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 っくたっく
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SUMMARY:駆逐艦朝凪：進水日(1924)
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DESCRIPTION:　1922年（大正11年)9月11日、藤永田造船所で建
 造予定の駆逐艦1隻に第十五駆逐艦の艦名が与えられる[
 4]。第15駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。第15駆逐
 艦（朝凪）は藤永田造船所において1923年（大正12年）3
 月5日起工[4][7]。 1924年（大正13年）4月21日進水[7]。進水
 直後、第15駆逐艦は第十五号駆逐艦に改名された[8]。 12
 月29日に竣工した[7]。 \n　その後1928年（昭和3年）8月1
 日附で第15号駆逐艦は「朝凪」と改名[1][9]された。
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SUMMARY:駆逐艦舞風：起工日(1940)
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DESCRIPTION:　マル4計画、仮称第114号艦として藤永田造船
 所で建造開始。1940年（昭和15年）4月22日起工[3]。 1941年
 （昭和16年）2月5日、「舞風」と命名され[1]、一等陽炎
 型として登録される[4]。 同年3月15日進水[3]。 日本海軍
 は4月10日附で、神風型駆逐艦7番艦「疾風」艦長[5]、吹
 雪型駆逐艦5番艦「叢雲」艦長[6]等を歴任した中杉清英
 中佐を、舞風艤装員長に任命する（後任の叢雲艦長は
 東日出夫少佐）[7]。4月18日、藤永田造船所に艤装員事
 務所を設置[8]。 \n　7月15日竣工[3]。同日附で艤装員事
 務所を撤去[9]。中杉は制式に舞風駆逐艦長（初代）と
 なる[10]。同日附で横須賀鎮守府籍[11]。
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SUMMARY:駆逐艦嵐：進水日(1940)
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DESCRIPTION:　仮称第112号艦として舞鶴海軍工廠で1939年（
 昭和14年）5月4日起工[4]。舞鶴海軍工廠で建造された陽
 炎型は嵐以外に4隻（陽炎、親潮、天津風、野分）が存
 在する。1940年（昭和15年）2月23日、陽炎型17番艦萩風と
 同日附で命名された[1]。同年4月22日進水[4]。登録上は
 舞鶴工廠で建造された姉妹艦野分が陽炎型15番艦で嵐が
 16番艦だが[3]、起工・進水・竣工のいずれも野分より嵐
 の方が早い[5]。 同年9月16日附で朝潮型駆逐艦2番艦大潮
 駆逐艦長渡邉保正中佐は嵐の艤装員長に任命された[6]
 。同時期、舞鶴海軍工廠に嵐艤装員事務所を設置[7]。
 渡邉は11月25日附で嵐初代駆逐艦長に任命された[8]。同
 時期、嵐艤装員事務所を撤去[9]。\n　嵐は1941年（昭和16
 年）1月27日に竣工した[4]。横須賀鎮守府籍となり、た
 だちに横須賀へ回航された[10]。 
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SUMMARY:駆逐艦夕凪：進水日(1924)
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）1月27日、佐世保海軍工廠
 で建造予定の駆逐艦に第十七駆逐艦の艦名が与えられ
 る[6][7]。同日附で艦艇類別等級表に一等駆逐艦として
 登録される[8]。 同年9月27日、第17駆逐艦（夕凪）は佐
 世保海軍工廠で起工[9]。\n　1924年（大正13年）4月23日、
 第17駆逐艦（夕凪）は進水[9][10]。進水翌日、第17駆逐艦
 は第十七号駆逐艦と改名される[11]。 同年12月1日、初代
 「夕凪」は除籍された[4][12]。同日附で日本海軍は樅型
 駆逐艦「菊」艦長山田定男少佐を、第17号駆逐艦艤装員
 長に任命する[13]。\n　 1925年（大正14年）4月24日、第17
 号駆逐艦は竣工した[9][15]。1928年（昭和3年）8月1日附で
 第一号型駆逐艦は神風型駆逐艦と改称[16]。第17号駆逐
 艦も「夕凪」と改名された[3][17]
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SUMMARY:駆逐艦天霧：戦没日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260423T150000Z
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DESCRIPTION:　1943年12月7日、「天霧」はニューアイルラン
 ド島カビエンの近くで駆逐艦「秋風」と衝突し損傷し
 た。日本に戻り修理後「天霧」は東南アジア方面で行
 動し、1944年（昭和19年）4月23日マカッサル海峡で触雷
 沈没した。
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SUMMARY:駆逐艦梅：進水日(1944)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260424T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年（昭和19年）1月25日、起工、日本海軍
 は駆逐艦3隻をそれぞれ『竹』・『梅』・『桃』と命名
 、他に潜水艦や海防艦や掃海艇複数隻を命名した[2]。
 同日附で駆逐艦3隻（竹、梅、桃）は松型駆逐艦に類別
 される[3]。「梅」は呉鎮守府在籍と仮定されていたが
 、4月5日附で横須賀鎮守府仮在籍に改定[4]。4月24日、進
 水。 6月28日、「梅」は竣工して横須賀鎮守府籍[10]。
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SUMMARY:駆逐艦夕凪：竣工日(1925)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260424T150000Z
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）1月27日、佐世保海軍工廠
 で建造予定の駆逐艦に第十七駆逐艦の艦名が与えられ
 る[6][7]。同日附で艦艇類別等級表に一等駆逐艦として
 登録される[8]。 同年9月27日、第17駆逐艦（夕凪）は佐
 世保海軍工廠で起工[9]。\n　1924年（大正13年）4月23日、
 第17駆逐艦（夕凪）は進水[9][10]。進水翌日、第17駆逐艦
 は第十七号駆逐艦と改名される[11]。 同年12月1日、初代
 「夕凪」は除籍された[4][12]。同日附で日本海軍は樅型
 駆逐艦「菊」艦長山田定男少佐を、第17号駆逐艦艤装員
 長に任命する[13]。\n　 1925年（大正14年）4月24日、第17
 号駆逐艦は竣工した[9][15]。1928年（昭和3年）8月1日附で
 第一号型駆逐艦は神風型駆逐艦と改称[16]。第17号駆逐
 艦も「夕凪」と改名された[3][17]
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SUMMARY:駆逐艦初梅：進水日(1945)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260425T150000Z
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DESCRIPTION:　仮称4815号艦、橘型（改松型）駆逐艦14番艦
 として舞鶴海軍工廠で建造され、日本海軍駆逐艦の中
 で最後の竣工となった。1944年12月8日起工、1945年4月25日
 進水。6月18日に竣工した。竣工後はそのまま舞鶴で訓
 練、待機した。
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SUMMARY:駆逐艦谷風：竣工日(1941)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260425T150000Z
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DESCRIPTION:　陽炎型駆逐艦第14番艦谷風は仮称第30号艦と
 して藤永田造船所で1939年（昭和14年）10月18日起工[5]。
 藤永田造船所で建造された陽炎型は谷風以外に黒潮、
 夏潮、浦風、舞風があった。1940年（昭和15年）8月30日
 、「谷風（タニカゼ）」と命名[1]。陽炎型15番艦「野分
 」も同日附で命名される[1]。11月1日進水[5]。1941年（昭
 和16年）4月25日に竣工[5]。同日附で呉鎮守府籍[6]。4月28
 日附で第一航空艦隊・第一航空戦隊に編入されるが、5
 月1日をもって第17駆逐隊に編入された[7][8]。
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SUMMARY:駆逐艦江風：起工日(1935)
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DESCRIPTION:　本艦は藤永田造船所で1935年（昭和10年）4月2
 5日に起工[11]。 1936年（昭和11年）11月1日に進水した[11][
 12]。12月1日、日本海軍は初春型駆逐艦4番艦「初霜」駆
 逐艦長山田雄二中佐を江風艤装員長に任命した[13]。 12
 月7日、藤永田造船所に江風艤装員事務所を、神戸川崎
 造船所に熊野艤装員事務所を設置する[14]。 1937年（昭
 和12年）4月30日、「江風」は竣工した[11]。山田江風艤
 装員長も制式に江風駆逐艦長（初代）となる[15]。佐世
 保鎮守府籍。
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SUMMARY:駆逐艦叢雲：起工日(1927)
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DESCRIPTION:　1927年（昭和2年）4月26日、建造予定の一等駆
 逐艦4隻に、それぞれ「第36号駆逐艦（のちの白雪）」[8
 ]、「第38号（〃深雪）」、「第39号（〃叢雲）」、「第
 44号（〃浦波）」の艦名が与えられた[9][10][6]。 「第39
 号駆逐艦」は藤永田造船所で、同年4月25日（正式命名
 の前日）起工[11]。 1928年（昭和3年）8月1日附で「第39号
 駆逐艦」は「叢雲」と改名された[1][12]。 同年9月27日進
 水[13]。 10月20日、日本海軍は砲艦「嵯峨」艦長柳原信
 男中佐を叢雲艤装員長に任命する(後任の嵯峨艦長は熊
 澤桝蔵中佐《当時、潜水母艦迅鯨副長》)[14]。 11月3日
 、藤永田造船所に叢雲艤装員事務所を設置する[15]。\n19
 29年（昭和4年）5月10日、本艦は竣工[11][16]。柳原信男中
 佐（叢雲艦長）、有田雄三大尉（叢雲水雷長）[注釈 1]
 、小倉藤三郎大尉（叢雲砲術長）、室田勇次郎（叢雲
 航海長）[注釈 2]、高橋伊三次機関大尉（叢雲機関長）[
 17]。 同日附で艤装員事務所を撤去[18]。第二艦隊・第二
 水雷戦隊・第12駆逐隊（駆逐隊司令有地十五郎大佐）[19
 ]に編入され、同隊は定数4隻（東雲、薄雲、白雲、叢雲
 ）を揃えた[20]。 
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SUMMARY:駆逐艦浦波：起工日(1927)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260428T150000Z
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DESCRIPTION:　本艦は浦賀船渠で建造。計画当初の艦名は
 「第44号駆逐艦」。一等駆逐艦に類別された。1927年4月2
 8日に起工、翌年1928年11月29日進水。1928年（昭和3年）12
 月1日、「磯波」「敷波」「綾波」と第19駆逐隊（第2艦
 隊第2水雷戦隊）を編成した。1929年6月30日に竣工した。
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SUMMARY:駆逐艦望月：進水日(1927)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260428T150000Z
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1925年（大正15
 年）6月25日、浦賀船渠で建造予定の駆逐艦に「第三十
 三号駆逐艦」の艦名が与えられた[3]。なお同日附で「
 第35号駆逐艦(吹雪)」、「第40号駆逐艦(東雲)」も命名さ
 れている[4]。3隻とも一等駆逐艦に類別[5]。「第33号駆
 逐艦」は1926年3月23日に起工、1927年（昭和2年）4月28日
 に進水。10月31日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。1928
 年（昭和3年）8月1日に「第33号駆逐艦」は「望月」と改
 名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦松：竣工日(1944)
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DESCRIPTION:　丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で
 建造[3]。1943年（昭和18年）8月8日、起工[3][4]。同年12月2
 2日、命名[1]。同日附で駆逐艦一等の部中に松型が新設
 され、その1番艦に定められる[2]。 1944年（昭和19年）2
 月3日に進水し[8]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[9]。\
 n　4月28日、竣工[11][16]。訓練部隊の第十一水雷戦隊（
 司令官高間完少将・海軍兵学校41期[17]）に編入され、5
 月1日に舞鶴を出港して呉に回航された。
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SUMMARY:駆逐艦浜波：起工日(1942)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第341号艦として
 舞鶴海軍工廠で建造。1942年4月28日に起工、1943年4月18日
 進水、1943年（昭和18年）10月15日に竣工して一等駆逐艦
 に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦峯雲：竣工日(1938)
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DESCRIPTION:　1936年（昭和11年）12月14日、日本海軍は建造
 予定の水上機母艦2隻・駆逐艦2隻に、水上機母艦「千代
 田」と「瑞穂」、朝潮型駆逐艦「峯雲」と「霰」の艦
 名を与えた[1]。 藤永田造船所で建造された朝潮型は、
 本艦のほかに3番艦「満潮」[5]、6番艦「山雲」[6]の計3
 隻である。 駆逐艦「峯雲」は1937年（昭和12年）3月22日
 に起工、同年11月4日に進水[7][8]。翌日には神戸川崎造
 船所で姉妹艦「朝雲」も進水した[8]。\n　1938年（昭和13
 年）1月20日、朝潮型2番艦「大潮」駆逐艦長山代勝守中
 佐は峯雲艤装員長を命じられる[9]。 1月27日、藤永田造
 船所に峯雲艤装員事務所を設置[10]。本艦は4月30日に竣
 工[7]。峯雲艤装員事務所は撤去され[11]、山代中佐も本
 艦初代駆逐艦長となった[12]。
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SUMMARY:駆逐艦玉波：竣工日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260430T150000Z
UID:162421084938
DESCRIPTION:　1939年度（マル4計画）仮称第124号艦として藤
 永田造船所で建造。1942年3月16日起工、同年12月26日進水
 。1943年（昭和18年）4月30日に竣工して一等駆逐艦に類
 別され、舞鶴鎮守府籍となる。
LOCATION:
END:VEVENT
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SUMMARY:駆逐艦深雪：起工日(1927)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260430T150000Z
UID:462694909248
DESCRIPTION:　1927年（昭和2年）4月26日、日本海軍は建造予
 定の駆逐艦4隻を、それぞれ第三十六号駆逐艦（横浜船
 渠。後の白雪）、第三十八号駆逐艦（後の深雪）、第
 三十九号駆逐艦（藤永田造船所。後の叢雲）、第四十
 四号駆逐艦（佐世保海軍工廠。後の浦波）と命名する[7
 ][8][9]。 第38号駆逐艦は、同年4月30日に浦賀船渠で起工[
 10][11][12]。同造船所では、既に第43号駆逐艦（磯波）の
 建造が進んでいた[13]。 \n　1928年（昭和3年）6月26日午
 前11時30分、第38号駆逐艦は無事進水[14][15]。その4日後
 、第43号駆逐艦（磯波）は竣工して浦賀を離れた[13]。 8
 月1日附で第38号駆逐艦は深雪と改称[1][10]。 12月10日、
 日本海軍は睦月型駆逐艦2番艦「如月」駆逐艦長加藤仁
 太郎中佐を、深雪艤装員長に任命する[16]。\n　1929年（
 昭和4年）2月12日午後、東京湾で試運転中に伊号第24号
 潜水艦と衝突、スクリューに損傷を受けて4月30日の竣
 工予定を延期した[17][18]。 6月29日に竣工[12][19]。艤装員
 事務所を撤去[20]。加藤艤装員長も、正式に深雪駆逐艦
 長（初代）となる[21]。
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SUMMARY:駆逐艦綾波：竣工日(1930)
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UID:172154591534
DESCRIPTION:　大阪の藤永田造船所で1928年（昭和3年）1月20
 日に起工[2]。同年8月1日附で第四十五号駆逐艦から駆逐
 艦「綾波」となる[1]。1929年（昭和4年）10月5日進水、193
 0年（昭和5年）4月30日に竣工した[2]。第四艦隊事件など
 の教訓から主砲の換装等重心低下の為の改装を経て、
 日中戦争では上海や杭州における上陸作戦を支援、1940
 年にも上陸作戦の支援に参加している。
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SUMMARY:駆逐艦江風：竣工日(1937)
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DESCRIPTION:　本艦は藤永田造船所で1935年（昭和10年）4月2
 5日に起工[11]。 1936年（昭和11年）11月1日に進水した[11][
 12]。12月1日、日本海軍は初春型駆逐艦4番艦「初霜」駆
 逐艦長山田雄二中佐を江風艤装員長に任命した[13]。 12
 月7日、藤永田造船所に江風艤装員事務所を、神戸川崎
 造船所に熊野艤装員事務所を設置する[14]。 1937年（昭
 和12年）4月30日、「江風」は竣工した[11]。山田江風艤
 装員長も制式に江風駆逐艦長（初代）となる[15]。佐世
 保鎮守府籍。
LOCATION:
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SUMMARY:駆逐艦長月：竣工日(1927)
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UID:117595253430
DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1924年（大正13
 年）11月10日、東京石川島造船所で建造される予定の駆
 逐艦に「第三十号駆逐艦」の艦名が与えられ[4]、同日
 附で「「第28号駆逐艦（のちの水無月）、第29号駆逐艦
 （〃文月）、第30号駆逐艦（〃長月）、第31号駆逐艦（
 〃菊月）」」は一等駆逐艦に類別された[5]。本艦は1925
 年（大正14年）4月16日に起工、1926年（大正15年）10月6日
 進水、1927年（昭和2年）4月30日に竣工した[6]。 その後
 、1928年（昭和3年）8月1日附で「第30号駆逐艦」は「長
 月」と改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦夏月：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）の戦時急造計画（マル急
 計画）仮称第364号艦[3]。佐世保海軍工廠で1944年（昭和1
 9年）5月1日に起工[3]。同年12月2日に進水[3]。1945年（昭
 和20年）4月8日に竣工[3][4]。呉鎮守府籍となった[5]。当
 初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線
 表改訂により佐世保での建造に変更された[5]。また、
 当初は昭和20年3月末の竣工予定だったが、機銃の入手
 遅延により竣工期日が遅れた[6]。
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SUMMARY:駆逐艦秋霜：起工日(1943)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第346号艦として
 藤永田造船所で建造、1943年（昭和18年）5月3日起工、8
 月31日、18番艦を秋霜と正式に命名[1]。また19番艦も清
 霜と命名された[1]。同日附で2隻（秋霜、清霜）は夕雲
 型駆逐艦に類別された[2]。 1943年12月5日に進水。\n　1944
 年（昭和19年）1月22日、日本海軍は平山敏夫少佐（吹雪
 型駆逐艦白雲駆逐艦長）を秋霜艤装員長に任命する[3]
 。 3月11日に竣工[4]。同日附で横須賀鎮守府籍と正式決
 定[5]。平山少佐も秋霜初代駆逐艦長となった[6]。
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SUMMARY:駆逐艦嵐：起工日(1939)
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DESCRIPTION:　仮称第112号艦として舞鶴海軍工廠で1939年（
 昭和14年）5月4日起工[4]。舞鶴海軍工廠で建造された陽
 炎型は嵐以外に4隻（陽炎、親潮、天津風、野分）が存
 在する。1940年（昭和15年）2月23日、陽炎型17番艦萩風と
 同日附で命名された[1]。同年4月22日進水[4]。登録上は
 舞鶴工廠で建造された姉妹艦野分が陽炎型15番艦で嵐が
 16番艦だが[3]、起工・進水・竣工のいずれも野分より嵐
 の方が早い[5]。 同年9月16日附で朝潮型駆逐艦2番艦大潮
 駆逐艦長渡邉保正中佐は嵐の艤装員長に任命された[6]
 。同時期、舞鶴海軍工廠に嵐艤装員事務所を設置[7]。
 渡邉は11月25日附で嵐初代駆逐艦長に任命された[8]。同
 時期、嵐艤装員事務所を撤去[9]。\n　嵐は1941年（昭和16
 年）1月27日に竣工した[4]。横須賀鎮守府籍となり、た
 だちに横須賀へ回航された[10]。 
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SUMMARY:駆逐艦海風：起工日(1935)
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DESCRIPTION:　「海風」は舞鶴工廠で1935年（昭和10年）5月4
 日に起工[9]。第四艦隊事件のため一時工事を中止し、19
 36年（昭和11年）5月より工事を再開[2]。11月27日に進水[9
 ][10]。12月1日附で日本海軍は、睦月型駆逐艦11番艦「望
 月」駆逐艦長成富武光少佐を海風艤装員長に任命する[1
 1]。同日附で山田雄二中佐も江風艤装員長に任命されて
 いる[11]。 1937年（昭和12年）4月9日、若狭湾（宮津湾）
 で全力公試を実施、同時期には海上試運転中に冠島と
 衝突しかけている[12]。4月15日、成冨海風艤装員長は制
 式に海風初代艦長となり、艦幹部達も任命された[13]。 
 5月31日に竣工[9]。佐世保鎮守府所属。 \n　起工、進水
 、竣工ともいずれも「江風」の方が「海風」より早か
 った[14]。また、進水も白露型8番艦「山風」の方が早か
 った[15]。
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SUMMARY:駆逐艦菊月：戦没日(1942)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260505T150000Z
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DESCRIPTION:　1942年（昭和17年）4月29-30日、ツラギ攻略部
 隊（指揮官志摩清英少将、第十九戦隊司令官）および
 第23駆逐隊はニューブリテン島の日本軍拠点ラバウルを
 出撃、続いてＭＯ攻略部隊主隊と特務隊もラバウルを
 出撃した[11]。 5月3日、第十九戦隊はツラギ島（フロリ
 ダ諸島）を占領する（オーストラリア軍守備隊は一週
 間前に撤退）[12][13]。5月4日午前5時30分、第23駆逐隊（
 菊月、夕月）は敷設艦「沖島」（第十九戦隊旗艦）に
 横付けして燃料補給を開始する[16][3]。\n　TBD艦攻8機が
 旗艦「沖島」を包囲して雷撃を敢行した[16]。このうち
 魚雷1本が「沖島」から離れたばかりの「菊月」右舷機
 関室に命中[3]。12名が戦死し、22名が負傷した[18]。「菊
 月」は第563号駆潜艇となっていた特設駆潜艇「第三利
 丸」に曳航され[19]、ガブツ島（英語版）の海岸に擱座
 した[16]。\n　5月5日22時25分、放棄された「菊月」はカ
 ブツ島のハラボ南緯09度11分 東経160度13分で沈没した[22]
 。
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SUMMARY:駆逐艦三日月：竣工日(1927)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260505T150000Z
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DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1925年（大正14
 年）2月16日、佐世保にて建造予定の睦月型駆逐艦は「
 第三十二号駆逐艦」と命名される[3]。なお同日附で妙
 高型重巡洋艦「足柄」と「羽黒」も命名されている[4]
 。同日附で「足柄、羽黒」は一等巡洋艦に、「第32号駆
 逐艦」は一等駆逐艦に類別された[5]。 「第32号駆逐艦
 」は佐世保海軍工廠で同年8月21日起工、1926年（大正15
 年）7月12日進水、1927年（昭和2年）5月5日に竣工[6]。佐
 世保鎮守府に所属した。1928年（昭和3年）8月1日附で「
 第32号駆逐艦」は「三日月」と改名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦樫：起工日(1944)
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DESCRIPTION:　藤永田造船所で建造された。1944年5月5日起
 工、8月13日進水、9月30日竣工した。就役後、訓練部隊
 の第十一水雷戦隊（高間完少将・海軍兵学校41期）に編
 入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。
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SUMMARY:駆逐艦夕暮：進水日(1934)
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DESCRIPTION:　「夕暮」は1933年（昭和8年）4月9日に舞鶴工
 作部で起工[5]。1934年（昭和9年）5月6日に進水[5]。建造
 初期の段階で初春型1番艦「初春」の復元性能不良が判
 明し、設計を改めたため、本艦と姉妹艦「有明」は有
 明型駆逐艦（改初春型）とも呼ばれる[6]。\n　一等駆逐
 艦初春型「夕暮」は1935年（昭和10年）3月30日に竣工し
 た[5]。4月1日附で姉妹艦「有明」と共に第9駆逐隊を編
 制、初代駆逐隊司令は伊崎俊二中佐となる[9]。
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SUMMARY:駆逐艦暁：進水日(1932)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260507T150000Z
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DESCRIPTION:　1928年（昭和3年）6月16日、日本海軍は今後建
 造予定の吹雪型駆逐艦4隻について暁、響、雷、電の艦
 名を内定する[6]。駆逐艦暁は1930年（昭和5年）2月17日、
 佐世保海軍工廠で起工[7][8]。同年3月15日、建造中の吹
 雪型4隻は正式に暁、響、雷、電と命名される[2]。 1932
 年（昭和7年）5月7日午前8時15分、暁は進水した[8][9]。 5
 月16日、日本海軍は高橋一松少佐を暁艤装員長[10]に任
 命した[注釈 2]。 5月19日、吹雪型姉妹艦2隻（狭霧、漣
 ）により第10駆逐隊（駆逐隊司令栗田健男中佐）が編制
 される[11]。栗田司令は司令駆逐艦を狭霧に指定した[12]
 。 8月20日附で高橋は暁初代艦長となり、幹部達もそれ
 ぞれ任命された[13]。 11月18日、暁艤装員事務所を撤去[1
 4]。\n　同年11月30日に竣工[8][注釈 3]。竣工と同時に第
 十駆逐隊に編入され、同隊は3隻（狭霧、漣、暁）とな
 った。 
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SUMMARY:駆逐艦陽炎：戦没日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260508T150000Z
UID:215392660091
DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）、ムンダやコロンバンガ
 ラ島の部隊が栄養不良などのために戦力が低下してい
 たため部隊の補充交代が実施されることになり、4月29
 日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガ
 ラ輸送が行われることになった[166][167]。第15駆逐隊（
 親潮、黒潮、陽炎）は奇数回、陽炎型駆逐艦17番艦「萩
 風」（第4駆逐隊）および白露型駆逐艦7番艦「海風」（
 第24駆逐隊）は偶数回で、交互に駆逐艦輸送を行うこと
 になった[168][169]。 「陽炎」は4月29日の第一回、5月3日
 の第三回と参加したが[170]、毎回同じ航路を取ったため
 5月6日にアメリカの機雷敷設艦3隻がブラケット水道に
 機雷約250個を敷設していた。\n　5月8日3時49分（3時59分
 ）、アウェイ島北西約0.6海里で「親潮」が触雷した[177]
 [178]。 それを潜水艦の雷撃と考えた健在2隻（黒潮、陽
 炎）は爆雷を投下した[179][180]。ところが親潮触雷から
 数分後、「陽炎」（親潮から北方2000ｍ地点航行中）は
 触雷[181][182]。機関部艦底付近で起爆したため、航行不
 能となる[174]。 \n　その後米雷撃機、戦闘機から攻撃を
 受け、その後、北西方向に漂流していた「陽炎」は18時
 17分にブラケット水道北西口で沈没した[189][190]。船体
 が分断されたり転覆することもなく、そのまま水没し
 ていったという[191]。沈没までに時間があったた為に食
 糧や医薬品を持ちだす余裕があり、また島にも近かっ
 たため避難上陸は容易だった[191][188]。戦死者18名[177]、
 重傷者11名、軽傷者25名[188]。
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SUMMARY:駆逐艦親潮：戦没日(1943)
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DESCRIPTION:　1943年（昭和18年）、ムンダやコロンバンガ
 ラ島の部隊が栄養不良などのために戦力が低下してい
 たため部隊の補充交代が実施されることになり、4月29
 日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガ
 ラ輸送が行われることになった[166][167]。第15駆逐隊（
 親潮、黒潮、陽炎）は奇数回、陽炎型駆逐艦17番艦「萩
 風」（第4駆逐隊）および白露型駆逐艦7番艦「海風」（
 第24駆逐隊）は偶数回で、交互に駆逐艦輸送を行うこと
 になった[168][169]。 \n　5月7日17時、第15駆逐隊3隻（親潮
 、黒潮、陽炎）はブインから第五回の輸送に出発した[9
 4]。3隻は前回同様ファーガスン水道、ブラケット水道
 を通って5月8日午前1時ごろにコロンバンガラ島ビラ沖
 に入泊し、搭載人員、物資を下ろして帰還者を乗せる
 と3時10分ごろに出港した[96]。3時49分、「親潮」はアウ
 ェイ島北西約0.6海里で触雷、航行不能になった[97]。\n
 　漂流中、米機の爆撃により、「親潮」の三番砲塔付
 近に爆弾1発が命中した[99]。「親潮」は南方に漂流し、
 同日17時5分にアンウィン諸島西端付近で沈没した[100]。
 「親潮」では91名の戦死者が出た（黒潮戦死者83名、陽
 炎戦死者18名）[97][101]。艦齢は約2年8ヶ月だった[102]。 
 第15駆逐隊司令牟田口大佐や東（親潮駆逐艦長）以下生
 存者は近くの島へ移動[103]。引き揚げ船でショートラン
 ド泊地に戻った[104]。 
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SUMMARY:駆逐艦冬月：起工日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260508T150000Z
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DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）度計画（マル急計画）に
 よる乙型一等駆逐艦の第361号艦[9]。舞鶴海軍工廠で1943
 年（昭和18年）5月8日に起工[10][9]。当初は三菱長崎造船
 所で建造される予定であったが、艦型変更と線表改訂
 により舞鶴での建造に変更された[11]。1944年（昭和19年
 ）1月20日に進水[13][9]。同日附で横須賀鎮守府に入籍[15]
 。\n　本艦は同年5月25日に竣工した[20][21]。同日附で、
 佐間中佐は正式に冬月初代駆逐艦長となる[22]。
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SUMMARY:駆逐艦叢雲：竣工日(1929)
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DESCRIPTION:　1927年（昭和2年）4月26日、建造予定の一等駆
 逐艦4隻に、それぞれ「第36号駆逐艦（のちの白雪）」[8
 ]、「第38号（〃深雪）」、「第39号（〃叢雲）」、「第
 44号（〃浦波）」の艦名が与えられた[9][10][6]。 「第39
 号駆逐艦」は藤永田造船所で、同年4月25日（正式命名
 の前日）起工[11]。 1928年（昭和3年）8月1日附で「第39号
 駆逐艦」は「叢雲」と改名された[1][12]。 同年9月27日進
 水[13]。 10月20日、日本海軍は砲艦「嵯峨」艦長柳原信
 男中佐を叢雲艤装員長に任命する(後任の嵯峨艦長は熊
 澤桝蔵中佐《当時、潜水母艦迅鯨副長》)[14]。 11月3日
 、藤永田造船所に叢雲艤装員事務所を設置する[15]。\n19
 29年（昭和4年）5月10日、本艦は竣工[11][16]。柳原信男中
 佐（叢雲艦長）、有田雄三大尉（叢雲水雷長）[注釈 1]
 、小倉藤三郎大尉（叢雲砲術長）、室田勇次郎（叢雲
 航海長）[注釈 2]、高橋伊三次機関大尉（叢雲機関長）[
 17]。 同日附で艤装員事務所を撤去[18]。第二艦隊・第二
 水雷戦隊・第12駆逐隊（駆逐隊司令有地十五郎大佐）[19
 ]に編入され、同隊は定数4隻（東雲、薄雲、白雲、叢雲
 ）を揃えた[20]。 
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SUMMARY:駆逐艦島風：竣工日(1943)
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DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260510T150000Z
UID:333497199353
DESCRIPTION:　1941年（昭和16年）8月8日、舞鶴海軍工廠で起
 工。 1942年（昭和17年）5月15日、第125号艦を島風（シマ
 カゼ）と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風
 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦
 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20]
 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻（秋月、初
 月）や夕雲型駆逐艦4隻（巻波、340号艦早波、341号艦浜
 波、342号艦沖波）の建造[39][40]、軽巡4隻（那珂、名取
 、天龍、龍田）や駆逐艦複数隻（薄雲、大潮、霞、不
 知火、初春）等の修理整備工事を抱えており[41]、島風
 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水
 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n　1943年（昭和18年
 ）3月20日附で、広瀬弘中佐（駆逐艦春雨艦長等を歴任
 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附
 で同艦駆逐艦長免職[44]）が島風の艤装員長に任命され
 た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に
 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5
 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。
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SUMMARY:駆逐艦霞：除籍日(1945)
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DESCRIPTION:　1945年5月10日、「霞」および「朝霜」は除籍
 された[280]。また姉妹艦全隻を喪失した夕雲型駆逐艦と
 満潮型(朝潮型)駆逐艦は艦艇類別等級表から削除された
 [281]。 第21駆逐隊も同日附で解隊[282]。
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SUMMARY:駆逐艦朝霜：除籍日(1945)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260509T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260510T150000Z
UID:438056218909
DESCRIPTION:　1945年5月10日、第21駆逐隊は解隊された[138]。
  同日、「朝霜」は夕雲型駆逐艦[139]、帝国駆逐艦籍よ
 り除籍された[140]。
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SUMMARY:駆逐艦夕霧：進水日(1930)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260511T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260512T150000Z
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DESCRIPTION:　舞鶴工作部で建造。1929年4月1日に起工、1930
 年5月12日に進水。同年12月3日に竣工した。一等駆逐艦
 に類別された。竣工と同時に第8駆逐隊に編入された。
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SUMMARY:駆逐艦初春：起工日(1931)
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DESCRIPTION:　仮称第59号駆逐艦（初春）は佐世保工廠で193
 1年（昭和6年）5月14日に起工[6][7]。 1932年（昭和7年）8
 月1日、初春型駆逐艦3隻にそれぞれ初春・子日・若葉の
 艦名が与えられる[1][2]。同日附で二等巡洋艦最上型に
 最上と三隈[8][9]、千鳥型水雷艇2隻に千鳥と真鶴、夏島
 型敷設艇夏島等の艦名が通達された[1][1]。\n　「初春」
 は1933年（昭和8年）2月27日に進水[7][10]。 5月1日、日本
 海軍は峯風型駆逐艦15番艦「沼風」駆逐艦長田原吉興少
 佐を、初春艤装員長に任命する[11]。 5月11日、艤装員事
 務所を設置[12]。 7月1日、田原艤装員長は制式に初春駆
 逐艦長（初代）となる[13]。 9月22日、初春艤装員事務所
 を撤去[14]。 9月30日竣工した[7]。これは初春型2番艦「
 子日」と同日附の竣工である[15]。
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SUMMARY:駆逐艦電：戦没日(1944)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260513T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260514T150000Z
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DESCRIPTION:　1944年5月3日、「電」は「響」とともにヒ61船
 団に加入し、六連島沖を出撃[109][110]。5月9日にマニラ
 に到着後、船団加入船のうち3隻の特設運送船（給油）
 、「日栄丸」（日東汽船、10\,021トン）と「建川丸」（
 川崎汽船、10\,090トン）、「あづさ丸」（石原汽船、10\,
 022トン）は第一機動艦隊（小沢治三郎中将）への補給
 任務のためマニラでヒ61船団から分離し、「響」ととも
 に護衛にあたることとなった[101][109][111]。\n　5月14日未
 明、北緯05度03分 東経119度36分のシブツ海峡で哨戒中の
 アメリカ潜水艦ボーンフィッシュ（USS Bonefish\, SS-223）
 が距離7\,000ヤードのかなたに3隻のタンカーを発見し、
 戦闘配置を令する[112]。そのころ、「電」は「響」と位
 置を交代したばかりであった[114][115]。そこにボーンフ
 ィッシュからの魚雷が接近した。魚雷は中部と後部に1
 本ずつ命中し、「電」は右舷側に45度に倒れて後部は二
 つ折れとなり、間もなく沈没した[116]。「電」乗員のう
 ち常盤駆逐艦長以下169名が戦死したが[114]、121名は「響
 」に救助された[117][115]。
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SUMMARY:駆逐艦菊月：進水日(1926)
DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260514T150000Z
DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260515T150000Z
UID:192127119343
DESCRIPTION:　1923年（大正12年）度計画艦。1924年（大正13
 年）11月10日、舞鶴工作部で建造される予定の駆逐艦に
 「第三十一号駆逐艦」の艦名が与えられ[4]、同日附で
 「第28号駆逐艦（のちの水無月）、第29号駆逐艦（〃文
 月）、第30号駆逐艦（〃長月）、第31号駆逐艦（〃菊月
 ）」は一等駆逐艦に類別された[5]。本艦は1925年（大正1
 4年）6月15日に起工、1926年（大正15年）5月15日進水、同
 年11月20日に竣工した[6]。佐世保鎮守府に所属。 1928年
 （昭和3年）8月1日附で「第31号駆逐艦」は「菊月」と改
 名された[1]。
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SUMMARY:駆逐艦汐風：起工日(1920)
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DESCRIPTION:　舞鶴海軍工廠で建造。1920年5月15日起工、同
 年10月22日進水。1921年7月29日に竣工した。一等駆逐艦に
 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
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SUMMARY:駆逐艦清霜：竣工日(1944)
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DESCRIPTION:　1942年度（マル急計画）仮称第347号艦として
 計画され、浦賀船渠の第517番船[1]として建造される。19
 43年（昭和18年）3月16日に起工、8月30日、清霜と命名さ
 れた[3]。同日附で夕雲型18番艦「秋霜」等も命名[3]。2
 隻（秋霜、清霜）は駆逐艦一等夕雲型に分類される[4]
 。 \n　1944年（昭和19年）2月29日進水。3月4日、浦賀船渠
 に清霜艤装員事務所を設置[5]。 3月5日附で、日本海軍
 は吹雪型駆逐艦曙水雷長[6]、睦月型駆逐艦11番艦望月艦
 長、峯風型駆逐艦11番艦太刀風艦長[7][8]等を歴任した宮
 崎勇少佐を清霜艤装員長に任命する[9]。 5月16日竣工[1]
 。宮崎艤装員長も正式に清霜駆逐艦長（初代）となっ
 た[10]。海軍に引き渡されて[11]横須賀鎮守府籍となる。
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SUMMARY:駆逐艦春風：起工日(1922)
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DESCRIPTION:　本艦は舞鶴工作部で建造[10]。第5駆逐艦は192
 2年（大正11年）5月16日起工[14]。8月24日、第5駆逐艦は、
 姉妹艦や軽巡洋艦「夕張」および給油艦2隻（鳴戸、早
 鞆）と共に艦艇類別等級表に登録された[15][16]。 12月18
 日進水[14][17]。 1923年（大正12年）5月31日に竣工した[14][
 18]。同年12月1日、初代「春風」は駆逐艦から掃海艇に
 類別変更[9]。\n　1924年（大正13年）4月24日に、第5駆逐
 艦は第五号駆逐艦に改名[8][19]。さらに1928年（昭和3年
 ）4月1日附で初代「春風」は除籍[9]。これにより同年8
 月1日附で第5号駆逐艦は「春風」と改名された[8][19]。
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SUMMARY:駆逐艦時雨：進水日(1935)
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DESCRIPTION:　白露型駆逐艦2番艦・時雨は浦賀船渠で1933年
 （昭和8年）12月9日に起工[9]。12月15日、建造中の駆逐艦
 3隻にそれぞれ白露（シラツユ）、時雨（シグレ）、村
 雨（ムラサメ）の艦名が与えられた[10]。当時、有明・
 夕暮・白露・時雨・村雨・夕立・春雨は『有明型駆逐
 艦』に類別されていたが、諸事情により有明・夕暮は
 初春型駆逐艦に類別され、新たに『白露型駆逐艦』が
 新設されている[11]。 1935年（昭和10年）5月18日進水[12]
 。1936年（昭和11年）9月7日に竣工[1]。横須賀鎮守府籍[13
 ]。
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SUMMARY:駆逐艦漣：竣工日(1932)
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DESCRIPTION:　駆逐艦「漣」は舞鶴工作部で建造[3]された
 。1930年（昭和5年）2月21日に起工[3][4]。同日、舞鶴工作
 部では姉妹艦「響」の建造も始まっている[5][6]。1931年
 （昭和6年）6月4日[3]もしくは6月6日に進水[4]。1932年（
 昭和7年）5月19日に就役[3][4]。一等駆逐艦に類別され、
 第二艦隊・第7駆逐隊に編入された。
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