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2024/05/18

昭和文学会:第74回研究集会(2024年5月18日(土)13:00~17:30、東洋大学 白山キャンパス+オンライン)※オンライン要申し込み

研究会情報です。●公式サイトはこちらhttp://swbg.org/wp/?p=2889--------------------※詳細は上記サイトをご確認ください。特集 〈鉄のカーテン〉を超えて   ――日本文学とヨーロッパ旧共産圏―【開会の辞】石田  仁志(東洋大学文学部教授)【基調講演】天国病との闘い ――日本作家の見た東欧――阿部 賢一( 東京大学)人民民主主義と観念小説 ――大西巨人における〈東ヨーロッパ〉――山口 直孝(二松學舍大学)司会:山﨑 眞紀子・杉本 裕樹【研究発表】鉄のカーテンと煙幕 ――中・東欧旧共産圏における日本近代文学受容の諸系譜――ホルカ イリナ(東京外国語大学)「国境病」と「天国病」 ――安部公房の見た〈境界〉――坂 堅太(就実大学)司会:熊澤 真沙歩・青木 怜依奈【シンポジウム】司会:ツィマ イゴール・藤村 耕治【閉会の辞】佐藤 秀明(代表幹事)※閉会後、学内において懇親会を設ける予定です。【企画趣旨】 第二次世界大戦後、中・東欧はソ連の主導権が急速に強まる共産圏に吸収され、世界は〈鉄のカーテン〉によって東西に分断された。一九五六年のスターリン批判、同年のハンガリー動乱、六八年のチェコ事件、八〇年代のポーランドの市民運動、チェルノブイリ原子力発電所事故、ペレストロイカ改革の失敗、ベルリンの壁崩壊やチェコスロヴァキアのビロード革命など、共産圏に起こった一連の出来事は、世界の秩序を強く揺るがした。アメリカを中心とする西側諸国に組み入れられた戦後日本は、東側諸国とは分断されていたように捉えられがちだが、実際には共産主義思想が再興し、双方向的な交流があった。このように、旧共産圏との関係を抜きに戦後日本の文学的状況を考えることはできないが、研究の蓄積はいまだ十分とは言えない。研究史におけるこの見逃しがたい〈空白〉を埋めることを本企画は目指す。 日本の文学者では、一九五六年四月に、スターリン批判の直後に開催されたチェコスロヴァキア作家同盟大会に日本代表として招聘された安部公房は中・東欧を巡遊したが、帰国後に勃発したハンガリー事件が彼に衝撃を与え、思想的転換点となった。六〇年代に中・東欧を旅行した埴谷雄高(『姿なき司祭』一九七〇)や島尾敏雄(『夢のかげを求めて』一九七五)などの戦後派の作家たちの紀行作品からは、西側のメディアによって作り出される単色のイメージとは異なる共産圏諸国の多様性を読み取ることができる。また戦後派の作家にかぎらず、真継伸彦の『光る聲』(一九六六)には、スターリン批判やハンガリー動乱による日本の共産主義者の動揺が描かれており、真継と同世代の五木寛之や開高健から、八〇年代にデビューした島田雅彦などに至るまで、フィクションかノンフィクションかを問わず、日本の作家たちは中・東欧共産圏の諸事情を繰り返し題材にし、さまざまな形で描出してきた。 それとともに、共産圏諸国における日本文学の紹介、翻訳や研究も活発に行われていた。中・東欧共産圏における受容状況は各国で異なっていたが、そこには一定の傾向も見て取れる。徳永直や小林多喜二らのプロレタリア文学が高く評価される一方、梅崎春生や野間宏など、帝国主義批判や反戦思想を表した作品も翻訳された。翻訳にしばしば付された、政治的プロパガンダを前面に出した解説から、共産圏外に生まれた文学作品を政治的に〈読み直す〉戦略を見て取ることができる。その上、例えば、西欧やアメリカで注目されていた三島由紀夫の翻訳が、共産圏諸国においては極めて少なかったという事実にも、政治的な影響を垣間見ることができる。 以上のように、本企画の目的は、日本の文学者が中・東欧共産圏といかに向き合ったか、そして〈向こう側〉とされていた中・東欧共産圏諸国が日本文学をいかに受容したかを多角的に検討することである。加えて、冷戦時代を思わせるさまざまな壁が続々と生まれ、中・東欧旧共産圏が再び動乱の舞台となった現在の状況を考えるうえでも、かつての分断された世界で文学や思想が〈鉄のカーテン〉を越える力をどれほど持っていたかということを見直す契機としたい。【講演者紹介・発表要旨】天国病との闘い ──日本作家の見た東欧──阿部 賢一(あべ・けんいち) 第二次世界大戦後、複数の日本作家が「東欧」と呼ばれる社会主義圏のヨーロッパを訪問し、旅行記を残している。だがこれらの作品は、他の外国滞在記とは性質を異にする点がある。社会主義国への期待と批判という両義的な側面が見受けられるからである。安部公房が著作『東欧を行く ハンガリア問題の背景』(昭和三二年)で「天国病との闘い」という表現を用いているように、彼らの東欧体験は、各々の創作を顧みる契機も有していた。本講演では、安部公房、大江健三郎、開高健、島尾敏雄、埴谷雄高らの東欧体験をたどりつつ、「東欧」に託されていたものを検討する。また東欧における翻訳状況についても言及し、社会主義期の日本文学の受容についても考察を行いたい。(東京大学)人民民主主義と観念小説 ――大西巨人における〈東ヨーロッパ〉――山口 直孝(やまぐち・ただよし) 安部公房、埴谷雄高、大西巨人「〈社会時評〉ハンガリー問題と文学者の立場」(『新日本文学』一九五七年一月号)は、ハンガリー事件をめぐる鼎談である。三人のうち、安部は前年にチェコスロヴァキアなどを訪れ、埴谷も六八年にソヴェト、ポーランドほかを周遊している。本講演では、現地に赴く機会のなかった大西に注目する。 大西は、自力で革命をなしえなかったことに東欧諸国の課題を見ている。一方で人民民主主義について、プロレタリア独裁とは異なる運動の可能性を見出していたようである。敗戦直後の『キュリー夫人伝』への感動から八〇年代の「連帯」運動に向けた共感に至るまで、大西にはポーランドへの一貫した関心があった。文学における興味は、抵抗文学に留まらず、前衛的な作品にも及んでいる。ゴンブローヴィッチの受容などを手がかりに、大西の「観念小説」的な傾向を〈東ヨーロッパ〉との関わりでとらえ、安部や埴谷の創作と比較してみたい。(二松學舍大学)【研究発表要旨】鉄のカーテンと煙幕 ――中・東欧旧共産圏における日本近代文学受容の諸系譜――ホルカ イリナ 第二次世界大戦後の世界は〈鉄のカーテン〉によって分断され、人や情報の流通が制限される中、東西の相互認識が単色化していった。しかし東側の共産圏に吸収された各国は、それぞれの戦前の歴史や従来属していた文化圏・言語圏によって、複数の「社会主義」を展開し、その西側との距離の取り方も異なっていた。そして西側の中でも、東洋に位置する日本は特殊な存在であったことはいうまでもないだろう。 本発表では、共産主義時代のルーマニアにおける日本文学の受容と、中・東欧の他国の事情とを比較していく。それぞれの日本像を浮上させることで、共産圏内の諸国を隔てる複数の〈煙幕〉の存在について考察する。尚、今回の考察は、現在ジェオルジェ・シポス氏と共に編集している論文集Japan behind the Iron Curtain(二〇二四年出版予定)に基づいている。企画の協力者には中・東欧の大学に所属している研究者も多く含まれており、その研究の成果を〈鉄のカーテン〉を超えて紹介したい。(東京外国語大学)「国境病」と「天国病」 ――安部公房の見た〈境界〉―― 坂 堅太(さか・けんた) 冷戦体制下の西側知識人にとって、鉄のカーテンの〈向こう側〉に存在する社会は、〈いま・ここ〉を相対化するための重要な参照先だった。一九五六年に発表された安部公房の東欧旅行記「東ヨーロッパで考えたこと」もまた、「ここ資本主義」とは「べつな社会」への期待を語っている。ただし、社会主義国をユートピアのように描く姿勢については、「天国病」という厳しい批判が加えられてもいた。このとき興味深いのは、スターリン批判後の東欧に民主主義の新たなイメージを発見した安部が、その後「アメリカ」にも「完璧な民主主義」を見出していったことである。今なお固定的に把握されがちな「東/西」の枠組みとは異なる民主主義の理解から、安部はどのようなヴィジョンを構想していたのか。本報告では、東欧旅行記とその翌年に書かれたアメリカ論「アメリカ発見」の分析を中心に、「東/西」の〈境界〉をめぐる安部の思索をたどっていく。(就実大学)