BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦羽風:竣工日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250915T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250916T150000Z UID:303022357583 DESCRIPTION: 三菱長崎造船所で建造。1918年11月11日起工、 1920年6月21日進水。同年9月16日に竣工した。一等駆逐艦 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春風:放棄日(1948) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250915T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250916T150000Z UID:296668088432 DESCRIPTION: 戦後、船体は上部構造物を撤去した上で京 都府竹野港(京丹後市)の防波堤として使用されたが[5 8]、間もなく1948年(昭和23年)9月16日に上陸したアイオ ン台風により破壊したため、スクラップとして売却の 上解体された[59]。なお、当初は秋田港の防波堤として 使用される予定だった[60]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雄竹:処分日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250916T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250917T150000Z UID:312955860037 DESCRIPTION: 1947年9月17日に北緯35度29分 東経122度52分の地 点で標的艦として処分された[7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野分:進水日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250916T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250917T150000Z UID:280141596193 DESCRIPTION: 駆逐艦野分は陽炎型駆逐艦のマル3計画での 最終艦(15隻目。陽炎型は次のマル4計画でも4隻建造さ れ計19隻)、仮称第31号艦として舞鶴工廠で建造開始。1 939年(昭和14年)11月8日起工[3]。1940年(昭和15年)8月30 日に「野分(ノワキ)」と命名される[1]。同日附で陽 炎型14番艦谷風や練習巡洋艦香椎、測量艦筑紫等も命名 されている[1]。野分は9月17日に進水[3]。なお登録上は 野分が陽炎型15番艦で16番艦は嵐だが[2]、起工・進水・ 竣工のいずれも野分より嵐の方が早い[4]。 11月15日、日 本海軍は駆逐艦有明・叢雲・東雲艦長等を歴任した古 閑孫太郎中佐を野分艤装員長に任命する[5]。同時期、 野分艤装員事務所を設置[6]。\n 1941年(昭和16年)4月9 日、古閑野分艤装員長は制式に野分初代駆逐艦長とな った[7]。同日附で野分艤装員事務所を撤去[8]。4月28日 、野分は竣工された[3][9]。横須賀鎮守府籍。同日附で 第4駆逐隊に編入された[10]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕凪:起工日(1923) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250916T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250917T150000Z UID:238165834102 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)1月27日、佐世保海軍工廠 で建造予定の駆逐艦に第十七駆逐艦の艦名が与えられ る[6][7]。同日附で艦艇類別等級表に一等駆逐艦として 登録される[8]。 同年9月17日、第17駆逐艦(夕凪)は佐 世保海軍工廠で起工[9]。\n 1924年(大正13年)4月23日、 第17駆逐艦(夕凪)は進水[9][10]。進水翌日、第17駆逐艦 は第十七号駆逐艦と改名される[11]。 同年12月1日、初代 「夕凪」は除籍された[4][12]。同日附で日本海軍は樅型 駆逐艦「菊」艦長山田定男少佐を、第17号駆逐艦艤装員 長に任命する[13]。\n  1925年(大正14年)4月24日、第17 号駆逐艦は竣工した[9][15]。1928年(昭和3年)8月1日附で 第一号型駆逐艦は神風型駆逐艦と改称[16]。第17号駆逐 艦も「夕凪」と改名された[3][17] LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦椎:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250917T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250918T150000Z UID:283553306258 DESCRIPTION: 仮称4811号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年(昭和19年)9月18日 に舞鶴海軍工廠で起工、1945年(昭和20年)1月13日に進 水し、3月13日に竣工した。\n 竣工後、訓練部隊の第十 一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。瀬 戸内海西部に回航され、回航当時は健在だった戦艦「 大和」の姿に圧倒されたり[2]、発電機の不良[3]や搭載 した重油に塵埃が混入する[4]などのトラブルがありな がらも訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春雨:進水日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250920T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250921T150000Z UID:225810468400 DESCRIPTION: 舞鶴工廠で1935年(昭和10年)2月3日に起工[4] 。同年9月21日に進水した[4]。1937年(昭和12年)8月26日 に就役した[4]。 竣工当初はウェスティングハウス社製 の溶接構造の減速機室と減速歯車を備えていたが、試 運転の際に減速歯車に亀裂が発見されたため、姉妹艦 と同型の鋳鋼製の減速機に交換された[5]。 姉妹艦に比 べ就役が大幅に遅れていたのは、この減速機交換作業 のためである。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦皐月:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250920T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250921T150000Z UID:108190656483 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)9月6日、「皐月」は神威船 団(神威、旭東丸、興川丸)を護衛してシンガポール を出発[117][118]。マニラ地区空襲の恐れがあったため[119 ]、ブルネイ等を経由・仮泊しながら航海を続ける[120] 。 本艦が神威船団護衛中の9月17日、日本からシンガポ ールへ向かうヒ75船団から水上機母艦「秋津洲」と特設 巡洋艦「西貢丸」、第30駆逐隊(夕月、卯月)が分離、 フィリピンマニラ港へ向かう[121]。\n 9月21日午前5時、 第30駆逐隊(卯月、夕月、秋風)はマタ27A船団を護衛し てマニラを離れる[126][127][128][129]。 同日、燃料補給を 実施後マタ27船団に追いつこうとしていた「皐月」は[12 4]、マニラ湾にてアメリカ軍の空母艦載機の攻撃を受け る[130][129]。 24~30ノットを発揮して対空戦闘を実施[131] 。だが第一次空襲で左舷に落ちた至近弾により復水器 が破壊され、片舷航行、最大発揮速力は20ノット以下に 低下した[130][132]。また複数の至近弾により負傷者が出 たため艦載艇で陸地へ移送、そのために軍医長・水雷 長・航海長を派遣し、艦橋には艦長、砲術長、操舵員 の3名しかいなかったという[130]。午後に入り第一缶室 に爆弾が命中、速力が落ちた所で艦前部に爆弾が命中 、さらに複数の命中弾を受け15時45分に沈没した[133][134] 。米軍による沈没地点北緯14度35分 東経120度45分。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦有明:進水日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250922T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250923T150000Z UID:270696532071 DESCRIPTION: 本艦は神戸川崎造船所で1933年(昭和8年)1 月14日に起工[11]。建造初期の段階で初春型1番艦「初春 」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦 と姉妹艦「夕暮」は有明型駆逐艦(改初春型)とも呼 ばれる[12][4]。 同年12月15日、2隻(有明、夕暮)は初春 型よりのぞかれ『有明型駆逐艦』が新設、「有明」「 夕暮」「白露」「時雨」「村雨」「夕立」「春雨」ま でが有明型に類別された(夕立、春雨は翌年10月、有明 型に類別)[4][13]。 本艦は1934年(昭和9年)9月23日進水[ 11][14]。\n 1934年(昭和9年)11月1日、神風型駆逐艦7番 艦「疾風」駆逐艦長天野重隆少佐は有明艤装員長に任 命される[16]。5日、艤装員事務所設置[17]。 1935年(昭和 10年)3月25日に竣工した[11]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦神風:進水日(1922) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250924T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250925T150000Z UID:153068530945 DESCRIPTION: 本艦は、八八艦隊計画で9隻建造された神風 型駆逐艦(2代)のネームシップで[5]、峯風型駆逐艦後 期型である改峯風型を改良した艦隊型駆逐艦であった[1 2]。1921年(大正10年)12月15日、第一駆逐艦は三菱長崎 造船所で起工[14][15]。第一駆逐艦(神風)は1922年9月25 日午前10時40分に進水[14][21][22]。三菱長崎造船所内に第 一駆逐艦艤装員事務所を設置、9月28日より事務を開始 した[23]。\n  12月28日竣工[14][6]。横須賀鎮守府籍[27]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦宵月:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250924T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250925T150000Z UID:370800791589 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)に よる乙型一等駆逐艦の第363号艦として、浦賀船渠で1943 年(昭和18年)8月25日に起工[7]。当初は三菱長崎造船所 で建造される予定であったが、線表改訂により浦賀で の建造に変更された[8]。本艦は、秋月型駆逐艦のうち 浦賀船渠で建造された唯一の艦である。\n1944年(昭和19 年)5月10日、姉妹艦「春月」や海防艦等と共に命名[3] 。 9月25日に進水[7]。\n 1945年(昭和20年)1月31日に竣 工[8][7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦風雲:進水日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250925T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250926T150000Z UID:293487488701 DESCRIPTION: 風雲は1939年度(マル4計画)仮称第118号艦と して浦賀船渠での建造が決定、1940年(昭和15年)12月23 日起工(藤永田造船所の2番艦巻雲と同日起工)[3]。1941 年(昭和16年)9月10日附で風雲(カザグモ)と命名[1]、 同日附で夕雲型駆逐艦に登録[4]。9月26日進水[3]。\n 194 2年(昭和17年)1月20日、吉田正義中佐は本艦艤装員長 に任命される[5]。翌日、浦賀船渠に艤装員事務所を設 置[6]。 3月16日、浦賀船渠で夕雲型6番艦高波が進水する [7]。 27日、性能調査終了[8]。 3月28日に竣工[7][9]。艤装 員事務所を撤去[10]。横須賀鎮守府籍[11]。吉田も正式に 風雲駆逐艦長(初代)となった[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦叢雲:進水日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250927T150000Z UID:167202677179 DESCRIPTION: 1927年(昭和2年)4月26日、建造予定の一等駆 逐艦4隻に、それぞれ「第36号駆逐艦(のちの白雪)」[8 ]、「第38号(〃深雪)」、「第39号(〃叢雲)」、「第 44号(〃浦波)」の艦名が与えられた[9][10][6]。 「第39 号駆逐艦」は藤永田造船所で、同年4月25日(正式命名 の前日)起工[11]。 1928年(昭和3年)8月1日附で「第39号 駆逐艦」は「叢雲」と改名された[1][12]。 同年9月27日進 水[13]。 10月20日、日本海軍は砲艦「嵯峨」艦長柳原信 男中佐を叢雲艤装員長に任命する(後任の嵯峨艦長は熊 澤桝蔵中佐《当時、潜水母艦迅鯨副長》)[14]。 11月3日 、藤永田造船所に叢雲艤装員事務所を設置する[15]。\n  1929年(昭和4年)5月10日、本艦は竣工[11][16]。柳原信 男中佐(叢雲艦長)、有田雄三大尉(叢雲水雷長)[注 釈 1]、小倉藤三郎大尉(叢雲砲術長)、室田勇次郎( 叢雲航海長)[注釈 2]、高橋伊三次機関大尉(叢雲機関 長)[17]。 同日附で艤装員事務所を撤去[18]。第二艦隊 ・第二水雷戦隊・第12駆逐隊(駆逐隊司令有地十五郎大 佐)[19]に編入され、同隊は定数4隻(東雲、薄雲、白雲 、叢雲)を揃えた[20]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初霜:竣工日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250927T150000Z UID:301721795093 DESCRIPTION: 1932年(昭和7年)10月1日、日本海軍は浦賀船 渠株式会社に駆逐艦1隻の建造を命じた[4]。12月10日、制 式に初霜と命名した[2]。また姉妹艦2隻(有明、夕暮) 等も命名された[2]。 浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31 日に起工[5][6]。同年10月31日、初霜進水式の最中に事故 が発生、浦賀船渠は進水を中止する[4][7]。 11月4日に進 水式をやりなおした[7][8]。建造途中で同型艦初春の復 元性能不良が判明し、改善工事を施す。\n 1934年(昭 和9年)2月1日、松原博少佐は初霜艤装員長に任命され る[9]。2月12日、浦賀船渠に初霜艤装員事務所を設置す る[10]。 初霜は9月27日に竣工[5][11]、同日附で初霜艤装 員事務所は撤去[12]。松原少佐も初霜初代駆逐艦長とな る[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦陽炎:進水日(1938) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250927T150000Z UID:838120941291 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で1937年(昭和12年)9月3日に起 工[5]。1938年(昭和13年)4月15日、舞鶴工廠で建造中の 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐 艦』が新設され、3隻(陽炎、不知火、黒潮)は同型に 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8] 。\n 1939年(昭和14年)2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長(初代)となる [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが( 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日)、竣工は「 陽炎」の方が先である[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋雲:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250927T150000Z UID:311537256247 DESCRIPTION: 駆逐艦「秋雲」は1939年度(マル4計画)仮称 第115号艦として浦賀船渠で1940年(昭和15年)7月2日起工 [4]。 1941年(昭和16年)3月25日、「秋雲(アキグモ)」 と命名[1]。同日附で昭和16年度内令246号により一等陽炎 型に分類される[5]。横須賀鎮守府仮定[6]。 同年4月11日 進水[4]。 4月10日まで白露型駆逐艦4番艦「夕立」駆逐艦 長だった有本輝美智中佐[7]は、6月15日附で秋雲艤装員 長に任命される[8]。 6月17日、浦賀船渠浦賀工場内に秋 雲艤装員事務所を設置する[9]。\n 1941年9月27日に竣工[4 ][3]。同日附で秋雲艤装員事務所を撤去[10]。有本も制式 に秋雲駆逐艦長(初代)となる[11]。竣工後の引渡式の 際、岸壁にはロケーションのため浦賀船渠にいた女優 の高峰三枝子や桑野通子らがおり、盛んに声援を送ら れた[12]。同日附で正式に横須賀鎮守府所属[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初雪:進水日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250928T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z UID:584564165732 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、「第三十七号駆 逐艦」と命名[5]。同日附で一等駆逐艦に類別される[6] 。 「第37号駆逐艦」は1927年(昭和2年)4月12日に舞鶴工 作部で起工[7]。1928年(昭和3年)8月1日附で、「第37号 駆逐艦」は「初雪」と改名される[1]。\n 1928年9月29日 に進水、1929年(昭和4年)3月30日に竣工[7]。呉鎮守府所 属。第二艦隊・第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入。吹雪 型初期姉妹艦(吹雪、白雪、初雪、深雪)と共に第11駆 逐隊を編制していた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦檜:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:152668223090 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5502号艦として横須賀工廠 で建造された。1944年3月4日起工、7月4日に進水、9月30日 に竣工した。就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高 間完少将・海軍兵学校41期)に編入。燃料ポンプの歯車 破損の修理を行った上で[2]瀬戸内海に回航され訓練に 従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦欅:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:337008548636 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5508号艦として横須賀海軍 工廠で建造された。1944年6月22日起工、9月30日に進水、1 2月15日に竣工した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榎:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:154803781917 DESCRIPTION: 1945年9月30日、橘型駆逐艦籍より除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦灘風:竣工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:267192016656 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1920年1月9日起工、同 年6月26日進水。1921年9月30日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆 逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦灘風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:195987201212 DESCRIPTION: 1945年9月30日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆 逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初春:竣工日(1933) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:935436507756 DESCRIPTION: 仮称第59号駆逐艦(初春)は佐世保工廠で193 1年(昭和6年)5月14日に起工[6][7]。 1932年(昭和7年)8 月1日、初春型駆逐艦3隻にそれぞれ初春・子日・若葉の 艦名が与えられる[1][2]。同日附で二等巡洋艦最上型に 最上と三隈[8][9]、千鳥型水雷艇2隻に千鳥と真鶴、夏島 型敷設艇夏島等の艦名が通達された[1][1]。\n 「初春」 は1933年(昭和8年)2月27日に進水[7][10]。 5月1日、日本 海軍は峯風型駆逐艦15番艦「沼風」駆逐艦長田原吉興少 佐を、初春艤装員長に任命する[11]。 5月11日、艤装員事 務所を設置[12]。 7月1日、田原艤装員長は制式に初春駆 逐艦長(初代)となる[13]。 9月22日、初春艤装員事務所 を撤去[14]。 9月30日竣工した[7]。これは初春型2番艦「 子日」と同日附の竣工である[15]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦子日:竣工日(1933) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:304787769252 DESCRIPTION: 駆逐艦「子日」は浦賀船渠で、仮称第60号駆 逐艦として1931年(昭和6年)12月15日に起工[6][7]。これ は佐世保海軍工廠で建造された初春型3番艦「若葉」よ り3日遅い起工だった[8][9]。 1932年(昭和7年)8月1日、 初春型駆逐艦3隻にそれぞれ「初春」・「子日」・「若 葉」の艦名が与えられる[1]。同日附で二等巡洋艦最上 型「最上」と「三隈」も命名されている[10]。 「子日」 は1932年(昭和7年)12月22日に進水[6]。\n 1933年(昭和8 年)5月20日、日本海軍は峯風型駆逐艦13番艦「野風」艦 長植田弘之介中佐を子日艤装員長に任命した[11]。9月29 日、浦賀船渠内に設置されていた子日艤装員事務所は 撤去される[12]。 「子日」は9月30日に竣工[6]。これは初 春型1番艦「初春」と同日附の竣工である[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初霜:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:242667742282 DESCRIPTION: 1945年8月15日(終戦の日)、第17駆逐隊は解 隊され、それに伴い雪風は第41駆逐隊へ転出した[136]。 初霜は第四予備艦に指定された[137]。初霜の喪失により 、第21駆逐隊に所属した駆逐艦(初春、子日、若葉、初 霜、時雨、朝霜、霞)は全隻喪失した。\n 初霜の残骸 は終戦後に解体され、1945年9月30日に初春型駆逐艦、帝 国駆逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榧:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250929T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z UID:934407470624 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年4月10日起 工、7月30日に進水、9月30日に竣工した。就役後、訓練 部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期) に編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野風:進水日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251001T150000Z UID:547098843925 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1921年4月16日起工、同 年10月1日進水。1922年3月31日竣工した。一等駆逐艦に類 別され、横須賀鎮守府籍に編入される。竣工と同時に 同型艦の波風、沼風、神風型駆逐艦 (2代)第一駆逐艦( 神風)とともに第1駆逐隊を編成し、千島、北海道方面 の交通保護に当った。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝霧:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251001T150000Z UID:190008724895 DESCRIPTION: 駆逐艦「朝霧」は1942年10月1日に除籍された 。帝国駆逐艦籍、白雪型駆逐艦それぞれから削除され た。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦荒潮:起工日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251001T150000Z UID:122397846659 DESCRIPTION: 1935年(昭和10年)9月28日、建造予定の駆逐 艦2隻に「満潮」と「荒潮」[4]、8500トン級巡洋艦に対し 「筑摩」の艦名が与えられた[5][1]。同日附で3隻(筑摩 、満潮、荒潮)は艦艇類別等級表に登録された[6]。 「 荒潮」は神戸川崎造船所で同年10月1日に起工[7][8]。神 戸川崎造船所で建造された朝潮型は、「荒潮」と「朝 雲」の2隻である[9]。\n 「荒潮」は1937年(昭和12年)5 月26日に進水[7][10]。佐世保海軍工廠で建造中の朝潮型7 番艦「夏雲」と同日附の進水だった[10][11]。 7月15日、 日本海軍は吹雪型駆逐艦「白雲」艦長山隈和喜人少佐 を、荒潮艤装員長に任命する[12]。 7月22日、荒潮艤装員 事務所を設置[13]。 「荒潮」は12月20日に竣工した[7]。 同日附で山隈艤装員長は制式に荒潮駆逐艦長(初代) となる[14]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦睦月:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20250930T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251001T150000Z UID:170889563468 DESCRIPTION: 睦月型駆逐艦睦月は1942年10月1日附で、 第30 駆逐隊[64]、 帝国駆逐艦籍[65]のそれぞれから除籍され た。睦月型駆逐艦の表記も卯月型駆逐艦に改定され、 睦月は卯月型駆逐艦より除籍された[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沖風:進水日(1919) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251002T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251003T150000Z UID:256830873305 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1919年2月22日起工、1919 年10月3日に進水。1920年8月17日に竣工した。一等駆逐艦 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦波風:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251002T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251003T150000Z UID:234207943230 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)10月に除籍され、同年12月 、特別輸送艦の指定を受け復員輸送に従事。その後、 特別保管艦(賠償艦)に指定され、1947年(昭和22年)10 月、中華民国に引き渡された。\n 中華民国海軍に編入 後、「瀋陽」(Shen Yang)と改名。1960年(昭和35年)に退役 、除籍され解体となった。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榧:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:250017240532 DESCRIPTION: 燃料の欠乏のため、6月下旬から7月上旬にか けて山口県屋代島の日見海岸に疎開し、松型3隻(榧、 槇、竹)は横一列に並んでカモフラージュを施された[3 6]。対岸でも3隻(花月、桐、蔦)が擬装を施されて碇 泊していた[36]。各艦は空襲を受けることなく、そのま ま終戦を迎えた[36]。10月5日、除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楓:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:303570076491 DESCRIPTION: 1945年2月18日に基隆発のタホ船団を護衛して 出港[10]。2月19日未明に爆撃を受けた後、船団と分離し て単独で呉に向かい[11]、2月23日に帰投[12]。修理は4月26 日まで行われた[13]。復帰後は「柳」「橘」に代わって 、「竹」とともに回天目標艦として光、大津島方面で 行動した[14]。8月15日の終戦を航行可能状態で迎え、10 月5日に除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦欅:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:815140168625 DESCRIPTION: 1945年3月15日付で新編成の第五十三駆逐隊に 編入され[4]、3月17日から3月26日の間は佐世保鎮守府部 隊の指揮下に入った[5]。4月6日以降、第五十三駆逐隊は 第三十一戦隊(鶴岡信道少将・海兵43期)の指揮を受け る[6]。5月25日からは大阪警備府部隊の指揮下に移り[7] 、神戸に回航された[8]。7月15日、第十一水雷戦隊の解 隊により第五十三駆逐隊も解隊され、特殊警備艦とな った[9]。8月15日の終戦を無傷で迎えた。\n 10月5日除籍 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦柿:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:720637940227 DESCRIPTION: 仮称5517号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年10月5日起工、12月11日 進水、1945年3月5日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第 十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。 「萩」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内海に 回航される[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦柿:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:167738797629 DESCRIPTION: 第十一水雷戦隊は瀬戸内海への機雷投下を 避けて日本海側に移動することとなる。5月27日に舞鶴 に到着するも[10]、舞鶴鎮守府から「空襲の際に刺激と なる」との理由で、舞鶴以外の場所へ移動するよう要 請を受ける[11]。そこで、6月に入って小浜湾に移動する こととなった[12]。7月15日付で特殊警備艦となって舞鶴 鎮守府部隊に編入され[13]、小破のまま終戦を迎えた。\ n 10月5日除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦樺:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:104431108158 DESCRIPTION: 瀬戸内海で訓練、待機の最中に触雷して損 傷する[1]。7月15日に乗員が6月22日の爆撃で損傷した「 楡」から移乗し、「楡」に代わって第三十一戦隊(鶴 岡信道少将・海兵43期)第五十二駆逐隊に編入される[2] 。7月24日には第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シ ニア中将)の艦載機と交戦し、小型爆弾1発が命中して 魚雷発射管が使用不能となり、35名の戦死者を出した[3] 。そのまま呉で終戦を迎えた。\n 10月5日除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楠:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:772837142998 DESCRIPTION: 1945年10月5日、橘型駆逐艦籍より除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦椎:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:283089986801 DESCRIPTION: 1945年10月5日、橘型駆逐艦籍より除籍。\n  ソ連海軍TsL-24としてのその後は、1959年まで訓練用に使 用された。その年の11月、ソ連海軍から除籍され、解体 された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦汐風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:174167583669 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)10月5日に除籍され、同年12 月、特別輸送艦の指定を受け復員輸送に従事。その後 解体され、船体は福島県・小名浜港1号埠頭先端の防砂 防波堤として埋設された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:221138992226 DESCRIPTION: 終戦を別府湾で迎えた後、呉港へ回航。1945 年(昭和20年)10月に除籍され、同年12月、特別輸送艦 の指定を受け、都合19回の復員輸送に従事。軍人約2\,000 名、邦人約6\,300名の輸送に当たる。復員船として行動 するにあたって、1946年(昭和21年)1月、第一・三番魚 雷発射管跡、及び第三居住区上甲板の三箇所に人員輸 送用デッキハウスを設置している。 復員業務終了後、 横須賀港長浦にて繋船した。ここでは、同じく復員業 務を終えた鳳翔も繋船されていた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦綾波:進水日(1929) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:716994897507 DESCRIPTION: 大阪の藤永田造船所で1928年(昭和3年)1月20 日に起工[2]。同年8月1日附で第四十五号駆逐艦から駆逐 艦「綾波」となる[1]。1929年(昭和4年)10月5日進水、193 0年(昭和5年)4月30日に竣工した[2]。第四艦隊事件など の教訓から主砲の換装等重心低下の為の改装を経て、 日中戦争では上海や杭州における上陸作戦を支援、1940 年にも上陸作戦の支援に参加している。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦神風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:627933972218 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)10月5日、内地に帰投し除 籍[27]。その後6月27日、特別輸送艦より除籍[27]。1947年 (昭和22年)10月31日、解体終了。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦宵月:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:114592705826 DESCRIPTION: 日本の駆逐艦としての除籍は1945年10月5日。 その後引き渡し後、接一七号と仮命名された後[48]、汾 陽(フェンヤン Fen Yang)と命名された[41][49]。中華民国 への賠償艦としては最大の艦艇である[48]。しかし、機 関の調子が悪いため再武装されず青島で係留された[48] 。国共内戦中の1949年2月に青島を出港して基隆に回航さ れ、10月1日に練習艦隊に編入されて係留練習艦となっ た[48][50]。艦橋の窓は全てふさがれ[50]、再生のために 浦賀船渠から技師を招いて修理も行われたが、修理が 完成することなく1963年に除籍、解体された[48]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夏月:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:435668589702 DESCRIPTION: 1945年10月5日、除籍[4]。その後は復員輸送艦 となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦花月:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:722416726436 DESCRIPTION: 7月ころより本土決戦のために戦力を温存、 重油不足もあり残存艦の多くは樹木等を使って擬装の 上繋留し待機していた。屋代島付近にて「桐」「蔦」 とともに擬装繋留し戦力を温存し[23]、そのまま8月15日 の終戦を迎える。8月26日、横須賀鎮守府第一予備駆逐 艦に定められ[24]、10月5日に除籍[14][9]。\n 戦後は復員 輸送艦として用いられた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桐:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:310826350053 DESCRIPTION: 1944年12月13日19時、第140号輸送艦とともにマ ニラに帰投[30]。この後、応急修理を行って日本本土へ 帰り、呉海軍工廠で1945年(昭和20年)3月まで本格的修 理を行った[31]。その後は瀬戸内海で回天との訓練に従 事し、7月に入ると柳井で待機[32]。そのまま8月15日の終 戦を迎えた。10月5日に除籍され、12月1日に特別輸送艦 となり復員輸送に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦槇:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:345579749785 DESCRIPTION: 12月9日未明の佐世保に入港直前、悪天候の 中を航行する日本艦隊は野母崎沖でアメリカ潜水艦の ウルフパックに発見される。「榛名」より『槇は隼鷹 の後につけ』の命令があり、本艦は2隻(榛名、隼鷹) 右側を反航して南下、「隼鷹」の後方につく直前に雷 撃を受けた[39]。三菱長崎造船所で1945年(昭和20年)3月 15日まで修理に当たり、4月6日から7日の大和特攻では、 「花月」(第三十一戦隊旗艦)および「榧」とともに 、前路掃討隊として豊後水道出口まで艦隊に随伴した[4 8]。以後は瀬戸内海で数回の対空戦闘を行ったが無傷で 、終戦時は呉に在泊していたとも[49]、「榧」「竹」と ともに山口県屋代島の日見海岸に疎開し、そのまま終 戦を迎えたともされる[50]。\n 10月5日に除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦樫:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251004T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z UID:164550682581 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)1月1日、サンジャックを出 港して香港経由で1月7日に高雄に到着[27]。1月21日、高 雄で第38任務部隊艦載機の空襲を受け、3発の直撃弾に より缶室、電信室、射撃装置などが損傷して戦死者21名 、負傷者20名を出す[28]。ただちに基隆への回航が命じ られ、1月24日に到着した[29]。応急修理の後2月1日に「 杉」とともに出港し[30]、舟山群島で南号作戦のヒ88A船 団(「せりあ丸」(三菱汽船、10\,238トン)、海防艦2隻 )に合流して門司まで護衛を行った[31]。護衛終了後の2 月8日に佐世保に帰投し、佐世保海軍工廠で修理が行わ れた[32]。修理後は呉に回航されて戦艦「大和」の護衛 にあたるが、間もなく呉海軍工廠で再度の修理が行わ れた[33]。その後は瀬戸内海で訓練と待機の日々を過ご し、7月28日の呉軍港空襲では至近弾により小破、その まま呉で終戦を迎えた。10月5日除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕雲:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251006T150000Z UID:215359034014 DESCRIPTION: 1943年(昭和18年)1月、第10駆逐隊は吉村司 令のもとでガダルカナル島からの撤退作戦に参加した (ケ号作戦)。整備と訓練の後に北方に向かい、幌筵 島に到着した6月13日付で第一水雷戦隊(司令官木村昌 福少将・海兵41期、旗艦阿武隈)に加勢する[69]。 9月20 日、「夕雲」は第三水雷戦隊(司令官伊集院松治大佐 ・海兵43期)の指揮下に入り[72]、ニュージョージア島 の戦いに加わった。本艦は間もなくニュージョージア 島の戦いにおける、コロンバンガラ島からの撤退作戦 「セ号作戦」に参加した[76]。10月6日未明にラバウルを 出撃し、ブーゲンビル島南方海域で欺瞞航路をとった 後、ベララベラ島近海に向かった[78]。\n 10月6日夜、 フランク・R・ウォーカー(英語版)大佐率いる駆逐部 隊[79][80]の先制攻撃を受けて第二次ベララベラ海戦が始 まった。秋雲《戦隊旗艦》-磯風-風雲-夕雲という四番 艦として行動していたが、第42駆逐群の先制攻撃にいち 早く応戦し、20時56分に魚雷を発射すると同時に砲撃を 開始[82][83]。「夕雲」は第42駆逐群からの集中砲火を一 身に浴びて火災が発生した[84]。隊列から脱落した「夕 雲」に、21時5分米軍の魚雷が命中、21時10分(戦闘概報 では20分)に沈没した[83][78]。駆逐艦長大迫東中佐を初 めとして夕雲乗員の大半は戦死(241名)[83]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦長月:進水日(1926) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251005T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251006T150000Z UID:485890806838 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。1924年(大正13 年)11月10日、東京石川島造船所で建造される予定の駆 逐艦に「第三十号駆逐艦」の艦名が与えられ[4]、同日 附で「「第28号駆逐艦(のちの水無月)、第29号駆逐艦 (〃文月)、第30号駆逐艦(〃長月)、第31号駆逐艦( 〃菊月)」」は一等駆逐艦に類別された[5]。本艦は1925 年(大正14年)4月16日に起工、1926年(大正15年)10月6日 進水、1927年(昭和2年)4月30日に竣工した[6]。 その後 、1928年(昭和3年)8月1日附で「第30号駆逐艦」は「長 月」と改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦敷波:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251009T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z UID:881668784328 DESCRIPTION: 駆逐艦「敷波」は1944年(昭和19年)10月10日 に除籍された。帝国駆逐艦籍、白雪型駆逐艦それぞれ から削除された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦五月雨:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251009T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z UID:148356211023 DESCRIPTION: 1944年10月10日、「五月雨」は白露型駆逐艦[74 ]、 帝国駆逐艦籍[75]のそれぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251009T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z UID:249152591491 DESCRIPTION: 1944年10月10日、神風型2隻(朝風、夕凪)は 神風型駆逐艦[35]、帝国駆逐艦籍[36]から除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕凪:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251009T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z UID:154662923236 DESCRIPTION: 1944年10月10日、神風型2隻(夕凪、朝風)は 神風型駆逐艦[328]、帝国駆逐艦籍[329]から除籍。本艦は 第30駆逐隊[330]からも除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦花月:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251009T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z UID:282216339577 DESCRIPTION: 仮称艦名第366号艦として1944年(昭和19年)2 月10日に舞鶴海軍工廠で起工[8]。同年10月10日に進水[8] 。同年12月26日に竣工した[8][9]。当初は三菱長崎造船所 で建造される予定であったが、線表改訂により舞鶴で の建造に変更された[10]。起工から竣工までは320日しか かからなかった[10]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦松:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251009T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z UID:123995449851 DESCRIPTION: 1944年10月10日、駆逐艦「松」は松型駆逐艦[69 ]、帝国駆逐艦籍[70]、第43駆逐隊[71]のそれぞれから除籍 された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦吹雪:戦没日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251010T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251011T150000Z UID:192428351586 DESCRIPTION: 1942年(昭和17年)10月11日12時、第11駆逐隊第 2小隊(吹雪、初雪)は、第六戦隊(司令官五藤存知少 将)の重巡洋艦3隻(青葉、古鷹、衣笠)とともにブー ゲンビル島ショートランド泊地を出撃し、ガダルカナ ル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かった[115][116]。\n 16 時以降、第六戦隊は速力30ノットで突進、旗艦青葉の左 前方3000mに初雪[注釈 4]、右前方を吹雪が航行し、重巡3 隻(青葉、古鷹、衣笠)が単縦陣になっていた[121]。21 時43分にサボ島方向(第六戦隊より左前方)に艦影を認 た。艦影(米艦隊)は砲撃を開始[124][125]。最初に被弾 したのは青葉の右斜め前方にいた吹雪で、艦中央部に 命中弾を受けた吹雪は爆発炎上した。吹雪は青葉に同 航して右旋回を行うが、「サンフランシスコ」以下健 在の米艦隊から砲撃を受けた「吹雪」は21時53分(アメリ カ軍時間)に爆発を起こして沈没した[131]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楢:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251011T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251012T150000Z UID:323782622980 DESCRIPTION: 藤永田造船所で建造された。1944年6月10日に 起工、10月12日に進水、11月26日に竣工した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦叢雲:戦没日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251011T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251012T150000Z UID:216446396482 DESCRIPTION: 1942年10月11日深夜、ガダルカナル島飛行場砲 撃に向かった第六戦隊部隊(重巡洋艦《青葉、古鷹、 衣笠》、駆逐艦《初雪、吹雪》)は米艦隊に待ち伏せ され、夜間水上戦闘により重巡「青葉」が大破、2隻( 古鷹、吹雪)が沈没した(サボ島沖海戦)[116]。12日昼 間、吹雪型駆逐艦「叢雲」は沈没した「古鷹」救援中 に米軍機の空襲を受け、朝潮型駆逐艦「夏雲」と共に 撃沈された[117]。\n 10月12日日付変更後、第11駆逐隊( 白雪、叢雲)が空襲を受けつつあった午前7時、日進隊 (日進、千歳、秋月、綾波)は増援部隊(川内、由良 、駆逐艦5隻)と合流する[147]。「由良、時雨、白露、 天霧」は日進隊を護衛してショートランド泊地へ戻っ た[148]。「川内」と第19駆逐隊は「叢雲」救援のため12 時頃に日進隊と分離、16時40分に「叢雲」を放棄して避 退中の2隻(朝雲、白雪)と会合する[136]。「川内」隊 はショートランドへ向かい、「朝雲、白雪」は「叢雲 」救援・曳航のために反転した。 日没後、2隻(朝雲、 白雪)は炎上する「叢雲」の傍に戻る[141]。第11駆逐隊 主計士官の藤原によれば、第11駆逐隊司令杉野大佐は座 乗する「白雪」より「叢雲」に対し総員退去を命令し たが、東中佐は退艦しなかった[149]。そこで菅原六郎白 雪艦長が説得におもむき、カッターボートで東中佐を 連れ帰った[149]。東艦長は杉野司令の手を握りしめて泣 きながら謝罪していたという[149]。その後、2隻(白雪 、朝雲)は炎上して艦尾切断状態の「叢雲」曳航を断 念[141]。「叢雲」は「白雪」[注釈 18]によって雷撃処分 された[141]。米軍が記録した沈没地点南緯08度40分 東経1 59度20分。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夏雲:戦没日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251011T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251012T150000Z UID:289102580832 DESCRIPTION: 1942年(昭和17年)10月12日、駆逐艦「夏雲」 はサボ島沖海戦に伴う重巡洋艦「古鷹」と吹雪型駆逐 艦「叢雲」救援行動中に米軍機の空襲を受け沈没、生 存者は朝潮型駆逐艦「朝雲」に救助された[107]。日進輸 送隊はラッセル諸島西側を通過して戦闘海域を離脱[125] 。この時、日進輸送隊から駆逐艦4隻(朝雲、夏雲、白 雪、叢雲)が分派される[126]。\n 「白雪、叢雲」はニ ュージョージア島沖で米軍機の波状攻撃を受けて「叢 雲」が大破炎上、航行不能となる[126][128][129]。 第9駆逐 隊(朝雲、夏雲)は「叢雲」の航行不能を知り救援の ためかけつけたが、ドーントレス11機の空襲により「夏 雲」は至近弾複数発を受ける[126][128]。浸水が進み、佐 藤康夫司令は「夏雲」乗組員を「朝雲」に収容した[126] 。「夏雲」は14時27分に沈没、塚本艦長以下19名[130]が戦 死した[129][131]。アメリカ側による沈没地点記録南緯08 度40分 東経159度20分。または南緯08度46分 東経157度18分[1 32]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦橘:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251013T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z UID:159761921733 DESCRIPTION: 仮称5511号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1番艦 として横須賀海軍工廠で建造された。1944年7月8日起工 、10月14日に進水、1945年1月20日に竣工した。就役後、訓 練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期 )に編入。瀬戸内海に回航され、1945年(昭和20年)3月1 5日付で「椿」「桜」「楢」「欅」「柳」とともに第五 十三駆逐隊を編成する[2]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榎:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251013T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z UID:500529924828 DESCRIPTION: 仮称4812号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年10月14日起工、1945年1 月27日進水。同年3月31日に竣工した。竣工後、訓練部隊 の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編 入。4月8日に瀬戸内海西部に回航し訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦樺:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:295493415553 DESCRIPTION: 仮称5500号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 藤永田造船所で建造された。1944年10月15日起工、1945年2 月27日進水、5月29日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第 十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楡(にれ):除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:103372986642 DESCRIPTION: 1945年10月15日、橘型駆逐艦籍より除籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初雪:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:188692340436 DESCRIPTION: 1943年10月15日、「初雪」は初雪型駆逐艦[77] 第11駆逐隊[78]、 帝国駆逐艦籍[79] のそれぞれから除籍 された。なおネームシップの本艦沈没後も『初雪型駆 逐艦』の名称は改定されずに用いられている。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦江風:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:239814010597 DESCRIPTION: 1943年10月15日、「江風」は白露型駆逐艦[244] 第24駆逐隊[245]、 帝国駆逐艦籍[246]、 それぞれから除籍 された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦有明:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:330385227320 DESCRIPTION: 1943年旧有明型2隻(有明、夕暮)は10月15日 附で初春型駆逐艦[151] 第27駆逐隊[152]、 帝国駆逐艦籍[15 3]、 それぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕暮:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:211960409040 DESCRIPTION: 駆逐艦「有明」と「夕暮」は1943年10月15日附 で初春型駆逐艦[184]、 第27駆逐隊[185]、 帝国駆逐艦籍[18 6]、 それぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦嵐:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:143451130397 DESCRIPTION: 駆逐艦嵐と萩風は1943年10月15日附で不知火型 駆逐艦[222] 第4駆逐隊[223]、 帝国駆逐艦籍[224]、 それぞ れから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦萩風:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:124635144984 DESCRIPTION: 駆逐艦萩風と嵐は1943年10月15日附で不知火型 駆逐艦[145] 第4駆逐隊[146]、 帝国駆逐艦籍[147]、 それぞ れから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦清波:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:278659133494 DESCRIPTION: 駆逐艦「清波」は1943年10月15日附で夕雲型駆 逐艦[89]、 第31駆逐隊[90]、 帝国駆逐艦籍[91]、 それぞれ から除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦浜波:竣工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:272883764167 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第341号艦として 舞鶴海軍工廠で建造。1942年4月28日に起工、1943年4月18日 進水、1943年(昭和18年)10月15日に竣工して一等駆逐艦 に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦卯月:進水日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:291717015996 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日、 第二十五駆逐艦と命名される[4]。 1924年(大正13年)1月 11日、第25駆逐艦(卯月)は東京石川島造船所で起工[5] 。これは浦賀船渠で建造された第24駆逐艦(弥生)と同 日の起工である[6]。 同年4月24日、艦名を「第二十五号 駆逐艦」に改正[7]。 1925年(大正14年)10月15日進水[5]。 1926年(大正15年)9月14日に竣工[5]。佐世保鎮守府に所 属した。\n 1928年(昭和3年)8月1日附で「第二十五号 駆逐艦」は「卯月」と改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦三日月:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:240619056610 DESCRIPTION: 1943年10月15日、「三日月」は卯月型駆逐艦[33 ]、 第30駆逐隊[34]、 帝国駆逐艦籍[35]、 それぞれから除 籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦竹:起工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251014T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z UID:103314638066 DESCRIPTION: 横須賀海軍工廠で建造[4]。1943年(昭和18年 )10月15日、起工。 1944年(昭和19年)1月25日「竹」と命 名される[2]。同日附で駆逐艦一等松型に類別[5]。 3月28 日、進水し、本籍を横須賀鎮守府に定められる[6]。 6月 16日、竣工[4]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕立:起工日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20251015T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20251016T150000Z UID:290657040603 DESCRIPTION: 白露型駆逐艦4番艦夕立は佐世保工廠で1934年 (昭和9年)10月16日に起工された[3]。1936年(昭和11年) 6月21日に進水[3][4]。 7月15日附で中原義一郎少佐は夕立 艤装員長に任命される[5]。 8月1日、佐世保工廠に夕立 艤装員事務所が設置され、11月1日附で中原は夕立初代 駆逐艦長となる[7]。後任の夕立駆逐艦長は沢村成二少 佐となる[8]。\n 1937年(昭和12年)1月7日、夕立は竣工 した[3]。横須賀鎮守府籍[9]。白露型3番艦村雨(藤永田造 船所建造)と同日附の竣工であった[10]。同日、白露型2 隻(村雨、夕立)により第2駆逐隊が編制され、初代駆 逐隊司令は田中頼三大佐[11]となる[注釈 3]。田中は第2 駆逐隊司令駆逐艦を夕立に指定した[12]。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR