型3番艦「黒潮」と同時に進められた[
 7]。1940年（昭和15年）1月27日、藤永田造船所で姉妹艦「
 黒潮」が竣工[10]。 同年8月31日[4][1]に竣工。陽炎型5番
 艦「早潮」と同日附の竣工であった[16]。呉鎮守府籍。
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SUMMARY:駆逐艦黒潮：起工日(1937)
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦3番艦「黒潮」は仮称19号艦と
 して藤永田造船所で1937年（昭和12年）8月31日に起工[3]
 。\n　1938年（昭和13年）4月15日、日本海軍は舞鶴海軍工
 廠で建造中の駆逐艦を『陽炎』、浦賀船渠の同型駆逐
 艦を『不知火』、藤永田造船所の本艦を『黒潮』、東
 京石川島造船所の測天型敷設艇2番艇を「白神」と命名
 する[5][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐艦
 』が新設され、3隻（陽炎、不知火、黒潮）は同型に類
 別された[6]。 同年10月25日、「黒潮」は進水[3][7]。\n　1
 940年（昭和15年）1月20日、佐世保海軍工廠で陽炎型8番
 艦「雪風」が竣工[12]、呉へ回航される[13]。 「雪風」
 竣工から一週間遅れた1月27日、陽炎型3番艦「黒潮」は
 竣工[3][14]。
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SUMMARY:駆逐艦梨：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「梨」は橘型の10番艦（仮称4810号艦
 ）として、川崎重工業神戸艦船工場で1944年（昭和19年
 ）9月1日に起工。同年12月8日、駆逐艦（柿、樺、梨、椎
 、榎）や海防艦「志賀」等に艦名が与えられる[2]。同
 日附で各艦（柿、樺、梨、椎、榎）は松型駆逐艦に類
 別[1]。\n　1945年（昭和20年）1月17日、進水。2月9日、神
 戸川崎造船所内に設置された梨艤装員事務所は、事務
 を開始[3]。 本艦は同年3月15日に竣工した[11]。呉鎮守府
 籍[12]。\n　竣工（3月15日）をもって第十一水雷戦隊（
 司令官高間完少将。旗艦「酒匂」）に配属され、山口
 県柳井市東方及び南方の瀬戸内海において訓練に従事
 した。燃料事情が悪化しているため、訓練航海は月に
 数回しか行われず、それも殆どは呉より日帰りの短期
 のものであった[15]。
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SUMMARY:駆逐艦雄竹：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　仮称4814号艦、橘型（改松型）駆逐艦として
 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年11月5日起工、1945年3
 月10日進水。5月15日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第
 十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編入す
 るも、タービンの空気漏洩が見つかり、5月17日まで調
 整が行われた[2]。舞鶴湾で単独訓練を行い[3]、待機す
 る。
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SUMMARY:駆逐艦敷波：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）8月1日、シンガポール沖に
 て座礁事故を起こすも、離礁に成功する。応急修理の
 後、本格的な修理を受けるためにヒ72船団の護衛に協力
 して内地に向かうことになった。\n　しかし、9月12日01
 時55分、船団は米潜水艦「グロウラー」 (USS Growler\, SS-21
 5)の雷撃を受ける。船団護衛部隊旗艦の海防艦「平戸」
 に魚雷1本が命中[2][3]。平戸は閃光と水柱に包まれ、そ
 れが消えると同時に海上からその姿を消し[4]、護衛司
 令官の梶岡定道少将が戦死してしまう。旗艦を失い、
 混乱する船団は米潜水艦部隊の雷撃により被害が次々
 に増える中、敷波は対潜掃討を行っていたが、06時55分
 、北緯18度16分 東経114度40分の海南島東方洋上でグロウ
 ラーの再度の雷撃で魚雷2本が立て続けに命中して4分で
 沈没した[5]。駆逐艦長の高橋達彦少佐以下乗員多数が
 戦死し、乗員120名が海防艦御蔵に救助された。
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SUMMARY:駆逐艦陽炎：起工日(1937)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260903T150000Z
UID:266035018514
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で1937年（昭和12年）9月3日に起
 工[5]。1938年（昭和13年）4月15日、舞鶴工廠で建造中の
 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、
 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所
 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え
 られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐
 艦』が新設され、3隻（陽炎、不知火、黒潮）は同型に
 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8]
 。\n　1939年（昭和14年）2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐
 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2
 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8
 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長（初代）となる
 [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2
 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが（
 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日）、竣工は「
 陽炎」の方が先である[12]。
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SUMMARY:駆逐艦島風（初代）：起工日(1919)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260905T150000Z
UID:707268818312
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1919年9月5日起工、1920
 年3月31日進水。同年11月15日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆
 逐隊に編入された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦桜：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260906T150000Z
UID:225394992737
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5496号として計画され、1944
 年（昭和19年）6月2日に横須賀海軍工廠で起工。8月25日
 に「桜」と命名され、9月6日に進水した。11月25日に竣
 工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍
 兵学校41期）に編入された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦樅：竣工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260907T150000Z
UID:216528183671
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5489号艦として横須賀海軍
 工廠で建造され、横須賀鎮守府籍となる。1944年2月1日
 起工、6月16日進水。竣工日は9月7日であるが、これは9
 月7日以前に予定されていた竣工引渡し日までに工事が
 終わらず、延期されたものである[1]。
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SUMMARY:駆逐艦時雨：竣工日(1936)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260907T150000Z
UID:146910942589
DESCRIPTION:　白露型駆逐艦2番艦・時雨は浦賀船渠で1933年
 （昭和8年）12月9日に起工[9]。12月15日、建造中の駆逐艦
 3隻にそれぞれ白露（シラツユ）、時雨（シグレ）、村
 雨（ムラサメ）の艦名が与えられた[10]。当時、有明・
 夕暮・白露・時雨・村雨・夕立・春雨は『有明型駆逐
 艦』に類別されていたが、諸事情により有明・夕暮は
 初春型駆逐艦に類別され、新たに『白露型駆逐艦』が
 新設されている[11]。 1935年（昭和10年）5月18日進水[12]
 。1936年（昭和11年）9月7日に竣工[1]。横須賀鎮守府籍[13
 ]。
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SUMMARY:駆逐艦朝潮：起工日(1935)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260907T150000Z
UID:158984483992
DESCRIPTION:　 1935年（昭和10年）9月6日、建造予定の駆逐
 艦2隻にそれぞれ『朝潮』と『大潮』の艦名が与えられ
 た[1][5]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦を新
 設[6]。 本艦は佐世保海軍工廠で9月7日に起工[7][8]。 1936
 年（昭和11年）12月16日に進水した[7]。日本海軍は、吹
 雪型駆逐艦潮・峯風型沖風艦長等を歴任した成田茂一
 中佐を朝潮艤装員長に任命する[9]。当事の佐世保工廠
 では、白露型4番艦夕立の建造が最終段階に入っていた
 （翌年1月7日竣工）[10]。12月28日、佐世保海軍工廠に朝
 潮艤装員事務所を設置[11]。\n　1937年（昭和12年）8月2日
 、成田艤装員長は正式に朝潮駆逐艦長（初代）に任命
