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 っくたっく
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SUMMARY:駆逐艦舞風：竣工日(1941)
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DESCRIPTION:　マル4計画、仮称第114号艦として藤永田造船
 所で建造開始。1940年（昭和15年）4月22日起工[3]。 1941年
 （昭和16年）2月5日、「舞風」と命名され[1]、一等陽炎
 型として登録される[4]。 同年3月15日進水[3]。 日本海軍
 は4月10日附で、神風型駆逐艦7番艦「疾風」艦長[5]、吹
 雪型駆逐艦5番艦「叢雲」艦長[6]等を歴任した中杉清英
 中佐を、舞風艤装員長に任命する（後任の叢雲艦長は
 東日出夫少佐）[7]。4月18日、藤永田造船所に艤装員事
 務所を設置[8]。 \n　7月15日竣工[3]。同日附で艤装員事
 務所を撤去[9]。中杉は制式に舞風駆逐艦長（初代）と
 なる[10]。同日附で横須賀鎮守府籍[11]。
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SUMMARY:駆逐艦竹：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　戦後の「竹」は1945年（昭和20年）12月1日、
 横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に定められ[158]、行
 動可能な他の艦船と同様復員輸送に従事した。1946年に
 復員輸送を終え同年7月26に特別保管艦に指定[163]され、
 横須賀地方復員局特別保管艦艇第三保管群に属して横
 須賀に繋留[164]された。\n　1947年（昭和22年）7月16日に
 は特別輸送艦の定めを解かれ[165]、イギリスに賠償艦と
 して引き渡され解体された。
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SUMMARY:駆逐艦萩：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　5月20日付で「梨」とともに第三十一戦隊 （
 鶴岡信道少将・海兵43期）第五十二駆逐隊に編入された
 [4]。7月24日、山口県祝島南方で対空戦闘により小破し
 た。終戦時は呉にあった。\n　12月1日特別輸送艦に指定
 され、復員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年（
 昭和22年）7月16日シンガポールでイギリスへ引渡された
 。
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SUMMARY:駆逐艦初雪：戦没日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260717T150000Z
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）6月30日、アメリカ軍はニ
 ュージョージア島ムンダ飛行場対岸のレンドバ島に上
 陸し、ニュージョージア島の戦いがはじまる。「初雪
 《第11駆逐隊司令山代大佐座乗》、望月」は西村艦隊に
 先行して7月16日夕刻にラバウルを出撃、17日午前5時に
 ブインへ入港[73][74]。「初雪」は「水無月」に、「望月
 」は「皐月」に横付けして物件・重油の移載をおこな
 っていた[72]。\n　7月17日朝、ブインは大型爆撃機19、戦
 爆約150機の大空襲を受ける[70][75]。至近弾多数と艦橋後
 部附近に被弾した「初雪」は、浸水により水平状態で
 沈没（山代司令によれば、浅い水深のためマストは海
 面上に出ていたという）[74]。
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SUMMARY:駆逐艦朝霜：進水日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第344号艦として
 藤永田造船所で建造、1943年（昭和18年）1月21日起工。5
 月25日、姉妹艦（沖波、岸波）や海防艦2隻（御蔵、平
 戸）、標的艦波勝等と共に命名された[1]。3隻（沖波、
 岸波、朝霜）は同日附で夕雲型駆逐艦に登録された[3]
 。その後7月18日進水。11月1日、日本海軍は駆逐艦如月
 ・朝霧・夕霧艦長等を歴任した前川二三郎少佐を、臨
 時朝霜艤装員長に任命した[4]。 11月2日、藤永田造船所
 に朝霜艤装員事務所を開設[5]。 \n　本艦は同年11月27日
 に竣工し[6]、朝霜艤装員事務所も撤去された[7]。同日
 附で正式に横須賀鎮守府籍
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SUMMARY:駆逐艦島風：進水日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260718T150000Z
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）8月8日、舞鶴海軍工廠で起
 工。 1942年（昭和17年）5月15日、第125号艦を島風（シマ
 カゼ）と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風
 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦
 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20]
 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻（秋月、初
 月）や夕雲型駆逐艦4隻（巻波、340号艦早波、341号艦浜
 波、342号艦沖波）の建造[39][40]、軽巡4隻（那珂、名取
 、天龍、龍田）や駆逐艦複数隻（薄雲、大潮、霞、不
 知火、初春）等の修理整備工事を抱えており[41]、島風
 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水
 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n　1943年（昭和18年
 ）3月20日附で、広瀬弘中佐（駆逐艦春雨艦長等を歴任
 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附
 で同艦駆逐艦長免職[44]）が島風の艤装員長に任命され
 た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に
 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5
 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。
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SUMMARY:駆逐艦沖波：進水日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第342号艦として
 舞鶴海軍工廠で建造されることになり、1942年（昭和17
 年）8月5日起工[9][1]。\n　1943年7月18日、「沖波」は進水
 した[24][2]。本艦は12月10日に竣工[3][4][33]、沖波艤装員
 事務所は撤去された[34]。牧野艤装員長も、正式に沖波
 駆逐艦長（初代）となった[35]。舞鶴鎮守府籍。
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SUMMARY:駆逐艦矢風：竣工日(1920)
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DESCRIPTION:　峯風型駆逐艦として1918年8月15日起工、1920年
 4月10日進水。1920年（大正9年）7月19日三菱長崎造船所で
 竣工。横須賀鎮守府籍。1931年（昭和6年）に所属の第2
 駆逐隊は第一航空戦隊（鳳翔、加賀）に編入され、翌
 年の第一次上海事変に参加する。\n　1937年（昭和12年）
 以降は駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去し「摂津」の
 無線操縦艦として用いられた。
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SUMMARY:駆逐艦清波：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　ラバウルを出撃した夜戦部隊は、1943年7月19
 日にショートランド北方で輸送隊と合流し、コロンバ
 ンガラ島を目指す[52][69]。 夜になってベララベラ島北
 方で輸送隊を分離し、夜戦隊はクラ湾を遊弋する[70]。
 これら一連の西村部隊の行動は、米軍のPBYカタリナ飛
 行艇によって捉えられていた[71]。7月20日、カタリナか
 らの通報を受けた米軍は、ヘンダーソン飛行場から雷
