BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦岸波:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251203T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251204T150000Z UID:249200711070 DESCRIPTION: 1944年11月26日、岸波は敷設艇由利島、第17号 海防艦とともに特設給油船八紘丸(日本油槽船、10\,022 トン)を護衛して昭南を出港し、12月1日にマニラに入 港した。燃料の荷揚げを済ませた後、往路と同じ顔ぶ れで12月3日10時にマニラを出港して昭南に向かった。し かし翌12月4日10時30分、北緯13度12分 東経116度39分[11]の パラワン島北西海域にさしかかったところでアメリカ の潜水艦フラッシャー (USS Flasher\, SS-249) の攻撃に遭っ た。フラッシャーは八紘丸船団の存在を、近在の僚艦 ホークビル (USS Hawkbill\, SS-366) からの報告により知り、 船団の前方に出て待ち伏せを行っていた所であった[12] 。フラッシャーは朝潮型駆逐艦と目された[13]岸波に対 して魚雷を4本発射し、2本を命中させた。岸波は航行不 能に陥り[14]、「朝潮型駆逐艦」を撃沈と推定したフラ ッシャーは[13]、艦尾発射管から八紘丸に向けて魚雷を4 本発射。2本が命中して八紘丸も航行不能になった[15]。 \n やがて爆雷攻撃が始まったので、フラッシャーは攻 撃を避けるため深深度に潜航して魚雷の装てんを行い[1 6]、約1時間後に潜望鏡深度に戻って三度目の攻撃の態 勢に入った[16]。その間、岸波は由利島に曳航されよう としていた[14]。14時2分、フラッシャーは大雨の中を岸 波と八紘丸に向けて魚雷を4本発射[17]、岸波は魚雷が2 本命中して沈没した。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR