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X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ
 アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま
 で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち
 っくたっく
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SUMMARY:駆逐艦萩風：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年7月25日、第4駆逐隊司令指揮下の駆逐艦
 3隻（萩風、嵐、時雨）はサンタイサベル島レカタ輸送
 を実施、揚陸に成功して28日夕方ラバウルへ戻った[106]
 。ニュージョージア島での戦局は悪化する一方であり
 、日本軍はさらなる増援部隊を投入する。\n　8月6日、
 コロンバンガラ輸送隊はブインへ向かう川内と分離後
 、萩風－嵐－江風－時雨の単縦陣を形成し、30ノットを
 発揮して目的地に近づいた[111][113]。各艦の開距離は500
 ｍだったが、3番艦江風と最後尾時雨の距離は1000ｍに開
 いていた[114]。海面には薄い靄がたちこめ、視界は不良
 だったという[115] [116] [117]。 日中の時点で輸送隊はア
 メリカ軍哨戒機に捕捉され、行動を報告されていた[117]
 。アメリカ軍駆逐艦6隻はレーダーを装備しており、日
 本艦隊に対して先制攻撃を敢行する[118]。米水雷戦隊は
 24本の魚雷を発射[119]。日本艦隊が米艦隊に気付いた時
 には次々に魚雷が命中し、江風は轟沈した[120]。 第4駆
 逐隊（萩風、嵐）も被雷して戦闘不能となった[116]。 
 萩風には魚雷2本が命中し[121][122]、 主砲や魚雷発射管
 は使用不能となったため使用可能の機銃で反撃を実施
 した[121]。だが2隻は続く米駆逐艦隊の砲撃によって炎
 上し、嵐は22時10分前後に沈没、萩風も総員退去後の22
 時18分に沈没した[123][124][125]。\n　米艦隊は時雨の追跡
 を打ち切ったのち戦闘海域に戻り、萩風以下沈没艦3隻
 の生存者を救助しようとしたが、ほとんどの者は救助
 を拒んだという[131]。戦死者約170名以上[132]。
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SUMMARY:駆逐艦江風：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年8月6日21時30分、コロンバンガラ島とベ
 ララベラ島に挟まれたベラ湾を哨戒するアメリカ軍駆
 逐隊は、レーダーで南南東へ進む日本艦隊を探知する
 と、魚雷24本を発射した[236][234]。萩風-嵐-江風-時雨の
 単縦陣を形成していた日本艦隊は、駆逐艦3隻（萩風、
 嵐、江風）が同時に被雷、回避できたのは「江風」の
 後方1000ｍを航行していた「時雨」だけだった[237][238]。
 \n　「江風」はスタレット（USS Sterett\, DD-407）、スタッ
 ク（USS Stack\, DD-406）からの砲撃雷撃を受け沈没、柳瀬
 艦長以下169名が戦死した[240]。ほぼ轟沈であった[241][242
 ]。沈没地点記録南緯07度50分 東経156度54分。また第4駆
 逐隊（萩風、嵐）も一方的に撃沈された[232]。
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SUMMARY:駆逐艦嵐：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）8月6日、ブインおよびコロ
 ンバンガラ島への輸送のため増援部隊はラバウルを出
 港、第三水雷戦隊旗艦（司令官伊集院松治少将）の軽
 巡川内（陸兵450名、物資130トン）はブインへ向かい、
 駆逐艦4隻（萩風《第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐座乗》、
 嵐、江風、時雨）はコロンバンガラ島へ向かう[193][198]
 。 同日夜、コロンバンガラ輸送隊はソロモン諸島コロ
 ンバンガラ島沖（ベラ湾）にて、フレデリック・ムー
 スブラッガー中佐指揮下の米水上部隊（駆逐艦6隻）と
 交戦した（ベラ湾夜戦）[201]。戦闘当時の天候は曇りで
 視界不良[200]。萩風-嵐-江風-時雨の単縦陣はアメリカ軍
 のレーダーに捕捉され、先制雷撃を受けた[202][198]。敵
 艦隊に気付いたものの回避は間に合わず、まず江風が
 轟沈した[203][198]。 その後の砲撃により第4駆逐隊2隻（
 嵐、萩風）も相次いで沈没した[204]。\n　嵐は左舷への
 被雷と共に主砲も魚雷発射管も使用不能となり、搭載
 していた陸軍物資弾薬に引火して炎上[204]。前部に残っ
 ていた25mm機銃で最後まで反撃に努めた[207][208]。しかし
 米艦隊の砲撃により、間もなく沈没している[204]。嵐で
 は艦長以下178名が戦死（艦長は脱出したものの生還せ
 ず）[209]、生存者は嵐、萩風各艦約70名、江風約40名[210]
 。三隻が分乗させていた陸軍兵は940名中約820名が戦死
 した[211][212]。 
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SUMMARY:駆逐艦樫：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員
 輸送に従事した。終了後は賠償艦として1947年（昭和22
 年）8月7日に佐世保でアメリカに引渡されるが、そのま
 ま売却。10月27日から1948年（昭和23年）3月20日にかけて
 笠戸ドックで解体された[34]。
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SUMMARY:駆逐艦島風：起工日(1941)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）8月8日、舞鶴海軍工廠で起
 工。 1942年（昭和17年）5月15日、第125号艦を島風（シマ
 カゼ）と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風
 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦
 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20]
 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻（秋月、初
 月）や夕雲型駆逐艦4隻（巻波、340号艦早波、341号艦浜
 波、342号艦沖波）の建造[39][40]、軽巡4隻（那珂、名取
 、天龍、龍田）や駆逐艦複数隻（薄雲、大潮、霞、不
 知火、初春）等の修理整備工事を抱えており[41]、島風
 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水
 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n　1943年（昭和18年
 ）3月20日附で、広瀬弘中佐（駆逐艦春雨艦長等を歴任
 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附
 で同艦駆逐艦長免職[44]）が島風の艤装員長に任命され
 た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に
 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5
 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。
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SUMMARY:駆逐艦松：起工日(1943)
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で
 建造[3]。1943年（昭和18年）8月8日、起工[3][4]。同年12月2
 2日、命名[1]。同日附で駆逐艦一等の部中に松型が新設
 され、その1番艦に定められる[2]。 1944年（昭和19年）2
 月3日に進水し[8]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[9]。\
 n　4月28日、竣工[11][16]。訓練部隊の第十一水雷戦隊（
 司令官高間完少将・海軍兵学校41期[17]）に編入され、5
 月1日に舞鶴を出港して呉に回航された。
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SUMMARY:駆逐艦水無月：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1944年8月10日、「水無月」は卯月型駆逐艦[246
 ]、 第22駆逐隊[247]、 帝国駆逐艦籍[248]のそれぞれより
 除籍。 8月20日、第22駆逐隊は解隊され、残存2隻（皐月
 、夕凪）は第30駆逐隊に編入された[249]。
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SUMMARY:駆逐艦桜：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年8月10日、帝国駆逐艦籍、松型駆逐艦籍
 から除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦松風：除籍日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年8月10日、「松風」は神風型駆逐艦[42]、
 第30駆逐隊[43]、帝国駆逐艦籍[44]のそれぞれより除籍さ
 れた。
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SUMMARY:駆逐艦橘：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年8月10日、帝国駆逐艦籍および橘型駆逐
 艦籍より除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦吹雪：竣工日(1928)
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DESCRIPTION:　第35号駆逐艦の艦名は、既に浦風型駆逐艦浦
 風で使われていた[6]。 吹雪は舞鶴工作部で1926年（大正
 15年）6月19日に起工[7]。6月25日、浦賀船渠で建造の駆逐
 艦に第三十三号駆逐艦(望月)[8]、本艦に「第三十五号駆
 逐艦」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に第四十号駆逐艦(東
 雲)の艦名が与えられる[9]。同日附で「第33号駆逐艦、
 第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[10]。
 \n　「第35号駆逐艦」は1927年（昭和2年）11月15日に進水
 、1928年（昭和3年）8月1日、「吹雪」と改称された[1]。
 改名から間もない8月10日に竣工[7]。 吹雪型初期姉妹艦
 （吹雪、白雪、初雪、深雪）と共に第11駆逐隊を編制し
 ていた。 
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SUMMARY:駆逐艦春雨：除籍日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年8月10日、春雨と白露の2隻は白露型駆逐
 艦[155]、 第27駆逐隊[156]、 帝国駆逐艦籍[157]より除籍さ
 れた。
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SUMMARY:駆逐艦天津風：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　駆逐艦天津風は8月10日附で 帝国驅逐艦籍[124
 ] 不知火型駆逐艦[125]のそれぞれから除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦沼風：起工日(1921)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1921年8月10日起工、1922
 年2月25日進水。同年7月24日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年（大正11年）12
 月28日より同型艦「野風」「波風」、神風型駆逐艦 (2代
 )「第一駆逐艦」（「神風」）と第1駆逐隊を編成し、千
 島、北海道方面の交通保護に当った。
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SUMMARY:駆逐艦早波：除籍日(1944)
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UID:610701908299
DESCRIPTION:　1944年8月10日附けで夕雲型駆逐艦籍、帝国駆
 逐艦籍から除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦谷風：除籍日(1944)
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DESCRIPTION:　駆逐艦谷風は8月10日附で不知火型駆逐艦[93]
 、 第17駆逐隊[94]、 帝国駆逐艦籍[95][96]より除籍された
 。
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SUMMARY:駆逐艦槇：竣工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造され、1944年2月19日起工
 、6月10日進水、8月10日に竣工[2]。訓練部隊の第十一水
 雷戦隊（司令官高間完少将・海軍兵学校41期）に編入。
 瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
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SUMMARY:駆逐艦白露：除籍日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
UID:121359415085
DESCRIPTION:　1944年8月10日、「白露」と「春雨」は白露型
 駆逐艦[70]、 第27駆逐隊[71]、 帝国駆逐艦籍[72]より除籍
 された。 なお「白露」「春雨」除籍から間もなく、「
 五月雨」は8月18日にパラオ近海で座礁、26日に米潜水艦
 の雷撃を受けて大破・放棄された。10月10日附で除籍[73]
 、「時雨」1隻のみとなった第27駆逐隊も解隊された[74]
 。10隻が建造された白露型駆逐艦はこの時点で「時雨」
 1隻となっていた。
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SUMMARY:駆逐艦東雲：起工日(1926)
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DESCRIPTION:　1926年（大正15年）6月25日、浦賀船渠で建造
 の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦（望月）」[5]、舞鶴工
 廠の駆逐艦に「第三十五号駆逐艦（吹雪）」、佐世保
 海軍工廠の駆逐艦に「第四十号駆逐艦（東雲）」の艦
 名が与えらる[6]。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐
 艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[7]。8月12日、「
 第40号駆逐艦（東雲）」は佐世保工廠で起工[8]。1927年
 （昭和2年）11月26日に進水、1928年（昭和3年）7月25日に
 「第40号駆逐艦」として竣工[8]。同年8月1日附で「第40
 号駆逐艦」は「東雲」と改名される[1]。\n　竣工後、雲
 級四隻の第12駆逐隊（叢雲、東雲、薄雲、白雲）に編入
 。同年12月1日、同駆逐隊は第二艦隊・第二水雷戦隊に
 編入された。1931年（昭和6年）、「東雲」は第12駆逐隊
 から除籍され、「東雲、吹雪、磯波」の吹雪型3隻であ
 らたに第20駆逐隊を編制した。\n
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦樫：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
UID:210340669011
DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造された。1944年5月5日起
 工、8月13日進水、9月30日竣工した。就役後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦大波：進水日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
UID:200030528202
DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第122号艦として藤
 永田造船所で建造。1941年11月15日起工。1942年（昭和17年
 ）6月20日、本艦に『大波』、夕雲型8番艦に『清波』の
 艦名が与えられた[1]。同日附で2隻（大波、清波）は夕
 雲型駆逐艦に類別された[5]。 8月13日進水。11月15日附で
 平山敏夫少佐は大波艤装員長ならびに吹雪型駆逐艦白
 雲艦長に任命される[6]。 12月20日附で平山艤装員長は免
 職[7]。後任として吉川潔中佐（夕立沈没時駆逐艦長）
 が本艦艤装員長に任命された[8]。 \n　本艦は12月29日に
 竣工（初月と同日）[9][10]。舞鶴鎮守府籍となる[11]。同
 日附で3隻（涼月、初月、大波）は警備駆逐艦に定めら
 れた[11][12]。本艦は呉鎮守府直率部隊に編入される[13]
 。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦槇：引渡日(1947)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
UID:234651231157
DESCRIPTION:　1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員
 輸送に従事。1947年（昭和22年）8月14日[51]、賠償艦とし
 てシンガポールでイギリスに引渡された。その後、「
 槇」は解体された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦桐：竣工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
UID:214547014005
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5486号艦として横須賀海軍
 工廠で建造され、1944年2月1日起工、5月27日進水、8月14
 日に竣工した。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦楡（にれ）：起工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
UID:122640334240
DESCRIPTION:　仮称4809号艦、橘型（改松型）駆逐艦2番艦と
 して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年8月14日起工、11
 月25日進水。1945年1月31日に竣工した。竣工後、訓練部
 隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に
 編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。4月25日付
 で第三十一戦隊（鶴岡信道少将・海兵43期）第五十二駆
 逐隊に編入された[2]。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦波風：終戦日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
UID:132706561178
DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）9月18日、択捉島南方で米
 潜水艦「シール」の雷撃を受け大破。「神風」に曳航
 され小樽で応急修理を実施後、舞鶴工廠で修理を行う
 と同時に、回天搭載艦への改造工事を1945年（昭和20年
 ）2月1日まで行った。同年6月19日から宇部沖で「B-29」
 投下の機雷監視に従事。終戦を呉港で迎えた。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦雷：竣工日(1932)
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DESCRIPTION:　「雷」は、浦賀船渠で1930年（昭和5年）3月7
 日起工される。1931年（昭和6年）10月22日進水。1932年（
 昭和7年）8月15日竣工する。1941年（昭和16年）2月から10
 月に石川島造船所で行われた特定修理では九三式探信
 儀と九一式方位盤を装備[3]。その他、二番煙突後方に2
 基装備されていた13ミリ連装機銃[4]の九六式二十五粍高
 角機銃への換装も計画されたが、供給問題により換装
 は実施されなかった[3]。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦矢風：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　1944年2月7日、トラック発の船団を護衛して
 内地へ向かい、2月27日に呉に入港した[15]。その後は北
 海道方面など内地で爆撃訓練に従事した[15]。\n　1945年
 （昭和20年）7月18日 横須賀港小海に係留中に敵艦載機
 の攻撃を受ける（横須賀空襲）。隣の艦が直撃弾を受
 けた際に爆風や破片により損傷し、すぐに修理された
 がそのまま終戦を迎えた。
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SUMMARY:駆逐艦涼月：終戦日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
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DESCRIPTION:　1945年4月7日アメリカ軍機動部隊艦載機の第
 一波、第二波攻撃により「涼月」は被弾により艦首が
 沈下（前方傾斜10度）、中央部も海面から甲板まで数十
 ㎝という状態で前進すると船体が潜ってしまう状態だ
 った[140]。海図焼失、コンパス破損の状況ながらも涼月
 は日本本土を目指した。4月8日朝、「冬月」は各隊に単
 独帰投中の「涼月」の掩護を要請した[160][157]。9時32分
 、指宿航空隊機により、佐多岬の262度140海里の地点を
 北上しているのが発見される[161]。昼前には1隻の漁船
 から「われ貴艦の側方を護衛する」と手旗信号をおく
 られ、涼月乗組員一同を苦笑させた[162]。14時30分、つ
 いに佐世保に帰投する[163][157]。\n　本艦の修理に必要
 な期間は約3ヶ月と算出された[169]。5月5日完成を目標に
 、停泊に差し支えない程度のものが行われ[170]、次いで
 本修理の施工に関しては昭和20年度中には実施しない事
 が決まった[170]。6月10日に佐世保を出発、後部砲塔二基
 のみ砲側照準で射撃可能な状態となって相浦に係留さ
 れた[172]。岸まで板桟橋を渡し、機関に火は入れず陸上
 より給電を行った[173]。当時の乗組員は約100名ほどで、
 農耕隊と漁撈隊を編制すると、開墾や、貰い受けた漁
 船を活用して食糧調達を行う[177]。その間の7月と8月に
 対空戦闘を行い、うち8月の対空戦闘でP-51「ムスタング
 」1機を高射砲で撃墜した[177]。\n
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SUMMARY:駆逐艦冬月：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年（昭和20年）4月6日、第二水雷戦隊（司
 令官古村啓蔵少将：軽巡矢矧、第17駆逐隊《磯風、雪風
 、浜風》、第21駆逐隊《朝霜、初霜、霞》、第41駆逐隊
 《冬月、涼月》）は菊水作戦にともなう第二艦隊（司
 令長官伊藤整一中将：旗艦大和）の海上特攻作戦（坊
 ノ岬沖海戦）に参加し、徳山沖を出撃[84]。4月8日朝、
 「冬月」は各隊に単独帰投中の「涼月」の掩護を要請
 した[114]。3隻（初霜、雪風、冬月）は同日午前中に佐
 世保に帰投した[115]。\n　8月15日、終戦の日に第17駆逐
 隊は解隊され、同隊所属だった不知火型駆逐艦「雪風
 」が第41駆逐隊に編入された[126]。「冬月」は玉音放送
 を門司港で迎えた[127]。8月20日、呉へ移動を命じられ、
 門司を出港する[128]。曳船で埠頭から離れたたところ、
 直後に触雷して5名が戦死、負傷者多数[128]。後部兵員
 室より後方を亡失し、航行不能となった[129][130]。 9月20
 日付で第四予備艦となる。
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SUMMARY:駆逐艦深雪：除籍日(1934)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
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DESCRIPTION:　1934年7月5日、第11駆逐隊より除かれ、同隊は
 吹雪型2隻（白雪、初雪）となる[82]。 7月22日、事務所
 撤去[83]。 同年8月15日に除籍された[84][85]。
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SUMMARY:駆逐艦矢風：起工日(1918)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
UID:138853021958
DESCRIPTION:　峯風型駆逐艦として1918年8月15日起工、1920年
 4月10日進水。1920年（大正9年）7月19日三菱長崎造船所で
 竣工。横須賀鎮守府籍。1931年（昭和6年）に所属の第2
 駆逐隊は第一航空戦隊（鳳翔、加賀）に編入され、翌
 年の第一次上海事変に参加する。\n　1937年（昭和12年）
 以降は駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去し「摂津」の
 無線操縦艦として用いられた。
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SUMMARY:駆逐艦澤風：終戦日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
UID:316696178383
DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）1月14日、横須賀を出港し
 東京湾口で船団護衛を実施。2月から尾鷲を基地として
 紀伊半島方面での対潜掃討、船団護衛に従事。12月18日
 、横須賀港に戻り、海軍対潜学校練習艦となった。\n　
 1945年（昭和20年）2月4日、 横浜に入港し、3月18日まで
 対潜実験艦への改造工事を実施。5月5日、第1特攻戦隊
 の特攻攻撃訓練目標艦となり、横須賀において無傷で
 終戦を迎えた。
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SUMMARY:駆逐艦汐風：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　太平洋戦争では、南方で海上護衛、上陸作
 戦支援に参加。大戦末期、損傷修理を切っ掛けに、波
 風と同様回天搭載艦へ改造された。\n終戦を呉港で迎え
 た。
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SUMMARY:駆逐艦夕風：引渡日(1947)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260816T150000Z
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DESCRIPTION:　特別保管艦（賠償艦）に指定され、1947年（
 昭和22年）7月、イギリスへ引き渡しとなる10隻が佐世保
 に集結される。食糧運搬艦「早埼」（「荒埼」という
 資料もある）を旗艦とし、26日にシンガポールへ向けて
 出航した。回航艦は駆逐艦、海防艦、駆潜艇等が含ま
 れていたが、戦時急造艦も多く、故障や漂泊が多発し
 たという。 夕風は故障もなく、単艦先行して他艦より
 一日早い、8月15日（8月14日という資料もある）にシン
 ガポールのセレター軍港に到着した。\n　この時の艦長
 田口康生氏（「雪風」航海長や砲術長等）の回想によ
 ると、そこでは在シンガポールのインド人が百数十人
 も集まり、「インド独立の記念と御礼に」と、日本の
 愛唱歌「愛国行進曲」を日本語で合唱する歓迎を受け
 たという。 翌16日には他艦も到着、引渡し作業を行っ
 た。その後、まだ現地に残っていた南西方面艦隊司令
 部に挨拶・報告をすませ、回航員は「早埼」にて帰国
 の途に就いた。その後夕風は現地で解体され、26年の艦
 歴を閉じた。
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SUMMARY:駆逐艦清波：進水日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260817T150000Z
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DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第123号艦として浦
 賀船渠で建造。1941年11月15日起工。1942年（昭和17年）6
 月20日、夕雲型7番艦に『大波』、本艦に『清波』の艦
 名が与えられる[3]。同日附で2隻（大波、清波）は夕雲
 型駆逐艦に類別された[6]。 8月17日、進水[1]。 同年12月1
 日附で陽炎型駆逐艦17番艦「萩風」駆逐艦長畑野健二少
 佐は、本艦艤装員長に任命される[7]。12月3日、浦賀船
 渠に艤装員事務所を設置[8]。 \n　本艦は1943年（昭和18
 年）1月25日に竣工[11][2]。艤装員事務所を撤去[12]。正式
 に舞鶴鎮守府籍となり、警備駆逐艦に指定となる[13][14]
 。そのまま横須賀鎮守府部隊に編入された[15]。
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SUMMARY:駆逐艦沖風：竣工日(1920)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1919年2月22日起工、1919
 年10月3日に進水。1920年8月17日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦巻波：竣工日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260818T150000Z
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DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第120号艦として舞
 鶴海軍工廠で建造。 1941年（昭和16年）4月11日起工。同
 年10月25日、三菱重工長崎造船所で建造の秋月型駆逐艦
 に「照月」、舞鶴海軍工廠の夕雲型駆逐艦に「巻波」
 の艦名が与えられる[1]。同日附で2隻は秋月型・夕雲型
 に類別された[4]。 12月27日、「巻波」は進水[5][7]。同日
 附で舞鶴鎮守府籍となる[8]。\n　7月15日、「巻波」は予
 行運転中に機関故障を起こし、竣工予定を延期した[12]
 。 8月18日、竣工[11][25]。艤装員事務所を撤去[26]。同日
 附で人見艤装員長は巻波駆逐艦長（初代）となる[27]。
 「巻波」は警備駆逐艦に指定された[28][29]。 
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SUMMARY:駆逐艦太刀風：起工日(1920)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260818T150000Z
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1920年8月18日起工、1921
 年3月31日進水。同年12月5日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦柿：処分日(1947)
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DESCRIPTION:　1945年12月1日特別輸送艦に指定され、復員輸
 送に従事。1946年（昭和21年）12月15日、特別保管艦に指
 定[14]。1947年（昭和22年）7月4日、特別輸送艦の定めを
 解かれ[15]、賠償艦として青島で米国へ引渡され、8月19
 日に北緯35度29分 東経123度35分の地点で標的艦として処
 分された[16]。
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SUMMARY:駆逐艦岸波：進水日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第343号艦として
 浦賀船渠で建造。1942年8月29日起工、1943年8月19日進水。
 1943年（昭和18年）12月3日に竣工して一等駆逐艦に類別
 され、舞鶴鎮守府籍となる。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦菫：引渡日(1947)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260820T150000Z
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DESCRIPTION:　第十一水雷戦隊は瀬戸内海への機雷投下を
 避けて日本海側に移動することとなる。5月27日に舞鶴
 に到着するも、舞鶴鎮守府から「空襲の際に刺激とな
 る」との理由で、舞鶴以外の場所へ移動するよう要請
 を受ける[3]。そこで、6月に入って小浜湾に移動するこ
 ととなった[4]。7月15日付で特殊警備艦となり舞鶴鎮守
 府部隊に編入され[5]、7月23日に舞鶴に戻った後[6]、そ
 のまま終戦を迎えた。\n　1945年12月1日特別輸送艦に指
 定され復員輸送に従事。その後賠償艦として1947年（昭
 和22年）8月20日に香港でイギリスへ引渡し、同年シンガ
 ポール沖で標的として処分された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦柳：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5497号艦として藤永田造船
 所で建造された。1944年8月20日起工、同年11月25日に進水
 、1945年1月18日に竣工し、呉鎮守府籍となる。
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SUMMARY:駆逐艦親潮：竣工日(1940)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260820T150000Z
UID:216803627797
DESCRIPTION:　「親潮」は舞鶴海軍工廠で1938年（昭和13年
 ）3月29日に起工[3]。 1938年（昭和13年）9月20日、日本海
 軍（米内光政海軍大臣）は舞鶴海軍工廠で建造の本艦
 を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦を『夏潮』、
 川崎造船所の陽炎型7番艦を『初風』と命名した[1][4]。 
 同日附で、各艦（親潮、夏潮、初風、伊号第十八潜水
 艦、伊号第二十潜水艦、伊号第二十二潜水艦等）は、
 それぞれ艦艇類別等級表に登録[5]。 同年11月29日、舞鶴
 海軍工廠で本艦は進水[3][6]。\n　1940年（昭和15年）5月1
 日、金国親潮艤装員長は、制式に親潮駆逐艦長（初代
 ）に任命された[13]。 5月10日、親潮艤装員事務所を撤去
 [14]。8月20日に竣工[3]。呉鎮守府所属。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦山風：除籍日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260820T150000Z
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DESCRIPTION:　1942年8月20日、駆逐艦「山風」は 帝国駆逐艦
 籍[81]、 第24駆逐隊[82] 白露型駆逐艦[83] のそれぞれから
 除籍された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦白露：竣工日(1936)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260820T150000Z
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DESCRIPTION:　「白露」は佐世保工廠で1933年（昭和8年）11
 月14日に起工[6]。同年12月15日、初春型駆逐艦「有明、
 夕暮」は初春型から除かれ、『一等駆逐艦有明型』が
 登録された[7]。同日附で建造中の有明型3隻に対しそれ
 ぞれ「白露（シラツユ）」、「時雨（シグレ）」「村
 雨（ムラサメ）」の艦名が与えられる[1]。\n　1934年（
 昭和9年）11月19日、有明型駆逐艦は登録を抹消されて「
 有明、夕暮」は初春型に戻り、あらたに白露型駆逐艦
 が新設、有明型3番艦だった「白露」は同型の1番艦（ネ
 ームシップ）となった[7]。1935年（昭和10年）4月5日に進
 水[6]。1936年（昭和11年）8月20日に竣工した[6]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦三日月：起工日(1925)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260821T150000Z
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1925年（大正14
 年）2月16日、佐世保にて建造予定の睦月型駆逐艦は「
 第三十二号駆逐艦」と命名される[3]。なお同日附で妙
 高型重巡洋艦「足柄」と「羽黒」も命名されている[4]
 。同日附で「足柄、羽黒」は一等巡洋艦に、「第32号駆
 逐艦」は一等駆逐艦に類別された[5]。 「第32号駆逐艦
 」は佐世保海軍工廠で同年8月21日起工、1926年（大正15
 年）7月12日進水、1927年（昭和2年）5月5日に竣工[6]。佐
 世保鎮守府に所属した。1928年（昭和3年）8月1日附で「
 第32号駆逐艦」は「三日月」と改名された[1]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦朝風：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）8月22日、神風型2隻（夕凪
 、朝風）は海防艦と共にルソン島沖でマタ24A船団の護
 衛中[33]、船団中のタンカー第二八紘丸（日本油槽船、1
 0\,022トン）がスペードフィッシュ (USS Spadefish\, SS-411) の
 雷撃によりバサレン湾に座礁したため、「朝風」はそ
 の警戒として付き添った。 8月23日午前7時55分[1]、タン
 カーの二洋丸（浅野物産、10\,022トン）を護衛中の本艦
 はルソン島ボリナオ（英語版）沖北緯16度02分 東経119度
 43分地点で、米潜水艦ハッド(USS Haddo\, SS-255)に雷撃され
 る[2]。「朝風」は大破、航行不能となった[1]。機帆船6
 隻の曳航でダソル（英語版）湾北緯15度56分 東経119度46
 分地点に座礁させたが、22時35分に転覆して沈没した[1]
 。砲術長、航海長以下乗員の一部が戦死した。夜半の
 沈没のため、喪失日を8月24日とする文献・資料もある[2
 ]。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦夕風：竣工日(1921)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260823T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260824T150000Z
UID:117424746059
DESCRIPTION:　三菱長崎造船所で建造。1920年12月14日起工、
 1921年5月28日進水。1921年8月24日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 同じ峯風型の島
 風、太刀風と共に第三駆逐隊を編成し、第二艦隊に所
 属。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦宵月：起工日(1943)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260824T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260825T150000Z
UID:171425736109
DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）度計画（マル急計画）に
 よる乙型一等駆逐艦の第363号艦として、浦賀船渠で1943
 年（昭和18年）8月25日に起工[7]。当初は三菱長崎造船所
 で建造される予定であったが、線表改訂により浦賀で
 の建造に変更された[8]。本艦は、秋月型駆逐艦のうち
 浦賀船渠で建造された唯一の艦である。\n1944年（昭和19
 年）5月10日、姉妹艦「春月」や海防艦等と共に命名[3]
 。 9月25日に進水[7]。\n　1945年（昭和20年）1月31日に竣
 工[8][7]。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦杉：竣工日(1944)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260824T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260825T150000Z
UID:199461137429
DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造された。1944年2月1日起
 工、7月3日進水、8月25日に竣工した。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦夏月：引渡日(1947)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260824T150000Z
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DESCRIPTION:　1945年5月20日付で第三十一戦隊（鶴岡信道少
 将・海兵43期）、軽巡洋艦「北上」、駆逐艦「波風」と
 ともに海上挺進部隊を編成し[12]、次いで5月25日付で第
 四十一駆逐隊に編入される[13]。この間の5月3日には第
 十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた[14]。 6月16日、六連島
 灯台[4]の193度3\,100メートル地点で触雷し小破[6]。佐世
 保に曳航の上、佐世保海軍工廠で7月1日から25日の間修
 理を行った[6]。終戦を門司で迎えた。本艦が秋月型の
 中で完成が最後で終戦まで4ヵ月ほどであり、大規模な
 戦闘には参加出来なかった。\n　横須賀で特別保管艦と
 して係留の後[6]、1947年（昭和22年）8月25日[6]に浦賀で
 賠償艦としてイギリスに引き渡されるが、直ちに浦賀
 船渠に売却された。「夏月」は同年9月3日に特別輸送艦
 の指定を解かれた[15]。9月10日から解体が開始され、翌
 年3月1日に完了した[6][16]。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦夕凪：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）7月上旬、マリアナ沖海戦
 に続くサイパンの戦いで、サイパン島地上戦に巻き込
 まれた第三水雷戦隊司令部は全滅、第三水雷戦隊司令
 官中川浩少将も戦死した[309]。そこで日本海軍は第三水
 雷戦隊の残存艦艇を基幹として、8月20日附で第三十一
 戦隊 を編制する[310][311][312]。8月上旬、「夕凪」はヒ71
 船団に加入[315][316]。\n　8月22日、神風型2隻（夕凪、朝
 風）は海防艦と共にルソン島沖でマタ24A船団の護衛中[3
 21]、船団中のタンカー第二八紘丸（日本油槽船、10\,022
 トン）がスペードフィッシュ (USS Spadefish\, SS-411) の雷撃
 によりバサレン湾に座礁したため、その警戒として付
 き添った。 8月23日、姉妹艦「朝風」は米潜水艦ハッド(
 USS Haddo\, SS-255)に雷撃され[5]、近くの陸地に曳航された
 あと、沈没した[322]。 8月25日、バサレン湾を警戒中、
 付近を通りかかったマタ26A船団[323]がアメリカ軍の潜水
 艦ピクーダ（USS Picuda\, SS-382）の雷撃を受ける様子を目
 撃し、現場へ対潜掃討に向かう[324]。だがピクーダが発
 射した魚雷が艦橋後部（左舷）に命中し、衝撃で缶室
 が爆発[324]。船体は両断され、「夕凪」は沈没した[324]
 。乗員約40名が戦死、さらに僚艦の爆雷攻撃の影響で救
 助された重傷者多数が戦死した[324]。沈没地点記録北緯
 18度42分 東経120度49分[323]。
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SUMMARY:駆逐艦睦月：戦没日(1942)
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DESCRIPTION:　1942年8月24日、第30駆逐隊司令艦睦月は、駆
 逐艦弥生、磯風、陽炎、江風を率いてガダルカナル島
 米軍ヘンダーソン飛行場砲撃任務を命じられ、22時より
 約10分間の飛行場砲撃に成功した[39][40]。\n　8月25日5時4
 0分、駆逐艦5隻は増援部隊第二梯団（輸送船団）と合流
 [46]。艦隊はヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーン
 トレス急降下爆撃機8機の奇襲を受ける。このドーント
 レスは空母エンタープライズの所属機で、前日の戦闘
 で中破したエンタープライズからヘンダーソン基地に
 移動していた部隊であった。まず神通の前部甲板に爆
 弾1発が命中、火災となった[48]。続いて6時7分、今度は
 金龍丸にドーントレスの投下した爆弾が命中、大火災
 となった[49]。\n　睦月、哨戒艇1号、2号は炎上した金龍
 丸の救援を行い、海風、磯風、江風、哨戒艇34号、35号
 がぼすとん丸、大福丸の護衛を続行する[51]。金龍丸は
 乗組員を弥生、哨戒艇1号、2号に収容後、睦月に雷撃処
 分され8時53分に沈没した[52]。 だが、金龍丸処分直後の
 8時27分、睦月はアメリカ陸軍B-17爆撃機3機に攻撃され[53
 ]、睦月の後部機械室に爆弾1発が命中、9時40分に沈没し
 た[54]。 准士官以上3名、下士官兵37名が戦死、負傷者11
 名[55]。
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SUMMARY:駆逐艦藤波：起工日(1942)
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DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第127号艦として藤
 永田造船所で建造、1942年8月25日に起工、1943年（昭和18
 年）4月20日に進水、同年7月31日に竣工、一等駆逐艦に
 類別され舞鶴鎮守府籍となる。
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SUMMARY:駆逐艦五月雨：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年8月26日18時30分、米潜水艦「バットフィ
 ッシュ」 (USS Batfish\, SS/AGSS-310)の雷撃が「五月雨」右舷
 中部に命中、大破した船体は断裂する[70]。これをもっ
 て「五月雨」は放棄された
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SUMMARY:駆逐艦春雨：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　舞鶴工廠で1935年（昭和10年）2月3日に起工[4]
 。同年9月21日に進水した[4]。1937年（昭和12年）8月26日
 に就役した[4]。 竣工当初はウェスティングハウス社製
 の溶接構造の減速機室と減速歯車を備えていたが、試
 運転の際に減速歯車に亀裂が発見されたため、姉妹艦
 と同型の鋳鋼製の減速機に交換された[5]。 姉妹艦に比
 べ就役が大幅に遅れていたのは、この減速機交換作業
 のためである。
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SUMMARY:駆逐艦春月：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　1945年3月6日に呉を出撃[17]。同日付で第一〇
 三戦隊は鎮海警備府護衛部隊に編入された[17]。3月8日
 に鎮海に到着し[18]、合流してきた海防艦隠岐、第19号
 駆潜艇を率いて3月15日に荷衣島に進出[19]。対潜作戦と
 海上交通保護作戦の指揮を執った[20]。7月1日に佐世保
 に帰投し[21][7]、8月15日の終戦を呉で迎えた[22]。10月5日
 除籍[7]。\n　その後は復員輸送艦となる。横須賀で特別
 保管艦として係留[22]。長浦港にて、陽炎型駆逐艦8番艦
 「雪風」と並んで繋留された写真も残る[23]。1947年（昭
 和22年）8月25日に佐世保を出港してナホトカに向かい、
 8月28日に到着後、ソ連に賠償艦として引き渡された。
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SUMMARY:駆逐艦弥生：竣工日(1926)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。同年7月19日、
 浦賀造船所で建造予定の駆逐艦に「第二十三駆逐艦」
 の艦名が与えられる[6]。一等駆逐艦に類別[7]。\n　1924
 年（大正13年）1月11日起工、4月24日艦名を「第二十三号
 駆逐艦」に改正[8]、1925年（大正14年）7月11日進水、1926
 年（大正15年）8月28日に竣工[9]。佐世保鎮守府に所属し
 た。1928年（昭和3年）8月1日附で「第二十三号駆逐艦」
 は「彌生（弥生）」と改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦朝霧：戦没日(1942)
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DESCRIPTION:　太平洋戦争では、南方進攻、ミッドウェー
 海戦、ソロモン諸島の諸作戦に参加。1942年（昭和17年
 ）8月28日、ガダルカナル島輸送作戦に従事中、サンタ
 イサベル島北方で米海兵隊機の爆撃を受け戦没した。
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SUMMARY:駆逐艦岸波：起工日(1942)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第343号艦として
 浦賀船渠で建造。1942年8月29日起工、1943年8月19日進水。
 1943年（昭和18年）12月3日に竣工して一等駆逐艦に類別
 され、舞鶴鎮守府籍となる。
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SUMMARY:駆逐艦宵月：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　8月2日、本土決戦に備えて兵力を温存するた
 め、曳航されて東能美島南端の秀地の窪入江島岸に錨
 泊[39]。藁縄の網で全艦を覆い、青松葉で擬装を行った[
 39]。単装機銃は陸揚げされ、丘に機銃座を作り潜伏さ
 せている[40][39]。8月6日の広島原爆投下時における「宵
 月」は擬装中であり、所在の露呈を防ぐために発砲は
 行わなかった[39]。本艦繋留地点からも、原爆炸裂の閃
 光と爆発音およびキノコ雲が見えたという[40][39]。 8月1
 5日に終戦を迎えたが、同日附で第41駆逐隊に陽炎型駆
 逐艦8番艦「雪風」が編入され[42]、4隻編制となった（
 冬月、宵月、夏月、雪風）。12月1日に特別輸送艦に指
 定された[44]。復員輸送後は横須賀で特別保管艦として
 係留され[41]、1947年（昭和22年）8月29日に特別輸送艦の
 指定を解かれた[45]。本艦の残務整理は12月5日に終了し
 た[46]。\n　戦時賠償艦としての中華民国への引渡しは
 、1947年（昭和22年）8月25日に佐世保港を出港し、29日に
 青島に到着して引き渡される[47]。
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SUMMARY:駆逐艦不知火：起工日(1937)
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DESCRIPTION:　不知火は浦賀船渠で1937年8月30日に起工、1938
 年6月28日に進水。1939年12月20日に竣工した。呉鎮守府在
 籍。
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SUMMARY:駆逐艦旗風：竣工日(1924)
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DESCRIPTION:　本艦は1923年（大正12年）7月3日に起工[14][21]
 。1924年（大正13年）3月15日、「第九駆逐艦」として進
 水[14][22]。 艤装中の4月24日附で「第九駆逐艦」は「第
 九号駆逐艦」と改称[8]。 6月10日、日本海軍は荒糺（あ
 らただし）少佐（当時山風駆逐艦長心得）を第9号駆逐
 艦艤装員長に任命（後任の山風艦長心得は中圓尾義三
 少佐）[23]。6月19日より艤装員事務所での事務を開始す
 る[24]。8月30日に竣工した[14][27]。 \n　4年後の1928年（昭
 和3年）8月1日附で、「第九号駆逐艦」は「旗風」と改
 名された[1][29]。
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SUMMARY:駆逐艦朝潮：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　 1935年（昭和10年）9月6日、建造予定の駆逐
 艦2隻にそれぞれ『朝潮』と『大潮』の艦名が与えられ
 た[1][5]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦を新
 設[6]。 本艦は佐世保海軍工廠で9月7日に起工[7][8]。 1936
 年（昭和11年）12月16日に進水した[7]。日本海軍は、吹
 雪型駆逐艦潮・峯風型沖風艦長等を歴任した成田茂一
 中佐を朝潮艤装員長に任命する[9]。当事の佐世保工廠
 では、白露型4番艦夕立の建造が最終段階に入っていた
 （翌年1月7日竣工）[10]。12月28日、佐世保海軍工廠に朝
 潮艤装員事務所を設置[11]。\n　1937年（昭和12年）8月2日
 、成田艤装員長は正式に朝潮駆逐艦長（初代）に任命
 される[12]。本艦は8月31日に竣工した[7]。
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SUMMARY:駆逐艦照月：竣工日(1941)
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DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度（マル4計画）の第105号
 艦[4]。1940年（昭和15年）11月13日、三菱重工業長崎造船
 所で起工[4]。1941年（昭和16年）10月25日に命名[2]、同日
 附で一等駆逐艦秋月型に類別される[5]。「照月」は真
 珠湾攻撃直前の11月21日に進水[4]。本艦は8月31日に竣工
 して佐世保鎮守府籍となる[12][4][13]。
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SUMMARY:駆逐艦涼風：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　1935年（昭和10年）6月20日、日本海軍は浦賀
 船渠で建造予定の駆逐艦を「涼風」と命名した[2][4]。
 同年7月9日、「涼風」は浦賀船渠で起工[6][7]。 本艦は19
 37年（昭和12年）3月11日に進水[6][12]。\n　5月1日、日本
 海軍は井上良雄少佐（吹雪型駆逐艦「響」艦長）を涼
 風艤装員長に任命する（後任の響艦長は駆逐艦雷艦長
 竹内虎四郎少佐）[13]。5月3日、浦賀船渠に涼風艤装員
 事務所を設置し、事務を開始する[14]。 「涼風」は同年
 8月31日に竣工した[6]。主要幹部は、井上良雄少佐（駆
 逐艦長）、浅井秋生大尉（砲術長）、藤田淳大尉（水
 雷長）、西村定男大尉（航海長）、斎藤孝吉機関大尉
 （機関長）[15]。同日附で艤装員事務所を撤去する[16]。
 \n　竣工と同時の8月31日附で姉妹艦3隻（海風、山風、
 江風）の第24駆逐隊（5月31日附で編制。駆逐隊司令久宗
 米次郎大佐）に編入[17][18]。定数4隻（海風、山風、江
 風、涼風）を揃えた第24駆逐隊は第二次上海事変（昭和
 12年）に投入され、中国大陸に進出した。
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SUMMARY:駆逐艦夏潮：竣工日(1940)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「夏潮」は藤永田造船所で1937年（昭
 和12年）12月9日に起工[4]。 1938年（昭和13年）9月20日、
 日本海軍（米内光政海軍大臣）は舞鶴海軍工廠で建造
 の陽炎型4番艦を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦
 （本艦）を『夏潮』、川崎造船所の陽炎型7番艦を『初
 風』と命名した[2][5]。 同日附で、各艦（親潮、夏潮、
 初風、伊号第十八潜水艦、伊号第二十潜水艦、伊号第
 二十二潜水艦等）は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[6
 ]。\n　「夏潮」は1939年（昭和14年）2月23日に進水[4]。
 本艦の建造は陽炎型3番艦「黒潮」と同時に進められた[
 7]。1940年（昭和15年）1月27日、藤永田造船所で姉妹艦「
 黒潮」が竣工[10]。 同年8月31日[4][1]に竣工。陽炎型5番
 艦「早潮」と同日附の竣工であった[16]。呉鎮守府籍。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦黒潮：起工日(1937)
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦3番艦「黒潮」は仮称19号艦と
 して藤永田造船所で1937年（昭和12年）8月31日に起工[3]
 。\n　1938年（昭和13年）4月15日、日本海軍は舞鶴海軍工
 廠で建造中の駆逐艦を『陽炎』、浦賀船渠の同型駆逐
 艦を『不知火』、藤永田造船所の本艦を『黒潮』、東
 京石川島造船所の測天型敷設艇2番艇を「白神」と命名
 する[5][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐艦
 』が新設され、3隻（陽炎、不知火、黒潮）は同型に類
 別された[6]。 同年10月25日、「黒潮」は進水[3][7]。\n　1
 940年（昭和15年）1月20日、佐世保海軍工廠で陽炎型8番
 艦「雪風」が竣工[12]、呉へ回航される[13]。 「雪風」
 竣工から一週間遅れた1月27日、陽炎型3番艦「黒潮」は
 竣工[3][14]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦高波：竣工日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z
UID:127106647969
DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第121号艦として浦
 賀船渠で建造[3]。1941年（昭和16年）5月29日起工。1942年
 （昭和17年） 3月16日午後4時30分[7]、横須賀鎮守府長官
 平田昇中将立ち合いの元で本艦は進水[8][3]。同日、第
 五航空戦隊（瑞鶴、翔鶴）と随伴艦（秋雲、霰、陽炎
 ）も横須賀に入港している[3]。  \n　1942年8月31日に竣工
 [13][14]。同日、秋月型駆逐艦2番艦「照月」（佐世保鎮
 守府籍）も8月31日竣工しており、本艦は舞鶴鎮守府籍
 となる[17]。その上で、2隻（照月、高波）は警備駆逐艦
 に指定された[17]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦雄竹：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　仮称4814号艦、橘型（改松型）駆逐艦として
 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年11月5日起工、1945年3
 月10日進水。5月15日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第
 十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編入す
 るも、タービンの空気漏洩が見つかり、5月17日まで調
 整が行われた[2]。舞鶴湾で単独訓練を行い[3]、待機す
 る。
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SUMMARY:駆逐艦梨：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「梨」は橘型の10番艦（仮称4810号艦
 ）として、川崎重工業神戸艦船工場で1944年（昭和19年
 ）9月1日に起工。同年12月8日、駆逐艦（柿、樺、梨、椎
 、榎）や海防艦「志賀」等に艦名が与えられる[2]。同
 日附で各艦（柿、樺、梨、椎、榎）は松型駆逐艦に類
 別[1]。\n　1945年（昭和20年）1月17日、進水。2月9日、神
 戸川崎造船所内に設置された梨艤装員事務所は、事務
 を開始[3]。 本艦は同年3月15日に竣工した[11]。呉鎮守府
 籍[12]。\n　竣工（3月15日）をもって第十一水雷戦隊（
 司令官高間完少将。旗艦「酒匂」）に配属され、山口
 県柳井市東方及び南方の瀬戸内海において訓練に従事
 した。燃料事情が悪化しているため、訓練航海は月に
 数回しか行われず、それも殆どは呉より日帰りの短期
 のものであった[15]。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦敷波：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）8月1日、シンガポール沖に
 て座礁事故を起こすも、離礁に成功する。応急修理の
 後、本格的な修理を受けるためにヒ72船団の護衛に協力
 して内地に向かうことになった。\n　しかし、9月12日01
 時55分、船団は米潜水艦「グロウラー」 (USS Growler\, SS-21
 5)の雷撃を受ける。船団護衛部隊旗艦の海防艦「平戸」
 に魚雷1本が命中[2][3]。平戸は閃光と水柱に包まれ、そ
 れが消えると同時に海上からその姿を消し[4]、護衛司
 令官の梶岡定道少将が戦死してしまう。旗艦を失い、
 混乱する船団は米潜水艦部隊の雷撃により被害が次々
 に増える中、敷波は対潜掃討を行っていたが、06時55分
 、北緯18度16分 東経114度40分の海南島東方洋上でグロウ
 ラーの再度の雷撃で魚雷2本が立て続けに命中して4分で
 沈没した[5]。駆逐艦長の高橋達彦少佐以下乗員多数が
 戦死し、乗員120名が海防艦御蔵に救助された。
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SUMMARY:駆逐艦陽炎：起工日(1937)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で1937年（昭和12年）9月3日に起
 工[5]。1938年（昭和13年）4月15日、舞鶴工廠で建造中の
 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、
 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所
 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え
 られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐
 艦』が新設され、3隻（陽炎、不知火、黒潮）は同型に
 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8]
 。\n　1939年（昭和14年）2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐
 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2
 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8
 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長（初代）となる
 [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2
 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが（
 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日）、竣工は「
 陽炎」の方が先である[12]。
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SUMMARY:駆逐艦島風（初代）：起工日(1919)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1919年9月5日起工、1920
 年3月31日進水。同年11月15日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆
 逐隊に編入された。
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