 される[12]。本艦は8月31日に竣工した[7]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦新月：除籍日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z
UID:172297635180
DESCRIPTION:　1943年9月10日、「新月」は秋月型駆逐艦[119]
 、帝国駆逐艦籍より除籍された[120]。二水戦旗艦「神通
 」と水上機母艦「日進」も本艦と同日附で除籍されて
 いる[120]。
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SUMMARY:駆逐艦薄雲：除籍日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z
UID:570679726300
DESCRIPTION:　1944年9月10日、駆逐艦「薄雲」は初雪型駆逐
 艦[65]、 第18駆逐隊[66]、 帝国駆逐艦籍より除籍された[6
 7]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦玉波：除籍日(1944)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260909T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z
UID:236725975363
DESCRIPTION:　駆逐艦「清波」は1944年9月10日附で夕雲型駆
 逐艦、 帝国駆逐艦籍、それぞれから除籍された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦帆風：除籍日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z
UID:471516724825
DESCRIPTION:　1944年9月10日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆
 逐艦籍より除籍された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦萩：起工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260911T150000Z
UID:118546125438
DESCRIPTION:　仮称5517号艦、橘型（改松型）駆逐艦4番艦と
 して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年9月11日起工、11
 月27日進水。1945年3月3日に竣工した。竣工後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。「柿」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内
 海に回航される[2]。
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SUMMARY:駆逐艦弥生：戦没日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260911T150000Z
UID:178115093463
DESCRIPTION:　第二次ソロモン海戦の後、第30駆逐隊（弥生
 、望月）は第十八戦隊（天龍、龍田）、第17駆逐隊（浦
 風、谷風、浜風、磯風）、駆逐艦「嵐」等と共に『ラ
 ビ攻略作戦（ニューギニアの戦い）』に参加、部隊を
 上陸させるなどニューギニア島・パプアニューギニア
 方面で活動した。\n　1942年9月10日16時30分、安武司令の
 乗艦する「弥生」は駆逐艦「磯風」を指揮下に入れ、
 ラビ攻略部隊（佐世保鎮守府第五特別陸戦隊）を撤収
 させるためラバウルを出港した[40]。\n　9月11日正午よ
 り、ラビの東にあるノーマンビー島(ノルマンビー島)の
 東方でB-17、B-25約10機による空襲を受け、「弥生」は後
 部への爆弾命中により舵が故障、続いて航行不能とな
 り、16時15分沈没した[41]。安武第30駆逐隊司令も「弥生
 」と共に戦死した。沈没地点はノーマンビー島東方15浬
 南緯10度3分 東経151度27分[42]。
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SUMMARY:駆逐艦卯月：竣工日(1926)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260914T150000Z
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。同年7月19日、
 第二十五駆逐艦と命名される[4]。 1924年（大正13年）1月
 11日、第25駆逐艦（卯月）は東京石川島造船所で起工[5]
 。これは浦賀船渠で建造された第24駆逐艦（弥生）と同
 日の起工である[6]。 同年4月24日、艦名を「第二十五号
 駆逐艦」に改正[7]。 1925年（大正14年）10月15日進水[5]。
  1926年（大正15年）9月14日に竣工[5]。佐世保鎮守府に所
 属した。\n　1928年（昭和3年）8月1日附で「第二十五号
 駆逐艦」は「卯月」と改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦梨：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年（昭和20年）9月15日除籍[37]。\n　沈没
 後の本艦は海底に放置されていたが、同地漁協におい
 て本艦を引き揚げて漁礁とする計画が持ちあがり、大
 蔵省中国財務局に申請があった[38]。1954年（昭和29年）9
 月21日に廃鉄鋼材（スクラップ）としての利用を目的に
 浮揚された。10年近く海中にあったものの、調査の結果
 状態は良好であったため、北星船舶は防衛庁（当時）
 に売り込みをかけた[38]。同庁では引き揚げた業者より
 購入して再就役させる計画を立て、改修費約3億4500万円
 と引揚分の費用をかけて修理改装[38]。\n　1956年（昭和3
 2年）5月31日、警備艦「わかば」として海上自衛隊に編
 入[11]。1958年には改めて兵装を装備した上で乙型警備艦
 「DE-261 わかば」として再就役した。このため、「梨」
 （「わかば」）は海上自衛隊に在籍した唯一の日本海
 軍の戦闘艦艇である[39]。\n　護衛艦わかばとしての除
 籍日は1971年（昭和46年）3月31日。江田島の古沢鋼材に
 払い下げられ、解体された[11]。
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SUMMARY:駆逐艦矢風：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年9月15日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆
 逐艦籍より除籍された。戦後は長浦湾に係留されてい
 たが浸水により着底。1948年（昭和23年）7月から9月にか
 けて[8]解体された。
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SUMMARY:駆逐艦潮：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1944年12月上旬、シンガポールで応急修理を
 完了。「潮」は重巡「妙高」（レイテ沖海戦で被雷、
 大破）を護衛し、内地に向け出発する。12月16日、「潮
 」はベトナムのサンジャックに到着[141]。「妙高」は「
 羽黒、霞、初霜、千振」に護衛されてシンガポールに
 引き返した[141]。つづいて「潮」はヒ82船団を護衛して
 内地に回航された[142]。横須賀港に帰投し、主機損傷の
 ためそのまま係留される。\n　1945年（昭和20年）1月25日
 、姉妹艦「響」の編入により、第7駆逐隊は3隻編制（霞
 、潮、響）となる[143]。 3月10日附で「霞」は第21駆逐隊
 に編入され、第7駆逐隊は2隻（潮、響）に減少した[144]
 。\n　5月5日、第7駆逐隊は解隊され[148]、「響」は警備
 駆逐艦に指定されたのち[149]、舞鶴へ回航された。6月10
 日附で「潮」は第四予備駆逐艦に指定される[150]。行動
 不能の状態で8月15日（終戦の日）を迎えた。\n　駆逐艦
 「潮」は終戦後の1945年9月15日、初雪型駆逐艦、帝国駆
 逐艦籍[102] のそれぞれから除籍され、1948年（昭和23年
 ）に解体された。
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SUMMARY:駆逐艦澤風：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年9月15日に除籍され、船体は福島県・小
 名浜港で防波堤に転用された。
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SUMMARY:駆逐艦春風：放棄日(1948)
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DESCRIPTION:　戦後、船体は上部構造物を撤去した上で京
 都府竹野港（京丹後市）の防波堤として使用されたが[5
 8]、間もなく1948年（昭和23年）9月16日に上陸したアイオ
 ン台風により破壊したため、スクラップとして売却の
 上解体された[59]。なお、当初は秋田港の防波堤として
 使用される予定だった[60]。
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SUMMARY:駆逐艦羽風：竣工日(1920)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260916T150000Z
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DESCRIPTION:　三菱長崎造船所で建造。1918年11月11日起工、
 1920年6月21日進水。同年9月16日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦雄竹：処分日(1947)
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DESCRIPTION:　1947年9月17日に北緯35度29分 東経122度52分の地
 点で標的艦として処分された[7]。
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SUMMARY:駆逐艦夕凪：起工日(1923)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）1月27日、佐世保海軍工廠
 で建造予定の駆逐艦に第十七駆逐艦の艦名が与えられ
 る[6][7]。同日附で艦艇類別等級表に一等駆逐艦として
 登録される[8]。 同年9月17日、第17駆逐艦（夕凪）は佐
 世保海軍工廠で起工[9]。\n　1924年（大正13年）4月23日、
 第17駆逐艦（夕凪）は進水[9][10]。進水翌日、第17駆逐艦
 は第十七号駆逐艦と改名される[11]。 同年12月1日、初代
 「夕凪」は除籍された[4][12]。同日附で日本海軍は樅型
 駆逐艦「菊」艦長山田定男少佐を、第17号駆逐艦艤装員
 長に任命する[13]。\n　 1925年（大正14年）4月24日、第17
 号駆逐艦は竣工した[9][15]。1928年（昭和3年）8月1日附で
 第一号型駆逐艦は神風型駆逐艦と改称[16]。第17号駆逐
 艦も「夕凪」と改名された[3][17]
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SUMMARY:駆逐艦野分：進水日(1940)
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DESCRIPTION:　駆逐艦野分は陽炎型駆逐艦のマル3計画での
 最終艦（15隻目。陽炎型は次のマル4計画でも4隻建造さ
 れ計19隻）、仮称第31号艦として舞鶴工廠で建造開始。1
 939年（昭和14年）11月8日起工[3]。1940年（昭和15年）8月30
 日に「野分（ノワキ）」と命名される[1]。同日附で陽
 炎型14番艦谷風や練習巡洋艦香椎、測量艦筑紫等も命名
 されている[1]。野分は9月17日に進水[3]。なお登録上は
 野分が陽炎型15番艦で16番艦は嵐だが[2]、起工・進水・
 竣工のいずれも野分より嵐の方が早い[4]。 11月15日、日
 本海軍は駆逐艦有明・叢雲・東雲艦長等を歴任した古
 閑孫太郎中佐を野分艤装員長に任命する[5]。同時期、
 野分艤装員事務所を設置[6]。\n　1941年（昭和16年）4月9
 日、古閑野分艤装員長は制式に野分初代駆逐艦長とな
 った[7]。同日附で野分艤装員事務所を撤去[8]。4月28日
 、野分は竣工された[3][9]。横須賀鎮守府籍。同日附で
 第4駆逐隊に編入された[10]。
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SUMMARY:駆逐艦椎：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　仮称4811号艦、橘型（改松型）駆逐艦として
 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年（昭和19年）9月18日
 に舞鶴海軍工廠で起工、1945年（昭和20年）1月13日に進
 水し、3月13日に竣工した。\n　竣工後、訓練部隊の第十
 一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編入。瀬
 戸内海西部に回航され、回航当時は健在だった戦艦「
 大和」の姿に圧倒されたり[2]、発電機の不良[3]や搭載
 した重油に塵埃が混入する[4]などのトラブルがありな
 がらも訓練に従事する。
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SUMMARY:駆逐艦春雨：進水日(1935)
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DESCRIPTION:　舞鶴工廠で1935年（昭和10年）2月3日に起工[4]
 。同年9月21日に進水した[4]。1937年（昭和12年）8月26日
 に就役した[4]。 竣工当初はウェスティングハウス社製
 の溶接構造の減速機室と減速歯車を備えていたが、試
 運転の際に減速歯車に亀裂が発見されたため、姉妹艦
 と同型の鋳鋼製の減速機に交換された[5]。 姉妹艦に比
 べ就役が大幅に遅れていたのは、この減速機交換作業
 のためである。
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SUMMARY:駆逐艦皐月：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）9月6日、「皐月」は神威船
 団（神威、旭東丸、興川丸）を護衛してシンガポール
 を出発[117][118]。マニラ地区空襲の恐れがあったため[119
 ]、ブルネイ等を経由・仮泊しながら航海を続ける[120]
 。 本艦が神威船団護衛中の9月17日、日本からシンガポ
 ールへ向かうヒ75船団から水上機母艦「秋津洲」と特設
 巡洋艦「西貢丸」、第30駆逐隊（夕月、卯月）が分離、
 フィリピンマニラ港へ向かう[121]。\n　9月21日午前5時、
 第30駆逐隊（卯月、夕月、秋風）はマタ27A船団を護衛し
 てマニラを離れる[126][127][128][129]。 同日、燃料補給を
 実施後マタ27船団に追いつこうとしていた「皐月」は[12
 4]、マニラ湾にてアメリカ軍の空母艦載機の攻撃を受け
 る[130][129]。 24～30ノットを発揮して対空戦闘を実施[131]
 。だが第一次空襲で左舷に落ちた至近弾により復水器
 が破壊され、片舷航行、最大発揮速力は20ノット以下に
 低下した[130][132]。また複数の至近弾により負傷者が出
 たため艦載艇で陸地へ移送、そのために軍医長・水雷
 長・航海長を派遣し、艦橋には艦長、砲術長、操舵員
 の3名しかいなかったという[130]。午後に入り第一缶室
 に爆弾が命中、速力が落ちた所で艦前部に爆弾が命中
 、さらに複数の命中弾を受け15時45分に沈没した[133][134]
 。米軍による沈没地点北緯14度35分 東経120度45分。
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SUMMARY:駆逐艦有明：進水日(1934)
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DESCRIPTION:　本艦は神戸川崎造船所で1933年（昭和8年）1
 月14日に起工[11]。建造初期の段階で初春型1番艦「初春
 」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦
 と姉妹艦「夕暮」は有明型駆逐艦（改初春型）とも呼
 ばれる[12][4]。 同年12月15日、2隻（有明、夕暮）は初春
 型よりのぞかれ『有明型駆逐艦』が新設、「有明」「
 夕暮」「白露」「時雨」「村雨」「夕立」「春雨」ま
 でが有明型に類別された（夕立、春雨は翌年10月、有明
 型に類別）[4][13]。 本艦は1934年（昭和9年）9月23日進水[
 11][14]。\n　1934年（昭和9年）11月1日、神風型駆逐艦7番
 艦「疾風」駆逐艦長天野重隆少佐は有明艤装員長に任
 命される[16]。5日、艤装員事務所設置[17]。 1935年（昭和
 10年）3月25日に竣工した[11]。
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SUMMARY:駆逐艦宵月：進水日(1944)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）度計画（マル急計画）に
 よる乙型一等駆逐艦の第363号艦として、浦賀船渠で1943
 年（昭和18年）8月25日に起工[7]。当初は三菱長崎造船所
 で建造される予定であったが、線表改訂により浦賀で
 の建造に変更された[8]。本艦は、秋月型駆逐艦のうち
 浦賀船渠で建造された唯一の艦である。\n1944年（昭和19
 年）5月10日、姉妹艦「春月」や海防艦等と共に命名[3]
 。 9月25日に進水[7]。\n　1945年（昭和20年）1月31日に竣
 工[8][7]。
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SUMMARY:駆逐艦神風：進水日(1922)
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DESCRIPTION:　本艦は、八八艦隊計画で9隻建造された神風
 型駆逐艦（2代）のネームシップで[5]、峯風型駆逐艦後
 期型である改峯風型を改良した艦隊型駆逐艦であった[1
 2]。1921年（大正10年）12月15日、第一駆逐艦は三菱長崎
 造船所で起工[14][15]。第一駆逐艦（神風）は1922年9月25
 日午前10時40分に進水[14][21][22]。三菱長崎造船所内に第
 一駆逐艦艤装員事務所を設置、9月28日より事務を開始
 した[23]。\n　 12月28日竣工[14][6]。横須賀鎮守府籍[27]。
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SUMMARY:駆逐艦風雲：進水日(1941)
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DESCRIPTION:　風雲は1939年度（マル4計画）仮称第118号艦と
 して浦賀船渠での建造が決定、1940年（昭和15年）12月23
 日起工（藤永田造船所の2番艦巻雲と同日起工）[3]。1941
 年（昭和16年）9月10日附で風雲（カザグモ）と命名[1]、
 同日附で夕雲型駆逐艦に登録[4]。9月26日進水[3]。\n　194
 2年（昭和17年）1月20日、吉田正義中佐は本艦艤装員長
 に任命される[5]。翌日、浦賀船渠に艤装員事務所を設
 置[6]。 3月16日、浦賀船渠で夕雲型6番艦高波が進水する
 [7]。 27日、性能調査終了[8]。 3月28日に竣工[7][9]。艤装
 員事務所を撤去[10]。横須賀鎮守府籍[11]。吉田も正式に
 風雲駆逐艦長（初代）となった[12]。
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SUMMARY:駆逐艦初霜：竣工日(1934)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260927T150000Z
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DESCRIPTION:　1932年（昭和7年）10月1日、日本海軍は浦賀船
 渠株式会社に駆逐艦1隻の建造を命じた[4]。12月10日、制
 式に初霜と命名した[2]。また姉妹艦2隻（有明、夕暮）
 等も命名された[2]。 浦賀船渠で1933年（昭和8年）1月31
 日に起工[5][6]。同年10月31日、初霜進水式の最中に事故
 が発生、浦賀船渠は進水を中止する[4][7]。 11月4日に進
 水式をやりなおした[7][8]。建造途中で同型艦初春の復
 元性能不良が判明し、改善工事を施す。\n　1934年（昭
 和9年）2月1日、松原博少佐は初霜艤装員長に任命され
 る[9]。2月12日、浦賀船渠に初霜艤装員事務所を設置す
 る[10]。 初霜は9月27日に竣工[5][11]、同日附で初霜艤装
 員事務所は撤去[12]。松原少佐も初霜初代駆逐艦長とな
 る[13]。
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SUMMARY:駆逐艦陽炎：進水日(1938)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260926T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260927T150000Z
UID:399324099615
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で1937年（昭和12年）9月3日に起
 工[5]。1938年（昭和13年）4月15日、舞鶴工廠で建造中の
 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、
 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所
 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え
 られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐
 艦』が新設され、3隻（陽炎、不知火、黒潮）は同型に
 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8]
 。\n　1939年（昭和14年）2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐
 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2
 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8
 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長（初代）となる
 [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2
 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが（
 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日）、竣工は「
 陽炎」の方が先である[12]。
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SUMMARY:駆逐艦秋雲：竣工日(1941)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「秋雲」は1939年度（マル4計画）仮称
 第115号艦として浦賀船渠で1940年（昭和15年）7月2日起工
 [4]。 1941年（昭和16年）3月25日、「秋雲（アキグモ）」
 と命名[1]。同日附で昭和16年度内令246号により一等陽炎
 型に分類される[5]。横須賀鎮守府仮定[6]。 同年4月11日
 進水[4]。 4月10日まで白露型駆逐艦4番艦「夕立」駆逐艦
 長だった有本輝美智中佐[7]は、6月15日附で秋雲艤装員
 長に任命される[8]。 6月17日、浦賀船渠浦賀工場内に秋
 雲艤装員事務所を設置する[9]。\n　1941年9月27日に竣工[4
 ][3]。同日附で秋雲艤装員事務所を撤去[10]。有本も制式
 に秋雲駆逐艦長（初代）となる[11]。竣工後の引渡式の
 際、岸壁にはロケーションのため浦賀船渠にいた女優
 の高峰三枝子や桑野通子らがおり、盛んに声援を送ら
 れた[12]。同日附で正式に横須賀鎮守府所属[13]。
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SUMMARY:駆逐艦叢雲：進水日(1928)
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DESCRIPTION:　1927年（昭和2年）4月26日、建造予定の一等駆
 逐艦4隻に、それぞれ「第36号駆逐艦（のちの白雪）」[8
 ]、「第38号（〃深雪）」、「第39号（〃叢雲）」、「第
 44号（〃浦波）」の艦名が与えられた[9][10][6]。 「第39
 号駆逐艦」は藤永田造船所で、同年4月25日（正式命名
 の前日）起工[11]。 1928年（昭和3年）8月1日附で「第39号
 駆逐艦」は「叢雲」と改名された[1][12]。 同年9月27日進
 水[13]。 10月20日、日本海軍は砲艦「嵯峨」艦長柳原信
 男中佐を叢雲艤装員長に任命する(後任の嵯峨艦長は熊
 澤桝蔵中佐《当時、潜水母艦迅鯨副長》)[14]。 11月3日
 、藤永田造船所に叢雲艤装員事務所を設置する[15]。\n
 　1929年（昭和4年）5月10日、本艦は竣工[11][16]。柳原信
 男中佐（叢雲艦長）、有田雄三大尉（叢雲水雷長）[注
 釈 1]、小倉藤三郎大尉（叢雲砲術長）、室田勇次郎（
 叢雲航海長）[注釈 2]、高橋伊三次機関大尉（叢雲機関
 長）[17]。 同日附で艤装員事務所を撤去[18]。第二艦隊
 ・第二水雷戦隊・第12駆逐隊（駆逐隊司令有地十五郎大
 佐）[19]に編入され、同隊は定数4隻（東雲、薄雲、白雲
 、叢雲）を揃えた[20]。 
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END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦初雪：進水日(1928)
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DESCRIPTION:　1926年（大正15年）9月29日、「第三十七号駆
 逐艦」と命名[5]。同日附で一等駆逐艦に類別される[6]
 。 「第37号駆逐艦」は1927年（昭和2年）4月12日に舞鶴工
 作部で起工[7]。1928年（昭和3年）8月1日附で、「第37号
 駆逐艦」は「初雪」と改名される[1]。\n　1928年9月29日
 に進水、1929年（昭和4年）3月30日に竣工[7]。呉鎮守府所
 属。第二艦隊・第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入。吹雪
 型初期姉妹艦（吹雪、白雪、初雪、深雪）と共に第11駆
 逐隊を編制していた。 
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