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1942年5月、「子日」以下第一水雷戦隊(阿武隈、第6駆逐隊《暁、響、雷、電》、第21駆逐隊《若葉、初春、子日、初霜》、第7駆逐隊《潮、曙、漣》)は北方部隊(指揮官:第五艦隊司令長官細萱戊子郎中将:旗艦「那智」)に編入[45]。アリューシャン方面作戦に従事することになった。その後、「子日」は水上機部隊を護衛し、アッツ島湾外の哨戒活動を行うことになった。 7月5日、第21駆逐隊(若葉、初霜)は輸送部隊の護衛を命じられて水上機部隊から分離する中、「子日」は6月21日に撃沈を報告した潜水艦から機密文書を回収するため、この作業に従事していた[56][57]。 だが目標の沈没潜水艦を発見できず、水上機部隊と合流するためアガッツ島南方を北上する[52]。当時のアッツ島方面は濃霧のため、水上偵察機の発進もできなかったという[57]。だがこの時、同島ドッグ岬沖において米潜水艦トライトン (USS Triton, SS-201)が「子日」を雷撃した[52][58]。12時50分、トライトンの発射した魚雷1本が「子日」の右舷中央部に命中[59]、艦体は前部と後部に分断され、「子日」は轟沈した[59]。寺内艦長等は転覆した「子日」の艦体に登ると、「子ノ日万歳」を唱えたのち、行方不明となった(戦死認定)[59]。北方の低温のため188名が戦死し、本艦は初春型駆逐艦最初の沈没艦となった[60]。