BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦岸波:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251203T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251204T150000Z UID:249200711070 DESCRIPTION: 1944年11月26日、岸波は敷設艇由利島、第17号 海防艦とともに特設給油船八紘丸(日本油槽船、10\,022 トン)を護衛して昭南を出港し、12月1日にマニラに入 港した。燃料の荷揚げを済ませた後、往路と同じ顔ぶ れで12月3日10時にマニラを出港して昭南に向かった。し かし翌12月4日10時30分、北緯13度12分 東経116度39分[11]の パラワン島北西海域にさしかかったところでアメリカ の潜水艦フラッシャー (USS Flasher\, SS-249) の攻撃に遭っ た。フラッシャーは八紘丸船団の存在を、近在の僚艦 ホークビル (USS Hawkbill\, SS-366) からの報告により知り、 船団の前方に出て待ち伏せを行っていた所であった[12] 。フラッシャーは朝潮型駆逐艦と目された[13]岸波に対 して魚雷を4本発射し、2本を命中させた。岸波は航行不 能に陥り[14]、「朝潮型駆逐艦」を撃沈と推定したフラ ッシャーは[13]、艦尾発射管から八紘丸に向けて魚雷を4 本発射。2本が命中して八紘丸も航行不能になった[15]。 \n やがて爆雷攻撃が始まったので、フラッシャーは攻 撃を避けるため深深度に潜航して魚雷の装てんを行い[1 6]、約1時間後に潜望鏡深度に戻って三度目の攻撃の態 勢に入った[16]。その間、岸波は由利島に曳航されよう としていた[14]。14時2分、フラッシャーは大雨の中を岸 波と八紘丸に向けて魚雷を4本発射[17]、岸波は魚雷が2 本命中して沈没した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋霜:進水日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251204T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251205T150000Z UID:252791761339 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第346号艦として 藤永田造船所で建造、1943年(昭和18年)5月3日起工、8 月31日、18番艦を秋霜と正式に命名[1]。また19番艦も清 霜と命名された[1]。同日附で2隻(秋霜、清霜)は夕雲 型駆逐艦に類別された[2]。 1943年12月5日に進水。\n 1944 年(昭和19年)1月22日、日本海軍は平山敏夫少佐(吹雪 型駆逐艦白雲駆逐艦長)を秋霜艤装員長に任命する[3] 。 3月11日に竣工[4]。同日附で横須賀鎮守府籍と正式決 定[5]。平山少佐も秋霜初代駆逐艦長となった[6]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦太刀風:竣工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251204T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251205T150000Z UID:229410169154 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1920年8月18日起工、1921 年3月31日進水。同年12月5日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕雲:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251204T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251205T150000Z UID:306967064781 DESCRIPTION: 駆逐艦「夕雲」は1939年度(マル4計画)仮称 第116号艦として建造を認められる。1940年(昭和15年)6 月12日、舞鶴海軍工廠にて起工[5]。1941年(昭和16年)2 月5日、正式に『夕雲』と命名され[3]、艦艇類別等級表 に「一等駆逐艦夕雲型」が登録される[6]。3月16日に進 水した[5]。同日附で横須賀鎮守府籍となる[7]。\n 日本 海軍は7月1日附で、樅型駆逐艦8番艦栂駆逐艦長[10]、吹 雪型駆逐艦磯波駆逐艦長[11]、吹雪型浦波駆逐艦長[12]を 務めた仙波繁雄中佐を夕雲艤装員長に補職する[13]。8月 5日、艤装員事務所を設置[14]。 10月16日、仙波は制式に 夕雲駆逐艦長(初代)となる[15]。 1941年12月5日、竣工[1 6][17][18]。 同日附で横須賀鎮守府部隊の警備駆逐艦とな る[19][20]。翌日出港、横須賀に向かった[21]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦新月:起工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251207T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251208T150000Z UID:109438561503 DESCRIPTION: 1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称1 08号艦[8][9]。太平洋戦争開戦日の1941年(昭和16年)12月8 日、三菱重工業長崎造船所で起工[9]。1942年(昭和17年 )5月15日、『新月』の艦名が与えられた[3]。同日附で 秋月型駆逐艦として登録[11]。6月29日に進水した[8][9]。\ n 1943年2月23日、長崎海軍監督官事務所に艤装員事務所 を設置する[17]。 それから間もない3月31日、「新月」は 竣工した[7][18]。同日附で新月艤装員事務所を撤去[19]。 金田艤装員長も制式に新月駆逐艦長(初代)となった[2 0]。同日附で横須賀鎮守府籍となる[21]。第一艦隊附属[2 2]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初梅:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251207T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251208T150000Z UID:294297402595 DESCRIPTION: 仮称4815号艦、橘型(改松型)駆逐艦14番艦 として舞鶴海軍工廠で建造され、日本海軍駆逐艦の中 で最後の竣工となった。1944年12月8日起工、1945年4月25日 進水。6月18日に竣工した。竣工後はそのまま舞鶴で訓 練、待機した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝風:進水日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251207T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251208T150000Z UID:298950243269 DESCRIPTION: 本艦は三菱長崎造船所で建造[5]。同造船所 で建造された神風型は2隻(神風、朝風)[6][5]。 1921年 (大正11年)2月16日に起工[5]。同年12月8日に進水[5]。 19 23年(大正12年)6月16日に竣工した[2][5]。最初は第三駆 逐艦という艦名であり、一等駆逐艦に類別された。翌 年4月24日に第三号駆逐艦に、1928年(昭和3年)8月1日附 で朝風と改名された[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦時雨:起工日(1933) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251208T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z UID:315717761620 DESCRIPTION: 白露型駆逐艦2番艦・時雨は浦賀船渠で1933年 (昭和8年)12月9日に起工[9]。12月15日、建造中の駆逐艦 3隻にそれぞれ白露(シラツユ)、時雨(シグレ)、村 雨(ムラサメ)の艦名が与えられた[10]。当時、有明・ 夕暮・白露・時雨・村雨・夕立・春雨は『有明型駆逐 艦』に類別されていたが、諸事情により有明・夕暮は 初春型駆逐艦に類別され、新たに『白露型駆逐艦』が 新設されている[11]。 1935年(昭和10年)5月18日進水[12] 。1936年(昭和11年)9月7日に竣工[1]。横須賀鎮守府籍[13 ]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夏潮:起工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251208T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z UID:280783599330 DESCRIPTION: 駆逐艦「夏潮」は藤永田造船所で1937年(昭 和12年)12月9日に起工[4]。 1938年(昭和13年)9月20日、 日本海軍(米内光政海軍大臣)は舞鶴海軍工廠で建造 の陽炎型4番艦を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦 (本艦)を『夏潮』、川崎造船所の陽炎型7番艦を『初 風』と命名した[2][5]。 同日附で、各艦(親潮、夏潮、 初風、伊号第十八潜水艦、伊号第二十潜水艦、伊号第 二十二潜水艦等)は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[6 ]。\n 「夏潮」は1939年(昭和14年)2月23日に進水[4]。 本艦の建造は陽炎型3番艦「黒潮」と同時に進められた[ 7]。1940年(昭和15年)1月27日、藤永田造船所で姉妹艦「 黒潮」が竣工[10]。 同年8月31日[4][1]に竣工。陽炎型5番 艦「早潮」と同日附の竣工であった[16]。呉鎮守府籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初月:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:192266672998 DESCRIPTION: 1944年12月10日、2隻(秋月、初月)は秋月型 駆逐艦[146]、 帝国駆逐艦籍[147]より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦不知火:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:295097679825 DESCRIPTION: 1944年12月10日、駆逐艦不知火は不知火型[98] 、 帝国駆逐艦籍[99]より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋月:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:148981839955 DESCRIPTION: 1944年12月10日、「秋月」と「初月」は秋月型 駆逐艦[208]、 帝国駆逐艦籍[209]より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沖波:竣工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:132221790735 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第342号艦として 舞鶴海軍工廠で建造されることになり、1942年(昭和17 年)8月5日起工[9][1]。\n 1943年7月18日、「沖波」は進水 した[24][2]。本艦は12月10日に竣工[3][4][33]、沖波艤装員 事務所は撤去された[34]。牧野艤装員長も、正式に沖波 駆逐艦長(初代)となった[35]。舞鶴鎮守府籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦浦波:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:876038458770 DESCRIPTION: 1944年12月10日、磯波の除籍が決定。初雪型駆 逐艦、 帝国駆逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桑:起工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:750042152810 DESCRIPTION: 藤永田造船所で建造され、1943年12月10日起工 、1944年(昭和19年)5月25日に進水、7月25日竣工。訓練 部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将・海軍 兵学校41期)に編入される[2]。瀬戸内海に回航され、8 月3日から8月30日までは輸送任務に従事中の長良軽巡洋 艦1番艦「長良」に代わって第十一水雷戦隊の旗艦を務 めた[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦若葉:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251209T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z UID:921786397980 DESCRIPTION: 1944年12月10日、「若葉」は初春型駆逐艦[77] 、 帝国駆逐艦籍[78]より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦柿:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z UID:333424117986 DESCRIPTION: 仮称5517号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年10月5日起工、12月11日 進水、1945年3月5日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第 十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。 「萩」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内海に 回航される[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦如月:戦没日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z UID:636614031581 DESCRIPTION: 第30駆逐隊は南洋部隊指揮官井上成美第四艦 隊司令長官(旗艦「鹿島」)の麾下で、太平洋戦争開 戦初頭のウェーク島攻略戦に参加した。12月10日夜半に ウェーク島へ到着した攻略部隊は上陸舟艇をおろそう としたものの、外洋の強風と波浪により失敗した。12月 11日、戦闘は軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)の艦砲射撃 ではじまった[23]。現地時間午前6時15分(日本時間と約2 時間違う)、ウェーク島南東ピーコック岬のA砲台は 距離5100mで「夕張」に発砲[20]。同艦は4時12分に煙幕を 展開して退避、同時に退却命令を出す[24]。ビール島の B砲台は「睦月、弥生」と交戦し、2隻を撃退した[25]。 \n 5時37分、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南で F4Fワイルドキャットの機銃掃射(AN/M2 12.7mm機銃)を受 け、投下された100ポンド爆弾1発が命中[35]。魚雷(資料 によっては爆雷)が誘爆、 艦橋と二番煙突の半分とマ ストを吹き飛ばし、しばらくすると艦は二つ折れにな って[36]、5時42分に爆沈した[37]。\n 「天龍」主計長に よれば、艦橋が吹き飛んだ「如月」はしばらく異様な 姿で航行したあと、姿が見えなくなったという[38]。同 様の光景は「追風」(如月より左舷前方約2000m)から も目撃された[36]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦疾風:戦没日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251210T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z UID:239663315771 DESCRIPTION: 第29駆逐隊第1小隊(追風、疾風)は南洋部 隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官(旗艦「鹿島」) の指揮下で太平洋戦争開戦初頭のウェーク島攻略戦に 参加した。1941年12月11日午前3時、アメリカ軍ウェーク 島守備隊は南の水平線上に船影を発見、船影を日本艦 隊と判断する[127]。2人はウェーク島砲台の射程外から 巡洋艦にアウトレンジ砲撃されることをおそれ、日本 艦隊が十分接近するまで砲撃を控えるよう命令した[127] 。攻略部隊は自分達が待ち伏せされている事に全く気 が付いていなかった[128][129]。\n 日本艦隊は大発動艇 の夜間発進に手間取り、天明を待って上陸作戦を実施 することにした[116]。戦闘は軽巡3隻(夕張、天龍、龍 田)の艦砲射撃ではじまった[130]。約1時間の砲撃のの ち、日本軍輸送船団は上陸部隊の展開をはじめる[128]。 \n 「疾風」は「睦月」の後方を航行していた[131]。 米 軍によれば、「疾風」は砲台の斉射に対し左に舵を切 り、片舷斉射を行った[132]。この運動によって被弾面積 が大きくなり、絶好の目標になる[133]。砲撃は艦中央部 に命中。艦尾から艦全体に黒煙が広がったかと思えば[1 34]、200メートルぐらいの水柱を上げ[135]、これらが姿を 消した頃には「疾風」の姿はなかった。地上砲台から は真っ二つになった「疾風」が見え、すぐに沈んでゆ く光景が見られた[133]。日本時間午前4時過ぎであった 。168名総員戦死[133]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝霧:起工日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251212T150000Z UID:235494527995 DESCRIPTION: 佐世保海軍工廠で建造。1928年12月12日に起工 、1929年11月18日に進水。1930年6月30日に竣工した。一等 駆逐艦に類別された。1930年(昭和5年)12月1日、「天霧 」と第8駆逐隊を編成し、第2水雷戦隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦卯月:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251212T150000Z UID:108642430834 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)12月9日、駆逐艦3隻(卯月 、夕月、桐)はマニラを出港しオルモック輸送作戦第9 次作戦に参加する。12日にオルモック湾で魚雷艇PT490等 と交戦し、「卯月」は沈没した。13日、卯月型の最終艦 「夕月」は損傷し、「桐」によって処分される。「卯 月、夕月」の沈没をもって睦月型(卯月型)全12隻は全 て喪われた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦若葉:起工日(1931) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251212T150000Z UID:241383174801 DESCRIPTION: 駆逐艦「若葉」(第61駆逐艦)は佐世保工廠 で1931年(昭和6年)12月12日に起工した[6][7]。初春型2番 艦「子日」(12月15日起工)より3日はやい起工だった[8] 。 1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に「初 春」、同型2番艦に「子日」、同型3番艦(本艦)に「若 葉」の艦名が与えられる[1][9]。建造途中で同型艦「初 春」の復元性能不良が判明し、改善工事を施すことに なる。このため進水は浦賀船渠で建造中の初春型4番艦 「初霜」(昭和8年1月31日起工)より約4ヶ月遅れた[12] 。 1934年(昭和9年)3月18日に進水[6][13]。 \n 6月5日、 佐世保海軍工廠に艤装員事務所を設置[15]。 10月10日、 則満艤装員長は制式に若葉駆逐艦長(初代)となる[16] 。 10月31日に竣工[6]。同日附で若葉艤装員事務所も撤去 [17]。「初霜」(9月27日竣工)より約1ヶ月遅れての竣工 だった[12]。「若葉」は第21駆逐隊(司令坂野民部大佐 )に編入され、同隊は定数4隻(初春、子日、初霜、若 葉)を揃える。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦照月:戦没日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251211T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251212T150000Z UID:126537549808 DESCRIPTION: 第三次ソロモン海戦により輸送船団が壊滅 状態になると、帝国海軍は駆逐艦にドラム缶を搭載し てガダルカナル島へおくりとどける強行輸送作戦(鼠 輸送)、通称『ドラム缶輸送』を実施する[61]。\n 1942 年12月11日、魚雷艇母艦に率いられた米軍魚雷艇(PTボー ト)は、すでにガダルカナル島北岸に展開していた[82]。 魚雷艇3隻(PT37、PT40、PT48)が日本艦隊を襲撃[82]。 23時 ごろ、アメリカ軍魚雷艇によると思われる魚雷2本[82]が 「照月」の左舷後部に命中し(魚雷艇を発見できない ままに被雷)[83][84][85]。舵と左舷主機が使用不能、航 行不能となり重油や弾薬に引火して大火災となった[71][ 86]。この状況下、別の魚雷艇2隻(PT44、PT110)も戦場に 到着した[82]。\n 被雷から約30分後、足を負傷した田中 少将および第二水雷戦隊司令部は、駆逐艦「長波」( 第31駆逐隊)に移った[87][88]。 第4駆逐隊司令有賀幸作 大佐(海兵45期、のち戦艦大和艦長)が指揮する「嵐」 が照月艦首部に接舷し、乗員救助と消火作業にあたっ た[71][89]。「照月」は絶望と判断した折田(照月艦長) は機関長にキングストン弁を開いて自沈を命じ、実行 された[90]。米軍魚雷艇の再襲撃や離脱距離を考慮した ため、自沈を決定したともされる[91][92]。 12月12日午前1 時15分、総員退去[93]。自沈処理完了[94]。\n 放棄され た「照月」は12月12日午前2時40分に沈没した[95][96]。沈 没位置はサボ島の210度6.7海里地点[71]。南緯09度13分 東 経159度46分[97][98]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕月:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251212T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251213T150000Z UID:812069954896 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)12月9日にマニラを出港し 第9次多号作戦に参加した。しかし、途中で空襲により 輸送船2隻が沈没。船団を率いる澤村成二大佐は部隊を2 分し、夕月と駆逐艦桐、第140号輸送艦、第159号輸送艦 の4隻でオルモック湾へと向かった[1]。\n オルモック 湾に到着すると輸送艦は揚陸場所へと向かった。駆逐 艦2隻は湾内を哨戒し、接近してきた駆逐艦コールドウ ェルを砲撃で撃退したが次いで駆逐艦カグランなどか らの砲撃を受けて湾外へと退避した[2]。湾外へ出た後 夕月と桐はパロンポンへ向かったが、途中で夕月は桐 と別れてオルモック湾に引き返した[3]。夕月は湾内で 第140号輸送艦と合流して湾外に退避、途中で桐とも合 流してマニラへ向かった[4]。だが、その途中の13日にシ ブヤン海でF4Uコルセア60機の水平爆撃を受け航行不能と なり、「桐」の砲撃により処分された[5]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕風:起工日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251213T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z UID:103153234174 DESCRIPTION: 三菱長崎造船所で建造。1920年12月14日起工、 1921年5月28日進水。1921年8月24日に竣工した。一等駆逐艦 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 同じ峯風型の島 風、太刀風と共に第三駆逐隊を編成し、第二艦隊に所 属。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋風:進水日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251213T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z UID:192358143981 DESCRIPTION: 「秋風」は1919年(大正8年)5月24日、峯風型 姉妹艦や樅型駆逐艦と共に命名された[2]。同日附で一 等駆逐艦に類別[3]。三菱長崎造船所で建造。1920年6月7 日起工、同年12月14日進水。1921年4月1日に竣工した。竣 工後、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初桜:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251213T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z UID:470296694042 DESCRIPTION: 仮称5522号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1艦と して横須賀海軍工廠で建造された。1944年12月14日起工、 1945年2月10日進水。同年5月28日に竣工した。竣工後、訓 練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期 )に編入され[2]、特令あるまで待機を行うよう命じら れ[3]、6月4日付で「潮」とともに横須賀鎮守府部隊に編 入され[4]、そのまま無傷で終戦を迎えた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕立:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:247685543079 DESCRIPTION: 1942年12月15日、第三次ソロモン海戦で沈没し た重巡衣笠、駆逐艦暁、綾波と共に夕立の除籍が決定 した。 帝国駆逐艦籍[145]、 第2駆逐隊[146]、 白露型駆逐 艦[147] のそれぞれから削除された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦欅:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:259226824294 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5508号艦として横須賀海軍 工廠で建造された。1944年6月22日起工、9月30日に進水、1 2月15日に竣工した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦浦風:竣工日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:117568050971 DESCRIPTION: 陽炎型駆逐艦11番艦浦風は仮称第27号艦とし て藤永田造船所で建造がはじまった。同社では浦風以 外に3番艦黒潮、6番艦夏潮、14番艦谷風、18番艦舞風の 陽炎型駆逐艦を建造した。1939年(昭和14年)4月11日起 工[5]。11月6日、「浦風(ウラカゼ)」と命名される[1] 。1940年(昭和15年)4月10日進水[5]。同年12月15日、陽炎 型10番艦時津風と同じ日に竣工した[5][6]。呉鎮守府に所 属[7]。同日附で12番艦磯風と共に第17駆逐隊が編制され た[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦神風:起工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:254576633297 DESCRIPTION: 本艦は、八八艦隊計画で9隻建造された神風 型駆逐艦(2代)のネームシップで[5]、峯風型駆逐艦後 期型である改峯風型を改良した艦隊型駆逐艦であった[1 2]。1921年(大正10年)12月15日、第一駆逐艦は三菱長崎 造船所で起工[14][15]。第一駆逐艦(神風)は1922年9月25 日午前10時40分に進水[14][21][22]。三菱長崎造船所内に第 一駆逐艦艤装員事務所を設置、9月28日より事務を開始 した[23]。\n  12月28日竣工[14][6]。横須賀鎮守府籍[27]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦時津風:竣工日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:326784106625 DESCRIPTION: 浦賀船渠で建造され、1939年(昭和14年)2月2 0日起工。同年8月25日、姉妹艦の天津風と共に「時津風 (トキツカゼ)」と命名される[1]。11月10日に進水、1940 年(昭和15年)9月1日附で駆逐艦天霧駆逐艦長中原義一 郎中佐は、時津風艤装員長に任命される[3]。なお中原 は、白露型駆逐艦4番艦夕立艤装員長[4]および初代駆逐 艦長[5]だった。 時津風は12月15日に竣工[6]。同日附で中 原艤装員長も制式に時津風初代駆逐艦長となる[7]。呉 鎮守府籍。浦賀船渠で建造された陽炎型としては3隻目 となった。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桃:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:297514497534 DESCRIPTION: 1944年12月15日、「桃」はスービック湾内で第 38任務部隊艦載機の空襲で沈没した輸送船「鴨緑丸」( 大阪商船、7\,362トン)[55]の処理を済ませた後、第60号 駆潜艇を伴ってマニラを出港する[52]。しかし、夜に入 りマニラの北西210海里の地点でアメリカの潜水艦ホー クビル (USS Hawkbill\, SS-366) に発見される[37]。ホークビル はレーダーで2つの目標を探知し、19時27分に2つの目標 に対して魚雷を3本ずつ発射[56]、うち4つの命中音が聞 こえた[56]。ホークビルの発射した魚雷は第二缶室に命 中し、機械室が使用不能となって「桃」は沈没してい った[57]。「桃」の艦長皆川芳雄少佐[58][59]以下30名が戦 死した[60]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦子日:起工日(1931) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:128308438696 DESCRIPTION: 駆逐艦「子日」は浦賀船渠で、仮称第60号駆 逐艦として1931年(昭和6年)12月15日に起工[6][7]。これ は佐世保海軍工廠で建造された初春型3番艦「若葉」よ り3日遅い起工だった[8][9]。 1932年(昭和7年)8月1日、 初春型駆逐艦3隻にそれぞれ「初春」・「子日」・「若 葉」の艦名が与えられる[1]。同日附で二等巡洋艦最上 型「最上」と「三隈」も命名されている[10]。 「子日」 は1932年(昭和7年)12月22日に進水[6]。\n 1933年(昭和8 年)5月20日、日本海軍は峯風型駆逐艦13番艦「野風」艦 長植田弘之介中佐を子日艤装員長に任命した[11]。9月29 日、浦賀船渠内に設置されていた子日艤装員事務所は 撤去される[12]。 「子日」は9月30日に竣工[6]。これは初 春型1番艦「初春」と同日附の竣工である[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦村雨:起工日(1933) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:529709076616 DESCRIPTION: 1933年(昭和8年)12月15日、村雨(ムラサメ )と命名[3]。第67号駆逐艦村雨は藤永田造船所で1934年 (昭和9年)2月1日に起工し、1935年(昭和10年)6月20日 に進水した[4]。 当時は初春型駆逐艦の最新鋭艦として 紹介されたこともあった[5]。 1937年(昭和12年)1月7日 、浦賀の3番艦村雨と佐世保の4番艦夕立は同日附で竣工 した[4][6]。\n LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦綾波:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:577414282176 DESCRIPTION: 駆逐艦「綾波」は第三次ソロモン海戦で沈 没した重巡「衣笠」、駆逐艦「暁」、「夕立」と共に19 42年12月15日附で除籍。 帝国駆逐艦籍[5]、 第19駆逐隊[6] 、 白雪型駆逐艦[7] のそれぞれから削除された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕霧:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:791294600666 DESCRIPTION: 駆逐艦「夕霧」は1943年12月15日に除籍された 。帝国駆逐艦籍、初雪型駆逐艦それぞれから削除され た。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦暁:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251214T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z UID:199799301159 DESCRIPTION: 1942年12月15日、駆逐艦「暁」は 白雪型駆逐 艦、第六駆逐隊、帝国駆逐艦籍のそれぞれから除籍さ れた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝潮:進水日(1936) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251215T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251216T150000Z UID:580727224643 DESCRIPTION:  1935年(昭和10年)9月6日、建造予定の駆逐 艦2隻にそれぞれ『朝潮』と『大潮』の艦名が与えられ た[1][5]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦を新 設[6]。 本艦は佐世保海軍工廠で9月7日に起工[7][8]。 1936 年(昭和11年)12月16日に進水した[7]。日本海軍は、吹 雪型駆逐艦潮・峯風型沖風艦長等を歴任した成田茂一 中佐を朝潮艤装員長に任命する[9]。当事の佐世保工廠 では、白露型4番艦夕立の建造が最終段階に入っていた (翌年1月7日竣工)[10]。12月28日、佐世保海軍工廠に朝 潮艤装員事務所を設置[11]。\n 1937年(昭和12年)8月2日 、成田艤装員長は正式に朝潮駆逐艦長(初代)に任命 される[12]。本艦は8月31日に竣工した[7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦東雲:沈没日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251216T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251217T150000Z UID:356994344017 DESCRIPTION: 1941年12月15日、「東雲」はミリ沖から東のセ リアに向かう為に船団を離れ単独行動を取った。以後 の行動は不明であり、12月17日に沈没した「東雲」の喪 失原因を敵機の爆撃により沈没とする説[10][11]と、敷設 された機雷に触れて轟沈したとする説[12]がある。17日 午前9時頃に「飛行艇と交戦中」と発信者不明の電信が 受信され[13]、オランダ軍のGVT-2所属飛行艇が駆逐艦を 爆撃して3発の命中弾と至近弾1発を与えたと報告してい る[14]。日本の上陸船団からは正午頃セリアへの途上に あるバラム灯台付近で水柱が立つのが目撃されており 、午後になり僚艦の「叢雲」が付近海域を捜索し、バ ラム灯台の北15キロの地点で樽や流出した重油を発見し た[13][15]。艦長以下乗員228名全員が戦死した[11]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦菫:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251216T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251217T150000Z UID:150550528564 DESCRIPTION: 仮称5520号艦、橘型(改松型)駆逐艦6番艦と して横須賀海軍工廠で建造された。1944年10月21日起工、 12月17日進水。1945年3月26日に竣工した。竣工後、訓練部 隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に 編入。二番高角砲に不具合があって修理の後[2]、瀬戸 内海に向かう。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沼風:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251217T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251218T150000Z UID:313257158724 DESCRIPTION: 。1943年(昭和18年)12月18日、船団護衛中に 沖縄南東海域において米潜水艦「グレイバック」(USS Gra yback\, SS-208)の雷撃により戦没した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雪:竣工日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251217T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251218T150000Z UID:107730735245 DESCRIPTION: 駆逐艦白雪は横浜船渠で建造された[5]。1927 年(昭和2年)3月19日に起工[5]。4月26日、建造予定の一 等駆逐艦4隻に、それぞれ第36号駆逐艦(のちの白雪) 、第38号(〃深雪)、第39号(〃叢雲)、第44号(〃浦 波)の艦名が与えられた[6]。第36号駆逐艦の艦名は浦風 型駆逐艦江風(第36号駆逐艦)に使われた事がある[7][8] 。 \n 本艦は1928年(昭和3年)3月20日に進水[5]。同年8 月1日、第36号駆逐艦を白雪と改名した[1]。12月18日に竣 工した[5]。竣工後、第2艦隊第2水雷戦隊・第11駆逐隊に 編入。呉鎮守府所属。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春風:進水日(1922) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251217T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251218T150000Z UID:248186964106 DESCRIPTION: 本艦は舞鶴工作部で建造[10]。第5駆逐艦は192 2年(大正11年)5月16日起工[14]。8月24日、第5駆逐艦は、 姉妹艦や軽巡洋艦「夕張」および給油艦2隻(鳴戸、早 鞆)と共に艦艇類別等級表に登録された[15][16]。 12月18 日進水[14][17]。 1923年(大正12年)5月31日に竣工した[14][ 18]。同年12月1日、初代「春風」は駆逐艦から掃海艇に 類別変更[9]。\n 1924年(大正13年)4月24日に、第5駆逐 艦は第五号駆逐艦に改名[8][19]。さらに1928年(昭和3年 )4月1日附で初代「春風」は除籍[9]。これにより同年8 月1日附で第5号駆逐艦は「春風」と改名された[8][19]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦早波:進水日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251218T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251219T150000Z UID:233774984539 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として 舞鶴海軍工廠で建造。1942年1月15日に起工、1942年12月19 日に進水、1943年(昭和18年)7月31日に竣工して一等駆 逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦五月雨:起工日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251218T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251219T150000Z UID:274726552927 DESCRIPTION: 白露型駆逐艦6番艦「五月雨」は浦賀船渠で1 934年(昭和9年)12月19日に起工し、1935年(昭和10年)7 月6日進水、1937年(昭和12年)1月29日に竣工した[2]。横 須賀鎮守府籍[3]。機関部は川崎造船所で製造されたの ち、浦賀に海上輸送された LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦荒潮:竣工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251219T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251220T150000Z UID:204251649930 DESCRIPTION: 1935年(昭和10年)9月28日、建造予定の駆逐 艦2隻に「満潮」と「荒潮」[4]、8500トン級巡洋艦に対し 「筑摩」の艦名が与えられた[5][1]。同日附で3隻(筑摩 、満潮、荒潮)は艦艇類別等級表に登録された[6]。 「 荒潮」は神戸川崎造船所で同年10月1日に起工[7][8]。神 戸川崎造船所で建造された朝潮型は、「荒潮」と「朝 雲」の2隻である[9]。\n 「荒潮」は1937年(昭和12年)5 月26日に進水[7][10]。佐世保海軍工廠で建造中の朝潮型7 番艦「夏雲」と同日附の進水だった[10][11]。 7月15日、 日本海軍は吹雪型駆逐艦「白雲」艦長山隈和喜人少佐 を、荒潮艤装員長に任命する[12]。 7月22日、荒潮艤装員 事務所を設置[13]。 「荒潮」は12月20日に竣工した[7]。 同日附で山隈艤装員長は制式に荒潮駆逐艦長(初代) となる[14]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦不知火:竣工日(1939) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251219T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251220T150000Z UID:117895423743 DESCRIPTION: 不知火は浦賀船渠で1937年8月30日に起工、1938 年6月28日に進水。1939年12月20日に竣工した。呉鎮守府在 籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦如月:竣工日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251220T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251221T150000Z UID:145075560618 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日、 舞鶴工作部で建造予定の駆逐艦に「第二十一駆逐艦」 の艦名が与えられる[4]。一等駆逐艦に類別[5]。\n 1924 年(大正13年)4月24日、艦名を「第二十一号駆逐艦」に 改正[6][7]。 6月3日起工。1925年(大正14年)6月5日に進水 [8]。12月21日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。「第二 十一号駆逐艦」は1928年(昭和3年)8月1日附で「如月」 と改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦疾風:竣工日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251220T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251221T150000Z UID:281725408362 DESCRIPTION: 1922年11月11日、第十三駆逐艦(疾風)は石川 島造船所で起工[15][2]。 1924年4月24日、「第十三駆逐艦 」の艦名は「第十三号駆逐艦」に改正[17][18]。 12月1日 、旧「疾風」は駆逐艦籍より除籍[5][19]。翌年7月、廃船 処分となり「廃駆逐艦5号」と改称後、呉海軍工廠でし ばらく保管されていた[20][21]。\n1925年(大正14年)3月23 日午後4時、第13号駆逐艦(疾風)は進水[22][15]。1925年 (大正14年)12月21日、第13号駆逐艦(疾風)は竣工した [15][2]。\n 1928年(昭和3年)8月1日附で「第十三号駆逐 艦」は「疾風」と改名[8][28]。これに伴い、第一号型駆 逐艦は神風型駆逐艦と改名される[29]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦帆風:竣工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251221T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z UID:324154523512 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1920年11月30日起工、192 1年7月12日進水。1921年12月22日に竣工した。一等駆逐艦 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。\n 1922年(大正11 年)12月、同型艦「羽風」「秋風」「太刀風」とともに 第4駆逐隊を編成し、第1水雷戦隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦子日:進水日(1932) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251221T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z UID:295991488231 DESCRIPTION: 駆逐艦「子日」は浦賀船渠で、仮称第60号駆 逐艦として1931年(昭和6年)12月15日に起工[6][7]。これ は佐世保海軍工廠で建造された初春型3番艦「若葉」よ り3日遅い起工だった[8][9]。 1932年(昭和7年)8月1日、 初春型駆逐艦3隻にそれぞれ「初春」・「子日」・「若 葉」の艦名が与えられる[1]。同日附で二等巡洋艦最上 型「最上」と「三隈」も命名されている[10]。 「子日」 は1932年(昭和7年)12月22日に進水[6]。\n 1933年(昭和8 年)5月20日、日本海軍は峯風型駆逐艦13番艦「野風」艦 長植田弘之介中佐を子日艤装員長に任命した[11]。9月29 日、浦賀船渠内に設置されていた子日艤装員事務所は 撤去される[12]。 「子日」は9月30日に竣工[6]。これは初 春型1番艦「初春」と同日附の竣工である[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝雲:起工日(1936) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z UID:683717873502 DESCRIPTION: 神戸川崎造船所で建造予定の駆逐艦「朝雲 」は、1936年(昭和11年)10月22日に命名[1]。同日附で姉 妹艦「山雲」、工作艦「明石」も命名されている[1]。 同年12月23日に起工、1937年(昭和12年)11月5日進水、1938 年(昭和13年)3月31日に竣工[3]。同時に第41駆逐隊に編 入された。同年12月15日、第三予備艦となり横須賀海軍 工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機 調事件)。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦風雲:起工日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z UID:305157624065 DESCRIPTION: 風雲は1939年度(マル4計画)仮称第118号艦と して浦賀船渠での建造が決定、1940年(昭和15年)12月23 日起工(藤永田造船所の2番艦巻雲と同日起工)[3]。1941 年(昭和16年)9月10日附で風雲(カザグモ)と命名[1]、 同日附で夕雲型駆逐艦に登録[4]。9月26日進水[3]。\n 194 2年(昭和17年)1月20日、吉田正義中佐は本艦艤装員長 に任命される[5]。翌日、浦賀船渠に艤装員事務所を設 置[6]。 3月16日、浦賀船渠で夕雲型6番艦高波が進水する [7]。 27日、性能調査終了[8]。 3月28日に竣工[7][9]。艤装 員事務所を撤去[10]。横須賀鎮守府籍[11]。吉田も正式に 風雲駆逐艦長(初代)となった[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦巻雲:起工日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z UID:243505676086 DESCRIPTION: 駆逐艦「巻雲」は1939年度(マル4計画)仮称 第117号艦として藤永田造船所で建造された。1940年(昭 和15年)12月23日起工[3]。1941年(昭和16年)8月5日、平島 型敷設艇澎湖・鷹島等と共に命名される[1]。「巻雲」 も同日附で一等夕雲型に登録された[4]。同年11月5日進 水[3]。12月20日、巻雲艤装員長として藤田勇中佐[5]が着 任する(藤田は9月まで朝潮型駆逐艦1番艦朝潮駆逐艦長 )[6]。1942年(昭和17年)3月14日に竣工した[3][8]。\n 横 須賀鎮守府籍[10]。横須賀鎮守府警備駆逐艦となった本 艦は、横須賀へ移動した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春月:起工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z UID:137417752185 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)に よる乙型一等駆逐艦の第362号艦として佐世保海軍工廠 で1943年(昭和18年)12月23日に起工[5]。1944年(昭和19年 )8月3日に進水[5]。同年12月28日に竣工した[5][7]。当初 は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表 改訂により佐世保海軍工廠での建造に変更された[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦狭霧:進水日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251222T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z UID:133117102851 DESCRIPTION: 1928年(昭和3年)11月23日、神奈川県横須賀 市の浦賀船渠で建造予定の吹雪型駆逐艦に「狭霧(さ ぎり)」の艦名が与えられる[1]。1929年(昭和4年)3月28 日起工、同年12月23日進水[5]。翌日には姉妹艦「潮」が 起工されている[6]。「狭霧」は1931年(昭和6年)1月31日 に竣工した[5]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦高波:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251224T150000Z UID:889532012948 DESCRIPTION: 駆逐艦「高波」は12月24日附で帝国駆逐艦籍[ 90]、 第31駆逐隊[91]、 夕雲型駆逐艦[92] のそれぞれから 除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦潮:起工日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251224T150000Z UID:266180610793 DESCRIPTION: 駆逐艦「潮」は浦賀船渠で建造[3]。1929年( 昭和4年)12月24日に起工[3]。一等駆逐艦に類別された。 1930年(昭和5年)11月17日に進水[3][4]。1931年(昭和6年) 11月14日に竣工[3]。第7駆逐隊に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦敷波:竣工日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251224T150000Z UID:314796667205 DESCRIPTION: 舞鶴工作部で建造。1928年7月6日に起工、1929 年6月22日に進水。同年12月24日に竣工した。一等駆逐艦 に類別された。「磯波」「浦波」「綾波」と第19駆逐隊 (第2艦隊第2水雷戦隊)を編成した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦早潮:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251224T150000Z UID:528678116689 DESCRIPTION: 駆逐艦「早潮」は1942年12月24日附で、 帝国 駆逐艦籍[18]、 第15駆逐隊[19]、 陽炎型駆逐艦[20] のそれ ぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦狭霧:戦没日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251223T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251224T150000Z UID:983829957604 DESCRIPTION: 1941年12月23日から24日にはクチン侵攻に参加 した。しかし12月24日20時45分、クチンから約35マイル沖 を航行中の狭霧はオランダ海軍潜水艦のK XVIから雷撃さ れた。爆雷の誘爆による火災が狭霧の弾薬庫及び搭載 魚雷に引火、大爆発を引き起こした狭霧は被雷後約15分 間で沈没した[7]。生存者駆逐艦長以下119名、戦死者121 名[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦清霜:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251225T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251226T150000Z UID:117664246216 DESCRIPTION: 1944年12月24日、ミンドロ島のアメリカ軍に対 する殴りこみ作戦『礼号作戦』が開始され、挺身部隊8 隻(第一挺身隊:霞《木村司令官座乗、旗艦》、1番隊 《清霜、朝霜》、2番隊《榧、杉、樫》/第二挺身隊《足 柄、大淀》)はこれに呼応してカムラン湾を出撃した[7 4]。\n 2日後の12月26日21時15分[75]、清霜はB-25の爆撃を 受け、左舷中部に250キロ爆弾を受ける。重油タンクが 破壊され左舷の機関は停止。また数分後には右舷の機 関も停止し航行不能となった。この報告をおこなった 清霜の梶本艦長は、のちに「アメリカ軍魚雷艇の襲撃 ではなかったか」と回想している[76]。艦尾が激しく沈 下し船体全てから火災が発生した清霜は、23時15分に大 爆発を起こして北緯12度38分 東経120度43分の地点で沈没 した[77]。最後の大爆発はアメリカ軍の魚雷艇が発射し た魚雷だった可能性がある[78]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦薄雲:進水日(1927) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251225T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251226T150000Z UID:823329058358 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐 艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦(のちの初雪)」 、「第四十一号駆逐艦(〃薄雲)」、「第四十二号駆 逐艦(〃白雲)」、「第四十三号駆逐艦(〃磯波)」 の艦名が与えられる[7]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類 別される[8]。 「薄雲」は東京石川島造船所で同年10月21 日に起工、1927年(昭和2年)12月26日に進水、1928年(昭 和3年)7月26日に竣工[9]。「薄雲」の建造スケジュール は、姉妹艦3隻(東雲、白雲、磯波)とほぼ同一だった[ 10][11][12]。 竣工から一週間もたたない8月1日附で「第41 号駆逐艦」は「薄雲」と改名される[5]。同年12月1日、 第二艦隊・第二水雷戦隊・第12駆逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦玉波:進水日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251225T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251226T150000Z UID:300566974099 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第124号艦として藤 永田造船所で建造。1942年3月16日起工、同年12月26日進水 。1943年(昭和18年)4月30日に竣工して一等駆逐艦に類 別され、舞鶴鎮守府籍となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦花月:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251225T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251226T150000Z UID:110642398797 DESCRIPTION: 仮称艦名第366号艦として1944年(昭和19年)2 月10日に舞鶴海軍工廠で起工[8]。同年10月10日に進水[8] 。同年12月26日に竣工した[8][9]。当初は三菱長崎造船所 で建造される予定であったが、線表改訂により舞鶴で の建造に変更された[10]。起工から竣工までは320日しか かからなかった[10]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雲:進水日(1927) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251226T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251227T150000Z UID:943659082104 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐 艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦(のちの初雪)」 、「第四十一号駆逐艦(〃薄雲)」、「第四十二号駆 逐艦(〃白雲)」、「第四十三号駆逐艦(〃磯波)」 の艦名が与えられる[6]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類 別される[7]。 「白雲」は藤永田造船所で同年10月27日に 起工、1927年(昭和2年)12月27日に進水、1928年(昭和3年 )7月25日に竣工[8]。「白雲」の建造スケジュールは、 姉妹艦「東雲、薄雲、磯波」とほぼ同一だった[9][10][11] 。1928年(昭和3年)8月1日附で「第42号駆逐艦」は「白 雲」と改名される[1]。同日、第12駆逐隊に編入。同年12 月1日、第12駆逐隊は第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦巻波:進水日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251226T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251227T150000Z UID:332604269333 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第120号艦として舞 鶴海軍工廠で建造。 1941年(昭和16年)4月11日起工。同 年10月25日、三菱重工長崎造船所で建造の秋月型駆逐艦 に「照月」、舞鶴海軍工廠の夕雲型駆逐艦に「巻波」 の艦名が与えられる[1]。同日附で2隻は秋月型・夕雲型 に類別された[4]。 12月27日、「巻波」は進水[5][7]。同日 附で舞鶴鎮守府籍となる[8]。\n 7月15日、「巻波」は予 行運転中に機関故障を起こし、竣工予定を延期した[12] 。 8月18日、竣工[11][25]。艤装員事務所を撤去[26]。同日 附で人見艤装員長は巻波駆逐艦長(初代)となる[27]。 「巻波」は警備駆逐艦に指定された[28][29]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦神風:竣工日(1922) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251227T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251228T150000Z UID:210153502907 DESCRIPTION: 本艦は、八八艦隊計画で9隻建造された神風 型駆逐艦(2代)のネームシップで[5]、峯風型駆逐艦後 期型である改峯風型を改良した艦隊型駆逐艦であった[1 2]。1921年(大正10年)12月15日、第一駆逐艦は三菱長崎 造船所で起工[14][15]。第一駆逐艦(神風)は1922年9月25 日午前10時40分に進水[14][21][22]。三菱長崎造船所内に第 一駆逐艦艤装員事務所を設置、9月28日より事務を開始 した[23]。\n  12月28日竣工[14][6]。横須賀鎮守府籍[27]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春月:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251227T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251228T150000Z UID:492722752429 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)に よる乙型一等駆逐艦の第362号艦として佐世保海軍工廠 で1943年(昭和18年)12月23日に起工[5]。1944年(昭和19年 )8月3日に進水[5]。同年12月28日に竣工した[5][7]。当初 は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表 改訂により佐世保海軍工廠での建造に変更された[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦涼月:竣工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251228T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251229T150000Z UID:685621094659 DESCRIPTION: 1939年(昭和14年)度第四次海軍軍備充実計 画(マル4計画)による乙型一等駆逐艦の第106号艦[9]。 1941年(昭和16年)3月15日、三菱重工業長崎造船所で起 工[9]。1942年(昭和17年)1月20日、建造中の秋月型駆逐 艦に涼月、夕雲型駆逐艦に高波の艦名が与えられた[4] 。同日附で「涼月」は秋月型に、「高波」は夕雲型に 類別される[10]。 \n 1942年(昭和17年)3月4日、進水[9] 。 9月10日、陽炎型駆逐艦2番艦不知火駆逐艦長赤澤次壽 雄中佐(同艦は7月5日グロウラーに雷撃され大破)は、 涼月艤装員長に任命される[11]。「涼月」は同年12月29日 に竣工[12][9]。佐世保鎮守府籍[13]。同日附で秋月型2隻 (涼月、初月)、夕雲型大波は警備駆逐艦に定められ た[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝凪:竣工日(1924) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251228T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251229T150000Z UID:320796515611 DESCRIPTION: 1922年(大正11年)9月11日、藤永田造船所で建 造予定の駆逐艦1隻に第十五駆逐艦の艦名が与えられる[ 4]。第15駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。第15駆逐 艦(朝凪)は藤永田造船所において1923年(大正12年)3 月5日起工[4][7]。 1924年(大正13年)4月21日進水[7]。進水 直後、第15駆逐艦は第十五号駆逐艦に改名された[8]。 12 月29日に竣工した[7]。 \n その後1928年(昭和3年)8月1 日附で第15号駆逐艦は「朝凪」と改名[1][9]された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初月:竣工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251228T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251229T150000Z UID:640767004726 DESCRIPTION: 本艦は1941年(昭和16年)7月25日、舞鶴海軍 工廠で起工[6]。 1942年(昭和17年)3月1日、足摺型給油 艦「足摺」等と共に命名[3]、同日附で一等駆逐艦秋月 型に類別された[10]。4月3日に進水[11][12]。 12月29日に竣 工した[20][6]。 2隻(涼月、初月)は横須賀鎮守府部隊 に編入される[23]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦大波:竣工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251228T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251229T150000Z UID:200822162958 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第122号艦として藤 永田造船所で建造。1941年11月15日起工。1942年(昭和17年 )6月20日、本艦に『大波』、夕雲型8番艦に『清波』の 艦名が与えられた[1]。同日附で2隻(大波、清波)は夕 雲型駆逐艦に類別された[5]。 8月13日進水。11月15日附で 平山敏夫少佐は大波艤装員長ならびに吹雪型駆逐艦白 雲艦長に任命される[6]。 12月20日附で平山艤装員長は免 職[7]。後任として吉川潔中佐(夕立沈没時駆逐艦長) が本艦艤装員長に任命された[8]。 \n 本艦は12月29日に 竣工(初月と同日)[9][10]。舞鶴鎮守府籍となる[11]。同 日附で3隻(涼月、初月、大波)は警備駆逐艦に定めら れた[11][12]。本艦は呉鎮守府直率部隊に編入される[13] 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雪風:解体日(1971) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251230T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251231T150000Z UID:109855770235 DESCRIPTION: その後、左営で再武装工事を受け、引き続 き中華民国海軍所属として第一線で活躍した。八二三 金門砲戦や料羅湾海戦など、中国人民解放軍との間で 発生した幾度かの実戦に参加したとみられる[328]。\n  艦齢20年をこえた丹陽は29ノットを発揮するのが限度だ ったという[330]。1959年8月3日、中国人民解放軍海軍のコ ルベット2隻と交戦、1隻撃沈、1隻撃破の戦果をあげた[3 31]。1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが[332] 、機関の老朽化によって1965年12月16日に退役、1966年11月 16日付で除籍された。訓練艦として就役していたが、196 9年夏に暴風雨により艦底破損、艦齢29年で解体処分と なった。1971年12月31日までに解体された。\n 1971年12月8 日、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され[337]、雪 風の舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨 はその庭に展示されている[338]。また、雪風のスクリュ ーは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されている[3 39]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦満月:起工日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250102T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260103T150000Z UID:625747331377 DESCRIPTION: マル急計画の駆逐艦乙、第360号艦型の6番艦 、仮称艦名第365号艦として計画。\n1945年1月3日、佐世保 海軍工廠で起工。2月5日、満月と命名されて秋月型駆逐 艦の6番艦に定められ[注釈 4]、本籍を呉鎮守府と仮定。 しかし3月、工程16%で工事中止となり、船台上で放置さ れた。艦体はキールの据え付けと中央部への肋材設置 が終わり、その外舷に鉄板を一部張っただけだった。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR