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2025/09/02

駆逐艦敷波:戦没日(1944)

 1944年(昭和19年)8月1日、シンガポール沖にて座礁事故を起こすも、離礁に成功する。応急修理の後、本格的な修理を受けるためにヒ72船団の護衛に協力して内地に向かうことになった。  しかし、9月12日01時55分、船団は米潜水艦「グロウラー」 (USS Growler, SS-215)の雷撃を受ける。船団護衛部隊旗艦の海防艦「平戸」に魚雷1本が命中[2][3]。平戸は閃光と水柱に包まれ、それが消えると同時に海上からその姿を消し[4]、護衛司令官の梶岡定道少将が戦死してしまう。旗艦を失い、混乱する船団は米潜水艦部隊の雷撃により被害が次々に増える中、敷波は対潜掃討を行っていたが、06時55分、北緯18度16分 東経114度40分の海南島東方洋上でグロウラーの再度の雷撃で魚雷2本が立て続けに命中して4分で沈没した[5]。駆逐艦長の高橋達彦少佐以下乗員多数が戦死し、乗員120名が海防艦御蔵に救助された。