BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦照月:戦没日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251212T150000Z UID:126537549808 DESCRIPTION: 第三次ソロモン海戦により輸送船団が壊滅 状態になると、帝国海軍は駆逐艦にドラム缶を搭載し てガダルカナル島へおくりとどける強行輸送作戦(鼠 輸送)、通称『ドラム缶輸送』を実施する[61]。\n 1942 年12月11日、魚雷艇母艦に率いられた米軍魚雷艇(PTボー ト)は、すでにガダルカナル島北岸に展開していた[82]。 魚雷艇3隻(PT37、PT40、PT48)が日本艦隊を襲撃[82]。 23時 ごろ、アメリカ軍魚雷艇によると思われる魚雷2本[82]が 「照月」の左舷後部に命中し(魚雷艇を発見できない ままに被雷)[83][84][85]。舵と左舷主機が使用不能、航 行不能となり重油や弾薬に引火して大火災となった[71][ 86]。この状況下、別の魚雷艇2隻(PT44、PT110)も戦場に 到着した[82]。\n 被雷から約30分後、足を負傷した田中 少将および第二水雷戦隊司令部は、駆逐艦「長波」( 第31駆逐隊)に移った[87][88]。 第4駆逐隊司令有賀幸作 大佐(海兵45期、のち戦艦大和艦長)が指揮する「嵐」 が照月艦首部に接舷し、乗員救助と消火作業にあたっ た[71][89]。「照月」は絶望と判断した折田(照月艦長) は機関長にキングストン弁を開いて自沈を命じ、実行 された[90]。米軍魚雷艇の再襲撃や離脱距離を考慮した ため、自沈を決定したともされる[91][92]。 12月12日午前1 時15分、総員退去[93]。自沈処理完了[94]。\n 放棄され た「照月」は12月12日午前2時40分に沈没した[95][96]。沈 没位置はサボ島の210度6.7海里地点[71]。南緯09度13分 東 経159度46分[97][98]。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR