BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:2025(令和7)年度 立教大学日本文学会大会のご 案内 (2025年7月5日(土)13時30分~16時30分、立教大学 池袋キャンパス14号館4階 D401教室) DTSTART;VALUE=DATE:20250704 DTEND;VALUE=DATE:20250705 UID:209558260739 DESCRIPTION:研究会情報です。●公式サイトはこちらhttp://r ikkyonichibun.blog96.fc2.com/blog-entry-315.html--------------------※詳 細は上記サイトをご確認ください。2025(令和7)年度  立教大学日本文学会大会のご案内■日時:2025年7月5日 (土)13時30分~16時30分■場所:立教大学池袋キャンパ ス14号館4階 D401教室【研究発表】(発表要旨を下に掲 載しております。)計量的手法を用いた単語間の類似 点・相違点の分析大下 由乃(本学大学院博士前期課 程)混沌とする「やさしい日本語」の現状及びその学 術的可能性――「やさしさ」とは何か――村上 穂( 本学大学院博士前期課程)植民地女性表象から問い直 す田村泰次郎の〈肉体〉と〈思想〉田中 美咲子(本 学大学院博士後期課程)織田作之助「十五夜物語」に おける諷刺/批評への挑戦濱下 知里(本学大学院博 士後期課程)■聴講歓迎いたします。大会参加費は無 料です。■当日は大会に引き続き、会員総会および懇 親会を予定しております。【旧江戸川乱歩邸特別開館 のお知らせ】 大会の開催にあたり、5月にリニューア ルされた旧江戸川乱歩邸が特別に開館されます。ぜひ おいでください。 開館時間:10:30-17:00 事前申し込み 不要、無料【発表要旨】計量的手法を用いた単語間の 類似点・相違点の分析大下 由乃(本学大学院博士前 期課程) 本発表は、語種間の類義語の使い分けを研 究する一環として、日本語の学術研究において広く用 いられてきた『分類語彙表 増補改訂版』(以下『分 類語彙表』、国立国語研究所2004)での分類をもとに、 語同士の関係性を計量的な観点から検証するものであ る。発表者はこれまで、『分類語彙表』で類義語とし てまとめられた語群について、「集会」の類義語を例 に、辞書記述の比較や、大規模日本語コーパスによる 用例の分析、計量的な手法によりその類似点や相違点 を検討してきた。しかし、これらはある意味領域を示 す特定の語群でのみ検討したものであり、他の意味領 域・語群に調査を拡大しても手法が通用するのかにつ いては調査が進んでいない。語の使用場面が異なる場 合、類義語の分類基準を再検討するために、他の項目 の追加も検討する必要がある。 そこで本発表では、 『分類語彙表』において、「集会」の類義語の意味記 述の分析を元に、異なる語群について、辞書記述の比 較・コーパスによる用例検索と出典情報の比較・テキ スト分析ソフトKH Coderを用いた計量的分析を行い、類義 語としてくくられる語群の中での類似点や相違点を明 らかにすることで、類義語を語群として捉えるのでは なく、単語同士の関係を見るための手掛かりとしたい 。混沌とする「やさしい日本語」の現状及びその学術 的可能性――「やさしさ」とは何か――村上 穂(本 学大学院博士前期課程) 日本語学の分野で佐藤和之 や庵功雄によって提唱されてきた「やさしい日本語」 は、近年自治体による外国人向けの防災ブックなどに 活用されており、その蓄積は少なくない。しかし「や さしい日本語」の定義は不明確であり、大まかな指針 の下で多様な「やさしい日本語」が展開されている。 特にインターネット上では「やさしい日本語」で書か れた文章が氾濫しているが、語彙や語法の側面から単 純な傾向は見出しがたい。このような現状の背景とし て、「やさしい日本語」という一つの概念に対してい くつかの解釈があると推測される。例えば、庵功雄は 「やさしい日本語」を日本語教育の初期段階に位置付 けているが、佐藤和之の提唱した災害対策としての「 やさしい日本語」が日本語教育の初期段階に値するも のかと言えば必ずしもそうではない。 そこで本発表 では、「やさしい日本語」の名の下に行われているも のについて、少なくとも「日本語教育の基礎となるも の」と「日本語教育とは直接的な関わりを持たないも の」という2つの側面があるという仮説を立て、佐藤・ 庵らの取り組み、自治体の取り組み、ネット上に見ら れる取り組み、そしてNHKのやさしい日本語ニュースの 具体的な取り組みについて取り上げ、「やさしい日本 語」に関する言説の整理を行い、その多義性について 語句語法の在り方や日本語教育との関わりの有無から 明らかにする。植民地女性表象から問い直す田村泰次 郎の〈肉体〉と〈思想〉田中 美咲子(本学大学院博 士後期課程) 敗戦後、田村泰次郎は自らの従軍を通 した戦争体験から、〈思想〉への不信と、経験する〈 肉体〉の重視を表明した。同時に創作において戦地や 敗戦日本での性が描写され、田村は「肉体文学」の旗 手として目されることになった。 すでに指摘されて きたように、そのようななかで〈肉体〉が過度に前景 化したことは田村文学にとっての不幸でもあった。近 年ではその戦争文学としての側面に注目することによ って、従来の〈肉体〉イメージを越えた田村文学の再 検討が進んでいる。 田村の〈肉体〉重視は、決して 〈思想〉否定でも、肉体を唯一とするものでもない。 田村が問うたのは〈思想〉の性質であり、その上で人 間が植民地主義や戦闘行為への疑問を抱き、それを否 定するための契機としての〈肉体〉観を提示したので ある。本発表では、「肉体の悪魔」「春婦伝」を始め とした植民地での女性と日本兵の接触を描いた作品を 、同時期の田村の本人言説との関連のなかで改めて分 析する。そのことによって田村の言う「肉体が思想だ 」というタームにおいて〈肉体〉イメージが前景化す ることによって後景化されるその〈思想〉面との接続 を再考するものである。 それにより、「戦争反対論 者」を自認した田村の〈肉体〉文学の意義を問い直す 。織田作之助「十五夜物語」における諷刺/批評への 挑戦濱下 知里(本学大学院博士後期課程) 織田作 之助「十五夜物語」は、1945年9月5~19日まで『産業経済 新聞』に連載された。先行言説において、「十五夜物 語」は諷刺的な作品と評されている。その諷刺性は、 本作が『ドン・キホーテ』をモチーフのひとつとして いる点、直前に連載されていた吉川英治「太閤記」や 同じく吉川の「宮本武蔵」への意識が散見される点な どに見出されてきた。 加えて、同時代的な問題に接 続していく意識は、語り手が前景化する作品構造に対 しても指摘されている。本作の語り手は、自身が夢想 判官源ノ豹助を主人公とした「小説」を書いているこ とを繰り返し主張する。これによって、語り手が、語 りの現在である1945年という地点から夢想判官の言動へ 批評を加えることが可能となっている。 しかし、こ ういった本作の語りの形式は、同時代社会への諷刺を 行うためだけに試みられているのではない。「十五夜 物語」は、「風変り」な人物と称され続けた夢想判官 が「天下の豪傑」として山賊退治を成し遂げるという 物語を仮構する営為そのものを問題化したテクストで あり、着目すべきは、ここで語り出された物語内容が むしろその語りの批評性を無化し得てしまうというこ とではないか。 本発表では、以上の問いを起点に、 本作がこのような手法を用いることによって何を語ろ うとしているのかを明らかにする。このことを通して 、「十五夜物語」が諷刺や批評という行為を逆照射し 、その本質を考究した作品であることを示す。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR