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SUMMARY:駆逐艦初霜：進水日(1933)
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DESCRIPTION:　1932年（昭和7年）10月1日、日本海軍は浦賀船
 渠株式会社に駆逐艦1隻の建造を命じた[4]。12月10日、制
 式に初霜と命名した[2]。また姉妹艦2隻（有明、夕暮）
 等も命名された[2]。 浦賀船渠で1933年（昭和8年）1月31
 日に起工[5][6]。同年10月31日、初霜進水式の最中に事故
 が発生、浦賀船渠は進水を中止する[4][7]。 11月4日に進
 水式をやりなおした[7][8]。建造途中で同型艦初春の復
 元性能不良が判明し、改善工事を施す。\n　1934年（昭
 和9年）2月1日、松原博少佐は初霜艤装員長に任命され
 る[9]。2月12日、浦賀船渠に初霜艤装員事務所を設置す
 る[10]。 初霜は9月27日に竣工[5][11]、同日附で初霜艤装
 員事務所は撤去[12]。松原少佐も初霜初代駆逐艦長とな
 る[13]。
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SUMMARY:駆逐艦山雲：起工日(1936)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「山雲」は藤永田造船所で建造開始
 。1936年（昭和11年）10月22日、「山雲（ヤマグモ）」と
 命名[1]。姉妹艦「朝雲」、工作艦「明石」も同日附で
 命名されている[1]。同年11月4日に起工、1937年（昭和12
 年）7月24日に進水、1938年（昭和13年）1月15日に竣工[4]
 。同時に第41駆逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦峯雲：進水日(1937)
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DESCRIPTION:　1936年（昭和11年）12月14日、日本海軍は建造
 予定の水上機母艦2隻・駆逐艦2隻に、水上機母艦「千代
 田」と「瑞穂」、朝潮型駆逐艦「峯雲」と「霰」の艦
 名を与えた[1]。 藤永田造船所で建造された朝潮型は、
 本艦のほかに3番艦「満潮」[5]、6番艦「山雲」[6]の計3
 隻である。 駆逐艦「峯雲」は1937年（昭和12年）3月22日
 に起工、同年11月4日に進水[7][8]。翌日には神戸川崎造
 船所で姉妹艦「朝雲」も進水した[8]。\n　1938年（昭和13
 年）1月20日、朝潮型2番艦「大潮」駆逐艦長山代勝守中
 佐は峯雲艤装員長を命じられる[9]。 1月27日、藤永田造
 船所に峯雲艤装員事務所を設置[10]。本艦は4月30日に竣
 工[7]。峯雲艤装員事務所は撤去され[11]、山代中佐も本
 艦初代駆逐艦長となった[12]。
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SUMMARY:駆逐艦朝雲：進水日(1937)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261105T150000Z
UID:140644350163
DESCRIPTION:　神戸川崎造船所で建造予定の駆逐艦「朝雲
 」は、1936年（昭和11年）10月22日に命名[1]。同日附で姉
 妹艦「山雲」、工作艦「明石」も命名されている[1]。
 同年12月23日に起工、1937年（昭和12年）11月5日進水、1938
 年（昭和13年）3月31日に竣工[3]。同時に第41駆逐隊に編
 入された。同年12月15日、第三予備艦となり横須賀海軍
 工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した（臨機
 調事件）。
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SUMMARY:駆逐艦巻雲：進水日(1941)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「巻雲」は1939年度（マル4計画）仮称
 第117号艦として藤永田造船所で建造された。1940年（昭
 和15年）12月23日起工[3]。1941年（昭和16年）8月5日、平島
 型敷設艇澎湖・鷹島等と共に命名される[1]。「巻雲」
 も同日附で一等夕雲型に登録された[4]。同年11月5日進
 水[3]。12月20日、巻雲艤装員長として藤田勇中佐[5]が着
 任する（藤田は9月まで朝潮型駆逐艦1番艦朝潮駆逐艦長
 ）[6]。1942年（昭和17年）3月14日に竣工した[3][8]。\n　横
 須賀鎮守府籍[10]。横須賀鎮守府警備駆逐艦となった本
 艦は、横須賀へ移動した。
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SUMMARY:駆逐艦桃：起工日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画丁型(一等)
 駆逐艦第5484号艦として舞鶴海軍工廠で建造[4]。本艦は1
 943年（昭和18年）11月5日起工[6][7]。1944年（昭和19年）1
 月25日、『桃」と命名[2]。同日附で3隻（竹、梅、桃）
 は松型駆逐艦に類別[3]。 3月25日、舞鶴海軍工廠で松型1
 番艦「松」や秋月型駆逐艦8番艦「冬月」の艤装が急が
 れる中[8]、「桃」は進水する[9]。\n　6月10日[16]、本艦
 は竣工する（槇の進水と同日）[17][18]。
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SUMMARY:駆逐艦満潮：起工日(1935)
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DESCRIPTION:　1935年（昭和10年）9月28日、日本海軍は藤永
 田造船所で建造の駆逐艦を満潮、神戸川崎造船所で建
 造の駆逐艦を荒潮と命名した[1]。満潮は藤永田造船所
 において同年11月5日に起工された[4]。 1937年（昭和12年
 ）3月15日に進水[4][5]。のちに僚艦となる白露型駆逐艦
 涼風より4日遅い進水だった[6]。 7月6日、海軍は吹雪型
 駆逐艦暁艦長佐藤康夫中佐を満潮艤装員長に任命した
 （後任の暁艦長篠田勝清中佐は、レイテ沖海戦時の戦
 艦山城艦長）[7]。 7月13日、藤永田造船所に満潮艤装員
 事務所を設置[8]。 \n　1937年10月31日に竣工した[4]。佐藤
 満潮艤装員長も制式に満潮初代艦長となる[9]。舞鶴工
 廠で建造された朝潮型2番艦大潮とは進水は満潮の方が
 早く、竣工は同日であった[10]。
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SUMMARY:駆逐艦陽炎：竣工日(1939)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で1937年（昭和12年）9月3日に起
 工[5]。1938年（昭和13年）4月15日、舞鶴工廠で建造中の
 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、
 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所
 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え
 られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐
 艦』が新設され、3隻（陽炎、不知火、黒潮）は同型に
 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8]
 。\n　1939年（昭和14年）2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐
 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2
 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8
 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長（初代）となる
 [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2
 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが（
 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日）、竣工は「
 陽炎」の方が先である[12]。
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SUMMARY:駆逐艦波風：起工日(1920)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1921年11月7日起工、1922
 年6月24日進水。同年11月11日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年（大正11年）12
 月28日、神風型駆逐艦 (2代)「第一駆逐艦」（「神風」
 ）と同じく第1駆逐隊に編入され、同型艦「野風」「沼
 風」とともに千島、北海道方面の交通保護に当った。
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SUMMARY:駆逐艦曙：進水日(1930)
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DESCRIPTION:　「曙」は大阪市の藤永田造船所で建造され
 た。1929年10月25日に起工、1930年11月7日に進水、1931年7月
 31日に就役し[1]、一等駆逐艦に類別され、第2艦隊第7駆
 逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦野分：起工日(1939)
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DESCRIPTION:　駆逐艦野分は陽炎型駆逐艦のマル3計画での
 最終艦（15隻目。陽炎型は次のマル4計画でも4隻建造さ
 れ計19隻）、仮称第31号艦として舞鶴工廠で建造開始。1
 939年（昭和14年）11月8日起工[3]。1940年（昭和15年）8月30
 日に「野分（ノワキ）」と命名される[1]。同日附で陽
 炎型14番艦谷風や練習巡洋艦香椎、測量艦筑紫等も命名
 されている[1]。野分は9月17日に進水[3]。なお登録上は
 野分が陽炎型15番艦で16番艦は嵐だが[2]、起工・進水・
 竣工のいずれも野分より嵐の方が早い[4]。 11月15日、日
 本海軍は駆逐艦有明・叢雲・東雲艦長等を歴任した古
 閑孫太郎中佐を野分艤装員長に任命する[5]。同時期、
 野分艤装員事務所を設置[6]。\n　1941年（昭和16年）4月9
 日、古閑野分艤装員長は制式に野分初代駆逐艦長とな
 った[7]。同日附で野分艤装員事務所を撤去[8]。4月28日
 、野分は竣工された[3][9]。横須賀鎮守府籍。同日附で
 第4駆逐隊に編入された[10]。
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SUMMARY:駆逐艦朧：進水日(1930)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261108T150000Z
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DESCRIPTION:　「朧」は佐世保海軍工廠で建造された[4]。19
 29年（昭和4年）11月29日に起工[4]。1930年（昭和5年）11月
 8日午前9時30分に進水[5]。 1931年（昭和6年）4月1日、日
 本海軍は伊藤皎少佐（前職、駆逐艦「松風」駆逐艦長
 ）を朧艤装員長に任命[6]。同日附で武田喜代吾少佐も
 潮艤装員長に任命されている[6]。 本艦は10月31日に就役
 [4]。同日附で柏木英中佐を司令とする第7駆逐隊も編制
 された[7]。
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SUMMARY:駆逐艦皐月：除籍日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年11月10日、駆逐艦「皐月」は 卯月型駆
 逐艦[137]、 第30駆逐隊[138]、 帝国駆逐艦籍[139] のそれぞ
 れから除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦天霧：竣工日(1930)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261110T150000Z
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DESCRIPTION:　石川島造船所で1928年（昭和3年）11月28日に
 起工、1930年（昭和5年）2月27日進水、1930年（昭和5年）1
 1月10日竣工。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦時津風：進水日(1939)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261110T150000Z
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DESCRIPTION:　浦賀船渠で建造され、1939年（昭和14年）2月2
 0日起工。同年8月25日、姉妹艦の天津風と共に「時津風
 （トキツカゼ）」と命名される[1]。11月10日に進水、1940
 年（昭和15年）9月1日附で駆逐艦天霧駆逐艦長中原義一
 郎中佐は、時津風艤装員長に任命される[3]。なお中原
 は、白露型駆逐艦4番艦夕立艤装員長[4]および初代駆逐
 艦長[5]だった。 時津風は12月15日に竣工[6]。同日附で中
 原艤装員長も制式に時津風初代駆逐艦長となる[7]。呉
 鎮守府籍。浦賀船渠で建造された陽炎型としては3隻目
 となった。
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SUMMARY:駆逐艦春風：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年（昭和20年）11月10日、神風型駆逐艦か
 ら除籍[18]。
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SUMMARY:駆逐艦若月：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261111T150000Z
UID:845830635354
DESCRIPTION:　1944年11月8日朝、多号作戦第四次輸送部隊を
 護衛してマニラを出撃。翌11月9日夕方にオルモック湾
 に到着するも、大発が揃わなかったため兵員しか陸揚
 げできなかった[96]。11月10日、輸送部隊はオルモック湾
 を出撃してマニラに向かったが、間もなくB-25 とP-38 の
 攻撃を受けて陸軍特殊船高津丸（山下汽船、5\,657トン
 ）と輸送船香椎丸（大阪商船、8\,407トン）が沈没。輸
 送部隊を指揮する第一水雷戦隊司令官木村昌福少将（
 海兵41期。霞座乗）は駆逐艦3隻（霞、朝霜、長波）に
 救助作業を担当させ、秋霜以下の艦艇は輸送船金華丸
 （大阪商船、9\,305トン）の護衛につけてマニラへ先発
 させた[97]。 この後、木村少将から朝霜・長波とともに
 第三次輸送部隊と合流するよう命令を受ける。21時にマ
 スバテ島東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊
 （指揮官早川幹夫第二水雷戦隊司令官、旗艦島風）に
 合流した[98]。\n　第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろ
 にオルモック湾に到着する予定であったが、その直前
 に第38任務部隊（ジョン・S・マケイン・シニア中将）
 の艦載機347機[99]による空襲を受ける。前部と後部に爆
 弾が命中して北緯10度50分 東経124度31分の地点に沈没[100
 ]。駆逐艦長鈴木保厚大佐[101]以下290名が戦死[102]。
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SUMMARY:駆逐艦長波：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261111T150000Z
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DESCRIPTION:　11月8日朝、多号作戦第四次輸送部隊を護衛
 してマニラを出撃。第三次輸送部隊は11月11日の正午ご
 ろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直
 前に第38任務部隊（ジョン・S・マケイン・シニア中将
 ）の艦載機347機[59]による空襲を受けた。浜波が真っ先
 に被弾し、朝霜は浜波のわずかな生存者を救助した[59]
 。続いて若月、部隊指揮官の第二水雷戦隊司令官早川
 幹夫少将（海兵44期）座乗の戦隊旗艦島風も被弾し、輸
 送船は全滅していた。やがて、激しい対空戦闘の末に
 弾薬が尽きた長波は右舷艦橋下に被弾し、艦右側にも
 至近弾を浴びた。間もなく右側に傾斜した後、長波は
 艦首を上げて沈没していった。
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SUMMARY:駆逐艦島風：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　レイテ沖海戦の後、島風はブルネイ湾を経
 てマニラに進出しレイテ島行きの多号作戦に投入され
 た[83]。1944年11月11日未明、前日のB-24 からの通報を受け
 た魚雷艇隊の襲撃を受けるが跳ね返す[266]。しかし、最
 大の脅威である第38任務部隊（ジョン・S・マケイン・
 シニア中将）が迫りつつあった。対空戦闘に際して、
 早川少将は誘爆を防ぐため魚雷を投棄させた[271]。狭い
 湾内での戦闘だったが、その速力と的確な操艦により
 、爆弾や魚雷の直撃こそ受けなかった[271]。しかし、多
 数の至近弾と機銃掃射により船体に多数の小破孔が発
 生して浸水、機関からも蒸気が噴出して回転数が急速
 に低下、航行不能となる[273]。島風では内火艇やカッタ
 ーボートを海面に下したものの損傷により水没し、鈴
 木・松原参謀、駆逐艦長・機関長など合計21名は、沈没
 寸前に唯一残ったカッターに乗って島風を離れた[281]。
 午後5時30分、島風は後部附近の爆発により沈没した[282]
 [246]。島風には行動不能の重傷者が多数残されていたが
 爆沈時に戦死、既に艦を離れていた乗組員も全員行方
 不明となった[283]。
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SUMMARY:駆逐艦疾風：起工日(1922)
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DESCRIPTION:　1922年11月11日、第十三駆逐艦（疾風）は石川
 島造船所で起工[15][2]。 1924年4月24日、「第十三駆逐艦
 」の艦名は「第十三号駆逐艦」に改正[17][18]。 12月1日
 、旧「疾風」は駆逐艦籍より除籍[5][19]。翌年7月、廃船
 処分となり「廃駆逐艦5号」と改称後、呉海軍工廠でし
 ばらく保管されていた[20][21]。\n1925年（大正14年）3月23
 日午後4時、第13号駆逐艦（疾風）は進水[22][15]。1925年
 （大正14年）12月21日、第13号駆逐艦（疾風）は竣工した
 [15][2]。\n　1928年（昭和3年）8月1日附で「第十三号駆逐
 艦」は「疾風」と改名[8][28]。これに伴い、第一号型駆
 逐艦は神風型駆逐艦と改名される[29]。
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SUMMARY:駆逐艦涼波：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年11月11日早朝、第2回のラバウル空襲が
 行われた[107][108]。第38任務部隊はブーゲンビル島北方
 から、第50.3任務部隊は同島南方から挟み撃ちの格好で
 艦載機を発進させた[106]。\n　本空襲で阿賀野型軽巡洋
 艦1番艦「阿賀野」が魚雷命中により艦尾切断の被害を
 受け[123][108]、夕雲型4番艦「長波」が大破[124][125]。 南
 東方面艦隊（司令長官草鹿任一中将）の下令によりラ
 バウル在泊艦艇（能代、阿賀野、摩耶《11月5日空襲で
 大破、ラバウル在泊》、長鯨、浦風、若月、風雲、早
 波、藤波、五月雨）[126][127]はトラック泊地に撤退し[108
 ]。ラバウルに残る第二水雷戦隊は第31駆逐隊（大波、
 巻波、長波《航行不能状態》）となった[128]。 このう
 ち夕雲型2隻（大波、巻波）も11月24日のセント・ジョー
 ジ岬沖海戦で沈没[129][130]、「長波」のみラバウルに取
 り残された[125]。
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SUMMARY:駆逐艦浜波：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年11月9日未明3時、浜波は多号作戦第三次
 輸送作戦を護衛してマニラを出撃[9]。11月10日21時、第
 三次輸送部隊はマスバテ島東方のブラックロック水道
 で、先にオルモック湾への輸送を行った第四次輸送部
 隊（木村昌福少将・第一水雷戦隊司令官・海兵41期）と
 すれ違い、初春と竹を第四次輸送部隊に移した上で、
 朝霜、長波、若月を第三次輸送部隊に加入させた。\n　
 第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に
 到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊（ジ
 ョン・S・マケイン・シニア中将）の艦載機347機[10]によ
 る空襲を受けた。浜波は艦首に被弾して艦首が垂れ下
 がり、他に三発被弾して舵も損傷した[11]。重傷を負っ
 た大島一太郎司令（海兵50期）と駆逐艦長本倉正義中佐
 （海兵51期）を含む乗員11名が横付けした朝霜に救助さ
 れた後、艦は放棄された。浜波の船体がその後どうな
 ったのかは定かではない。
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SUMMARY:駆逐艦羽風：起工日(1919)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261111T150000Z
UID:320846860852
DESCRIPTION:　三菱長崎造船所で建造。1918年11月11日起工、
 1920年6月21日進水。同年9月16日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦波風：竣工日(1922)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261111T150000Z
UID:114954790933
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1921年11月7日起工、1922
 年6月24日進水。同年11月11日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年（大正11年）12
 月28日、神風型駆逐艦 (2代)「第一駆逐艦」（「神風」
 ）と同じく第1駆逐隊に編入され、同型艦「野風」「沼
 風」とともに千島、北海道方面の交通保護に当った。
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SUMMARY:駆逐艦秋霜：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261113T150000Z
UID:107923554284
DESCRIPTION:　秋霜はレイテ島への陸軍部隊輸送作戦（多
 号作戦）に投入される事となった。11月11日午前5時、木
 村司令官直率の駆逐艦3隻（霞、初春、竹）は第四次輸
 送部隊と合流[115]。18時、輸送部隊（霞、潮、秋霜、初
 春、竹、沖縄、金華丸）はマニラに到着して任務を終
 えた[116][104]。\n　11月13日午後、マニラはアメリカ軍第3
 8任務部隊の艦載機の攻撃を受けた。第5蓬莱丸は船体後
 部に直撃弾を受け、同日中に大破着底。曙は直撃弾1発
 ・至近弾10数発を受けて大破した[123]。秋霜も一番砲塔
 前方と後部甲板に直撃弾3発を受け火災が発生、その後
 火薬庫に誘爆して炎上した[123]。秋霜は翌14日5時に右舷
 を下にして転覆し、艦橋部が海底に埋まった状態で着
 底、曙も同じ14日朝に艦橋部のみを海面上に露出させて
 着底した[120][123]。
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SUMMARY:駆逐艦暁：戦没日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261113T150000Z
UID:145788187469
DESCRIPTION:　1942年11月13日、暁は戦艦護衛の任務につき、
 日本艦隊の先頭に位置していた。アメリカ艦隊と次第
 に接近する中、午前1時50分、第三次ソロモン海戦・第
 一夜戦の劈頭、暁の探照灯がアメリカ艦隊の軽巡洋艦
 アトランタを照射した。そのためアメリカ艦隊からの
 砲弾が暁に集中し、一瞬にして航行不能に陥った。艦
 橋内では、山田勇助司令、高須賀駆逐艦長、航海長、
 新屋水雷長などの僅かな士官は生存していたが、砲術
 長とその部下全員、新屋水雷長の部下全員などが戦死
 し、操舵装置も破壊された。新屋は艦後部の予備操舵
 装置を作動させようと混乱した艦内を進んだが、火災
 のため近づくことが不可能であった。暁は制御を失い
 漂流し、ついに右に傾き転覆沈没した。砲撃を受けて
 から15分ほど後のことであった。新屋は艦橋から海に飛
 び込み、朝には周りに30名から40名ほどの乗組員が生存
 していたが、アメリカ軍の上陸用船艇に救助され捕虜
 となったのは、僅かに18名であった。特III型としても、
 第六駆逐隊としても、最初の犠牲艦となった。
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SUMMARY:駆逐艦照月：起工日(1940)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261113T150000Z
UID:943487997689
DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度（マル4計画）の第105号
 艦[4]。1940年（昭和15年）11月13日、三菱重工業長崎造船
 所で起工[4]。1941年（昭和16年）10月25日に命名[2]、同日
 附で一等駆逐艦秋月型に類別される[5]。「照月」は真
 珠湾攻撃直前の11月21日に進水[4]。本艦は8月31日に竣工
 して佐世保鎮守府籍となる[12][4][13]。
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SUMMARY:駆逐艦夕立：戦没日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261113T150000Z
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DESCRIPTION:　1942年11月12日、第三次ソロモン海戦第一夜戦
 。混乱する状況下で夕立は敵発見を報告する[117][105]。
 続いて比叡の照射攻撃に米艦隊の注意が集まる間に距
 離を詰め、魚雷発射態勢に入った[118][119]。魚雷発射後
 、夕立は右に転舵したため、左に転舵した春雨を見失
 い、単艦で米艦隊へ突入していった[120][121][122]。\n　米
 艦隊の中央を突破して敵を混乱に陥れ大きな戦果を挙
 げた夕立だったが、00時26分前後に右前方から探照灯で
 照射され、続いて右舷と左舷の両方から砲撃を受け被
 弾する[126][122]。砲撃を受けた夕立は味方識別を行った
 が射撃はやまず、この「敵艦」に砲戦を企図したとこ
 ろに直撃弾複数を受け大破、吉川艦長以下幹部将校も
 負傷[128]。機関室に損傷を受け、操舵装置も故障[122]。
 サボ島165度9浬の地点で航行不能となった[124]。\n　11月1
 3日1時15分、第2駆逐隊の姉妹艦五月雨は夕立の救援を命
 じられて捜索を開始、1時55分前後に夕立を発見して接
 近していった[133][130]。五月雨から見た夕立は艦首を喪
 失し、火災が艦尾に広がりつつあったという[134]。2時26
 分、退去決定[135]。横付けして夕立の乗組員を移乗させ
 た五月雨は、夕立を雷撃処分のため2時44分に魚雷2本を
 発射、だが魚雷は艦底を通過し、2時53分に再度魚雷1本
 を発射すると砲撃処分を開始する[136]。戦闘詳報の報告
 とは裏腹に魚雷は命中していなかったが、夕立は傾斜
 を増した[137]。このあと五月雨は米重巡洋艦（ポートラ
 ンド）に捕捉された上に、日の出と共にアメリカ軍機
 の襲撃も予想された為、夕立の沈没を確認しないまま
 戦域を離脱した[138]。五月雨駆逐艦長に「まことにすま
 ないが、もう一度引き返して魚雷を撃って貰えないか
 」と頼む吉川艦長の姿も目撃された[139]。\n　結局、放
 棄された夕立は重巡洋艦ポートランド (USS Portland\, CA-33)
 の砲撃により、六斉射目に起きた艦後部の爆発によっ
 てアイアンボトム・サウンド（鉄底海峡）に沈没した[1
 40]。
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SUMMARY:駆逐艦沖波：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年11月13日に第38任務部隊の艦載機がマニ
 ラを空襲した。朝からの波状攻撃により軽巡「木曾」
 、駆逐艦複数隻（曙、初春、秋霜）などマニラ在泊中
 の艦船は次々と被害を受けた[141][142]。 「沖波」もマニ
 ラ湾にて攻撃を受けて損傷、火災が発生した[143][144][145
 ]。朝霜等の救援により陸岸に移動して消火に成功した
 が、浸水が進み着底した[145]。この時点で、「沖波」に
 残る乗組員は約30数名となった[145][146]。沈没していた
 夕雲型13番艦浜波が書類上第31駆逐隊に編入された[149]
 。第31駆逐隊4隻（長波、岸波、沖波、浜波）、のうち3
 隻（長波、沖波、浜波）は沈没もしくは大破着底状態
 のため書類上の存在に過ぎなかった[149]。\n　その後1945
 年（昭和20年）1月7日、「沖波」は爆破処理された[6]。 
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SUMMARY:駆逐艦初春：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261113T150000Z
UID:318302455780
DESCRIPTION:　1944年10月31日、第一水雷戦隊司令官木村昌福
 少将の指揮下、第二次多号作戦に警戒隊の駆逐艦6隻（
 霞《第一水雷戦隊旗艦》、沖波《牧野担艦長》、曙、
 潮、初霜、初春）として参加し、オルモックへの突入
 に成功した[82][83]。 \n　11月13日、マニラ湾に停泊中の
 艦艇は米空母機動部隊艦載機の空襲を受ける。本艦以
 下、軽巡「木曾」、駆逐艦4隻（初春、曙、沖波、秋霜
 ）等と共に沈没/大破着底した[93][94]。大熊（初春艦長
 ）によれば、至近弾で火災が発生し、また船体から燃
 料が漏洩[74]。大火災となって手がつけられなくなり、
 軍艦旗降下のあと総員退去となったという[74]。 その後
 、生存者の一部は陸上兵力として再配置された[95]。同
 日深夜、残存艦艇（霞、初霜、朝霜、潮、竹）はマニ
 ラを出港し、シンガポールへ向かった[96][97]。
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SUMMARY:駆逐艦曙：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261114T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年11月5日、マニラ湾一帯を米軍が空襲し
 、停泊中の「曙」は直撃弾2発を受けて炎上、航行不能
 となった。「曙」はキャヴィテ桟橋（北緯14度35分 東経
 120度55分座標: 北緯14度35分 東経120度55分）の第一〇三工
 作部の修理を受けるべく、キャビテ港第2桟橋に係留さ
 れた。この時、機関故障を起こした2ET型戦時標準船の
 第5蓬莱丸（蓬莱タンカー、834総トン）が同桟橋に回航
 されており、11月11日には第四次多号作戦に参加中に空
 襲を受け、艦首切断を起こしていた「秋霜」も同桟橋
 に回航され、岸壁から第5蓬莱丸、「曙」、「秋霜」の
 順番で係留されていた[6]。\n　11月13日午後、米航空母
 艦艦載機がマニラ湾を再び空襲する。第5蓬莱丸は船体
 後部に直撃弾を受けて同日中に大破着底。「曙」は直
 撃弾1発・至近弾10数発を受けて左舷に傾斜し、その外
 側にいた「秋霜」も一番砲塔前方と後部甲板に直撃弾3
 発を受け、弾薬庫が誘爆して炎上する。\n　「曙」は翌
 14日朝に艦橋部のみを海面上に露出させて着底し、「秋
 霜」も同じ14日朝に右舷を下にして転覆し、艦橋部が海
 底に埋まった状態で着底した[6]。乗員48人が戦死し、43
 人が負傷した[9]。
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SUMMARY:駆逐艦潮：竣工日(1931)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261114T150000Z
UID:169184182963
DESCRIPTION:　駆逐艦「潮」は浦賀船渠で建造[3]。1929年（
 昭和4年）12月24日に起工[3]。一等駆逐艦に類別された。
 1930年（昭和5年）11月17日に進水[3][4]。1931年（昭和6年）
 11月14日に竣工[3]。第7駆逐隊に編入。
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SUMMARY:駆逐艦白露：起工日(1933)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261114T150000Z
UID:900590059063
DESCRIPTION:「白露」は佐世保工廠で1933年（昭和8年）11月1
 4日に起工[6]。同年12月15日、初春型駆逐艦「有明、夕暮
 」は初春型から除かれ、『一等駆逐艦有明型』が登録
 された[7]。同日附で建造中の有明型3隻に対しそれぞれ
 「白露（シラツユ）」、「時雨（シグレ）」「村雨（
 ムラサメ）」の艦名が与えられる[1]。1934年（昭和9年）
 11月19日、有明型駆逐艦は登録を抹消されて「有明、夕
 暮」は初春型に戻り、あらたに白露型駆逐艦が新設、
 有明型3番艦だった「白露」は同型の1番艦（ネームシッ
 プ）となった[7]。1935年（昭和10年）4月5日に進水[6]。193
 6年（昭和11年）8月20日に竣工した[6]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦吹雪：除籍日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:205539079148
DESCRIPTION:　1942年11月15日、サボ島沖海戦で沈没した夏雲
 、叢雲と共に吹雪も除籍された[144][145]。
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SUMMARY:駆逐艦島風（初代）：竣工日(1920)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:585013221239
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1919年9月5日起工、1920
 年3月31日進水。同年11月15日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆
 逐隊に編入された。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦朧：除籍日(1942)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20261114T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:116841798674
DESCRIPTION:　1942年11月15日[84]、駆逐艦「朧」はサボ島沖
 海戦で沈没した駆逐艦3隻（吹雪、叢雲、夏雲）と共に
 除籍された[85]。またネームシップの「吹雪」喪失によ
 り同日附で『吹雪型駆逐艦』は『白雪型駆逐艦』と改
 定され、「朧」は白雪型駆逐艦より除籍された[86]。 
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦清波：起工日(1941)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:139481637761
DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第123号艦として浦
 賀船渠で建造。1941年11月15日起工。1942年（昭和17年）6
 月20日、夕雲型7番艦に『大波』、本艦に『清波』の艦
 名が与えられる[3]。同日附で2隻（大波、清波）は夕雲
 型駆逐艦に類別された[6]。 8月17日、進水[1]。 同年12月1
 日附で陽炎型駆逐艦17番艦「萩風」駆逐艦長畑野健二少
 佐は、本艦艤装員長に任命される[7]。12月3日、浦賀船
 渠に艤装員事務所を設置[8]。 \n　本艦は1943年（昭和18
 年）1月25日に竣工[11][2]。艤装員事務所を撤去[12]。正式
 に舞鶴鎮守府籍となり、警備駆逐艦に指定となる[13][14]
 。そのまま横須賀鎮守府部隊に編入された[15]。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦皐月：竣工日(1925)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:266804245775
DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1923年（大正12
 年）7月19日、藤永田造船所で建造予定の駆逐艦に「第
 二十七駆逐艦」の艦名が与えられる[5]。同日附で駆逐
 艦として登録される[6]。当初は大正14年2月末の竣工を
 目指していた[7]。1923年（大正12年）12月1日に起工した
 が[8]、これは1番艦から4番艦の起工日よりも早かった。
 1924年（大正13年）4月24日、艦名を「第二十七号駆逐艦
 」に改正[9]。1925年（大正14年）3月25日に進水、同年11月
 15日に竣工[10]。佐世保鎮守府に所属した。\n　1928年（
 昭和3年）8月1日附で「第二十七号駆逐艦」は「皐月」
 と改名された[1]。「皐月」に改名後、書類上の起工日
 は1924年（大正13年）12月1日に改められている[10]
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦叢雲：除籍日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:125910007981
DESCRIPTION:　1942年11月15日、サボ島沖海戦で沈没した駆逐
 艦4隻（吹雪、叢雲、夏雲、朧）の除籍が決定[150]。2隻
 （吹雪、叢雲）は第11駆逐隊からも除かれた[151]。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦吹雪：進水日(1927)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20261114T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:210964286764
DESCRIPTION:　第35号駆逐艦の艦名は、既に浦風型駆逐艦浦
 風で使われていた[6]。 吹雪は舞鶴工作部で1926年（大正
 15年）6月19日に起工[7]。6月25日、浦賀船渠で建造の駆逐
 艦に第三十三号駆逐艦(望月)[8]、本艦に「第三十五号駆
 逐艦」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に第四十号駆逐艦(東
 雲)の艦名が与えられる[9]。同日附で「第33号駆逐艦、
 第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[10]。
 \n　「第35号駆逐艦」は1927年（昭和2年）11月15日に進水
 、1928年（昭和3年）8月1日、「吹雪」と改称された[1]。
 改名から間もない8月10日に竣工[7]。 吹雪型初期姉妹艦
 （吹雪、白雪、初雪、深雪）と共に第11駆逐隊を編制し
 ていた。 
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦綾波：戦没日(1942)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20261114T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261115T150000Z
UID:121354072063
DESCRIPTION:　1942年11月14日から翌日にかけて行われた第三
 次ソロモン海戦の第二夜戦で「浦波」、「敷波」とと
 もに第2艦隊第3水雷戦隊に所属していた。「綾波」と航
 行していた「川内」は「浦波」隊支援のため分離、サ
 ボ島北側を通って「浦波」隊に合同すべく急速に「綾
 波」から離れていった。こうして「綾波」のみで当初
 の予定通りサボ島西側を哨戒航行することとなり、戦
 況が進む中、「綾波」は戦艦2隻駆逐艦4隻の米艦隊に対
 し単艦で突入する格好になってしまった。\n　単艦でめ
 ざましい戦果は挙げたものの、米駆逐艦の砲撃と戦艦
 「ワシントン」の副砲射撃による反撃で「綾波」は次
 々と命中弾を受け被害甚大となって漂流を始めた「綾
 波」。喫水線下への被弾はなかったため浸水はしなか
 ったものの上甲板の火災は既に消火不能となっており
 、魚雷の誘爆は時間の問題と見た艦長は総員退艦を下
 令。生存者は全員海へ飛び込み救助に駆けつけた浦波
 に収容された。\n　「浦波」に生存者全員が救助された
 後、23:46に遂に魚雷が誘爆。翌11月15日の00:06、2度目の
 大爆発をおこした後綾波は沈んでいったという。戦闘
 での戦死者は27名。浦波に収容された後に死亡した者も
 含めて戦死者は42名であった。生存者の一部はガダルカ
 ナル島へ渡った。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦夏雲：除籍日(1942)
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UID:726700914753
DESCRIPTION:　1942年11月15日、サボ島沖海戦で沈没した駆逐
 艦3隻（吹雪、叢雲、夏雲）と北方海域で沈没した「朧
 」の除籍が決定[134]。「夏雲」は第9駆逐隊[135]、朝潮型
 駆逐艦[136]から削除された。
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SUMMARY:駆逐艦電：竣工日(1932)
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UID:137793367282
DESCRIPTION:　駆逐艦「電」は藤永田造船所で1930年（昭和5
 年）3月7日起工[5]。姉妹艦「雷」も「電」と同日附の起
 工である[6]。同年3月15日、建造中の吹雪型駆逐艦4隻に
 対し、佐世保海軍工廠の1番艦に「暁(アカツキ)」、舞
 鶴要港工作部の2番艦に「響(ヒビキ)」、浦賀船渠株式
 会社の3番艦に「雷(イカヅチ)」、藤永田船渠の4番艦（
 本艦）に「電(イナヅマ)」の艦名が正式に与えられる[3]
 。「電」は1932年（昭和7年）2月25日に進水、同年11月15
 日に竣工した[5]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦大波：起工日(1941)
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DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第122号艦として藤
 永田造船所で建造。1941年11月15日起工。1942年（昭和17年
 ）6月20日、本艦に『大波』、夕雲型8番艦に『清波』の
 艦名が与えられた[1]。同日附で2隻（大波、清波）は夕
 雲型駆逐艦に類別された[5]。 8月13日進水。11月15日附で
 平山敏夫少佐は大波艤装員長ならびに吹雪型駆逐艦白
 雲艦長に任命される[6]。 12月20日附で平山艤装員長は免
 職[7]。後任として吉川潔中佐（夕立沈没時駆逐艦長）
 が本艦艤装員長に任命された[8]。 \n　本艦は12月29日に
 竣工（初月と同日）[9][10]。舞鶴鎮守府籍となる[11]。同
 日附で3隻（涼月、初月、大波）は警備駆逐艦に定めら
 れた[11][12]。本艦は呉鎮守府直率部隊に編入される[13]
 。
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SUMMARY:駆逐艦霰：進水日(1937)
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DESCRIPTION:　1936年（昭和11年）12月14日、海軍省は建造予
 定の水上機母艦2隻に千代田と瑞穂、朝潮型駆逐艦2隻に
 峯雲と霰の艦名を与える[1]。舞鶴海軍工廠で建造され
 た朝潮型は、2番艦大潮と霰のみである。霰は1937年（昭
 和12年）3月5日に起工[3]。同年11月16日に進水[3][4]。空母
 飛龍と同日附の進水である[4]。\n　1939年（昭和14年）3
 月1日、大原艤装員長は正式に霰初代駆逐艦長となる[7]
 。同日附で霰艤装員事務所を撤去[8]。霰は4月15日に竣
 工した[3]。
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SUMMARY:駆逐艦潮：進水日(1930)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261117T150000Z
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DESCRIPTION:　駆逐艦「潮」は浦賀船渠で建造[3]。1929年（
 昭和4年）12月24日に起工[3]。一等駆逐艦に類別された。
 1930年（昭和5年）11月17日に進水[3][4]。1931年（昭和6年）
 11月14日に竣工[3]。第7駆逐隊に編入。
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SUMMARY:駆逐艦朝霧：進水日(1929)
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DESCRIPTION:　佐世保海軍工廠で建造。1928年12月12日に起工
 、1929年11月18日に進水。1930年6月30日に竣工した。一等
 駆逐艦に類別された。1930年（昭和5年）12月1日、「天霧
 」と第8駆逐隊を編成し、第2水雷戦隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦霞：進水日(1937)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261118T150000Z
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DESCRIPTION:　 1936年（昭和11年）1月20日、日本海軍（海軍
 大臣大角岑生大将）は、浦賀船渠で建造予定の駆逐艦1
 隻を「朝雲（アサグモ）」と命名した[6]。 6月19日、日
 本海軍（海軍大臣永野修身大将）は「朝雲」を「霞」
 と改名した[2]。 10月22日、日本海軍は改めて神戸川崎造
 船所で建造する朝潮型5番艦を「朝雲」、藤永田造船所
 で建造予定の6番艦を「山雲」と命名している[7]。 「霞
 」は浦賀船渠で1936年（昭和11年）12月1日に起工[8]。 1937
 年（昭和12年）11月18日に進水[8][9]。\n　1939年（昭和14年
 ）4月15日、「霞」より遅れて建造が始まった同型艦「
 霰（アラレ）」が舞鶴海軍工廠で竣工（進水も霞より2
 日早い）[13]。6月下旬、霞艤装員事務所を撤去[14]。 「
 霞」は6月28日に竣工した[8]。
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SUMMARY:駆逐艦冬月：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年11月20日に除籍[131][132]。 1946年（昭和21
 年）2月25日、冬月は特別輸送艦に指定された[133]が復員
 輸送に従事せず工作設備を搭載して工作艦となり、掃
 海部隊の支援任務に就いた[129][134]。\n　1948年（昭和23
 年）5月1日から31日にかけて[131]、旧佐世保海軍工廠の
 佐世保船舶工業で一部を解体後、「冬月」の船体は涼
 月・柳（桃型駆逐艦）とともに福岡県北九州市若松区
 若松港の防波堤として利用された[135]。現地では軍艦防
 波堤と呼ばれたが、その後埋められた。現在は響灘臨
 海工業団地内の若松運河出口付近に、柳の船体の一部
 と案内板を見ることができる。一方、冬月・涼月の船
 体は完全に埋めたてられていて確認することはできな
 い。
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SUMMARY:駆逐艦菊月：竣工日(1926)
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UID:168209017215
DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1924年（大正13
 年）11月10日、舞鶴工作部で建造される予定の駆逐艦に
 「第三十一号駆逐艦」の艦名が与えられ[4]、同日附で
 「第28号駆逐艦（のちの水無月）、第29号駆逐艦（〃文
 月）、第30号駆逐艦（〃長月）、第31号駆逐艦（〃菊月
 ）」は一等駆逐艦に類別された[5]。本艦は1925年（大正1
 4年）6月15日に起工、1926年（大正15年）5月15日進水、同
 年11月20日に竣工した[6]。佐世保鎮守府に所属。 1928年
 （昭和3年）8月1日附で「第31号駆逐艦」は「菊月」と改
 名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦浜風：起工日(1939)
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦13番艦浜風は、仮称第29号艦と
 して浦賀船渠で1939年（昭和14年）11月20日起工された。
 浦賀船渠で建造された姉妹艦は浜風のほかに2番艦不知
 火、5番艦早潮、10番艦時津風、17番艦萩風、19番艦秋雲
 がある。1940年（昭和15年）11月15日附で命名[1]、同日に
 は戦艦武蔵も命名されている[3]。11月25日進水、1941年（
 昭和16年）6月30日に竣工、呉鎮守府籍に編入され[4]、同
 日附で第17駆逐隊に加わる[5][6]。
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SUMMARY:駆逐艦浦風：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年11月15日、第17駆逐隊・第41駆逐隊は第
 二水雷戦隊に編入される[95]。16日、矢矧と第17駆逐隊は
 戦艦3隻（金剛、長門、大和）を護衛してブルネイを出
 港、内地に向かう[96]。第17駆逐隊4隻（浦風、雪風、浜
 風、磯風）は金剛の左右に分れて航行し、駆逐隊司令
 艦浦風は雪風の前方を進んでいたという[97]。11月21日午
 前3時6分、艦隊は台湾海峡で米潜シーライオン(USS Sealion
 \, SS/SSP/ASSP/APSS/LPSS-315)の雷撃に遭った[98][99]。シーライ
 オンは先頭の戦艦（金剛）に対し艦首発射管から魚雷6
 本を発射、つづいて二番目の戦艦（長門）に対し艦尾
 発射管から魚雷3本を発射した[99]。この長門を狙って外
 れた魚雷が不運にも浦風に命中し、浦風は轟沈した[99][
 100]。
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SUMMARY:駆逐艦照月：進水日(1941)
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DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度（マル4計画）の第105号
 艦[4]。1940年（昭和15年）11月13日、三菱重工業長崎造船
 所で起工[4]。1941年（昭和16年）10月25日に命名[2]、同日
 附で一等駆逐艦秋月型に類別される[5]。「照月」は真
 珠湾攻撃直前の11月21日に進水[4]。本艦は8月31日に竣工
 して佐世保鎮守府籍となる[12][4][13]。
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SUMMARY:駆逐艦早潮：戦没日(1942)
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DESCRIPTION:　1942年11月23日21時00分、「早潮」以下輸送隊
 はラバウルを出港し、パプアニューギニアのラエへ向
 かった[8]。輸送部隊指揮官は第2駆逐隊司令官橘正雄大
 佐で、各駆逐隊から集められた駆逐艦5隻（春雨、白露
 、電、磯波、早霜）で編制されている[9]。\n　翌24日、
 ラエ東方でB-17爆撃機7機の攻撃を受ける。至近弾により
 浸水して左舷機械が使用不能となり、応急処置を実施
 した[10][11]。左舷機械復旧により28ノットを発揮してい
 たところ、19時25分に一番主砲と艦橋間に直撃弾を受け
 、大火災となる[12]。「春雨」が接舷を試みたが、誘爆
 の危険により果たせなかった[13]。弾薬や燃料に引火し
 て手の施し様がなくなり、金田艦長は20時25分に総員退
 去と軍艦旗降下を命じる[14]。脱出者は僚艦が派遣した
 装載艇に救助されていった[15]。その後「早潮」は「白
 露」の砲撃により魚雷が誘爆、23時5分に沈没した[16]。
 戦死者50名[17]。沈没地点南緯06度54分 東経147度55分[17]。
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SUMMARY:駆逐艦若月：進水日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261124T150000Z
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DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度計画（マル4計画）仮称1
 09号艦[5]。1942年（昭和17年）3月9日、三菱重工業長崎造
 船所で起工[5]。同年11月24日、進水[5]。 1943年5月31日、
 竣工[5]。同日附で横須賀鎮守府籍[10]。当初は舞鶴海軍
 工廠で昭和17年6月に起工し、1944年（昭和19年）5月に竣
 工というスケジュールが立てられていた[11]。
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SUMMARY:駆逐艦磯波：進水日(1927)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261124T150000Z
UID:100639795229
DESCRIPTION:　本艦は浦賀船渠で建造。一等駆逐艦に類別
 された。1926年10月18日起工、翌年1927年11月24日進水。1928
 年（昭和3年）8月1日、「第43号駆逐艦」を「磯波」と改
 名。同年6月30日に竣工した。同年12月1日、「浦波」「
 敷波」「綾波」と第19駆逐隊（第2艦隊第2水雷戦隊）を
 編成した。
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SUMMARY:駆逐艦楡（にれ）：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261125T150000Z
UID:442113742712
DESCRIPTION:　仮称4809号艦、橘型（改松型）駆逐艦2番艦と
 して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年8月14日起工、11
 月25日進水。1945年1月31日に竣工した。竣工後、訓練部
 隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に
 編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。4月25日付
 で第三十一戦隊（鶴岡信道少将・海兵43期）第五十二駆
 逐隊に編入された[2]。
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SUMMARY:駆逐艦大波：戦没日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261125T150000Z
UID:200227407771
DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）11月24日、第三水雷戦隊司
 令官伊集院松治少将の指揮下、第31駆逐隊司令香川清登
 大佐ひきいる日本軍駆逐艦部隊5隻は、輸送隊（指揮官
 山代勝守大佐：天霧、夕霧、卯月）、警戒隊（指揮官
 第31駆逐隊司令香川大佐：大波《司令駆逐艦》、巻波）
 という編制でブカ島への輸送作戦を実施する。\n　 11月
 24日、第二次輸送のためラバウルを出撃。その帰途の11
 月25日、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方
 海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊（英語
 版）（フレッチャー級駆逐艦5隻）にレーダーで捕捉さ
 れ、先制雷撃（魚雷15本発射）を受けた（セント・ジョ
 ージ岬沖海戦）[90]。魚雷が命中した「大波」は轟沈[91]
 、「巻波」も大波同様の運命を辿った[92]。
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SUMMARY:駆逐艦霜月：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261125T150000Z
UID:223322153401
DESCRIPTION:　11月4日、「霜月」は多号作戦支援部隊に編
 入される[84]。 第三十一戦隊は旗艦の長良型軽巡洋艦2
 番艦「五十鈴」と、駆逐艦6隻（秋月型《霜月》[85]、松
 型駆逐艦《桑、桐[86]、杉、桃、梅》）を以って、南方
 に進出する第四航空戦隊（司令官松田千秋少将）の航
 空戦艦2隻（日向、伊勢）を護衛することとなった[87][88
 ]。 11月8日、内地出発[85]。\n　11月25日未明、松型駆逐
 艦4番艦「桃」（第43駆逐隊）を伴って昭南を出撃し、
 ブルネイ湾に向かった[84][91]。ところが、4時45分に北緯
 02度21分 東経107度20分の地点に差し掛かったところでア
 メリカの潜水艦カヴァラ (USS Cavalla\, SS-244) の雷撃に遭
 った[92]。カヴァラは目標を那智型重巡洋艦と判断し浮
 上攻撃で魚雷を4本発射[93]、うち2本が命中し「霜月」
 は轟沈した[84]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦桜：竣工日(1944)
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UID:264592342283
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5496号として計画され、1944
 年（昭和19年）6月2日に横須賀海軍工廠で起工。8月25日
 に「桜」と命名され、9月6日に進水した。11月25日に竣
 工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍
 兵学校41期）に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦柳：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261125T150000Z
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5497号艦として藤永田造船
 所で建造された。1944年8月20日起工、同年11月25日に進水
 、1945年1月18日に竣工し、呉鎮守府籍となる。
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SUMMARY:駆逐艦巻波：戦没日(1943)
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UID:305516228783
DESCRIPTION:　 1943年（昭和18年）11月21日、第31駆逐隊司令
 を指揮官とする第一回輸送部隊（警戒隊《大波、巻波
 》、輸送隊《天霧、夕霧、卯月》）はラバウルを出撃[2
 29]。22日到着[230][228]。 第一次輸送は、妨害を受けるこ
 となく成功した[231][232]。\n　ラバウルに向けて航行中
 の11月25日午前0時[234]、ニューアイルランド島セント・
 ジョージ岬東方海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23
 駆逐部隊（フレッチャー級駆逐艦5隻）にレーダーで捕
 捉され、輸送隊に先行していた第31駆逐隊は先制魚雷攻
 撃を受けた（セント・ジョージ岬沖海戦）[237][238]。\n
 　 「巻波」は魚雷の命中により左側に20度傾斜[234]。や
 がて接近してきたアメリカ軍の駆逐艦コンヴァース (USS
  Converse\, DD-509) およびスペンス (USS Spence\, DD-512) からの
 砲雷撃を受けた。「巻波」が何とか発射した反撃の魚
 雷1本はコンバースに命中したが、爆発しなかった[244]
 。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された「巻波
 」は未明1時ごろに沈没していった[234]。駆逐艦長人見
 豊治中佐以下221名が戦死[233]。
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SUMMARY:駆逐艦浜風：進水日(1940)
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦13番艦浜風は、仮称第29号艦と
 して浦賀船渠で1939年（昭和14年）11月20日起工された。
 浦賀船渠で建造された姉妹艦は浜風のほかに2番艦不知
 火、5番艦早潮、10番艦時津風、17番艦萩風、19番艦秋雲
 がある。1940年（昭和15年）11月15日附で命名[1]、同日に
 は戦艦武蔵も命名されている[3]。11月25日進水、1941年（
 昭和16年）6月30日に竣工、呉鎮守府籍に編入され[4]、同
 日附で第17駆逐隊に加わる[5][6]。
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SUMMARY:駆逐艦磯風：起工日(1938)
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UID:283259691011
DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦磯風は仮称第28号艦として佐世
 保海軍工廠で建造がはじまった。1938年（昭和13年）11月
 25日起工[2]。1939年（昭和14年）5月1日に磯風（イソカゼ
 ）と命名[3]、同年6月19日進水[2]。11月30日に竣工[2]。呉
 鎮守府籍[4]。陽炎型駆逐艦全19隻のうち、8番艦雪風と12
 番艦磯風のみ佐世保工廠で建造された[5]。磯風は陽炎
 型浦風、谷風と共に1940年12月15日（11月15日内令第847号
 ）に編成された第17駆逐隊に所属[6]。1941年（昭和16年）
 6月30日に陽炎型13番艦浜風が竣工・編入される[7]。
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SUMMARY:駆逐艦夕霧：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　太平洋戦争では、南方進攻、ミッドウェー
 海戦、ソロモン諸島の諸作戦に参加。1943年（昭和18年
 ）5月16日、ムッソウ島沖で米潜水艦の雷撃を受け艦首
 部切断の損傷を受ける。同年8月から11月まで呉海軍工
 廠で修理を行った。\n　1943年11月25日、ブカ島輸送の帰
 途、セント・ジョージ岬沖で米駆逐艦部隊と交戦し、
 被弾のため戦没した（セント・ジョージ岬沖海戦）。
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SUMMARY:駆逐艦東雲：進水日(1927)
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DESCRIPTION:　1926年（大正15年）6月25日、浦賀船渠で建造
 の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦（望月）」[5]、舞鶴工
 廠の駆逐艦に「第三十五号駆逐艦（吹雪）」、佐世保
 海軍工廠の駆逐艦に「第四十号駆逐艦（東雲）」の艦
 名が与えらる[6]。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐
 艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[7]。8月12日、「
 第40号駆逐艦（東雲）」は佐世保工廠で起工[8]。1927年
 （昭和2年）11月26日に進水、1928年（昭和3年）7月25日に
 「第40号駆逐艦」として竣工[8]。同年8月1日附で「第40
 号駆逐艦」は「東雲」と改名される[1]。\n　竣工後、雲
 級四隻の第12駆逐隊（叢雲、東雲、薄雲、白雲）に編入
 。同年12月1日、同駆逐隊は第二艦隊・第二水雷戦隊に
 編入された。1931年（昭和6年）、「東雲」は第12駆逐隊
 から除籍され、「東雲、吹雪、磯波」の吹雪型3隻であ
 らたに第20駆逐隊を編制した。\n
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SUMMARY:駆逐艦早霜：戦没日(1944)
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UID:166605134631
DESCRIPTION:　1944年10月18日、捷一号作戦発動に伴って第二
 艦隊（栗田健男中将・海兵38期）はリンガ泊地から出動
 し、ブルネイ湾（英語版）で補給の後、10月22日に出撃
 した。早霜は第2駆逐隊司令白石長義（大佐、海兵49）
 が座乗していた。また清霜は第二部隊（指揮官鈴木義
 尾第三戦隊司令官）に編入され、不知火型野分と行動
 を共にした[39][40]。早霜はミンドロ島南方を航行中に第
 38任務部隊（マーク・ミッチャー中将）の艦載機の攻撃
 を受け、艦首部と艦中央部の命中弾によって艦首と二
 番煙突を吹き飛ばされ、沈没を防ぐためにアンティー
 ケ州セミララ島の浅瀬（北緯12度4分5.3秒 東経121度22分8.
 8秒座標: 北緯12度4分5.3秒 東経121度22分8.8秒）に擱座し
 た[51]。\n　10月27日、レイテ島への輸送作戦からの帰途
 に空襲で沈没した軽巡洋艦鬼怒の救援のために派遣さ
 れた駆逐艦不知火がセミララ島の西方海域で空襲を受
 けて沈没し、早霜はその光景を目撃することになった[5
 5][56]。藤波に続いて2度目の目撃である。11月1日、重巡
 洋艦那智の艦載機が擱座している早霜を発見して着水
 し、不知火と藤波の最期を聞きだした[55][57]。その後、
 早霜の船体は放棄された
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SUMMARY:駆逐艦柳：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年11月26日、松型駆逐艦籍から除籍された
 。
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SUMMARY:駆逐艦楢：竣工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261126T150000Z
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DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造された。1944年6月10日に
 起工、10月12日に進水、11月26日に竣工した。
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SUMMARY:駆逐艦朝霜：竣工日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第344号艦として
 藤永田造船所で建造、1943年（昭和18年）1月21日起工。5
 月25日、姉妹艦（沖波、岸波）や海防艦2隻（御蔵、平
 戸）、標的艦波勝等と共に命名された[1]。3隻（沖波、
 岸波、朝霜）は同日附で夕雲型駆逐艦に登録された[3]
 。その後7月18日進水。11月1日、日本海軍は駆逐艦如月
 ・朝霧・夕霧艦長等を歴任した前川二三郎少佐を、臨
 時朝霜艤装員長に任命した[4]。 11月2日、藤永田造船所
 に朝霜艤装員事務所を開設[5]。 \n　本艦は同年11月27日
 に竣工し[6]、朝霜艤装員事務所も撤去された[7]。同日
 附で正式に横須賀鎮守府籍
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SUMMARY:駆逐艦海風：進水日(1936)
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DESCRIPTION:　「海風」は舞鶴工廠で1935年（昭和10年）5月4
 日に起工[9]。第四艦隊事件のため一時工事を中止し、19
 36年（昭和11年）5月より工事を再開[2]。11月27日に進水[9
 ][10]。12月1日附で日本海軍は、睦月型駆逐艦11番艦「望
 月」駆逐艦長成富武光少佐を海風艤装員長に任命する[1
 1]。同日附で山田雄二中佐も江風艤装員長に任命されて
 いる[11]。 1937年（昭和12年）4月9日、若狭湾（宮津湾）
 で全力公試を実施、同時期には海上試運転中に冠島と
 衝突しかけている[12]。4月15日、成冨海風艤装員長は制
 式に海風初代艦長となり、艦幹部達も任命された[13]。 
 5月31日に竣工[9]。佐世保鎮守府所属。 \n　起工、進水
 、竣工ともいずれも「江風」の方が「海風」より早か
 った[14]。また、進水も白露型8番艦「山風」の方が早か
 った[15]。
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SUMMARY:駆逐艦萩：進水日(1944)
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DESCRIPTION:　仮称5517号艦、橘型（改松型）駆逐艦4番艦と
 して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年9月11日起工、11
 月27日進水。1945年3月3日に竣工した。竣工後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。「柿」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内
 海に回航される[2]。
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SUMMARY:駆逐艦夕月：起工日(1926)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。藤永田造船所
 で建造され1926年11月27日に起工、1927年3月4日に進水。192
 7年（昭和2年）7月25日に竣工、佐世保鎮守府に所属した
 。当初は「第三十四号駆逐艦」という艦名であり、一
 等駆逐艦に類別され、1928年（昭和3年）8月1日に「夕月
 」と改名された。
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SUMMARY:駆逐艦追風：進水日(1924)
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DESCRIPTION:　第十一駆逐艦（追風）は浦賀船渠で建造。 
 本艦は1923年（大正12年）3月16日、起工[6]。関東大震災
 を経て1924年（大正13年）11月27日に進水[6]。 1925年（大
 正14年）4月24日、第十一駆逐艦は第十一号駆逐艦と改称
 [10]。 10月30日、竣工[6]。竣工時の艦名は第十一号駆逐
 艦で、1928年（昭和3年）8月1日附で「追風」と改称した[
 2][11]。
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SUMMARY:駆逐艦天霧：起工日(1928)
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DESCRIPTION:　石川島造船所で1928年（昭和3年）11月28日に
 起工、1930年（昭和5年）2月27日進水、1930年（昭和5年）1
 1月10日竣工。
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SUMMARY:駆逐艦朧：起工日(1929)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261129T150000Z
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DESCRIPTION:　「朧」は佐世保海軍工廠で建造された[4]。19
 29年（昭和4年）11月29日に起工[4]。1930年（昭和5年）11月
 8日午前9時30分に進水[5]。 1931年（昭和6年）4月1日、日
 本海軍は伊藤皎少佐（前職、駆逐艦「松風」駆逐艦長
 ）を朧艤装員長に任命[6]。同日附で武田喜代吾少佐も
 潮艤装員長に任命されている[6]。 本艦は10月31日に就役
 [4]。同日附で柏木英中佐を司令とする第7駆逐隊も編制
 された[7]。
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SUMMARY:駆逐艦親潮：進水日(1938)
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DESCRIPTION:　「親潮」は舞鶴海軍工廠で1938年（昭和13年
 ）3月29日に起工[3]。 1938年（昭和13年）9月20日、日本海
 軍（米内光政海軍大臣）は舞鶴海軍工廠で建造の本艦
 を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦を『夏潮』、
 川崎造船所の陽炎型7番艦を『初風』と命名した[1][4]。 
 同日附で、各艦（親潮、夏潮、初風、伊号第十八潜水
 艦、伊号第二十潜水艦、伊号第二十二潜水艦等）は、
 それぞれ艦艇類別等級表に登録[5]。 同年11月29日、舞鶴
 海軍工廠で本艦は進水[3][6]。\n　1940年（昭和15年）5月1
 日、金国親潮艤装員長は、制式に親潮駆逐艦長（初代
 ）に任命された[13]。 5月10日、親潮艤装員事務所を撤去
 [14]。8月20日に竣工[3]。呉鎮守府所属。
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SUMMARY:駆逐艦浦波：進水日(1928)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261129T150000Z
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DESCRIPTION:　本艦は浦賀船渠で建造。計画当初の艦名は
 「第44号駆逐艦」。一等駆逐艦に類別された。1927年4月2
 8日に起工、翌年1928年11月29日進水。1928年（昭和3年）12
 月1日、「磯波」「敷波」「綾波」と第19駆逐隊（第2艦
 隊第2水雷戦隊）を編成した。1929年6月30日に竣工した。
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SUMMARY:駆逐艦椿：除籍日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261130T150000Z
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DESCRIPTION:　本艦は1945年11月30日に松型駆逐艦籍より除籍
 。
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SUMMARY:駆逐艦帆風：起工日(1920)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261130T150000Z
UID:201593201657
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1920年11月30日起工、192
 1年7月12日進水。1921年12月22日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。\n　1922年（大正11
 年）12月、同型艦「羽風」「秋風」「太刀風」とともに
 第4駆逐隊を編成し、第1水雷戦隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦暁：竣工日(1932)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261130T150000Z
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DESCRIPTION:　1928年（昭和3年）6月16日、日本海軍は今後建
 造予定の吹雪型駆逐艦4隻について暁、響、雷、電の艦
 名を内定する[6]。駆逐艦暁は1930年（昭和5年）2月17日、
 佐世保海軍工廠で起工[7][8]。同年3月15日、建造中の吹
 雪型4隻は正式に暁、響、雷、電と命名される[2]。 1932
 年（昭和7年）5月7日午前8時15分、暁は進水した[8][9]。 5
 月16日、日本海軍は高橋一松少佐を暁艤装員長[10]に任
 命した[注釈 2]。 5月19日、吹雪型姉妹艦2隻（狭霧、漣
 ）により第10駆逐隊（駆逐隊司令栗田健男中佐）が編制
 される[11]。栗田司令は司令駆逐艦を狭霧に指定した[12]
 。 8月20日附で高橋は暁初代艦長となり、幹部達もそれ
 ぞれ任命された[13]。 11月18日、暁艤装員事務所を撤去[1
 4]。\n　同年11月30日に竣工[8][注釈 3]。竣工と同時に第
 十駆逐隊に編入され、同隊は3隻（狭霧、漣、暁）とな
 った。 
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SUMMARY:駆逐艦楢：除籍日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261130T150000Z
UID:287775065519
DESCRIPTION:　1945年11月30日除籍。
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SUMMARY:駆逐艦椿：竣工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261130T150000Z
UID:316774590519
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5498号艦として舞鶴海軍工
 廠で建造された。1944年6月20日に起工、同年9月30日に進
 水、11月30日に竣工した。本籍は舞鶴鎮守府[1]。就役後
 、訓練部隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学
 校41期）に編入。瀬戸内海に回航され、訓練の後2月5日
 付で「桜」とともに第一海上護衛隊の指揮下に入る。
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SUMMARY:駆逐艦高波：戦没日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20261130T150000Z
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DESCRIPTION:　1942年11月頃、輸送船団によるガダルカナル
 島突入が失敗に終わると、ガダルカナル島の友軍2万数
 千名に対する糧食・弾薬の補給は緊急案件となった[49]
 。各種輸送手段を研究した連合艦隊は、ドラム缶を用
 いた鼠輸送に切り替える[49]。参加部隊は11月27日までに
 ショートランド泊地に集結した[49]。 11月29日夜22時45分
 、第二水雷戦隊はショートランドを出撃して北方から
 ガダルカナル島を目指した[57]。\n　しかし、翌11月30日
 朝に偵察のB-17 （戦史叢書ではB-25）に発見される[58][55]
 。サボ島沖に差し掛かった20時頃、「高波」は下令によ
 り単艦先行してアメリカ艦隊の攻撃に備える[55]。敵発
 見を報じた「高波」は21時20分頃から第67任務部隊の集
 中砲火を浴び、舵故障を起こしつつ人力操舵で操艦し
 た[62]。12.7㎝主砲で反撃しつつ酸素魚雷8本を発射した
 ものの、袋叩きの末航行不能となった[63][64]。\n　23時
 ごろ、戦場を離脱中の第15駆逐隊（親潮、黒潮）は田中
 司令官（長波）より高波救援命令を受けた[64][71]。反転
 した2隻は漂流する「高波」を発見、『短艇なし』の報
 告をうけて接舷救助を試みる[72]。「親潮」から見ると
 、「高波」の上部構造物は原型がなく、船体の各所か
 ら白煙がのぼり、沈没は時間の問題だった[65]。第67任
 務部隊の駆逐艦部隊が接近してきたため救援を中止し
 て避退した[64][74]。23時30分頃、清水司令の命令により
 「高波」は自沈の処置がとられる[75]。当時生存者約100
 名は退去を開始したが、沈没直前の23時37分に米艦隊が
 発射した魚雷が艦尾に命中[76]、続いて艦尾の爆雷およ
 び弾薬庫が爆発し、サボ島の南6海里の地点（アイアン
 ボトム・サウンド）で沈没した[64][75]。
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SUMMARY:駆逐艦磯風：竣工日(1939)
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦磯風は仮称第28号艦として佐世
 保海軍工廠で建造がはじまった。1938年（昭和13年）11月
 25日起工[2]。1939年（昭和14年）5月1日に磯風（イソカゼ
 ）と命名[3]、同年6月19日進水[2]。11月30日に竣工[2]。呉
 鎮守府籍[4]。陽炎型駆逐艦全19隻のうち、8番艦雪風と12
 番艦磯風のみ佐世保工廠で建造された[5]。磯風は陽炎
 型浦風、谷風と共に1940年12月15日（11月15日内令第847号
 ）に編成された第17駆逐隊に所属[6]。1941年（昭和16年）
 6月30日に陽炎型13番艦浜風が竣工・編入される[7]。
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SUMMARY:駆逐艦夕雲：除籍日(1943)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「夕雲」は1943年12月1日附で 夕雲型駆
 逐艦[93]、 第10駆逐隊[94]、 帝国駆逐艦籍[95]のそれぞれ
 から除籍された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦初梅：解体日(1961)
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DESCRIPTION:　「信陽」は艦の状態がよく、日本軍が残し
 た12センチ砲2基などで再武装して中華民国海軍海防第
 一艦隊に編入された[1]。国共内戦中の1949年（昭和24年
 ）4月22日に長江を脱出して台湾に到着[1]。「信陽」の
 修理の際には、状態が悪く早期に解体された同型艦「
 華陽」（「蔦」）の部品が流用された[2]。1955年（昭和3
 0年）には5インチ単装砲2基などアメリカ海軍制式の兵
 装に換装された[1]。\n　その後は、金門島を巡る小競り
 合いに際して哨戒などの任務に就いた[1]。「信陽」は19
 61年（昭和36年）12月1日に除籍され解体された[3]。
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SUMMARY:駆逐艦浦波：竣工日(1929)
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DESCRIPTION:　本艦は浦賀船渠で建造。計画当初の艦名は
 「第44号駆逐艦」。一等駆逐艦に類別された。1927年4月2
 8日に起工、翌年1928年11月29日進水。1928年（昭和3年）12
 月1日、「磯波」「敷波」「綾波」と第19駆逐隊（第2艦
 隊第2水雷戦隊）を編成した。1929年6月30日に竣工した。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦皐月：起工日(1923)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1923年（大正12
 年）7月19日、藤永田造船所で建造予定の駆逐艦に「第
 二十七駆逐艦」の艦名が与えられる[5]。同日附で駆逐
 艦として登録される[6]。当初は大正14年2月末の竣工を
 目指していた[7]。1923年（大正12年）12月1日に起工した
 が[8]、これは1番艦から4番艦の起工日よりも早かった。
 1924年（大正13年）4月24日、艦名を「第二十七号駆逐艦
 」に改正[9]。1925年（大正14年）3月25日に進水、同年11月
 15日に竣工[10]。佐世保鎮守府に所属した。\n　1928年（
 昭和3年）8月1日附で「第二十七号駆逐艦」は「皐月」
 と改名された[1]。「皐月」に改名後、書類上の起工日
 は1924年（大正13年）12月1日に改められている[10]
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SUMMARY:駆逐艦霞：起工日(1936)
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DESCRIPTION:　 1936年（昭和11年）1月20日、日本海軍（海軍
 大臣大角岑生大将）は、浦賀船渠で建造予定の駆逐艦1
 隻を「朝雲（アサグモ）」と命名した[6]。 6月19日、日
 本海軍（海軍大臣永野修身大将）は「朝雲」を「霞」
 と改名した[2]。 10月22日、日本海軍は改めて神戸川崎造
 船所で建造する朝潮型5番艦を「朝雲」、藤永田造船所
 で建造予定の6番艦を「山雲」と命名している[7]。 「霞
 」は浦賀船渠で1936年（昭和11年）12月1日に起工[8]。 1937
 年（昭和12年）11月18日に進水[8][9]。\n　1939年（昭和14年
 ）4月15日、「霞」より遅れて建造が始まった同型艦「
 霰（アラレ）」が舞鶴海軍工廠で竣工（進水も霞より2
 日早い）[13]。6月下旬、霞艤装員事務所を撤去[14]。 「
 霞」は6月28日に竣工した[8]。
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SUMMARY:駆逐艦夏月：進水日(1944)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）の戦時急造計画（マル急
 計画）仮称第364号艦[3]。佐世保海軍工廠で1944年（昭和1
 9年）5月1日に起工[3]。同年12月2日に進水[3]。1945年（昭
 和20年）4月8日に竣工[3][4]。呉鎮守府籍となった[5]。当
 初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線
 表改訂により佐世保での建造に変更された[5]。また、
 当初は昭和20年3月末の竣工予定だったが、機銃の入手
 遅延により竣工期日が遅れた[6]。
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SUMMARY:駆逐艦松風：起工日(1922)
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DESCRIPTION:　第七駆逐艦（松風）は1922年（大正11年）12月
 2日に起工[11]。 1923年（大正12年）10月30日、進水[11]。 19
 24年（大正13年）4月1日、初代「松風」は除籍[6]。数日
 後の4月5日、第七駆逐艦（松風）は竣工[11]。竣工直後
 の4月24日に、第七駆逐艦は第七号駆逐艦に改名[2][4]。
 さらに1928年（昭和3年）8月1日附で第七号駆逐艦は「松
 風」と改名された[2][1]。
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SUMMARY:駆逐艦初風：起工日(1937)
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦全19隻のうち、神戸川崎造船所
 で建造されたのは初風1隻である[3]。 1937年（昭和12年）
 12月3日起工[4]。1938年（昭和13年）9月20日、初風は姉妹
 艦2隻（親潮、夏潮）と共に命名された[1]。 1939年（昭
 和14年）1月24日進水[4]。同年11月15日附で高橋亀四郎中
 佐（吹雪型駆逐艦曙駆逐艦長）は初風の艤装員長に任
 命された[5]。11月20日、初風艤装員事務所を設置[6]。1940
 年2月15日に竣工した[4][10]。
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SUMMARY:駆逐艦桑：戦没日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年11月30日午前[29]、第七次多号作戦が発
 令され、松型駆逐艦2隻（桑、竹）、第9号輸送艦、第140
 号輸送艦、第159号輸送艦と第三梯団を構成してマニラ
 を出撃した[30][31]。\n　12月2日夜、船団はオルモック湾
 に到着して揚陸を開始した[31]。大発が輸送艦と陸上を
 往復して物資を揚陸させている頃、南方の哨戒を開始
 した[35]。しかし、その南方からは第120駆逐群がオルモ
 ック湾に入りつつあり、ザーム大佐は日本側の雷撃を
 警戒して、艦を横に広がらせた横陣の隊形で湾内に入
 っていった[36]。オルモック湾に入った第120駆逐群は11\,
 000メートル先の目標を狙い、まずクーパーが砲撃を開
 始した[36]。「桑」は第120駆逐群のオルモック湾侵入を
 確認するや、発光信号で敵艦発見を「竹」に知らせた[3
 7][31]。最初の交戦はおよそ9分で決着がつき[38]、一方的
 に叩きのめされて沈没していった。
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SUMMARY:駆逐艦夕霧：竣工日(1930)
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DESCRIPTION:　舞鶴工作部で建造。1929年4月1日に起工、1930
 年5月12日に進水。同年12月3日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別された。竣工と同時に第8駆逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦岸波：竣工日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第343号艦として
 浦賀船渠で建造。1942年8月29日起工、1943年8月19日進水。
 1943年（昭和18年）12月3日に竣工して一等駆逐艦に類別
 され、舞鶴鎮守府籍となる。
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