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1944年、横須賀での二度にわたる整備ののち、第十戦隊(秋雲、風雲、若月)は「翔鶴」を護衛して瀬戸内海に向かった[80]。訓練の後、2月6日に第十戦隊(矢矧、秋雲、風雲、若月、秋月)は第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)、重巡洋艦筑摩を護衛して洲本沖を出撃し、リンガ泊地へ進出した[81]。 物件輸送のため4月5日にシンガポールを出撃して再度ダバオに向かう[86]。4月9日にダバオに到着して燃料や航空魚雷などを陸揚げした後[87]、翌4月10日にダバオを出撃してリンガ泊地に向かった。しかしその道中でバリクパパンからダバオに単独向かう途中の特設運送船聖川丸(川崎汽船、6,862トン)と会合し、ダバオからサンボアンガまで護衛するよう命じられる[88]。スールー海から引き返し[87]、訓練と警戒を行いつつバシラン海峡を東航してダバオに向かった[87]。一方その頃、アメリカ軍の潜水艦レッドフィン(USS Redfin, SS-272) がバリサン海峡東方で哨戒を行っていた。夕刻、レッドフィンは約10,000ヤードの距離でマストを発見[89]、引き続き観測すると目標(秋雲)は吹雪型駆逐艦と目されジグザグ航行を行っており、18ノットの速力で航行していると推定された[89]。レッドフィンは艦尾発射管で攻撃を行う事とし[89]、18時15分、艦尾発射管から4本の魚雷を発射した[89]。間もなくレッドフィンが発射した最初の魚雷は「秋雲」の一番砲塔付近に命中し、続いて二番目の魚雷はメインマスト付近に命中した[89]。三番目の魚雷も命中したが[89]、四番目の魚雷は外れたと考えられた[90]。秋雲側では4本が命中したと判断された[91]。魚雷の命中を受けて船体は45度に傾き、艦尾は海中に没していた[87]。秋雲駆逐艦長入戸野篶生少佐は「総員退艦」を令した後、艦橋予備室に入って戸を閉め艦と運命をともにした[87]。18時17分、北緯06度45分 東経122度41分のサンボアンガ灯台の112度26.7海里地点において沈没した[92][93]。