 撃機TBFアヴェンジャーを発進させ、西村部隊に対し夜
 間空襲を敢行する。\n　午前0時35分頃、TBFが放った魚雷
 が駆逐艦「夕暮」に命中し、同艦は轟沈した[76][77][78]
 。 本艦は直ちに反転[79]。「夕暮」の救援に向かい、生
 存者を救助中との報告が入る[80]。だが2時30分以降連絡
 が途絶え[81]、総員戦死と認定された[82]。本艦は夕暮生
 存者20名を救助したのち、爆撃を受けて船体機関部・後
 部に爆弾が命中、航行不能となった[84]。黎明時にふた
 たび米軍機約15機の空襲を受け機関室部分に爆弾3発が
 命中、轟沈した[84]。\n　米軍によれば、「夕暮」の沈
 没地点南緯07度25分 東経156度45分。「清波」は南緯07度13
 分 東経156度45分の地点でB-25ミッチェル爆撃機に撃沈さ
 れた。
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SUMMARY:駆逐艦夕暮：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年7月20日、日付変更後の米軍機の空襲に
 より、巡洋艦部隊の右舷先頭にいた「夕暮」に魚雷が
 命中[166][169]。艦体切断により轟沈した[170][171]。戦闘詳
 報によれば空襲時の右舷先頭は清波で、夕暮はその後
 方で魚雷を受けている。 駆逐艦「清波」が救援に向か
 い、夕暮生存者を救助したと報告[173]。だが2時30分以降
 連絡が途絶え[174]、こちらも総員戦死と認定された[175]
 。旗艦「熊野」にも魚雷1本が命中して損傷[176]。輸送
 隊の「水無月、松風」も空襲により小破した。米軍に
 よれば、「夕暮」を撃沈したのはガダルカナル島から
 飛来したTBFアベンジャー雷撃機であり、沈没地点南緯07
 度25分 東経156度45分。
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SUMMARY:駆逐艦睦月：進水日(1925)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260723T150000Z
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。同年7月19日、
 舞鶴工作部で建造予定の駆逐艦に第十九駆逐艦の艦名
 が与えられた[4]。同日附で「第十九駆逐艦」、第二十
 一駆逐艦、第二十三駆逐艦、第二十五駆逐艦、第二十
 七駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。1924年（大正13
 年）4月24日、艦名に「号」の字が加えられ艦名を第十
 九号駆逐艦に改正した[6]。\n　第19号駆逐艦(睦月)は佐
 世保海軍工廠で1924年5月21日に起工、1925年（大正14年）7
 月23日進水、1926年（大正15年）3月25日に竣工し[7]、佐世
 保鎮守府に所属する。その後1928年（昭和3年）8月1日附
 で第19号駆逐艦は睦月へと改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦沼風：竣工日(1922)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1921年8月10日起工、1922
 年2月25日進水。同年7月24日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年（大正11年）12
 月28日より同型艦「野風」「波風」、神風型駆逐艦 (2代
 )「第一駆逐艦」（「神風」）と第1駆逐隊を編成し、千
 島、北海道方面の交通保護に当った。
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SUMMARY:駆逐艦山雲：進水日(1937)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z
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DESCRIPTION:　駆逐艦「山雲」は藤永田造船所で建造開始
 。1936年（昭和11年）10月22日、「山雲（ヤマグモ）」と
 命名[1]。姉妹艦「朝雲」、工作艦「明石」も同日附で
 命名されている[1]。同年11月4日に起工、1937年（昭和12
 年）7月24日に進水、1938年（昭和13年）1月15日に竣工[4]
 。同時に第41駆逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦白雲：竣工日(1928)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z
UID:187105319247
DESCRIPTION:　1926年（大正15年）9月29日、建造予定の駆逐
 艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦（のちの初雪）」
 、「第四十一号駆逐艦（〃薄雲）」、「第四十二号駆
 逐艦（〃白雲）」、「第四十三号駆逐艦（〃磯波）」
 の艦名が与えられる[6]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類
 別される[7]。 「白雲」は藤永田造船所で同年10月27日に
 起工、1927年（昭和2年）12月27日に進水、1928年（昭和3年
 ）7月25日に竣工[8]。「白雲」の建造スケジュールは、
 姉妹艦「東雲、薄雲、磯波」とほぼ同一だった[9][10][11]
 。1928年（昭和3年）8月1日附で「第42号駆逐艦」は「白
 雲」と改名される[1]。同日、第12駆逐隊に編入。同年12
 月1日、第12駆逐隊は第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦楓：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z
UID:139109242879
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5505号艦として横須賀海軍
 工廠で建造された。1944年3月4日起工、7月25日に進水、10
 月30日に竣工した。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦初月：起工日(1941)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z
UID:248974949834
DESCRIPTION:　本艦は1941年（昭和16年）7月25日、舞鶴海軍
 工廠で起工[6]。 1942年（昭和17年）3月1日、足摺型給油
 艦「足摺」等と共に命名[3]、同日附で一等駆逐艦秋月
 型に類別された[10]。4月3日に進水[11][12]。 12月29日に竣
 工した[20][6]。 2隻（涼月、初月）は横須賀鎮守府部隊
 に編入される[23]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦灘風：戦没日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z
UID:516684462595
DESCRIPTION:　1940年（昭和15年）4月、哨戒艇に改装され艦
 種変更、第2号哨戒艇と改名される。太平洋戦争開戦直
 前、後甲板・艦尾を改造し、大発2隻を搭載する強襲揚
 陸艦となり、12cm単装砲1門と魚雷兵装を撤去し陸戦隊約
 250名収容可能の居住区を設けた。\n　終戦間近の1945年
 （昭和20年）7月25日、小スンダ列島のロンボク海峡でイ
 ギリスの潜水艦スタッボーン（en:HMS Stubborn (P238)）の雷
 撃により撃沈された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦桑：竣工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z
UID:276095327532
DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造され、1943年12月10日起工
 、1944年（昭和19年）5月25日に進水、7月25日竣工。訓練
 部隊の第十一水雷戦隊（司令官高間完海軍少将・海軍
 兵学校41期）に編入される[2]。瀬戸内海に回航され、8
 月3日から8月30日までは輸送任務に従事中の長良軽巡洋
 艦1番艦「長良」に代わって第十一水雷戦隊の旗艦を務
 めた[3]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦夕月：竣工日(1927)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z
UID:198582398239
DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。藤永田造船所
 で建造され1926年11月27日に起工、1927年3月4日に進水。192
 7年（昭和2年）7月25日に竣工、佐世保鎮守府に所属した
 。当初は「第三十四号駆逐艦」という艦名であり、一
 等駆逐艦に類別され、1928年（昭和3年）8月1日に「夕月
 」と改名された。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦薄雲：竣工日(1928)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260726T150000Z
UID:336868403749
DESCRIPTION:　1926年（大正15年）9月29日、建造予定の駆逐
 艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦（のちの初雪）」
 、「第四十一号駆逐艦（〃薄雲）」、「第四十二号駆
 逐艦（〃白雲）」、「第四十三号駆逐艦（〃磯波）」
 の艦名が与えられる[7]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類
 別される[8]。 「薄雲」は東京石川島造船所で同年10月21
 日に起工、1927年（昭和2年）12月26日に進水、1928年（昭
 和3年）7月26日に竣工[9]。「薄雲」の建造スケジュール
 は、姉妹艦3隻（東雲、白雲、磯波）とほぼ同一だった[
 10][11][12]。 竣工から一週間もたたない8月1日附で「第41
 号駆逐艦」は「薄雲」と改名される[5]。同年12月1日、
 第二艦隊・第二水雷戦隊・第12駆逐隊に編入された。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦涼波：竣工日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260727T150000Z
UID:685540505178
DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第126号艦として浦
 賀船渠で建造。1942年3月27日起工、1943年（昭和18年）2月
 5日、命名[2]。同日附で他の潜水艦や海防艦と共に艦艇
 類別等級表に類別される[3][4][5]。3月12日進水。\n　6月25
 日、浦賀船渠に設置された涼波艤装員事務所において
 事務を開始[6]。 日本海軍は7月1日附で、高雄型重巡洋
 艦2番艦「愛宕」水雷長[7]、白露型駆逐艦10番艦「涼風
 」艦長[7][8]、白露型5番艦「春雨」艦長[9]等を歴任した
 神山昌雄中佐（海軍兵学校51期）[10]を、涼波艤装員長
 に任命する[11]。 7月27日、竣工[12][13]。舞鶴鎮守府籍と
 なる[14][15]。 
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END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦有明：戦没日(1943)
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UID:225760887791
DESCRIPTION:　1943年7月23日、第27駆逐隊第1小隊1番艦「時雨
 」・2番艦「有明」はトラック泊地を出港、ラバウルに
 向う[139]。「有明」は機関部の故障により最大発揮速力
 28ノットであった[140]。25日ラバウル到着後、1番艦「時
 雨」はサンタイサベル島レカタ基地とブイン輸送任務
 従事のため第4駆逐隊（萩風、嵐）の指揮下に入り、3隻
 は同日中にラバウルを出港していった[141][142]。残され
 た2番艦「有明」は、第30駆逐隊司令駆逐艦「三日月」
 指揮下に入り、ニューブリテン島ツルブへの輸送作戦
 に従事する[143]。\n　27日午前10時、「三日月」「有明」
 はラバウルを出撃、ツルブへ向かうが、26ノットで航行
 中の同日午後11時にニューブリテン島グロスター岬近海
 でリーフに2隻とも坐礁する[143][144]。 「有明」は28日午
 前0時45分に離礁に成功するも、左舷推進軸は屈曲し、
 最大発揮速力6ノットという被害を受けていた[145]。 ラ
 バウルに向かう途中、B-25爆撃機複数機の空襲を受け、
 「有明」の一番主砲右舷・三番主砲後部、右舷缶室、
 左舷機械室水線附近に爆弾各1発が命中、左舷に傾斜し
 て14時40分に沈没した[145]。
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SUMMARY:駆逐艦梨：戦没日(1945)
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UID:236068517482
DESCRIPTION:　1945年7月28日、平郡島北岸沖において停泊中
 、アメリカ空母機動部隊艦載機の空襲を受ける。早朝
 から午後にかけてグラマンF6F戦闘機による複数回の攻
 撃を受け、艦の各所にロケット弾を被弾[32][33]、このう
 ち午後の艦後部弾薬庫へ命中した1発により大きな損傷
 を受け、浸水により傾斜が増大、総員退艦が発令され
 た後、午後2時に転覆沈没した[15]。\n　確認された戦死
 者は38名[15]、行方不明者を含む犠牲者は60名以上であっ
 た[34]。生存者155名は僚艦「萩」と地元漁民に救助され
 、「萩」にて翌日に呉に帰還した。
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SUMMARY:駆逐艦椿：解体日(1948)
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DESCRIPTION:　1945年7月13日に備讃瀬戸に回航された後[16]、
 7月24日に備讃瀬戸で第38任務部隊（ジョン・S・マケイ
 ン・シニア中将）の艦載機の攻撃を受け中破し、28日に
 も再度の空襲を受けた。8月15日の終戦時、呉で中破状
 態で残存。11月30日に除籍ののち長く放置された後、1948
 年（昭和23年）7月1日から播磨造船呉ドックで解体が開
 始され、7月28日に解体が終了した。
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SUMMARY:駆逐艦桐：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　1947年（昭和22年）7月29日、ソビエト連邦に
 賠償艦としてナホトカで引き渡される。艦名は「復活
 した」という意味のヴォズロジュジョーンヌイ（ロシ
 ア語:Возрожденныйヴァズラジュヂョーンヌィイ）
 に改称される。8月中旬にウラジオストクへ回航され、1
 949年3月まで係留ののち、3月中旬には現役を退いて、武
 装解除上で標的艦となる。7月17日に艦名を TsL-25（ЦЛ-25
 ツェエール・ドヴァーッツァチ・ピャーチ 。「第25号
 標的艦」といった意味）に改称。\n　その後、1969年12月
 20日に退役し、解体のため資金資産局へ引き渡される。
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SUMMARY:駆逐艦三日月：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）7月25日、トラック泊地よ
 り第27駆逐隊の駆逐艦2隻（時雨、有明）が「三日月」
 の停泊するラバウルに到着した[13]。東部「ニューギニ
 ア」方面作戦輸送に参加するためである[14]。27日午前10
 時、第30駆逐隊司令（折田常雄中佐）が座乗する「三日
 月」は、臨時編入された「有明」と共にラバウルを出
 撃、ニューブリテン島・ツルブへの輸送任務に従事す
 る[17][18]。途中ココボで陸軍兵及び軍需物資を移載し目
 的地へ向かうが、23時、「三日月、有明」ともグロスタ
 ー岬49度5浬のリーフに速力26ノットで座礁してしまう[19
 ][18]。両艦の損傷は重大であった。「三日月」は兵員室
 下部倉庫に浸水、左舷推進軸屈曲使用不能、屈曲した
 右舷推進器は午前3時1分に脱落した[20]。「有明」は左
 舷後部の座礁により最大速力6ノットとなった[21]。\n　
 その頃、座礁現場に残された「三日月」は燃料や糧食
 を投棄し重量物を減らして離礁を試みていたが、無事
 だった右舷推進軸も脱落して完全に行動不能となり、10
 時30分頃に戻ってきた「有明」による救援作業も失敗、
 7月29日13時30分をもって折田司令は「有明」にラバウル
 帰投を命じた[26]。 しかし、両艦はアメリカ陸軍のB-25
 爆撃機約20機の空襲を受ける。「有明」は爆弾3発が命
 中して14時40分に沈没。「三日月」には右舷機械室水線
 近くに命中弾1があり、横4.5ｍ-縦1.5ｍの破孔が生じた他
 、船体各部に被害が生じた[27]。進退不能となった「三
 日月」の現状に対し、折田司令は駆逐艦「秋風」の到
 着をもって「三日月」の放棄を決定、「三日月、有明
 」生存者は同艦に移乗した[28][29]。戦死者7名、重傷者12
 名、軽傷者25名、未収容者85名、「秋風」に170名移乗と
 記録されている[30]。沈没地点南緯5度27分 東経148度25分
 。
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SUMMARY:駆逐艦初桜：引渡日(1947)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z
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DESCRIPTION:　9月15日除籍。12月1日特別輸送艦に指定され
 、復員輸送に従事。その後、ソ連へ賠償艦として引き
 渡すことになり、1947年（昭和22年）7月5日には佐伯にて
 ヴェートレンヌイ（ロシア語:Ветреныйヴィェートリ
 ェンヌィイ）（風のある、軽薄な」という意味）に改
 称。艦隊水雷艇（駆逐艦のこと）としてソ連海軍へ編
 入され、7月29日、ナホトカでソ連側に引渡され、1947年8
 月中旬にはウラジオストクへ回航された。10月22日には
 艦名は「表情豊かな、意味深長な」という意味のヴィ
 ラジーテリヌィイ（Выразительныйヴィラズィーチ
 ェリヌィイ）に改称された。\n　ヴィラジーテリヌィイ
 となってよりは1949年までウラジオストクに係留された
 が、同年3月中旬には標的艦に類別を変更された。
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SUMMARY:駆逐艦汐風：竣工日(1921)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1920年5月15日起工、同
 年10月22日進水。1921年7月29日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦榧：進水日(1944)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造された。1944年4月10日起
 工、7月30日に進水、9月30日に竣工した。就役後、訓練
 部隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）
 に編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
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SUMMARY:駆逐艦秋月：起工日(1940)
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DESCRIPTION:　1939年（昭和14年）度のマル4計画による乙型
 一等駆逐艦の第104号艦として建造がはじまる。舞鶴工
 廠にて1940年（昭和15年）7月30日に起工[6][7]。1941年（昭
 和16年）2月に軍令部が策定した計画では、大和型戦艦
 や改大和型戦艦、航空母艦の直衛艦として乙型駆逐艦
 （秋月型）を大量配備することが検討されている[8]。5
 月15日、正式に秋月と命名[4]、一等秋月型秋月として登
 録される[9]。7月2日に進水[7]。同日附で佐世保鎮守府籍
 [10]。\n　本艦の完成（竣工）は1942年5月25日を予定して
 いたが公試で主砲塔に不具合が判明し、6月中旬に延期[
 19]。秋月は砲塔の不具合を解消しないまま急遽作戦に
 投入することになり、完成予定日を繰り上げて6月11日
 に竣工した[22][23]。 同日附で警備駆逐艦[24]。
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SUMMARY:駆逐艦初霜：戦没日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年6月、初霜は宮津湾で砲術学校練習艦と
 なった。 7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将
 から松本毅少将へ交代[130][131]。だが7月15日、第十一水
 雷戦隊は解隊された[132][133]。十一水戦先任参謀松原瀧
 三郎大佐（駆逐艦五月雨艦長、第二水雷戦隊参謀《多
 号作戦時島風乗艦》等を歴任）は第17駆逐隊司令に任命
 される[133]。松原司令は雪風を司令駆逐艦に指定した[13
 4]。\n　1945年7月30日、舞鶴をアメリカ軍機が空襲した。
 初霜は対空戦闘中に触雷し大破し[135]、艦尾部分の沈下
 により爆雷が誘爆し、初霜は海岸に擱座・着底した[135]
 。
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SUMMARY:駆逐艦楠：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　大阪湾に到着後、1945年5月11日には大阪港で
 対空戦闘を行った。その後、「柿」とともに呉に回航
 され訓練に従事する[3]。やがて、第十一水雷戦隊は瀬
 戸内海への機雷投下を避けて日本海側に移動すること
 となる。5月27日に舞鶴に到着するも、舞鶴鎮守府から
 「空襲の際に刺激となる」との理由で、舞鶴以外の場
 所へ移動するよう要請を受ける[4]。そこで、6月に入っ
 て小浜湾に移動することとなった[5]。7月15日付で特殊
 警備艦となり舞鶴鎮守府部隊に編入され[6]、7月23日舞
 鶴に戻り、そのまま終戦を迎えた。\n　12月1日特別輸送
 艦に指定され、復員輸送に従事。その後、賠償艦とし
 て1947年（昭和22年）7月16日シンガポールでイギリスへ
 引渡された。
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SUMMARY:駆逐艦蔦：引渡日(1947)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z
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DESCRIPTION:　1945年4月30日から佐世保相の浦泊地で待機。6
 月以降に呉に移動し、回天搭載艦に改装[4][5]。7月に回
 天搭載艦に改装された同型艦「竹」「榧」「槇」「桐
 」と共に山口県屋代島に移動。擬装したうえで待機中
 に終戦を迎えた。\n　12月1日特別輸送艦に指定され、復
 員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年（昭和22年
 ）7月31日に中国に引渡され、接九号と仮命名された後
 、華陽（ファヤン Hua Yang）と命名された。中華民国海
 軍所属の旧日本軍艦の一翼を担ったものの、艦の状態
 がよくなかったため再武装されず任務も与えられなか
 った[6]。国共内戦中の1949年5月に上海を脱出して馬公に
 到着するも、翌1950年に退役して解体される[6][7]。流用
 可能な部品は、同型艦の信陽（元「初梅」）に使用さ
 れた[6]。
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SUMMARY:駆逐艦楠：起工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z
UID:159214658745
DESCRIPTION:　仮称5521号艦、橘型（改松型）駆逐艦として
 横須賀海軍工廠で建造された。1944年11月9日起工、1945年
 1月8日進水。4月28日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第
 十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編入。
 缶部に不具合があって修理の後[2]、瀬戸内海に向かう
 。
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SUMMARY:駆逐艦杉：引渡日(1947)
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DESCRIPTION:　1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員
 輸送に従事。終了後は賠償艦に指定され、1947年（昭和2
 2年）7月31日に中華民国に引渡し、接一〇号と仮命名さ
 れた後、恵陽（フェイヤン）と正式に命名された。し
 かし、同型の賠償艦で状態の良かった信陽（旧「初梅
 」）[39]とは違い、状態の良くなかった華陽（旧「蔦」
 ）や衡陽（旧「楓」）とともに再武装されず任務も与
 えられなかった[40]。国共内戦中の1949年5月に上海を脱
 出して台湾に向かった際、淡水で座礁事故を起こし、
 そのまま修理されないまま1951年に除籍され解体された[
 41]。
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦子日：除籍日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z
UID:193923539789
DESCRIPTION:　1942年7月31日、駆逐艦「霰」と「子日」の除
 籍が決定した。「子日」は第21駆逐隊[67]、帝国駆逐艦
 籍[68]のそれぞれから除籍された。 8月20日、「子日」は
 初春型駆逐艦からも除籍された[69]。 
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦曙：竣工日(1931)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z
UID:267928110122
DESCRIPTION:　「曙」は大阪市の藤永田造船所で建造され
 た。1929年10月25日に起工、1930年11月7日に進水、1931年7月
 31日に就役し[1]、一等駆逐艦に類別され、第2艦隊第7駆
 逐隊に編入された。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦早波：竣工日(1943)
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UID:274103914882
DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第340号艦として
 舞鶴海軍工廠で建造。1942年1月15日に起工、1942年12月19
 日に進水、1943年（昭和18年）7月31日に竣工して一等駆
 逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦蔦：起工日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z
UID:297020141908
DESCRIPTION:　仮称5514号艦、橘型（改松型）駆逐艦3番艦と
 して横須賀海軍工廠で建造された。1944年7月31日起工、1
 1月2日進水。1945年2月8日に竣工した。竣工後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。2月20日に「宵月」とともに横須賀を出港して瀬戸
 内海に回航される[2]。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦霰：除籍日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z
UID:296673733104
DESCRIPTION:　1942年7月31日、駆逐艦霰と子日の除籍が決定
 された。霰は第18駆逐隊[53]、帝国駆逐艦籍[54]のそれぞ
 れから除籍された。 8月15日、第18駆逐隊は解隊[55]。 8
 月20日、霰は朝潮型駆逐艦から除籍された[56]。 
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦磯波：除籍日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260801T150000Z
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DESCRIPTION:　1943年8月1日、磯波の除籍が決定。初雪型駆
 逐艦、 帝国駆逐艦籍より除籍された。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦雪風：起工日(1938)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260802T150000Z
UID:161033925370
DESCRIPTION:　雪風は陽炎型8番艦（マル3計画の仮称艦名第
 24号艦）として佐世保工廠で建造された。1938年（昭和13
 年）8月2日に起工[3]。1939年（昭和14年）1月24日、雪風（
 ユキカゼ）と命名された[1]。佐世保海軍工廠で建造さ
 れた陽炎型駆逐艦は、雪風と陽炎型12番艦磯風のみであ
 る[4][5]。3月24日に進水[3]。1940年（昭和15年）1月20日に
 竣工した[6][3]。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦春月：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260803T150000Z
UID:927644645133
DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）度計画（マル急計画）に
 よる乙型一等駆逐艦の第362号艦として佐世保海軍工廠
 で1943年（昭和18年）12月23日に起工[5]。1944年（昭和19年
 ）8月3日に進水[5]。同年12月28日に竣工した[5][7]。当初
 は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表
 改訂により佐世保海軍工廠での建造に変更された[8]。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦松：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260804T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年8月4日、第一空母部隊（ホーネットⅡ
 、フランクリン、カボット）と第二空母部隊（バンカ
 ー・ヒル、レキシントンⅡ、サン・ジャシント）から
 攻撃隊が発進[50]。艦載機は二波に分かれて襲来した[43]
 。「松」は第一次空襲で5機撃墜を報じた[51][52]。空襲
 後の第四八〇四船団および父島在泊艦艇は全滅状態と
 なる[53][54]。 健在艦は「松」と第4号海防艦（戦死4、負
 傷21）、「利根川丸」を残すのみとなり[55]、損傷した
 第12号海防艦（戦死6、負傷50）は別途で横須賀に向かっ
 ていた[56][50]。\n　19時40分、「松」は第4号海防艦に対
 し『われ、敵巡洋艦と交戦中。これより反転、突撃す
 』と最期の打電をおこなう[55][64]。この後、「松」は消
 息不明となった[65]。アメリカ側の記録では、聟島北東2
 5海里地点で、モービルが指揮下の駆逐艦とともに「松
 」と「利根川丸」を撃沈したとある[68]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦大潮：起工日(1936)
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DESCRIPTION:　1935年（昭和10年）9月6日、日本海軍は佐世保
 海軍工廠で建造予定の駆逐艦を「朝潮」、舞鶴要港工
 作部で建造の駆逐艦を「大潮」と命名した[3][6]。同日
 附で朝潮型駆逐艦が新設される[7]。 本艦は舞鶴海軍工
 廠で1936年（昭和11年）8月5日に起工[8][9]。 1937年（昭和1
 2年）4月19日に進水[9][10]。舞鶴要港部司令官中村亀三郎
 中将は『のどかなる　さくらさきそう　春の海に　し
 ぶきたてゆく　ふなおろし見る』という自作の和歌を
 記念として贈った[4]。 7月5日、舞鶴海軍工廠に大潮艤
 装員事務所を設置[14]。 7月7日、中国大陸で盧溝橋事件
 が勃発、上海方面に派遣する駆逐艦が必要になったた
 め、艤装工事を急いだ[4]。\n　1937年10月5日、山代艤装
 員長は正式に大潮初代駆逐艦長となる[15]。本艦は10月31
 日に竣工[16]。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦沖波：起工日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260805T150000Z
UID:431425422184
DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第342号艦として
 舞鶴海軍工廠で建造されることになり、1942年（昭和17
 年）8月5日起工[9][1]。\n　1943年7月18日、「沖波」は進水
 した[24][2]。本艦は12月10日に竣工[3][4][33]、沖波艤装員
 事務所は撤去された[34]。牧野艤装員長も、正式に沖波
 駆逐艦長（初代）となった[35]。舞鶴鎮守府籍。
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END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦江風：戦没日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260806T150000Z
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DESCRIPTION:　1943年8月6日21時30分、コロンバンガラ島とベ
 ララベラ島に挟まれたベラ湾を哨戒するアメリカ軍駆
 逐隊は、レーダーで南南東へ進む日本艦隊を探知する
 と、魚雷24本を発射した[236][234]。萩風-嵐-江風-時雨の
 単縦陣を形成していた日本艦隊は、駆逐艦3隻（萩風、
 嵐、江風）が同時に被雷、回避できたのは「江風」の
 後方1000ｍを航行していた「時雨」だけだった[237][238]。
 \n　「江風」はスタレット（USS Sterett\, DD-407）、スタッ
 ク（USS Stack\, DD-406）からの砲撃雷撃を受け沈没、柳瀬
 艦長以下169名が戦死した[240]。ほぼ轟沈であった[241][242
 ]。沈没地点記録南緯07度50分 東経156度54分。また第4駆
 逐隊（萩風、嵐）も一方的に撃沈された[232]。
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SUMMARY:駆逐艦嵐：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）8月6日、ブインおよびコロ
 ンバンガラ島への輸送のため増援部隊はラバウルを出
 港、第三水雷戦隊旗艦（司令官伊集院松治少将）の軽
 巡川内（陸兵450名、物資130トン）はブインへ向かい、
 駆逐艦4隻（萩風《第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐座乗》、
 嵐、江風、時雨）はコロンバンガラ島へ向かう[193][198]
 。 同日夜、コロンバンガラ輸送隊はソロモン諸島コロ
 ンバンガラ島沖（ベラ湾）にて、フレデリック・ムー
 スブラッガー中佐指揮下の米水上部隊（駆逐艦6隻）と
 交戦した（ベラ湾夜戦）[201]。戦闘当時の天候は曇りで
 視界不良[200]。萩風-嵐-江風-時雨の単縦陣はアメリカ軍
 のレーダーに捕捉され、先制雷撃を受けた[202][198]。敵
 艦隊に気付いたものの回避は間に合わず、まず江風が
 轟沈した[203][198]。 その後の砲撃により第4駆逐隊2隻（
 嵐、萩風）も相次いで沈没した[204]。\n　嵐は左舷への
 被雷と共に主砲も魚雷発射管も使用不能となり、搭載
 していた陸軍物資弾薬に引火して炎上[204]。前部に残っ
 ていた25mm機銃で最後まで反撃に努めた[207][208]。しかし
 米艦隊の砲撃により、間もなく沈没している[204]。嵐で
 は艦長以下178名が戦死（艦長は脱出したものの生還せ
 ず）[209]、生存者は嵐、萩風各艦約70名、江風約40名[210]
 。三隻が分乗させていた陸軍兵は940名中約820名が戦死
 した[211][212]。 
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SUMMARY:駆逐艦萩風：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年7月25日、第4駆逐隊司令指揮下の駆逐艦
 3隻（萩風、嵐、時雨）はサンタイサベル島レカタ輸送
 を実施、揚陸に成功して28日夕方ラバウルへ戻った[106]
 。ニュージョージア島での戦局は悪化する一方であり
 、日本軍はさらなる増援部隊を投入する。\n　8月6日、
 コロンバンガラ輸送隊はブインへ向かう川内と分離後
 、萩風－嵐－江風－時雨の単縦陣を形成し、30ノットを
 発揮して目的地に近づいた[111][113]。各艦の開距離は500
 ｍだったが、3番艦江風と最後尾時雨の距離は1000ｍに開
 いていた[114]。海面には薄い靄がたちこめ、視界は不良
 だったという[115] [116] [117]。 日中の時点で輸送隊はア
 メリカ軍哨戒機に捕捉され、行動を報告されていた[117]
 。アメリカ軍駆逐艦6隻はレーダーを装備しており、日
 本艦隊に対して先制攻撃を敢行する[118]。米水雷戦隊は
 24本の魚雷を発射[119]。日本艦隊が米艦隊に気付いた時
 には次々に魚雷が命中し、江風は轟沈した[120]。 第4駆
 逐隊（萩風、嵐）も被雷して戦闘不能となった[116]。 
 萩風には魚雷2本が命中し[121][122]、 主砲や魚雷発射管
 は使用不能となったため使用可能の機銃で反撃を実施
 した[121]。だが2隻は続く米駆逐艦隊の砲撃によって炎
 上し、嵐は22時10分前後に沈没、萩風も総員退去後の22
 時18分に沈没した[123][124][125]。\n　米艦隊は時雨の追跡
 を打ち切ったのち戦闘海域に戻り、萩風以下沈没艦3隻
 の生存者を救助しようとしたが、ほとんどの者は救助
 を拒んだという[131]。戦死者約170名以上[132]。
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SUMMARY:駆逐艦樫：引渡日(1947)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260807T150000Z
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DESCRIPTION:　1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員
 輸送に従事した。終了後は賠償艦として1947年（昭和22
 年）8月7日に佐世保でアメリカに引渡されるが、そのま
 ま売却。10月27日から1948年（昭和23年）3月20日にかけて
 笠戸ドックで解体された[34]。
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SUMMARY:駆逐艦松：起工日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260808T150000Z
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で
 建造[3]。1943年（昭和18年）8月8日、起工[3][4]。同年12月2
 2日、命名[1]。同日附で駆逐艦一等の部中に松型が新設
 され、その1番艦に定められる[2]。 1944年（昭和19年）2
 月3日に進水し[8]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[9]。\
 n　4月28日、竣工[11][16]。訓練部隊の第十一水雷戦隊（
 司令官高間完少将・海軍兵学校41期[17]）に編入され、5
 月1日に舞鶴を出港して呉に回航された。
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SUMMARY:駆逐艦島風：起工日(1941)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）8月8日、舞鶴海軍工廠で起
 工。 1942年（昭和17年）5月15日、第125号艦を島風（シマ
 カゼ）と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風
 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦
 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20]
 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻（秋月、初
 月）や夕雲型駆逐艦4隻（巻波、340号艦早波、341号艦浜
 波、342号艦沖波）の建造[39][40]、軽巡4隻（那珂、名取
 、天龍、龍田）や駆逐艦複数隻（薄雲、大潮、霞、不
 知火、初春）等の修理整備工事を抱えており[41]、島風
 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水
 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n　1943年（昭和18年
 ）3月20日附で、広瀬弘中佐（駆逐艦春雨艦長等を歴任
 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附
 で同艦駆逐艦長免職[44]）が島風の艤装員長に任命され
 た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に
 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5
 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。
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SUMMARY:駆逐艦天津風：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　駆逐艦天津風は8月10日附で 帝国驅逐艦籍[124
 ] 不知火型駆逐艦[125]のそれぞれから除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦槇：竣工日(1944)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造され、1944年2月19日起工
 、6月10日進水、8月10日に竣工[2]。訓練部隊の第十一水
 雷戦隊（司令官高間完少将・海軍兵学校41期）に編入。
 瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
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SUMMARY:駆逐艦春雨：除籍日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年8月10日、春雨と白露の2隻は白露型駆逐
 艦[155]、 第27駆逐隊[156]、 帝国駆逐艦籍[157]より除籍さ
 れた。
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SUMMARY:駆逐艦早波：除籍日(1944)
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DESCRIPTION:　1944年8月10日附けで夕雲型駆逐艦籍、帝国駆
 逐艦籍から除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦谷風：除籍日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
UID:280860023940
DESCRIPTION:　駆逐艦谷風は8月10日附で不知火型駆逐艦[93]
 、 第17駆逐隊[94]、 帝国駆逐艦籍[95][96]より除籍された
 。
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SUMMARY:駆逐艦桜：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年8月10日、帝国駆逐艦籍、松型駆逐艦籍
 から除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦吹雪：竣工日(1928)
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DESCRIPTION:　第35号駆逐艦の艦名は、既に浦風型駆逐艦浦
 風で使われていた[6]。 吹雪は舞鶴工作部で1926年（大正
 15年）6月19日に起工[7]。6月25日、浦賀船渠で建造の駆逐
 艦に第三十三号駆逐艦(望月)[8]、本艦に「第三十五号駆
 逐艦」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に第四十号駆逐艦(東
 雲)の艦名が与えられる[9]。同日附で「第33号駆逐艦、
 第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[10]。
 \n　「第35号駆逐艦」は1927年（昭和2年）11月15日に進水
 、1928年（昭和3年）8月1日、「吹雪」と改称された[1]。
 改名から間もない8月10日に竣工[7]。 吹雪型初期姉妹艦
 （吹雪、白雪、初雪、深雪）と共に第11駆逐隊を編制し
 ていた。 
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SUMMARY:駆逐艦水無月：除籍日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年8月10日、「水無月」は卯月型駆逐艦[246
 ]、 第22駆逐隊[247]、 帝国駆逐艦籍[248]のそれぞれより
 除籍。 8月20日、第22駆逐隊は解隊され、残存2隻（皐月
 、夕凪）は第30駆逐隊に編入された[249]。
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SUMMARY:駆逐艦松風：除籍日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
UID:258217061219
DESCRIPTION:　1944年8月10日、「松風」は神風型駆逐艦[42]、
 第30駆逐隊[43]、帝国駆逐艦籍[44]のそれぞれより除籍さ
 れた。
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SUMMARY:駆逐艦橘：除籍日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
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DESCRIPTION:　1945年8月10日、帝国駆逐艦籍および橘型駆逐
 艦籍より除籍された。
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SUMMARY:駆逐艦白露：除籍日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
UID:121359415085
DESCRIPTION:　1944年8月10日、「白露」と「春雨」は白露型
 駆逐艦[70]、 第27駆逐隊[71]、 帝国駆逐艦籍[72]より除籍
 された。 なお「白露」「春雨」除籍から間もなく、「
 五月雨」は8月18日にパラオ近海で座礁、26日に米潜水艦
 の雷撃を受けて大破・放棄された。10月10日附で除籍[73]
 、「時雨」1隻のみとなった第27駆逐隊も解隊された[74]
 。10隻が建造された白露型駆逐艦はこの時点で「時雨」
 1隻となっていた。
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦沼風：起工日(1921)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z
UID:355300277534
DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1921年8月10日起工、1922
 年2月25日進水。同年7月24日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年（大正11年）12
 月28日より同型艦「野風」「波風」、神風型駆逐艦 (2代
 )「第一駆逐艦」（「神風」）と第1駆逐隊を編成し、千
 島、北海道方面の交通保護に当った。
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SUMMARY:駆逐艦東雲：起工日(1926)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260812T150000Z
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DESCRIPTION:　1926年（大正15年）6月25日、浦賀船渠で建造
 の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦（望月）」[5]、舞鶴工
 廠の駆逐艦に「第三十五号駆逐艦（吹雪）」、佐世保
 海軍工廠の駆逐艦に「第四十号駆逐艦（東雲）」の艦
 名が与えらる[6]。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐
 艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[7]。8月12日、「
 第40号駆逐艦（東雲）」は佐世保工廠で起工[8]。1927年
 （昭和2年）11月26日に進水、1928年（昭和3年）7月25日に
 「第40号駆逐艦」として竣工[8]。同年8月1日附で「第40
 号駆逐艦」は「東雲」と改名される[1]。\n　竣工後、雲
 級四隻の第12駆逐隊（叢雲、東雲、薄雲、白雲）に編入
 。同年12月1日、同駆逐隊は第二艦隊・第二水雷戦隊に
 編入された。1931年（昭和6年）、「東雲」は第12駆逐隊
 から除籍され、「東雲、吹雪、磯波」の吹雪型3隻であ
 らたに第20駆逐隊を編制した。\n
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦樫：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
UID:210340669011
DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造された。1944年5月5日起
 工、8月13日進水、9月30日竣工した。就役後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦大波：進水日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
UID:200030528202
DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第122号艦として藤
 永田造船所で建造。1941年11月15日起工。1942年（昭和17年
 ）6月20日、本艦に『大波』、夕雲型8番艦に『清波』の
 艦名が与えられた[1]。同日附で2隻（大波、清波）は夕
 雲型駆逐艦に類別された[5]。 8月13日進水。11月15日附で
 平山敏夫少佐は大波艤装員長ならびに吹雪型駆逐艦白
 雲艦長に任命される[6]。 12月20日附で平山艤装員長は免
 職[7]。後任として吉川潔中佐（夕立沈没時駆逐艦長）
 が本艦艤装員長に任命された[8]。 \n　本艦は12月29日に
 竣工（初月と同日）[9][10]。舞鶴鎮守府籍となる[11]。同
 日附で3隻（涼月、初月、大波）は警備駆逐艦に定めら
 れた[11][12]。本艦は呉鎮守府直率部隊に編入される[13]
 。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦槇：引渡日(1947)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
UID:234651231157
DESCRIPTION:　1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員
 輸送に従事。1947年（昭和22年）8月14日[51]、賠償艦とし
 てシンガポールでイギリスに引渡された。その後、「
 槇」は解体された。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦桐：竣工日(1944)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
UID:214547014005
DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5486号艦として横須賀海軍
 工廠で建造され、1944年2月1日起工、5月27日進水、8月14
 日に竣工した。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦楡（にれ）：起工日(1944)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
UID:122640334240
DESCRIPTION:　仮称4809号艦、橘型（改松型）駆逐艦2番艦と
 して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年8月14日起工、11
 月25日進水。1945年1月31日に竣工した。竣工後、訓練部
 隊の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に
 編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。4月25日付
 で第三十一戦隊（鶴岡信道少将・海兵43期）第五十二駆
 逐隊に編入された[2]。
LOCATION:
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦冬月：終戦日(1945)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
UID:258549674550
DESCRIPTION:　1945年（昭和20年）4月6日、第二水雷戦隊（司
 令官古村啓蔵少将：軽巡矢矧、第17駆逐隊《磯風、雪風
 、浜風》、第21駆逐隊《朝霜、初霜、霞》、第41駆逐隊
 《冬月、涼月》）は菊水作戦にともなう第二艦隊（司
 令長官伊藤整一中将：旗艦大和）の海上特攻作戦（坊
 ノ岬沖海戦）に参加し、徳山沖を出撃[84]。4月8日朝、
 「冬月」は各隊に単独帰投中の「涼月」の掩護を要請
 した[114]。3隻（初霜、雪風、冬月）は同日午前中に佐
 世保に帰投した[115]。\n　8月15日、終戦の日に第17駆逐
 隊は解隊され、同隊所属だった不知火型駆逐艦「雪風
 」が第41駆逐隊に編入された[126]。「冬月」は玉音放送
 を門司港で迎えた[127]。8月20日、呉へ移動を命じられ、
 門司を出港する[128]。曳船で埠頭から離れたたところ、
 直後に触雷して5名が戦死、負傷者多数[128]。後部兵員
 室より後方を亡失し、航行不能となった[129][130]。 9月20
 日付で第四予備艦となる。
LOCATION:
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BEGIN:VEVENT
SUMMARY:駆逐艦深雪：除籍日(1934)
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DESCRIPTION:　1934年7月5日、第11駆逐隊より除かれ、同隊は
 吹雪型2隻（白雪、初雪）となる[82]。 7月22日、事務所
 撤去[83]。 同年8月15日に除籍された[84][85]。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦矢風：終戦日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z
UID:498817120050
DESCRIPTION:　1944年2月7日、トラック発の船団を護衛して
 内地へ向かい、2月27日に呉に入港した[15]。その後は北
 海道方面など内地で爆撃訓練に従事した[15]。\n　1945年
 （昭和20年）7月18日 横須賀港小海に係留中に敵艦載機
 の攻撃を受ける（横須賀空襲）。隣の艦が直撃弾を受
 けた際に爆風や破片により損傷し、すぐに修理された
 がそのまま終戦を迎えた。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦矢風：起工日(1918)
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DESCRIPTION:　峯風型駆逐艦として1918年8月15日起工、1920年
 4月10日進水。1920年（大正9年）7月19日三菱長崎造船所で
 竣工。横須賀鎮守府籍。1931年（昭和6年）に所属の第2
 駆逐隊は第一航空戦隊（鳳翔、加賀）に編入され、翌
 年の第一次上海事変に参加する。\n　1937年（昭和12年）
 以降は駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去し「摂津」の
 無線操縦艦として用いられた。
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SUMMARY:駆逐艦雷：竣工日(1932)
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DESCRIPTION:　「雷」は、浦賀船渠で1930年（昭和5年）3月7
 日起工される。1931年（昭和6年）10月22日進水。1932年（
 昭和7年）8月15日竣工する。1941年（昭和16年）2月から10
 月に石川島造船所で行われた特定修理では九三式探信
 儀と九一式方位盤を装備[3]。その他、二番煙突後方に2
 基装備されていた13ミリ連装機銃[4]の九六式二十五粍高
 角機銃への換装も計画されたが、供給問題により換装
 は実施されなかった[3]。
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SUMMARY:駆逐艦波風：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）9月18日、択捉島南方で米
 潜水艦「シール」の雷撃を受け大破。「神風」に曳航
 され小樽で応急修理を実施後、舞鶴工廠で修理を行う
 と同時に、回天搭載艦への改造工事を1945年（昭和20年
 ）2月1日まで行った。同年6月19日から宇部沖で「B-29」
 投下の機雷監視に従事。終戦を呉港で迎えた。
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SUMMARY:駆逐艦汐風：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　太平洋戦争では、南方で海上護衛、上陸作
 戦支援に参加。大戦末期、損傷修理を切っ掛けに、波
 風と同様回天搭載艦へ改造された。\n終戦を呉港で迎え
 た。
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SUMMARY:駆逐艦澤風：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）1月14日、横須賀を出港し
 東京湾口で船団護衛を実施。2月から尾鷲を基地として
 紀伊半島方面での対潜掃討、船団護衛に従事。12月18日
 、横須賀港に戻り、海軍対潜学校練習艦となった。\n　
 1945年（昭和20年）2月4日、 横浜に入港し、3月18日まで
 対潜実験艦への改造工事を実施。5月5日、第1特攻戦隊
 の特攻攻撃訓練目標艦となり、横須賀において無傷で
 終戦を迎えた。
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SUMMARY:駆逐艦涼月：終戦日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年4月7日アメリカ軍機動部隊艦載機の第
 一波、第二波攻撃により「涼月」は被弾により艦首が
 沈下（前方傾斜10度）、中央部も海面から甲板まで数十
 ㎝という状態で前進すると船体が潜ってしまう状態だ
 った[140]。海図焼失、コンパス破損の状況ながらも涼月
 は日本本土を目指した。4月8日朝、「冬月」は各隊に単
 独帰投中の「涼月」の掩護を要請した[160][157]。9時32分
 、指宿航空隊機により、佐多岬の262度140海里の地点を
 北上しているのが発見される[161]。昼前には1隻の漁船
 から「われ貴艦の側方を護衛する」と手旗信号をおく
 られ、涼月乗組員一同を苦笑させた[162]。14時30分、つ
 いに佐世保に帰投する[163][157]。\n　本艦の修理に必要
 な期間は約3ヶ月と算出された[169]。5月5日完成を目標に
 、停泊に差し支えない程度のものが行われ[170]、次いで
 本修理の施工に関しては昭和20年度中には実施しない事
 が決まった[170]。6月10日に佐世保を出発、後部砲塔二基
 のみ砲側照準で射撃可能な状態となって相浦に係留さ
 れた[172]。岸まで板桟橋を渡し、機関に火は入れず陸上
 より給電を行った[173]。当時の乗組員は約100名ほどで、
 農耕隊と漁撈隊を編制すると、開墾や、貰い受けた漁
 船を活用して食糧調達を行う[177]。その間の7月と8月に
 対空戦闘を行い、うち8月の対空戦闘でP-51「ムスタング
 」1機を高射砲で撃墜した[177]。\n
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