BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦若葉:進水日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260317T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260318T150000Z UID:661534728787 DESCRIPTION: 駆逐艦「若葉」(第61駆逐艦)は佐世保工廠 で1931年(昭和6年)12月12日に起工した[6][7]。初春型2番 艦「子日」(12月15日起工)より3日はやい起工だった[8] 。 1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に「初 春」、同型2番艦に「子日」、同型3番艦(本艦)に「若 葉」の艦名が与えられる[1][9]。建造途中で同型艦「初 春」の復元性能不良が判明し、改善工事を施すことに なる。このため進水は浦賀船渠で建造中の初春型4番艦 「初霜」(昭和8年1月31日起工)より約4ヶ月遅れた[12] 。 1934年(昭和9年)3月18日に進水[6][13]。 \n 6月5日、 佐世保海軍工廠に艤装員事務所を設置[15]。 10月10日、 則満艤装員長は制式に若葉駆逐艦長(初代)となる[16] 。 10月31日に竣工[6]。同日附で若葉艤装員事務所も撤去 [17]。「初霜」(9月27日竣工)より約1ヶ月遅れての竣工 だった[12]。「若葉」は第21駆逐隊(司令坂野民部大佐 )に編入され、同隊は定数4隻(初春、子日、初霜、若 葉)を揃える。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雪:起工日(1927) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260318T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260319T150000Z UID:341996076325 DESCRIPTION: 駆逐艦白雪は横浜船渠で建造された[5]。1927 年(昭和2年)3月19日に起工[5]。4月26日、建造予定の一 等駆逐艦4隻に、それぞれ第36号駆逐艦(のちの白雪) 、第38号(〃深雪)、第39号(〃叢雲)、第44号(〃浦 波)の艦名が与えられた[6]。第36号駆逐艦の艦名は浦風 型駆逐艦江風(第36号駆逐艦)に使われた事がある[7][8] 。 \n 本艦は1928年(昭和3年)3月20日に進水[5]。同年8 月1日、第36号駆逐艦を白雪と改名した[1]。12月18日に竣 工した[5]。竣工後、第2艦隊第2水雷戦隊・第11駆逐隊に 編入。呉鎮守府所属。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雪:進水日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260319T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260320T150000Z UID:520867750502 DESCRIPTION: 駆逐艦白雪は横浜船渠で建造された[5]。1927 年(昭和2年)3月19日に起工[5]。4月26日、建造予定の一 等駆逐艦4隻に、それぞれ第36号駆逐艦(のちの白雪) 、第38号(〃深雪)、第39号(〃叢雲)、第44号(〃浦 波)の艦名が与えられた[6]。第36号駆逐艦の艦名は浦風 型駆逐艦江風(第36号駆逐艦)に使われた事がある[7][8] 。 \n 本艦は1928年(昭和3年)3月20日に進水[5]。同年8 月1日、第36号駆逐艦を白雪と改名した[1]。12月18日に竣 工した[5]。竣工後、第2艦隊第2水雷戦隊・第11駆逐隊に 編入。呉鎮守府所属。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦峯雲:起工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260321T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260322T150000Z UID:108112125038 DESCRIPTION: 1936年(昭和11年)12月14日、日本海軍は建造 予定の水上機母艦2隻・駆逐艦2隻に、水上機母艦「千代 田」と「瑞穂」、朝潮型駆逐艦「峯雲」と「霰」の艦 名を与えた[1]。 藤永田造船所で建造された朝潮型は、 本艦のほかに3番艦「満潮」[5]、6番艦「山雲」[6]の計3 隻である。 駆逐艦「峯雲」は1937年(昭和12年)3月22日 に起工、同年11月4日に進水[7][8]。翌日には神戸川崎造 船所で姉妹艦「朝雲」も進水した[8]。\n 1938年(昭和13 年)1月20日、朝潮型2番艦「大潮」駆逐艦長山代勝守中 佐は峯雲艤装員長を命じられる[9]。 1月27日、藤永田造 船所に峯雲艤装員事務所を設置[10]。本艦は4月30日に竣 工[7]。峯雲艤装員事務所は撤去され[11]、山代中佐も本 艦初代駆逐艦長となった[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦水無月:竣工日(1927) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260321T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260322T150000Z UID:594169882256 DESCRIPTION: 1925年(大正14年)3月24日、第二十八号駆逐 艦(水無月)は浦賀船渠で起工[9]。 1926年(大正15年)5 月25日、進水[9][17]。 12月1日、日本海軍は第27号駆逐艦 《皐月》、第29号駆逐艦《文月》で第二水雷戦隊(旗艦 「夕張」)麾下に第22駆逐隊を編成[18][19]。第22駆逐隊 司令は池田武義大佐[20]。 同日附で古賀七三郎中佐(当 時、第九号《旗風》駆逐艦長)は第二十八号駆逐艦艤 装員長に補職[20]。 12月3日、浦賀船渠の第二十八号駆逐 艦艤装員事務所は事務を開始する[21]。\n 1927年(昭和2 年)3月22日、竣工[9]。1928年(昭和3年)8月1日附で第二 十八号駆逐艦は「水無月」と改名[1][25]。また各艦の改 名(命名)と同時に、第十九号型駆逐艦は睦月型駆逐 艦に改訂された[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦望月:起工日(1926) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260322T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260323T150000Z UID:336243671156 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。1925年(大正15 年)6月25日、浦賀船渠で建造予定の駆逐艦に「第三十 三号駆逐艦」の艦名が与えられた[3]。なお同日附で「 第35号駆逐艦(吹雪)」、「第40号駆逐艦(東雲)」も命名さ れている[4]。3隻とも一等駆逐艦に類別[5]。「第33号駆 逐艦」は1926年3月23日に起工、1927年(昭和2年)4月28日 に進水。10月31日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。1928 年(昭和3年)8月1日に「第33号駆逐艦」は「望月」と改 名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦疾風:進水日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260322T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260323T150000Z UID:208701425246 DESCRIPTION: 1922年11月11日、第十三駆逐艦(疾風)は石川 島造船所で起工[15][2]。 1924年4月24日、「第十三駆逐艦 」の艦名は「第十三号駆逐艦」に改正[17][18]。 12月1日 、旧「疾風」は駆逐艦籍より除籍[5][19]。翌年7月、廃船 処分となり「廃駆逐艦5号」と改称後、呉海軍工廠でし ばらく保管されていた[20][21]。\n1925年(大正14年)3月23 日午後4時、第13号駆逐艦(疾風)は進水[22][15]。1925年 (大正14年)12月21日、第13号駆逐艦(疾風)は竣工した [15][2]。\n 1928年(昭和3年)8月1日附で「第十三号駆逐 艦」は「疾風」と改名[8][28]。これに伴い、第一号型駆 逐艦は神風型駆逐艦と改名される[29]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦水無月:起工日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260323T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z UID:265716802993 DESCRIPTION: 1925年(大正14年)3月24日、第二十八号駆逐 艦(水無月)は浦賀船渠で起工[9]。 1926年(大正15年)5 月25日、進水[9][17]。 12月1日、日本海軍は第27号駆逐艦 《皐月》、第29号駆逐艦《文月》で第二水雷戦隊(旗艦 「夕張」)麾下に第22駆逐隊を編成[18][19]。第22駆逐隊 司令は池田武義大佐[20]。 同日附で古賀七三郎中佐(当 時、第九号《旗風》駆逐艦長)は第二十八号駆逐艦艤 装員長に補職[20]。 12月3日、浦賀船渠の第二十八号駆逐 艦艤装員事務所は事務を開始する[21]。\n 1927年(昭和2 年)3月22日、竣工[9]。1928年(昭和3年)8月1日附で第二 十八号駆逐艦は「水無月」と改名[1][25]。また各艦の改 名(命名)と同時に、第十九号型駆逐艦は睦月型駆逐 艦に改訂された[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雪風:進水日(1939) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260323T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z UID:184982745781 DESCRIPTION: 雪風は陽炎型8番艦(マル3計画の仮称艦名第 24号艦)として佐世保工廠で建造された。1938年(昭和13 年)8月2日に起工[3]。1939年(昭和14年)1月24日、雪風( ユキカゼ)と命名された[1]。佐世保海軍工廠で建造さ れた陽炎型駆逐艦は、雪風と陽炎型12番艦磯風のみであ る[4][5]。3月24日に進水[3]。1940年(昭和15年)1月20日に 竣工した[6][3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦霰:起工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260325T150000Z UID:965424825783 DESCRIPTION: 1936年(昭和11年)12月14日、海軍省は建造予 定の水上機母艦2隻に千代田と瑞穂、朝潮型駆逐艦2隻に 峯雲と霰の艦名を与える[1]。舞鶴海軍工廠で建造され た朝潮型は、2番艦大潮と霰のみである。霰は1937年(昭 和12年)3月5日に起工[3]。同年11月16日に進水[3][4]。空母 飛龍と同日附の進水である[4]。\n 1939年(昭和14年)3 月1日、大原艤装員長は正式に霰初代駆逐艦長となる[7] 。同日附で霰艤装員事務所を撤去[8]。霰は4月15日に竣 工した[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桃:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260325T150000Z UID:318356523192 DESCRIPTION: 1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画丁型(一等) 駆逐艦第5484号艦として舞鶴海軍工廠で建造[4]。本艦は1 943年(昭和18年)11月5日起工[6][7]。1944年(昭和19年)1 月25日、『桃」と命名[2]。同日附で3隻(竹、梅、桃) は松型駆逐艦に類別[3]。 3月25日、舞鶴海軍工廠で松型1 番艦「松」や秋月型駆逐艦8番艦「冬月」の艤装が急が れる中[8]、「桃」は進水する[9]。\n 6月10日[16]、本艦 は竣工する(槇の進水と同日)[17][18]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦睦月:竣工日(1926) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260325T150000Z UID:741834955967 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日、 舞鶴工作部で建造予定の駆逐艦に第十九駆逐艦の艦名 が与えられた[4]。同日附で「第十九駆逐艦」、第二十 一駆逐艦、第二十三駆逐艦、第二十五駆逐艦、第二十 七駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。1924年(大正13 年)4月24日、艦名に「号」の字が加えられ艦名を第十 九号駆逐艦に改正した[6]。\n 第19号駆逐艦(睦月)は佐 世保海軍工廠で1924年5月21日に起工、1925年(大正14年)7 月23日進水、1926年(大正15年)3月25日に竣工し[7]、佐世 保鎮守府に所属する。その後1928年(昭和3年)8月1日附 で第19号駆逐艦は睦月へと改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦有明:竣工日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260325T150000Z UID:269511377449 DESCRIPTION: 本艦は神戸川崎造船所で1933年(昭和8年)1 月14日に起工[11]。建造初期の段階で初春型1番艦「初春 」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦 と姉妹艦「夕暮」は有明型駆逐艦(改初春型)とも呼 ばれる[12][4]。 同年12月15日、2隻(有明、夕暮)は初春 型よりのぞかれ『有明型駆逐艦』が新設、「有明」「 夕暮」「白露」「時雨」「村雨」「夕立」「春雨」ま でが有明型に類別された(夕立、春雨は翌年10月、有明 型に類別)[4][13]。 本艦は1934年(昭和9年)9月23日進水[ 11][14]。\n 1934年(昭和9年)11月1日、神風型駆逐艦7番 艦「疾風」駆逐艦長天野重隆少佐は有明艤装員長に任 命される[16]。5日、艤装員事務所設置[17]。 1935年(昭和 10年)3月25日に竣工した[11]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦皐月:進水日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260324T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260325T150000Z UID:260409008130 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。1923年(大正12 年)7月19日、藤永田造船所で建造予定の駆逐艦に「第 二十七駆逐艦」の艦名が与えられる[5]。同日附で駆逐 艦として登録される[6]。当初は大正14年2月末の竣工を 目指していた[7]。1923年(大正12年)12月1日に起工した が[8]、これは1番艦から4番艦の起工日よりも早かった。 1924年(大正13年)4月24日、艦名を「第二十七号駆逐艦 」に改正[9]。1925年(大正14年)3月25日に進水、同年11月 15日に竣工[10]。佐世保鎮守府に所属した。\n 1928年( 昭和3年)8月1日附で「第二十七号駆逐艦」は「皐月」 と改名された[1]。「皐月」に改名後、書類上の起工日 は1924年(大正13年)12月1日に改められている[10] LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦菫:竣工日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260325T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260326T150000Z UID:828358212414 DESCRIPTION: 仮称5520号艦、橘型(改松型)駆逐艦6番艦と して横須賀海軍工廠で建造された。1944年10月21日起工、 12月17日進水。1945年3月26日に竣工した。竣工後、訓練部 隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に 編入。二番高角砲に不具合があって修理の後[2]、瀬戸 内海に向かう。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦涼波:起工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260326T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260327T150000Z UID:171465990011 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第126号艦として浦 賀船渠で建造。1942年3月27日起工、1943年(昭和18年)2月 5日、命名[2]。同日附で他の潜水艦や海防艦と共に艦艇 類別等級表に類別される[3][4][5]。3月12日進水。\n 6月25 日、浦賀船渠に設置された涼波艤装員事務所において 事務を開始[6]。 日本海軍は7月1日附で、高雄型重巡洋 艦2番艦「愛宕」水雷長[7]、白露型駆逐艦10番艦「涼風 」艦長[7][8]、白露型5番艦「春雨」艦長[9]等を歴任した 神山昌雄中佐(海軍兵学校51期)[10]を、涼波艤装員長 に任命する[11]。 7月27日、竣工[12][13]。舞鶴鎮守府籍と なる[14][15]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦狭霧:起工日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260327T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260328T150000Z UID:315449335837 DESCRIPTION: 1928年(昭和3年)11月23日、神奈川県横須賀 市の浦賀船渠で建造予定の吹雪型駆逐艦に「狭霧(さ ぎり)」の艦名が与えられる[1]。1929年(昭和4年)3月28 日起工、同年12月23日進水[5]。翌日には姉妹艦「潮」が 起工されている[6]。「狭霧」は1931年(昭和6年)1月31日 に竣工した[5]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦風雲:竣工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260327T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260328T150000Z UID:327162526031 DESCRIPTION: 風雲は1939年度(マル4計画)仮称第118号艦と して浦賀船渠での建造が決定、1940年(昭和15年)12月23 日起工(藤永田造船所の2番艦巻雲と同日起工)[3]。1941 年(昭和16年)9月10日附で風雲(カザグモ)と命名[1]、 同日附で夕雲型駆逐艦に登録[4]。9月26日進水[3]。\n 194 2年(昭和17年)1月20日、吉田正義中佐は本艦艤装員長 に任命される[5]。翌日、浦賀船渠に艤装員事務所を設 置[6]。 3月16日、浦賀船渠で夕雲型6番艦高波が進水する [7]。 27日、性能調査終了[8]。 3月28日に竣工[7][9]。艤装 員事務所を撤去[10]。横須賀鎮守府籍[11]。吉田も正式に 風雲駆逐艦長(初代)となった[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦竹:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260327T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260328T150000Z UID:217849499809 DESCRIPTION: 横須賀海軍工廠で建造[4]。1943年(昭和18年 )10月15日、起工。 1944年(昭和19年)1月25日「竹」と命 名される[2]。同日附で駆逐艦一等松型に類別[5]。 3月28 日、進水し、本籍を横須賀鎮守府に定められる[6]。 6月 16日、竣工[4]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦親潮:起工日(1938) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260328T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260329T150000Z UID:274418059526 DESCRIPTION: 「親潮」は舞鶴海軍工廠で1938年(昭和13年 )3月29日に起工[3]。 1938年(昭和13年)9月20日、日本海 軍(米内光政海軍大臣)は舞鶴海軍工廠で建造の本艦 を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦を『夏潮』、 川崎造船所の陽炎型7番艦を『初風』と命名した[1][4]。 同日附で、各艦(親潮、夏潮、初風、伊号第十八潜水 艦、伊号第二十潜水艦、伊号第二十二潜水艦等)は、 それぞれ艦艇類別等級表に登録[5]。 同年11月29日、舞鶴 海軍工廠で本艦は進水[3][6]。\n 1940年(昭和15年)5月1 日、金国親潮艤装員長は、制式に親潮駆逐艦長(初代 )に任命された[13]。 5月10日、親潮艤装員事務所を撤去 [14]。8月20日に竣工[3]。呉鎮守府所属。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕暮:竣工日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260329T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z UID:233130573572 DESCRIPTION: 「夕暮」は1933年(昭和8年)4月9日に舞鶴工 作部で起工[5]。1934年(昭和9年)5月6日に進水[5]。建造 初期の段階で初春型1番艦「初春」の復元性能不良が判 明し、設計を改めたため、本艦と姉妹艦「有明」は有 明型駆逐艦(改初春型)とも呼ばれる[6]。\n 一等駆逐 艦初春型「夕暮」は1935年(昭和10年)3月30日に竣工し た[5]。4月1日附で姉妹艦「有明」と共に第9駆逐隊を編 制、初代駆逐隊司令は伊崎俊二中佐となる[9]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初雪:竣工日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260329T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z UID:273623621155 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、「第三十七号駆 逐艦」と命名[5]。同日附で一等駆逐艦に類別される[6] 。 「第37号駆逐艦」は1927年(昭和2年)4月12日に舞鶴工 作部で起工[7]。1928年(昭和3年)8月1日附で、「第37号 駆逐艦」は「初雪」と改名される[1]。\n 1928年9月29日 に進水、1929年(昭和4年)3月30日に竣工[7]。呉鎮守府所 属。第二艦隊・第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入。吹雪 型初期姉妹艦(吹雪、白雪、初雪、深雪)と共に第11駆 逐隊を編制していた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦清霜:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260227T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z UID:683160212614 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第347号艦として 計画され、浦賀船渠の第517番船[1]として建造される。19 43年(昭和18年)3月16日に起工、8月30日、清霜と命名さ れた[3]。同日附で夕雲型18番艦「秋霜」等も命名[3]。2 隻(秋霜、清霜)は駆逐艦一等夕雲型に分類される[4] 。 \n 1944年(昭和19年)2月29日進水。3月4日、浦賀船渠 に清霜艤装員事務所を設置[5]。 3月5日附で、日本海軍 は吹雪型駆逐艦曙水雷長[6]、睦月型駆逐艦11番艦望月艦 長、峯風型駆逐艦11番艦太刀風艦長[7][8]等を歴任した宮 崎勇少佐を清霜艤装員長に任命する[9]。 5月16日竣工[1] 。宮崎艤装員長も正式に清霜駆逐艦長(初代)となっ た[10]。海軍に引き渡されて[11]横須賀鎮守府籍となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦舞風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:554825851352 DESCRIPTION: 1944年3月31日、本艦はトラック空襲で沈んだ 各艦(阿賀野、那珂、香取、太刀風、追風、文月)等 と共に帝国艦艇籍から除籍された[109]。 また不知火型 駆逐艦から除籍[110]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦霜月:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:328305652624 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度(マル急計画)仮称第36 0号艦[7]。三菱重工業長崎造船所で1942年(昭和17年)7月 6日に起工[7]。1943年(昭和18年)4月7日、進水[7]。\n 7 月5日、1943年(昭和18年)1月18日の雷撃で大破して艦首 切断状の秋月型1番艦「秋月」が長崎に入港してきた[11] 。同艦の修理を実施するにあたり、当初は1944年(昭和1 9年)1月末に修理が終わるスケジュールが立てられてい たが[12]、復旧工事を急ぐため「霜月」の75番フレーム (船首楼最後部)[13]より前を切断し、「秋月」と結合 させた[12]。その甲斐あって、「秋月」は10月31日に修理 が終わり、早期に戦列に復帰した[12]。この工事の影響 により、本艦の艦首はもう一度作り直されている。\n  1944年(昭和19年) 3月31日、竣工[7]。本籍を横須賀鎮守 府と定められる[18]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榎:竣工日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:199573843926 DESCRIPTION: 仮称4812号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年10月14日起工、1945年1 月27日進水。同年3月31日に竣工した。竣工後、訓練部隊 の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編 入。4月8日に瀬戸内海西部に回航し訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦太刀風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:762183951011 DESCRIPTION: 1944年3月31日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆 逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦海風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:355511079691 DESCRIPTION: 1944年3月31日、海風は白露型[256]、 帝国駆逐 艦籍[257]から除籍された。 また本艦の沈没により第24駆 逐隊に所属した白露型/海風型4隻(海風、江風、山風、 涼風)は全隻沈没、第24駆逐隊は第16駆逐隊と共に同日 附で解隊された[258]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦新月:竣工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:113167605543 DESCRIPTION: 1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称1 08号艦[8][9]。太平洋戦争開戦日の1941年(昭和16年)12月8 日、三菱重工業長崎造船所で起工[9]。1942年(昭和17年 )5月15日、『新月』の艦名が与えられた[3]。同日附で 秋月型駆逐艦として登録[11]。6月29日に進水した[8][9]。\ n 1943年2月23日、長崎海軍監督官事務所に艤装員事務所 を設置する[17]。 それから間もない3月31日、「新月」は 竣工した[7][18]。同日附で新月艤装員事務所を撤去[19]。 金田艤装員長も制式に新月駆逐艦長(初代)となった[2 0]。同日附で横須賀鎮守府籍となる[21]。第一艦隊附属[2 2]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野風:竣工日(1922) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:280730149168 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1921年4月16日起工、同 年10月1日進水。1922年3月31日竣工した。一等駆逐艦に類 別され、横須賀鎮守府籍に編入される。竣工と同時に 同型艦の波風、沼風、神風型駆逐艦 (2代)第一駆逐艦( 神風)とともに第1駆逐隊を編成し、千島、北海道方面 の交通保護に当った。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝雲:竣工日(1938) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:277504720946 DESCRIPTION: 神戸川崎造船所で建造予定の駆逐艦「朝雲 」は、1936年(昭和11年)10月22日に命名[1]。同日附で姉 妹艦「山雲」、工作艦「明石」も命名されている[1]。 同年12月23日に起工、1937年(昭和12年)11月5日進水、1938 年(昭和13年)3月31日に竣工[3]。同時に第41駆逐隊に編 入された。同年12月15日、第三予備艦となり横須賀海軍 工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機 調事件)。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦島風(初代):進水日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:387667251526 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1919年9月5日起工、1920 年3月31日進水。同年11月15日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆 逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦太刀風:進水日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:956623534783 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1920年8月18日起工、1921 年3月31日進水。同年12月5日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦響:竣工日(1933) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:279987074499 DESCRIPTION: 舞鶴工作部で1930年2月21日起工され、1932年6 月16日進水、1933年3月31日竣工し[5]、第六駆逐隊に編入 された。1934年11月から「雷」、「電」と共に第六駆逐 隊を編成し[注釈 1]、1940年11月、第一艦隊第一水雷戦隊 に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦追風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:196560947697 DESCRIPTION: 1944年3月31日、「追風」は神風型駆逐艦[32]、 帝国駆逐艦籍[33]から除籍。\n 1985年(昭和60年)2月28 日にトラック北水道南東約10km、バラ島北西約4kmの水深7 3mの海底に正立状態で横たわる「追風」の船体が確認さ れた。船体は船体中央で分断され、艦首側が艦尾側の 近くで約140°艦尾側を向いた状態で沈んでいる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦峯風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:549690359333 DESCRIPTION: 1944年3月31日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆 逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雲:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:134535383179 DESCRIPTION: 1944年3月31日、トラック島空襲で沈没した艦 船と共に「白雲」の除籍が決定した[104]。初雪型駆逐艦 からも削除された[105]。 同日附で第9駆逐隊は解隊され 、「薄雲、霞、不知火」は新たに編制された第18駆逐隊 に所属することになった[106]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦文月:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:136237158865 DESCRIPTION: 駆逐艦「文月」は1944年3月31日附で 卯月型駆 逐艦[70]、 第22駆逐隊[71]、 帝国駆逐艦籍[72] のそれぞれ から除籍された。\n 現在、「文月」は月曜島(ウドッ ト島)の北、水深37mの海底に沈んでいる。一番煙突と 艦橋は倒壊してしまっており、艦橋部分で船体が分断 され、艦首側は左舷方向に傾き、艦尾側は正立してい る。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦萩風:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260330T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z UID:280087873948 DESCRIPTION: マル4計画、仮称第113号艦として浦賀船渠で1 939年(昭和14年)5月23日起工[3]。同造船所では、萩風の ほかに5隻の陽炎型(不知火、早潮、時津風、浜風、秋 雲)を建造した。 1940年(昭和15年)2月23日、仮称第113 号艦は「萩風」(ハギカゼ)と命名された[1]。同日附 で姉妹艦嵐や敷設艦津軽等も命名されている[1]。萩風 は同年6月18日に進水し[3]、1941年(昭和16年)3月31日竣 工[3]。横須賀鎮守府籍。 同日附で萩風は陽炎型16番艦 嵐と共に、新たに編制されたばかりの第4駆逐隊に所属 することになった[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦峯雲:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:225718594626 DESCRIPTION: 1943年4月1日、ビスマルク海海戦で沈没した 「時津風、白雪、朝潮、荒潮」と共に「峯雲、村雨」 の除籍が決定[147]。 第9駆逐隊[148]、 帝国駆逐艦籍[147] のそれぞれから削除された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦時津風:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:858674692376 DESCRIPTION: 1943年4月1日、ビスマルク海海戦で沈没した 僚艦や、3月5日ビラ・スタンモーア夜戦で沈没した駆逐 艦村雨、峯雲と共に時津風の除籍が決定された。 時津 風は陽炎型駆逐艦[93]、 第16駆逐隊[94]、 帝国駆逐艦籍[9 5]、 のそれぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋風:竣工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:139030217454 DESCRIPTION: 「秋風」は1919年(大正8年)5月24日、峯風型 姉妹艦や樅型駆逐艦と共に命名された[2]。同日附で一 等駆逐艦に類別[3]。三菱長崎造船所で建造。1920年6月7 日起工、同年12月14日進水。1921年4月1日に竣工した。竣 工後、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦村雨:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:438709230642 DESCRIPTION: 1943年4月1日、ビスマルク海海戦で沈没した 時津風達と共に村雨の除籍が決定した。第2駆逐隊[141] 、 白露型、帝国駆逐艦籍[142] のそれぞれから削除され た。なお、村雨の喪失により第2駆逐隊の残存艦は五月 雨と春雨(大破長期修理中)となっており、7月1日附で 解隊[143]。のちに、2隻は白露型2隻編制となっていた第2 7駆逐隊(時雨、白露)に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕霧:起工日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:277520625199 DESCRIPTION: 舞鶴工作部で建造。1929年4月1日に起工、1930 年5月12日に進水。同年12月3日に竣工した。一等駆逐艦 に類別された。竣工と同時に第8駆逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦荒潮:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:445789803360 DESCRIPTION: 1943年駆逐艦「荒潮」は4月1日附で帝国駆逐 艦籍から除籍された[154]。 「満潮」1隻だけとなった第8 駆逐隊は解隊[155]。さらにネームシップを喪失した朝潮 型駆逐艦は『満潮型駆逐艦』と改定され、3隻(朝潮、 荒潮、大潮)は満潮型駆逐艦からも除籍された[156]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雪:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260331T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260401T150000Z UID:119987023730 DESCRIPTION: 1943年4月1日、白雪型は初雪型駆逐艦に改名 された[89]。 白雪は第11駆逐隊[90]、 帝国駆逐艦籍[91] の それぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初月:進水日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260402T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260403T150000Z UID:836501972120 DESCRIPTION: 本艦は1941年(昭和16年)7月25日、舞鶴海軍 工廠で起工[6]。 1942年(昭和17年)3月1日、足摺型給油 艦「足摺」等と共に命名[3]、同日附で一等駆逐艦秋月 型に類別された[10]。4月3日に進水[11][12]。 12月29日に竣 工した[20][6]。 2隻(涼月、初月)は横須賀鎮守府部隊 に編入される[23]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白露:進水日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260404T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260405T150000Z UID:827498612353 DESCRIPTION:「白露」は佐世保工廠で1933年(昭和8年)11月1 4日に起工[6]。同年12月15日、初春型駆逐艦「有明、夕暮 」は初春型から除かれ、『一等駆逐艦有明型』が登録 された[7]。同日附で建造中の有明型3隻に対しそれぞれ 「白露(シラツユ)」、「時雨(シグレ)」「村雨( ムラサメ)」の艦名が与えられる[1]。1934年(昭和9年) 11月19日、有明型駆逐艦は登録を抹消されて「有明、夕 暮」は初春型に戻り、あらたに白露型駆逐艦が新設、 有明型3番艦だった「白露」は同型の1番艦(ネームシッ プ)となった[7]。1935年(昭和10年)4月5日に進水[6]。193 6年(昭和11年)8月20日に竣工した[6]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦松風:竣工日(1924) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260404T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260405T150000Z UID:901003679533 DESCRIPTION: 第七駆逐艦(松風)は1922年(大正11年)12月 2日に起工[11]。 1923年(大正12年)10月30日、進水[11]。 19 24年(大正13年)4月1日、初代「松風」は除籍[6]。数日 後の4月5日、第七駆逐艦(松風)は竣工[11]。竣工直後 の4月24日に、第七駆逐艦は第七号駆逐艦に改名[2][4]。 さらに1928年(昭和3年)8月1日附で第七号駆逐艦は「松 風」と改名された[2][1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦長波:起工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260404T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260405T150000Z UID:474762123670 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第119号艦として藤 永田造船所で建造、1941年4月5日起工、1942年(昭和17年 )3月5日進水、同年6月30日に竣工して一等駆逐艦に類別 され、横須賀鎮守府籍となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦霜月:進水日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260406T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260407T150000Z UID:130797858223 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度(マル急計画)仮称第36 0号艦[7]。三菱重工業長崎造船所で1942年(昭和17年)7月 6日に起工[7]。1943年(昭和18年)4月7日、進水[7]。\n 7 月5日、1943年(昭和18年)1月18日の雷撃で大破して艦首 切断状の秋月型1番艦「秋月」が長崎に入港してきた[11] 。同艦の修理を実施するにあたり、当初は1944年(昭和1 9年)1月末に修理が終わるスケジュールが立てられてい たが[12]、復旧工事を急ぐため「霜月」の75番フレーム (船首楼最後部)[13]より前を切断し、「秋月」と結合 させた[12]。その甲斐あって、「秋月」は10月31日に修理 が終わり、早期に戦列に復帰した[12]。この工事の影響 により、本艦の艦首はもう一度作り直されている。\n  1944年(昭和19年) 3月31日、竣工[7]。本籍を横須賀鎮守 府と定められる[18]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦霞:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260406T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260407T150000Z UID:313775918813 DESCRIPTION: 1945年4月上旬、第二水雷戦隊司令官古村啓蔵 少将指揮下の9隻(軽巡矢矧《二水戦旗艦》、第17駆逐 隊《磯風、雪風、浜風》、第21駆逐隊《朝霜、霞、初霜 》、第41駆逐隊《冬月、涼月》)は戦艦「大和」(第二 艦隊司令長官伊藤整一中将)を護衛して天一号作戦に 参加する。4月7日の対空戦闘前、「朝霜」(第21駆逐隊 司令駆逐艦)が機関故障で落伍すると、「霞」は輪形 陣右側に位置する[275]。米軍機動部隊艦載機との交戦開 始後、13時27分に被弾[276]。直撃弾と至近弾により機関 部に浸水、航行不能となる[275]。\n 「大和」および「 矢矧」沈没後の16時以降、「冬月」は「霞」に接舷[277] 。霞乗組員を収容したのち、「霞」は「冬月」の雷撃 により沈没した[278]。沈没時刻16時57分[275]。17名が戦死 、43名が負傷、沈没地点北緯30度51分 東経127度57分[279]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦浜風:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260406T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260407T150000Z UID:382227596971 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)3月26日に天一号作戦が発 動されると、浜風は戦艦大和や第二水雷戦隊各艦と共 に呉を出航し[62]、宇部沖で待機した。4月6日、徳山沖 に待機していた大和と合流し[63]、15時16分に出航した。 \n 4月7日、大和および第二水雷戦隊(旗艦矢矧、第17 駆逐隊《磯風、浜風、雪風》、第21駆逐隊《朝霜、霞、 初霜》、第41駆逐隊《冬月、涼月》)は坊ノ岬沖海戦に 参加した。第一次空襲の最中にあたる12時45分、浜風の 船体後部に爆弾が命中し航行不能となり[64]、その後魚 雷が浜風の右舷船体中央部に命中し[65]、浜風は前後に 分断されて12時48分に沈没した[66]。100名が戦死、艦長以 下256名が救助された[67]。(北緯30度47分 東経128度08分) 。浜風の轟沈は海戦に参加した多くの海戦参加将兵に 目撃され、彼らの手記で取り上げられている。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝霜:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260406T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260407T150000Z UID:141615661071 DESCRIPTION: 1945年4月6日15時30分、第21駆逐隊(朝霜、初 霜、霞)は沖縄水上特攻作戦(天一号作戦)に第一航 空戦隊(戦艦大和、第二艦隊旗艦)、第二水雷戦隊旗 艦矢矧(司令官古村啓蔵少将)、第17駆逐隊(磯風、雪 風、浜風)、第41駆逐隊(冬月、涼月)とともに徳山を 出撃した。しかし、翌4月7日早朝、第二艦隊が巡航速力 22ノットで航行中[2]、「朝霜」は機関故障を起こして速 力12ノットしか出なくなり落伍した[125][126]。朝霜側は 呉工廠における減速機の修理が原因と判断していた[42] 。だが、第二水雷戦隊司令部は機関故障の原因をクラ ッチ故障にあったと推定している[127]。\n「朝霜」では 応急修理(予定五時間)を実施したが復旧せず[128]、正 午過ぎに『我敵機ト交戦中』『90度方向に敵機30数機を 探知す』との無電を発した後、連絡が途絶えた[129]。単 艦戦闘であった上、生存者がいない為に各艦が砲煙ら しきものを確認しただけで、その最期は明らかではな い[130]。\n アメリカ側の記録では、空母バンカー・ヒ ル (USS Bunker Hill\, CV-9) のSB2C ヘルダイバー10機が大和の 攻撃に向かう途中、「北の駆逐艦(朝霜)をやれ」と の命令を受けて奄美大島近海を北上して「朝霜」を発 見[132]、「朝霜」は左方向に逃げ続けたものの、至近弾 数発を受けさらに爆弾3発(煙突の間、二番煙突後方、 艦尾部)が命中した[133]。艦後部(3番主砲付近)に爆 発が起きたあと後部に傾斜[134]。だがアメリカ軍機は雲 により、それ以上の観測を妨げられた[134]。「朝霜」は 消息不明となり、駆逐隊司令小滝大佐以下乗員326名全 員が戦死認定された[132][2][135]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦磯風:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260406T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260407T150000Z UID:202206565415 DESCRIPTION: 1945年4月6日、磯風は第二艦隊旗艦大和を護 衛し徳山を出港、夜間には陣形訓練と大和を目標とし た襲撃訓練を行う[203]。翌7日、坊ノ岬沖海戦に参戦す る。空襲序盤、17駆僚艦浜風が轟沈した。その後、航行 不能となった第二水雷戦隊旗艦矢矧から『第二水雷戦 隊司令官(古村啓蔵少将)移乗のため横付けせよ』と の命令があり、空襲のタイミングを見計らって矢矧に 接近した[204][205]。矢矧に横付けし、舫索を結ぶ[206]。 直後、アメリカ軍機の襲撃を受けた。磯風は速度を落 としていたため完全に回避できず、13時56分、右舷後部 への至近弾により機械室に浸水、さらに機銃掃射で多 数の死傷者を出した[207]。15時25分には速力12ノットで北 方退避中を報告したものの[208]、浸水が進み、乗員の修 理も成功せず、やがて航行不能となった磯風は漂流し た[209]。\n 19時25分には雪風による曳航準備(速力9ノ ット予定)が進められていたが、潜水艦の襲撃や翌日 のアメリカ軍艦載機による空襲を懸念する古村少将は 再度雪風による磯風の処分を命じた[211]。こうして磯風 乗組員は「雪風」に移動[212]。第17駆逐隊司令艦も雪風 に変更された[213]。大和沈没から8時間の22時30分、雪風 が雷撃で磯風を処分しようとしたが魚雷は艦底を通過 、最終的に砲撃処分となり22時40分、搭載魚雷の誘爆に より磯風は沈没した[214]。戦死20名、負傷者54名[215]。生 存者326名[216]。沈没位置(北緯30度46分05秒 東経128度09分 02秒)[217]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夏月:竣工日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260407T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260408T150000Z UID:353385408323 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)の戦時急造計画(マル急 計画)仮称第364号艦[3]。佐世保海軍工廠で1944年(昭和1 9年)5月1日に起工[3]。同年12月2日に進水[3]。1945年(昭 和20年)4月8日に竣工[3][4]。呉鎮守府籍となった[5]。当 初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線 表改訂により佐世保での建造に変更された[5]。また、 当初は昭和20年3月末の竣工予定だったが、機銃の入手 遅延により竣工期日が遅れた[6]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦磯波:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260408T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z UID:198985290922 DESCRIPTION: 太平洋戦争では、南方進攻、ミッドウェー 海戦、ソロモン諸島・ニューギニアの諸作戦に参加。 その後、南方で海上護衛、哨戒活動に従事した。1943年 (昭和18年)4月9日、船団護衛中、セレベス南東でアメ リカの潜水艦トートグ (USS Tautog\, SS-199)の雷撃で戦没し た。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野分:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260408T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z UID:301959414320 DESCRIPTION: 駆逐艦野分は陽炎型駆逐艦のマル3計画での 最終艦(15隻目。陽炎型は次のマル4計画でも4隻建造さ れ計19隻)、仮称第31号艦として舞鶴工廠で建造開始。1 939年(昭和14年)11月8日起工[3]。1940年(昭和15年)8月30 日に「野分(ノワキ)」と命名される[1]。同日附で陽 炎型14番艦谷風や練習巡洋艦香椎、測量艦筑紫等も命名 されている[1]。野分は9月17日に進水[3]。なお登録上は 野分が陽炎型15番艦で16番艦は嵐だが[2]、起工・進水・ 竣工のいずれも野分より嵐の方が早い[4]。 11月15日、日 本海軍は駆逐艦有明・叢雲・東雲艦長等を歴任した古 閑孫太郎中佐を野分艤装員長に任命する[5]。同時期、 野分艤装員事務所を設置[6]。\n 1941年(昭和16年)4月9 日、古閑野分艤装員長は制式に野分初代駆逐艦長とな った[7]。同日附で野分艤装員事務所を撤去[8]。4月28日 、野分は竣工された[3][9]。横須賀鎮守府籍。同日附で 第4駆逐隊に編入された[10]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕暮:起工日(1933) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260408T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z UID:265614176883 DESCRIPTION: 「夕暮」は1933年(昭和8年)4月9日に舞鶴工 作部で起工[5]。1934年(昭和9年)5月6日に進水[5]。建造 初期の段階で初春型1番艦「初春」の復元性能不良が判 明し、設計を改めたため、本艦と姉妹艦「有明」は有 明型駆逐艦(改初春型)とも呼ばれる[6]。\n 一等駆逐 艦初春型「夕暮」は1935年(昭和10年)3月30日に竣工し た[5]。4月1日附で姉妹艦「有明」と共に第9駆逐隊を編 制、初代駆逐隊司令は伊崎俊二中佐となる[9]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦天津風:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z UID:167635200883 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)3月17日、第一南遣艦隊の 命令により南号作戦の一環として、『ヒ88J船団』(輸 送船7隻、護衛艦7隻)に加わっての本国帰投が決定する [101][注 2]。4月6日午前11時30分、アモイ沖にてく第498中 隊(1機喪失)の反跳爆撃により500ポンド爆弾3発が船体 後部に命中、主砲は全て破壊され、無線機・機関・舵 は故障、火災が発生して左舷に傾斜した[113]。4月6日の 戦闘で天津風は合計18機のB-25と交戦、計3機を撃墜し2機 に損傷を与えた[114]。天津風は一時は弾薬庫付近の火災 により危機に陥るが、浸水により鎮火に成功、人力操 舵により速力6ノット発揮可能となり、アモイまで自力 航行した[115]。\n 6日午後7時30分、天津風はアモイ湾内 で機関停止したが機雷源通過後に推進機関損傷により 機関再始動に失敗(潤滑油に海水が混ざったため)[116] 、また錨鎖もなく潮流に流されて午後8時20分浅瀬に座 礁した[117]。廈門特別根拠地隊の協力を得て物資・武装 を揚陸、乗組員は退去した[122]。4月8日、天津風の乗組 員の退去が完了[121]。\n 4月10日、軍艦旗降下の後、歴 戦の天津風は爆雷の自爆により爆破処分された[123]。生 存者は161名、戦死者39名(便乗者3名含む)[123]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦浦風:進水日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z UID:648743382366 DESCRIPTION: 陽炎型駆逐艦11番艦浦風は仮称第27号艦とし て藤永田造船所で建造がはじまった。同社では浦風以 外に3番艦黒潮、6番艦夏潮、14番艦谷風、18番艦舞風の 陽炎型駆逐艦を建造した。1939年(昭和14年)4月11日起 工[5]。11月6日、「浦風(ウラカゼ)」と命名される[1] 。1940年(昭和15年)4月10日進水[5]。同年12月15日、陽炎 型10番艦時津風と同じ日に竣工した[5][6]。呉鎮守府に所 属[7]。同日附で12番艦磯風と共に第17駆逐隊が編制され た[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榧:起工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z UID:916812579898 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年4月10日起 工、7月30日に進水、9月30日に竣工した。就役後、訓練 部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期) に編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z UID:195447726515 DESCRIPTION: 1945年4月10日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆 逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦檜:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z UID:222573348545 DESCRIPTION: 1945年4月10日に、帝国駆逐艦籍および松型駆 逐艦籍より除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦矢風:進水日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260409T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z UID:309127463406 DESCRIPTION: 峯風型駆逐艦として1918年8月15日起工、1920年 4月10日進水。1920年(大正9年)7月19日三菱長崎造船所で 竣工。横須賀鎮守府籍。1931年(昭和6年)に所属の第2 駆逐隊は第一航空戦隊(鳳翔、加賀)に編入され、翌 年の第一次上海事変に参加する。\n 1937年(昭和12年) 以降は駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去し「摂津」の 無線操縦艦として用いられた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋雲:進水日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260411T150000Z UID:192568499728 DESCRIPTION: 駆逐艦「秋雲」は1939年度(マル4計画)仮称 第115号艦として浦賀船渠で1940年(昭和15年)7月2日起工 [4]。 1941年(昭和16年)3月25日、「秋雲(アキグモ)」 と命名[1]。同日附で昭和16年度内令246号により一等陽炎 型に分類される[5]。横須賀鎮守府仮定[6]。 同年4月11日 進水[4]。 4月10日まで白露型駆逐艦4番艦「夕立」駆逐艦 長だった有本輝美智中佐[7]は、6月15日附で秋雲艤装員 長に任命される[8]。 6月17日、浦賀船渠浦賀工場内に秋 雲艤装員事務所を設置する[9]。\n 1941年9月27日に竣工[4 ][3]。同日附で秋雲艤装員事務所を撤去[10]。有本も制式 に秋雲駆逐艦長(初代)となる[11]。竣工後の引渡式の 際、岸壁にはロケーションのため浦賀船渠にいた女優 の高峰三枝子や桑野通子らがおり、盛んに声援を送ら れた[12]。同日附で正式に横須賀鎮守府所属[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦巻波:起工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260411T150000Z UID:481636057829 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第120号艦として舞 鶴海軍工廠で建造。 1941年(昭和16年)4月11日起工。同 年10月25日、三菱重工長崎造船所で建造の秋月型駆逐艦 に「照月」、舞鶴海軍工廠の夕雲型駆逐艦に「巻波」 の艦名が与えられる[1]。同日附で2隻は秋月型・夕雲型 に類別された[4]。 12月27日、「巻波」は進水[5][7]。同日 附で舞鶴鎮守府籍となる[8]。\n 7月15日、「巻波」は予 行運転中に機関故障を起こし、竣工予定を延期した[12] 。 8月18日、竣工[11][25]。艤装員事務所を撤去[26]。同日 附で人見艤装員長は巻波駆逐艦長(初代)となる[27]。 「巻波」は警備駆逐艦に指定された[28][29]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋雲:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260411T150000Z UID:221440874345 DESCRIPTION: 1944年、横須賀での二度にわたる整備ののち 、第十戦隊(秋雲、風雲、若月)は「翔鶴」を護衛し て瀬戸内海に向かった[80]。訓練の後、2月6日に第十戦 隊(矢矧、秋雲、風雲、若月、秋月)は第一航空戦隊 (翔鶴、瑞鶴)、重巡洋艦筑摩を護衛して洲本沖を出 撃し、リンガ泊地へ進出した[81]。\n 物件輸送のため4 月5日にシンガポールを出撃して再度ダバオに向かう[86] 。4月9日にダバオに到着して燃料や航空魚雷などを陸揚 げした後[87]、翌4月10日にダバオを出撃してリンガ泊地 に向かった。しかしその道中でバリクパパンからダバ オに単独向かう途中の特設運送船聖川丸(川崎汽船、6\ ,862トン)と会合し、ダバオからサンボアンガまで護衛 するよう命じられる[88]。スールー海から引き返し[87]、 訓練と警戒を行いつつバシラン海峡を東航してダバオ に向かった[87]。一方その頃、アメリカ軍の潜水艦レッ ドフィン(USS Redfin\, SS-272) がバリサン海峡東方で哨戒を 行っていた。夕刻、レッドフィンは約10\,000ヤードの距 離でマストを発見[89]、引き続き観測すると目標(秋雲 )は吹雪型駆逐艦と目されジグザグ航行を行っており 、18ノットの速力で航行していると推定された[89]。レ ッドフィンは艦尾発射管で攻撃を行う事とし[89]、18時15 分、艦尾発射管から4本の魚雷を発射した[89]。間もなく レッドフィンが発射した最初の魚雷は「秋雲」の一番 砲塔付近に命中し、続いて二番目の魚雷はメインマス ト付近に命中した[89]。三番目の魚雷も命中したが[89]、 四番目の魚雷は外れたと考えられた[90]。秋雲側では4本 が命中したと判断された[91]。魚雷の命中を受けて船体 は45度に傾き、艦尾は海中に没していた[87]。秋雲駆逐 艦長入戸野篶生少佐は「総員退艦」を令した後、艦橋 予備室に入って戸を閉め艦と運命をともにした[87]。18 時17分、北緯06度45分 東経122度41分のサンボアンガ灯台 の112度26.7海里地点において沈没した[92][93]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦浦風:起工日(1939) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260410T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260411T150000Z UID:290606390125 DESCRIPTION: 陽炎型駆逐艦11番艦浦風は仮称第27号艦とし て藤永田造船所で建造がはじまった。同社では浦風以 外に3番艦黒潮、6番艦夏潮、14番艦谷風、18番艦舞風の 陽炎型駆逐艦を建造した。1939年(昭和14年)4月11日起 工[5]。11月6日、「浦風(ウラカゼ)」と命名される[1] 。1940年(昭和15年)4月10日進水[5]。同年12月15日、陽炎 型10番艦時津風と同じ日に竣工した[5][6]。呉鎮守府に所 属[7]。同日附で12番艦磯風と共に第17駆逐隊が編制され た[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初雪:起工日(1927) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260411T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260412T150000Z UID:108761602559 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、「第三十七号駆 逐艦」と命名[5]。同日附で一等駆逐艦に類別される[6] 。 「第37号駆逐艦」は1927年(昭和2年)4月12日に舞鶴工 作部で起工[7]。1928年(昭和3年)8月1日附で、「第37号 駆逐艦」は「初雪」と改名される[1]。\n 1928年9月29日 に進水、1929年(昭和4年)3月30日に竣工[7]。呉鎮守府所 属。第二艦隊・第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入。吹雪 型初期姉妹艦(吹雪、白雪、初雪、深雪)と共に第11駆 逐隊を編制していた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雷:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260412T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260413T150000Z UID:841739158193 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)4月上旬、「雷」はサイパ ン島およびメレヨン島への輸送に従事する特設運送船 「山陽丸」(大阪商船、8\,360トン)の護衛を行ってい た[58]。「雷」が「山陽丸」とともにサイパン島に向か っているころ、アメリカの潜水艦ハーダー(USS Harder\, S S-257)が4月13日午後に浮上し、メレヨン島に針路を向け ていた[61]。しかし、日本機に発見されて潜航する[61]。 潜望鏡深度に設定後の16時35分すぎ、ハーダーは駆逐艦 のマストを発見した[61]。相手は10ノットから15ノットの 速力で接近していると判断された[61]。\n 「雷」が特 段ハーダーに気付いた様子はなく、ハーダーは「雷」 とほぼ垂直になるような態勢に持ち込むことができた[6 3]。18時59分、彼我との距離が900ヤードになったところ でハーダーは魚雷を深度6フィートに調整の上、2本ずつ 二度にわたって計4本発射しそのうちの2本が「雷」に命 中した[64]。魚雷が命中した「雷」は黒煙と火災に包ま れて30度に傾斜し、ハーダーは急速に右に舵を切ったあ と減速し、潜望鏡からこの状況を撮影した[65]。船体が 二つ折れとなった「雷」は、脱出を図った乗員を巻き 込みつつ4分ほどで沈没した[66]。「雷」の沈没位置は北 緯10度13分 東経143度31分と記録されている[67]。日本側記 録、グアム南南東北緯10度0分 東経143度48分[17]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦霰:竣工日(1939) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260414T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260415T150000Z UID:209316032674 DESCRIPTION: 1936年(昭和11年)12月14日、海軍省は建造予 定の水上機母艦2隻に千代田と瑞穂、朝潮型駆逐艦2隻に 峯雲と霰の艦名を与える[1]。舞鶴海軍工廠で建造され た朝潮型は、2番艦大潮と霰のみである。霰は1937年(昭 和12年)3月5日に起工[3]。同年11月16日に進水[3][4]。空母 飛龍と同日附の進水である[4]。\n 1939年(昭和14年)3 月1日、大原艤装員長は正式に霰初代駆逐艦長となる[7] 。同日附で霰艤装員事務所を撤去[8]。霰は4月15日に竣 工した[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦長月:起工日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260415T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260416T150000Z UID:164116845448 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。1924年(大正13 年)11月10日、東京石川島造船所で建造される予定の駆 逐艦に「第三十号駆逐艦」の艦名が与えられ[4]、同日 附で「「第28号駆逐艦(のちの水無月)、第29号駆逐艦 (〃文月)、第30号駆逐艦(〃長月)、第31号駆逐艦( 〃菊月)」」は一等駆逐艦に類別された[5]。本艦は1925 年(大正14年)4月16日に起工、1926年(大正15年)10月6日 進水、1927年(昭和2年)4月30日に竣工した[6]。 その後 、1928年(昭和3年)8月1日附で「第30号駆逐艦」は「長 月」と改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野風:起工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260415T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260416T150000Z UID:205535951228 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1921年4月16日起工、同 年10月1日進水。1922年3月31日竣工した。一等駆逐艦に類 別され、横須賀鎮守府籍に編入される。竣工と同時に 同型艦の波風、沼風、神風型駆逐艦 (2代)第一駆逐艦( 神風)とともに第1駆逐隊を編成し、千島、北海道方面 の交通保護に当った。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR