Today 2025 September17 (Wed) 14:00 Etc/GMT-9

2025/10/05

駆逐艦槇:除籍日(1945)

 12月9日未明の佐世保に入港直前、悪天候の中を航行する日本艦隊は野母崎沖でアメリカ潜水艦のウルフパックに発見される。「榛名」より『槇は隼鷹の後につけ』の命令があり、本艦は2隻(榛名、隼鷹)右側を反航して南下、「隼鷹」の後方につく直前に雷撃を受けた[39]。三菱長崎造船所で1945年(昭和20年)3月15日まで修理に当たり、4月6日から7日の大和特攻では、「花月」(第三十一戦隊旗艦)および「榧」とともに、前路掃討隊として豊後水道出口まで艦隊に随伴した[48]。以後は瀬戸内海で数回の対空戦闘を行ったが無傷で、終戦時は呉に在泊していたとも[49]、「榧」「竹」とともに山口県屋代島の日見海岸に疎開し、そのまま終戦を迎えたともされる[50]。  10月5日に除籍。