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駆逐艦疾風:戦没日(1941)

 第29駆逐隊第1小隊(追風、疾風)は南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官(旗艦「鹿島」)の指揮下で太平洋戦争開戦初頭のウェーク島攻略戦に参加した。1941年12月11日午前3時、アメリカ軍ウェーク島守備隊は南の水平線上に船影を発見、船影を日本艦隊と判断する[127]。2人はウェーク島砲台の射程外から巡洋艦にアウトレンジ砲撃されることをおそれ、日本艦隊が十分接近するまで砲撃を控えるよう命令した[127]。攻略部隊は自分達が待ち伏せされている事に全く気が付いていなかった[128][129]。  日本艦隊は大発動艇の夜間発進に手間取り、天明を待って上陸作戦を実施することにした[116]。戦闘は軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)の艦砲射撃ではじまった[130]。約1時間の砲撃ののち、日本軍輸送船団は上陸部隊の展開をはじめる[128]。  「疾風」は「睦月」の後方を航行していた[131]。 米軍によれば、「疾風」は砲台の斉射に対し左に舵を切り、片舷斉射を行った[132]。この運動によって被弾面積が大きくなり、絶好の目標になる[133]。砲撃は艦中央部に命中。艦尾から艦全体に黒煙が広がったかと思えば[134]、200メートルぐらいの水柱を上げ[135]、これらが姿を消した頃には「疾風」の姿はなかった。地上砲台からは真っ二つになった「疾風」が見え、すぐに沈んでゆく光景が見られた[133]。日本時間午前4時過ぎであった。168名総員戦死[133]。