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2025/09/27

駆逐艦陽炎:進水日(1938)

 舞鶴海軍工廠で1937年(昭和12年)9月3日に起工[5]。1938年(昭和13年)4月15日、舞鶴工廠で建造中の駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与えられた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐艦』が新設され、3隻(陽炎、不知火、黒潮)は同型に類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8]。  1939年(昭和14年)2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長(初代)となる[11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが(不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日)、竣工は「陽炎」の方が先である[12]。