BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦不知火:起工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260829T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z UID:226232274872 DESCRIPTION: 不知火は浦賀船渠で1937年8月30日に起工、1938 年6月28日に進水。1939年12月20日に竣工した。呉鎮守府在 籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦旗風:竣工日(1924) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260829T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z UID:739398976567 DESCRIPTION: 本艦は1923年(大正12年)7月3日に起工[14][21] 。1924年(大正13年)3月15日、「第九駆逐艦」として進 水[14][22]。 艤装中の4月24日附で「第九駆逐艦」は「第 九号駆逐艦」と改称[8]。 6月10日、日本海軍は荒糺(あ らただし)少佐(当時山風駆逐艦長心得)を第9号駆逐 艦艤装員長に任命(後任の山風艦長心得は中圓尾義三 少佐)[23]。6月19日より艤装員事務所での事務を開始す る[24]。8月30日に竣工した[14][27]。 \n 4年後の1928年(昭 和3年)8月1日附で、「第九号駆逐艦」は「旗風」と改 名された[1][29]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦照月:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z UID:196903855740 DESCRIPTION: 1939年(昭和14年)度(マル4計画)の第105号 艦[4]。1940年(昭和15年)11月13日、三菱重工業長崎造船 所で起工[4]。1941年(昭和16年)10月25日に命名[2]、同日 附で一等駆逐艦秋月型に類別される[5]。「照月」は真 珠湾攻撃直前の11月21日に進水[4]。本艦は8月31日に竣工 して佐世保鎮守府籍となる[12][4][13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦高波:竣工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z UID:127106647969 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第121号艦として浦 賀船渠で建造[3]。1941年(昭和16年)5月29日起工。1942年 (昭和17年) 3月16日午後4時30分[7]、横須賀鎮守府長官 平田昇中将立ち合いの元で本艦は進水[8][3]。同日、第 五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)と随伴艦(秋雲、霰、陽炎 )も横須賀に入港している[3]。 \n 1942年8月31日に竣工 [13][14]。同日、秋月型駆逐艦2番艦「照月」(佐世保鎮 守府籍)も8月31日竣工しており、本艦は舞鶴鎮守府籍 となる[17]。その上で、2隻(照月、高波)は警備駆逐艦 に指定された[17]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝潮:竣工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z UID:469741297036 DESCRIPTION:  1935年(昭和10年)9月6日、建造予定の駆逐 艦2隻にそれぞれ『朝潮』と『大潮』の艦名が与えられ た[1][5]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦を新 設[6]。 本艦は佐世保海軍工廠で9月7日に起工[7][8]。 1936 年(昭和11年)12月16日に進水した[7]。日本海軍は、吹 雪型駆逐艦潮・峯風型沖風艦長等を歴任した成田茂一 中佐を朝潮艤装員長に任命する[9]。当事の佐世保工廠 では、白露型4番艦夕立の建造が最終段階に入っていた (翌年1月7日竣工)[10]。12月28日、佐世保海軍工廠に朝 潮艤装員事務所を設置[11]。\n 1937年(昭和12年)8月2日 、成田艤装員長は正式に朝潮駆逐艦長(初代)に任命 される[12]。本艦は8月31日に竣工した[7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦涼風:竣工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z UID:157914732109 DESCRIPTION: 1935年(昭和10年)6月20日、日本海軍は浦賀 船渠で建造予定の駆逐艦を「涼風」と命名した[2][4]。 同年7月9日、「涼風」は浦賀船渠で起工[6][7]。 本艦は19 37年(昭和12年)3月11日に進水[6][12]。\n 5月1日、日本 海軍は井上良雄少佐(吹雪型駆逐艦「響」艦長)を涼 風艤装員長に任命する(後任の響艦長は駆逐艦雷艦長 竹内虎四郎少佐)[13]。5月3日、浦賀船渠に涼風艤装員 事務所を設置し、事務を開始する[14]。 「涼風」は同年 8月31日に竣工した[6]。主要幹部は、井上良雄少佐(駆 逐艦長)、浅井秋生大尉(砲術長)、藤田淳大尉(水 雷長)、西村定男大尉(航海長)、斎藤孝吉機関大尉 (機関長)[15]。同日附で艤装員事務所を撤去する[16]。 \n 竣工と同時の8月31日附で姉妹艦3隻(海風、山風、 江風)の第24駆逐隊(5月31日附で編制。駆逐隊司令久宗 米次郎大佐)に編入[17][18]。定数4隻(海風、山風、江 風、涼風)を揃えた第24駆逐隊は第二次上海事変(昭和 12年)に投入され、中国大陸に進出した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夏潮:竣工日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z UID:324135762082 DESCRIPTION: 駆逐艦「夏潮」は藤永田造船所で1937年(昭 和12年)12月9日に起工[4]。 1938年(昭和13年)9月20日、 日本海軍(米内光政海軍大臣)は舞鶴海軍工廠で建造 の陽炎型4番艦を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦 (本艦)を『夏潮』、川崎造船所の陽炎型7番艦を『初 風』と命名した[2][5]。 同日附で、各艦(親潮、夏潮、 初風、伊号第十八潜水艦、伊号第二十潜水艦、伊号第 二十二潜水艦等)は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[6 ]。\n 「夏潮」は1939年(昭和14年)2月23日に進水[4]。 本艦の建造は陽炎型3番艦「黒潮」と同時に進められた[ 7]。1940年(昭和15年)1月27日、藤永田造船所で姉妹艦「 黒潮」が竣工[10]。 同年8月31日[4][1]に竣工。陽炎型5番 艦「早潮」と同日附の竣工であった[16]。呉鎮守府籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦黒潮:起工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260830T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z UID:303354983464 DESCRIPTION: 陽炎型駆逐艦3番艦「黒潮」は仮称19号艦と して藤永田造船所で1937年(昭和12年)8月31日に起工[3] 。\n 1938年(昭和13年)4月15日、日本海軍は舞鶴海軍工 廠で建造中の駆逐艦を『陽炎』、浦賀船渠の同型駆逐 艦を『不知火』、藤永田造船所の本艦を『黒潮』、東 京石川島造船所の測天型敷設艇2番艇を「白神」と命名 する[5][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐艦 』が新設され、3隻(陽炎、不知火、黒潮)は同型に類 別された[6]。 同年10月25日、「黒潮」は進水[3][7]。\n 1 940年(昭和15年)1月20日、佐世保海軍工廠で陽炎型8番 艦「雪風」が竣工[12]、呉へ回航される[13]。 「雪風」 竣工から一週間遅れた1月27日、陽炎型3番艦「黒潮」は 竣工[3][14]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦梨:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260901T150000Z UID:112285765455 DESCRIPTION: 駆逐艦「梨」は橘型の10番艦(仮称4810号艦 )として、川崎重工業神戸艦船工場で1944年(昭和19年 )9月1日に起工。同年12月8日、駆逐艦(柿、樺、梨、椎 、榎)や海防艦「志賀」等に艦名が与えられる[2]。同 日附で各艦(柿、樺、梨、椎、榎)は松型駆逐艦に類 別[1]。\n 1945年(昭和20年)1月17日、進水。2月9日、神 戸川崎造船所内に設置された梨艤装員事務所は、事務 を開始[3]。 本艦は同年3月15日に竣工した[11]。呉鎮守府 籍[12]。\n 竣工(3月15日)をもって第十一水雷戦隊( 司令官高間完少将。旗艦「酒匂」)に配属され、山口 県柳井市東方及び南方の瀬戸内海において訓練に従事 した。燃料事情が悪化しているため、訓練航海は月に 数回しか行われず、それも殆どは呉より日帰りの短期 のものであった[15]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雄竹:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260831T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260901T150000Z UID:175954176406 DESCRIPTION: 仮称4814号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年11月5日起工、1945年3 月10日進水。5月15日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第 十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入す るも、タービンの空気漏洩が見つかり、5月17日まで調 整が行われた[2]。舞鶴湾で単独訓練を行い[3]、待機す る。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦敷波:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260901T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260902T150000Z UID:546022464618 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)8月1日、シンガポール沖に て座礁事故を起こすも、離礁に成功する。応急修理の 後、本格的な修理を受けるためにヒ72船団の護衛に協力 して内地に向かうことになった。\n しかし、9月12日01 時55分、船団は米潜水艦「グロウラー」 (USS Growler\, SS-21 5)の雷撃を受ける。船団護衛部隊旗艦の海防艦「平戸」 に魚雷1本が命中[2][3]。平戸は閃光と水柱に包まれ、そ れが消えると同時に海上からその姿を消し[4]、護衛司 令官の梶岡定道少将が戦死してしまう。旗艦を失い、 混乱する船団は米潜水艦部隊の雷撃により被害が次々 に増える中、敷波は対潜掃討を行っていたが、06時55分 、北緯18度16分 東経114度40分の海南島東方洋上でグロウ ラーの再度の雷撃で魚雷2本が立て続けに命中して4分で 沈没した[5]。駆逐艦長の高橋達彦少佐以下乗員多数が 戦死し、乗員120名が海防艦御蔵に救助された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦陽炎:起工日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260902T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260903T150000Z UID:266035018514 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で1937年(昭和12年)9月3日に起 工[5]。1938年(昭和13年)4月15日、舞鶴工廠で建造中の 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐 艦』が新設され、3隻(陽炎、不知火、黒潮)は同型に 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8] 。\n 1939年(昭和14年)2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長(初代)となる [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが( 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日)、竣工は「 陽炎」の方が先である[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦島風(初代):起工日(1919) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260904T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260905T150000Z UID:707268818312 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1919年9月5日起工、1920 年3月31日進水。同年11月15日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆 逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桜:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260905T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260906T150000Z UID:225394992737 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5496号として計画され、1944 年(昭和19年)6月2日に横須賀海軍工廠で起工。8月25日 に「桜」と命名され、9月6日に進水した。11月25日に竣 工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍 兵学校41期)に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦樅:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260906T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260907T150000Z UID:216528183671 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5489号艦として横須賀海軍 工廠で建造され、横須賀鎮守府籍となる。1944年2月1日 起工、6月16日進水。竣工日は9月7日であるが、これは9 月7日以前に予定されていた竣工引渡し日までに工事が 終わらず、延期されたものである[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦時雨:竣工日(1936) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260906T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260907T150000Z UID:146910942589 DESCRIPTION: 白露型駆逐艦2番艦・時雨は浦賀船渠で1933年 (昭和8年)12月9日に起工[9]。12月15日、建造中の駆逐艦 3隻にそれぞれ白露(シラツユ)、時雨(シグレ)、村 雨(ムラサメ)の艦名が与えられた[10]。当時、有明・ 夕暮・白露・時雨・村雨・夕立・春雨は『有明型駆逐 艦』に類別されていたが、諸事情により有明・夕暮は 初春型駆逐艦に類別され、新たに『白露型駆逐艦』が 新設されている[11]。 1935年(昭和10年)5月18日進水[12] 。1936年(昭和11年)9月7日に竣工[1]。横須賀鎮守府籍[13 ]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝潮:起工日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260906T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260907T150000Z UID:158984483992 DESCRIPTION:  1935年(昭和10年)9月6日、建造予定の駆逐 艦2隻にそれぞれ『朝潮』と『大潮』の艦名が与えられ た[1][5]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦を新 設[6]。 本艦は佐世保海軍工廠で9月7日に起工[7][8]。 1936 年(昭和11年)12月16日に進水した[7]。日本海軍は、吹 雪型駆逐艦潮・峯風型沖風艦長等を歴任した成田茂一 中佐を朝潮艤装員長に任命する[9]。当事の佐世保工廠 では、白露型4番艦夕立の建造が最終段階に入っていた (翌年1月7日竣工)[10]。12月28日、佐世保海軍工廠に朝 潮艤装員事務所を設置[11]。\n 1937年(昭和12年)8月2日 、成田艤装員長は正式に朝潮駆逐艦長(初代)に任命 される[12]。本艦は8月31日に竣工した[7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦新月:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260909T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z UID:172297635180 DESCRIPTION: 1943年9月10日、「新月」は秋月型駆逐艦[119] 、帝国駆逐艦籍より除籍された[120]。二水戦旗艦「神通 」と水上機母艦「日進」も本艦と同日附で除籍されて いる[120]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦薄雲:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260909T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z UID:570679726300 DESCRIPTION: 1944年9月10日、駆逐艦「薄雲」は初雪型駆逐 艦[65]、 第18駆逐隊[66]、 帝国駆逐艦籍より除籍された[6 7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦玉波:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260909T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z UID:236725975363 DESCRIPTION: 駆逐艦「清波」は1944年9月10日附で夕雲型駆 逐艦、 帝国駆逐艦籍、それぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦帆風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260909T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z UID:471516724825 DESCRIPTION: 1944年9月10日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆 逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦萩:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260911T150000Z UID:118546125438 DESCRIPTION: 仮称5517号艦、橘型(改松型)駆逐艦4番艦と して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年9月11日起工、11 月27日進水。1945年3月3日に竣工した。竣工後、訓練部隊 の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編 入。「柿」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内 海に回航される[2]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦弥生:戦没日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260910T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260911T150000Z UID:178115093463 DESCRIPTION: 第二次ソロモン海戦の後、第30駆逐隊(弥生 、望月)は第十八戦隊(天龍、龍田)、第17駆逐隊(浦 風、谷風、浜風、磯風)、駆逐艦「嵐」等と共に『ラ ビ攻略作戦(ニューギニアの戦い)』に参加、部隊を 上陸させるなどニューギニア島・パプアニューギニア 方面で活動した。\n 1942年9月10日16時30分、安武司令の 乗艦する「弥生」は駆逐艦「磯風」を指揮下に入れ、 ラビ攻略部隊(佐世保鎮守府第五特別陸戦隊)を撤収 させるためラバウルを出港した[40]。\n 9月11日正午よ り、ラビの東にあるノーマンビー島(ノルマンビー島)の 東方でB-17、B-25約10機による空襲を受け、「弥生」は後 部への爆弾命中により舵が故障、続いて航行不能とな り、16時15分沈没した[41]。安武第30駆逐隊司令も「弥生 」と共に戦死した。沈没地点はノーマンビー島東方15浬 南緯10度3分 東経151度27分[42]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦卯月:竣工日(1926) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260913T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260914T150000Z UID:259879850661 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日、 第二十五駆逐艦と命名される[4]。 1924年(大正13年)1月 11日、第25駆逐艦(卯月)は東京石川島造船所で起工[5] 。これは浦賀船渠で建造された第24駆逐艦(弥生)と同 日の起工である[6]。 同年4月24日、艦名を「第二十五号 駆逐艦」に改正[7]。 1925年(大正14年)10月15日進水[5]。 1926年(大正15年)9月14日に竣工[5]。佐世保鎮守府に所 属した。\n 1928年(昭和3年)8月1日附で「第二十五号 駆逐艦」は「卯月」と改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦梨:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260914T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260915T150000Z UID:841952741186 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)9月15日除籍[37]。\n 沈没 後の本艦は海底に放置されていたが、同地漁協におい て本艦を引き揚げて漁礁とする計画が持ちあがり、大 蔵省中国財務局に申請があった[38]。1954年(昭和29年)9 月21日に廃鉄鋼材(スクラップ)としての利用を目的に 浮揚された。10年近く海中にあったものの、調査の結果 状態は良好であったため、北星船舶は防衛庁(当時) に売り込みをかけた[38]。同庁では引き揚げた業者より 購入して再就役させる計画を立て、改修費約3億4500万円 と引揚分の費用をかけて修理改装[38]。\n 1956年(昭和3 2年)5月31日、警備艦「わかば」として海上自衛隊に編 入[11]。1958年には改めて兵装を装備した上で乙型警備艦 「DE-261 わかば」として再就役した。このため、「梨」 (「わかば」)は海上自衛隊に在籍した唯一の日本海 軍の戦闘艦艇である[39]。\n 護衛艦わかばとしての除 籍日は1971年(昭和46年)3月31日。江田島の古沢鋼材に 払い下げられ、解体された[11]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦矢風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260914T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260915T150000Z UID:216591162126 DESCRIPTION: 1945年9月15日、峯風型駆逐艦籍および帝国駆 逐艦籍より除籍された。戦後は長浦湾に係留されてい たが浸水により着底。1948年(昭和23年)7月から9月にか けて[8]解体された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦潮:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260914T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260915T150000Z UID:202276723889 DESCRIPTION: 1944年12月上旬、シンガポールで応急修理を 完了。「潮」は重巡「妙高」(レイテ沖海戦で被雷、 大破)を護衛し、内地に向け出発する。12月16日、「潮 」はベトナムのサンジャックに到着[141]。「妙高」は「 羽黒、霞、初霜、千振」に護衛されてシンガポールに 引き返した[141]。つづいて「潮」はヒ82船団を護衛して 内地に回航された[142]。横須賀港に帰投し、主機損傷の ためそのまま係留される。\n 1945年(昭和20年)1月25日 、姉妹艦「響」の編入により、第7駆逐隊は3隻編制(霞 、潮、響)となる[143]。 3月10日附で「霞」は第21駆逐隊 に編入され、第7駆逐隊は2隻(潮、響)に減少した[144] 。\n 5月5日、第7駆逐隊は解隊され[148]、「響」は警備 駆逐艦に指定されたのち[149]、舞鶴へ回航された。6月10 日附で「潮」は第四予備駆逐艦に指定される[150]。行動 不能の状態で8月15日(終戦の日)を迎えた。\n 駆逐艦 「潮」は終戦後の1945年9月15日、初雪型駆逐艦、帝国駆 逐艦籍[102] のそれぞれから除籍され、1948年(昭和23年 )に解体された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦澤風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260914T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260915T150000Z UID:240871742701 DESCRIPTION: 1945年9月15日に除籍され、船体は福島県・小 名浜港で防波堤に転用された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春風:放棄日(1948) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260915T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260916T150000Z UID:217354455291 DESCRIPTION: 戦後、船体は上部構造物を撤去した上で京 都府竹野港(京丹後市)の防波堤として使用されたが[5 8]、間もなく1948年(昭和23年)9月16日に上陸したアイオ ン台風により破壊したため、スクラップとして売却の 上解体された[59]。なお、当初は秋田港の防波堤として 使用される予定だった[60]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦羽風:竣工日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260915T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260916T150000Z UID:261745810269 DESCRIPTION: 三菱長崎造船所で建造。1918年11月11日起工、 1920年6月21日進水。同年9月16日に竣工した。一等駆逐艦 に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雄竹:処分日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260916T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260917T150000Z UID:247580790477 DESCRIPTION: 1947年9月17日に北緯35度29分 東経122度52分の地 点で標的艦として処分された[7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕凪:起工日(1923) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260916T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260917T150000Z UID:189330586034 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)1月27日、佐世保海軍工廠 で建造予定の駆逐艦に第十七駆逐艦の艦名が与えられ る[6][7]。同日附で艦艇類別等級表に一等駆逐艦として 登録される[8]。 同年9月17日、第17駆逐艦(夕凪)は佐 世保海軍工廠で起工[9]。\n 1924年(大正13年)4月23日、 第17駆逐艦(夕凪)は進水[9][10]。進水翌日、第17駆逐艦 は第十七号駆逐艦と改名される[11]。 同年12月1日、初代 「夕凪」は除籍された[4][12]。同日附で日本海軍は樅型 駆逐艦「菊」艦長山田定男少佐を、第17号駆逐艦艤装員 長に任命する[13]。\n  1925年(大正14年)4月24日、第17 号駆逐艦は竣工した[9][15]。1928年(昭和3年)8月1日附で 第一号型駆逐艦は神風型駆逐艦と改称[16]。第17号駆逐 艦も「夕凪」と改名された[3][17] LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦野分:進水日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260916T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260917T150000Z UID:795838780411 DESCRIPTION: 駆逐艦野分は陽炎型駆逐艦のマル3計画での 最終艦(15隻目。陽炎型は次のマル4計画でも4隻建造さ れ計19隻)、仮称第31号艦として舞鶴工廠で建造開始。1 939年(昭和14年)11月8日起工[3]。1940年(昭和15年)8月30 日に「野分(ノワキ)」と命名される[1]。同日附で陽 炎型14番艦谷風や練習巡洋艦香椎、測量艦筑紫等も命名 されている[1]。野分は9月17日に進水[3]。なお登録上は 野分が陽炎型15番艦で16番艦は嵐だが[2]、起工・進水・ 竣工のいずれも野分より嵐の方が早い[4]。 11月15日、日 本海軍は駆逐艦有明・叢雲・東雲艦長等を歴任した古 閑孫太郎中佐を野分艤装員長に任命する[5]。同時期、 野分艤装員事務所を設置[6]。\n 1941年(昭和16年)4月9 日、古閑野分艤装員長は制式に野分初代駆逐艦長とな った[7]。同日附で野分艤装員事務所を撤去[8]。4月28日 、野分は竣工された[3][9]。横須賀鎮守府籍。同日附で 第4駆逐隊に編入された[10]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦椎:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260917T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260918T150000Z UID:232928003794 DESCRIPTION: 仮称4811号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年(昭和19年)9月18日 に舞鶴海軍工廠で起工、1945年(昭和20年)1月13日に進 水し、3月13日に竣工した。\n 竣工後、訓練部隊の第十 一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。瀬 戸内海西部に回航され、回航当時は健在だった戦艦「 大和」の姿に圧倒されたり[2]、発電機の不良[3]や搭載 した重油に塵埃が混入する[4]などのトラブルがありな がらも訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春雨:進水日(1935) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260920T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260921T150000Z UID:299125720882 DESCRIPTION: 舞鶴工廠で1935年(昭和10年)2月3日に起工[4] 。同年9月21日に進水した[4]。1937年(昭和12年)8月26日 に就役した[4]。 竣工当初はウェスティングハウス社製 の溶接構造の減速機室と減速歯車を備えていたが、試 運転の際に減速歯車に亀裂が発見されたため、姉妹艦 と同型の鋳鋼製の減速機に交換された[5]。 姉妹艦に比 べ就役が大幅に遅れていたのは、この減速機交換作業 のためである。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦皐月:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260920T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260921T150000Z UID:216670177853 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)9月6日、「皐月」は神威船 団(神威、旭東丸、興川丸)を護衛してシンガポール を出発[117][118]。マニラ地区空襲の恐れがあったため[119 ]、ブルネイ等を経由・仮泊しながら航海を続ける[120] 。 本艦が神威船団護衛中の9月17日、日本からシンガポ ールへ向かうヒ75船団から水上機母艦「秋津洲」と特設 巡洋艦「西貢丸」、第30駆逐隊(夕月、卯月)が分離、 フィリピンマニラ港へ向かう[121]。\n 9月21日午前5時、 第30駆逐隊(卯月、夕月、秋風)はマタ27A船団を護衛し てマニラを離れる[126][127][128][129]。 同日、燃料補給を 実施後マタ27船団に追いつこうとしていた「皐月」は[12 4]、マニラ湾にてアメリカ軍の空母艦載機の攻撃を受け る[130][129]。 24~30ノットを発揮して対空戦闘を実施[131] 。だが第一次空襲で左舷に落ちた至近弾により復水器 が破壊され、片舷航行、最大発揮速力は20ノット以下に 低下した[130][132]。また複数の至近弾により負傷者が出 たため艦載艇で陸地へ移送、そのために軍医長・水雷 長・航海長を派遣し、艦橋には艦長、砲術長、操舵員 の3名しかいなかったという[130]。午後に入り第一缶室 に爆弾が命中、速力が落ちた所で艦前部に爆弾が命中 、さらに複数の命中弾を受け15時45分に沈没した[133][134] 。米軍による沈没地点北緯14度35分 東経120度45分。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦有明:進水日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260922T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260923T150000Z UID:149248918957 DESCRIPTION: 本艦は神戸川崎造船所で1933年(昭和8年)1 月14日に起工[11]。建造初期の段階で初春型1番艦「初春 」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦 と姉妹艦「夕暮」は有明型駆逐艦(改初春型)とも呼 ばれる[12][4]。 同年12月15日、2隻(有明、夕暮)は初春 型よりのぞかれ『有明型駆逐艦』が新設、「有明」「 夕暮」「白露」「時雨」「村雨」「夕立」「春雨」ま でが有明型に類別された(夕立、春雨は翌年10月、有明 型に類別)[4][13]。 本艦は1934年(昭和9年)9月23日進水[ 11][14]。\n 1934年(昭和9年)11月1日、神風型駆逐艦7番 艦「疾風」駆逐艦長天野重隆少佐は有明艤装員長に任 命される[16]。5日、艤装員事務所設置[17]。 1935年(昭和 10年)3月25日に竣工した[11]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦宵月:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260924T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260925T150000Z UID:183143329572 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)に よる乙型一等駆逐艦の第363号艦として、浦賀船渠で1943 年(昭和18年)8月25日に起工[7]。当初は三菱長崎造船所 で建造される予定であったが、線表改訂により浦賀で の建造に変更された[8]。本艦は、秋月型駆逐艦のうち 浦賀船渠で建造された唯一の艦である。\n1944年(昭和19 年)5月10日、姉妹艦「春月」や海防艦等と共に命名[3] 。 9月25日に進水[7]。\n 1945年(昭和20年)1月31日に竣 工[8][7]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦神風:進水日(1922) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260924T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260925T150000Z UID:989930089457 DESCRIPTION: 本艦は、八八艦隊計画で9隻建造された神風 型駆逐艦(2代)のネームシップで[5]、峯風型駆逐艦後 期型である改峯風型を改良した艦隊型駆逐艦であった[1 2]。1921年(大正10年)12月15日、第一駆逐艦は三菱長崎 造船所で起工[14][15]。第一駆逐艦(神風)は1922年9月25 日午前10時40分に進水[14][21][22]。三菱長崎造船所内に第 一駆逐艦艤装員事務所を設置、9月28日より事務を開始 した[23]。\n  12月28日竣工[14][6]。横須賀鎮守府籍[27]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦風雲:進水日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260925T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260926T150000Z UID:100440324245 DESCRIPTION: 風雲は1939年度(マル4計画)仮称第118号艦と して浦賀船渠での建造が決定、1940年(昭和15年)12月23 日起工(藤永田造船所の2番艦巻雲と同日起工)[3]。1941 年(昭和16年)9月10日附で風雲(カザグモ)と命名[1]、 同日附で夕雲型駆逐艦に登録[4]。9月26日進水[3]。\n 194 2年(昭和17年)1月20日、吉田正義中佐は本艦艤装員長 に任命される[5]。翌日、浦賀船渠に艤装員事務所を設 置[6]。 3月16日、浦賀船渠で夕雲型6番艦高波が進水する [7]。 27日、性能調査終了[8]。 3月28日に竣工[7][9]。艤装 員事務所を撤去[10]。横須賀鎮守府籍[11]。吉田も正式に 風雲駆逐艦長(初代)となった[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初霜:竣工日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260927T150000Z UID:167473788688 DESCRIPTION: 1932年(昭和7年)10月1日、日本海軍は浦賀船 渠株式会社に駆逐艦1隻の建造を命じた[4]。12月10日、制 式に初霜と命名した[2]。また姉妹艦2隻(有明、夕暮) 等も命名された[2]。 浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31 日に起工[5][6]。同年10月31日、初霜進水式の最中に事故 が発生、浦賀船渠は進水を中止する[4][7]。 11月4日に進 水式をやりなおした[7][8]。建造途中で同型艦初春の復 元性能不良が判明し、改善工事を施す。\n 1934年(昭 和9年)2月1日、松原博少佐は初霜艤装員長に任命され る[9]。2月12日、浦賀船渠に初霜艤装員事務所を設置す る[10]。 初霜は9月27日に竣工[5][11]、同日附で初霜艤装 員事務所は撤去[12]。松原少佐も初霜初代駆逐艦長とな る[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦陽炎:進水日(1938) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260927T150000Z UID:399324099615 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で1937年(昭和12年)9月3日に起 工[5]。1938年(昭和13年)4月15日、舞鶴工廠で建造中の 駆逐艦に『陽炎』、浦賀船渠の駆逐艦に『不知火』、 藤永田造船所の駆逐艦に『黒潮』、東京石川島造船所 の測天型敷設艇2番艇に「白神」等の艦名が正式に与え られた[6][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐 艦』が新設され、3隻(陽炎、不知火、黒潮)は同型に 類別された[7]。 「陽炎」は同年9月27日に進水した[5][8] 。\n 1939年(昭和14年)2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐 艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された[9]。2 月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置[10]。 8 月10日附で山本艤装員長は陽炎駆逐艦長(初代)となる [11]。「陽炎」は11月6日に竣工した[5]。起工・進水とも2 番艦「不知火」の方が1番艦「陽炎」より早かったが( 不知火起工1937年8月30日、進水1938年6月28日)、竣工は「 陽炎」の方が先である[12]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋雲:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260927T150000Z UID:242393075988 DESCRIPTION: 駆逐艦「秋雲」は1939年度(マル4計画)仮称 第115号艦として浦賀船渠で1940年(昭和15年)7月2日起工 [4]。 1941年(昭和16年)3月25日、「秋雲(アキグモ)」 と命名[1]。同日附で昭和16年度内令246号により一等陽炎 型に分類される[5]。横須賀鎮守府仮定[6]。 同年4月11日 進水[4]。 4月10日まで白露型駆逐艦4番艦「夕立」駆逐艦 長だった有本輝美智中佐[7]は、6月15日附で秋雲艤装員 長に任命される[8]。 6月17日、浦賀船渠浦賀工場内に秋 雲艤装員事務所を設置する[9]。\n 1941年9月27日に竣工[4 ][3]。同日附で秋雲艤装員事務所を撤去[10]。有本も制式 に秋雲駆逐艦長(初代)となる[11]。竣工後の引渡式の 際、岸壁にはロケーションのため浦賀船渠にいた女優 の高峰三枝子や桑野通子らがおり、盛んに声援を送ら れた[12]。同日附で正式に横須賀鎮守府所属[13]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦叢雲:進水日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260926T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260927T150000Z UID:169510388077 DESCRIPTION: 1927年(昭和2年)4月26日、建造予定の一等駆 逐艦4隻に、それぞれ「第36号駆逐艦(のちの白雪)」[8 ]、「第38号(〃深雪)」、「第39号(〃叢雲)」、「第 44号(〃浦波)」の艦名が与えられた[9][10][6]。 「第39 号駆逐艦」は藤永田造船所で、同年4月25日(正式命名 の前日)起工[11]。 1928年(昭和3年)8月1日附で「第39号 駆逐艦」は「叢雲」と改名された[1][12]。 同年9月27日進 水[13]。 10月20日、日本海軍は砲艦「嵯峨」艦長柳原信 男中佐を叢雲艤装員長に任命する(後任の嵯峨艦長は熊 澤桝蔵中佐《当時、潜水母艦迅鯨副長》)[14]。 11月3日 、藤永田造船所に叢雲艤装員事務所を設置する[15]。\n  1929年(昭和4年)5月10日、本艦は竣工[11][16]。柳原信 男中佐(叢雲艦長)、有田雄三大尉(叢雲水雷長)[注 釈 1]、小倉藤三郎大尉(叢雲砲術長)、室田勇次郎( 叢雲航海長)[注釈 2]、高橋伊三次機関大尉(叢雲機関 長)[17]。 同日附で艤装員事務所を撤去[18]。第二艦隊 ・第二水雷戦隊・第12駆逐隊(駆逐隊司令有地十五郎大 佐)[19]に編入され、同隊は定数4隻(東雲、薄雲、白雲 、叢雲)を揃えた[20]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初雪:進水日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260928T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260929T150000Z UID:124488060983 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、「第三十七号駆 逐艦」と命名[5]。同日附で一等駆逐艦に類別される[6] 。 「第37号駆逐艦」は1927年(昭和2年)4月12日に舞鶴工 作部で起工[7]。1928年(昭和3年)8月1日附で、「第37号 駆逐艦」は「初雪」と改名される[1]。\n 1928年9月29日 に進水、1929年(昭和4年)3月30日に竣工[7]。呉鎮守府所 属。第二艦隊・第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入。吹雪 型初期姉妹艦(吹雪、白雪、初雪、深雪)と共に第11駆 逐隊を編制していた。 LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR