BEGIN:VCALENDAR VERSION:2.0 PRODID:-//chikkutakku.com//RDFCal 1.0//EN X-WR-CALDESC:GoogleカレンダーやiCalendar形式情報を共有シェ アしましょう。近所のイベントから全国のイベントま で今日のイベント検索やスケジュールを決めるならち っくたっく X-WR-CALNAME:ちっくたっく X-WR-TIMEZONE:UTC BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦舞風:竣工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260714T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260715T150000Z UID:116357495831 DESCRIPTION: マル4計画、仮称第114号艦として藤永田造船 所で建造開始。1940年(昭和15年)4月22日起工[3]。 1941年 (昭和16年)2月5日、「舞風」と命名され[1]、一等陽炎 型として登録される[4]。 同年3月15日進水[3]。 日本海軍 は4月10日附で、神風型駆逐艦7番艦「疾風」艦長[5]、吹 雪型駆逐艦5番艦「叢雲」艦長[6]等を歴任した中杉清英 中佐を、舞風艤装員長に任命する(後任の叢雲艦長は 東日出夫少佐)[7]。4月18日、藤永田造船所に艤装員事 務所を設置[8]。 \n 7月15日竣工[3]。同日附で艤装員事 務所を撤去[9]。中杉は制式に舞風駆逐艦長(初代)と なる[10]。同日附で横須賀鎮守府籍[11]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦竹:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260715T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260716T150000Z UID:217017294002 DESCRIPTION: 戦後の「竹」は1945年(昭和20年)12月1日、 横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に定められ[158]、行 動可能な他の艦船と同様復員輸送に従事した。1946年に 復員輸送を終え同年7月26に特別保管艦に指定[163]され、 横須賀地方復員局特別保管艦艇第三保管群に属して横 須賀に繋留[164]された。\n 1947年(昭和22年)7月16日に は特別輸送艦の定めを解かれ[165]、イギリスに賠償艦と して引き渡され解体された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦萩:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260715T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260716T150000Z UID:287584020792 DESCRIPTION: 5月20日付で「梨」とともに第三十一戦隊 ( 鶴岡信道少将・海兵43期)第五十二駆逐隊に編入された [4]。7月24日、山口県祝島南方で対空戦闘により小破し た。終戦時は呉にあった。\n 12月1日特別輸送艦に指定 され、復員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年( 昭和22年)7月16日シンガポールでイギリスへ引渡された 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初雪:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260716T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260717T150000Z UID:198336834990 DESCRIPTION: 1943年(昭和18年)6月30日、アメリカ軍はニ ュージョージア島ムンダ飛行場対岸のレンドバ島に上 陸し、ニュージョージア島の戦いがはじまる。「初雪 《第11駆逐隊司令山代大佐座乗》、望月」は西村艦隊に 先行して7月16日夕刻にラバウルを出撃、17日午前5時に ブインへ入港[73][74]。「初雪」は「水無月」に、「望月 」は「皐月」に横付けして物件・重油の移載をおこな っていた[72]。\n 7月17日朝、ブインは大型爆撃機19、戦 爆約150機の大空襲を受ける[70][75]。至近弾多数と艦橋後 部附近に被弾した「初雪」は、浸水により水平状態で 沈没(山代司令によれば、浅い水深のためマストは海 面上に出ていたという)[74]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦朝霜:進水日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260717T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260718T150000Z UID:151455668663 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第344号艦として 藤永田造船所で建造、1943年(昭和18年)1月21日起工。5 月25日、姉妹艦(沖波、岸波)や海防艦2隻(御蔵、平 戸)、標的艦波勝等と共に命名された[1]。3隻(沖波、 岸波、朝霜)は同日附で夕雲型駆逐艦に登録された[3] 。その後7月18日進水。11月1日、日本海軍は駆逐艦如月 ・朝霧・夕霧艦長等を歴任した前川二三郎少佐を、臨 時朝霜艤装員長に任命した[4]。 11月2日、藤永田造船所 に朝霜艤装員事務所を開設[5]。 \n 本艦は同年11月27日 に竣工し[6]、朝霜艤装員事務所も撤去された[7]。同日 附で正式に横須賀鎮守府籍 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦島風:進水日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260717T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260718T150000Z UID:325972326047 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)8月8日、舞鶴海軍工廠で起 工。 1942年(昭和17年)5月15日、第125号艦を島風(シマ カゼ)と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20] 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻(秋月、初 月)や夕雲型駆逐艦4隻(巻波、340号艦早波、341号艦浜 波、342号艦沖波)の建造[39][40]、軽巡4隻(那珂、名取 、天龍、龍田)や駆逐艦複数隻(薄雲、大潮、霞、不 知火、初春)等の修理整備工事を抱えており[41]、島風 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n 1943年(昭和18年 )3月20日附で、広瀬弘中佐(駆逐艦春雨艦長等を歴任 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附 で同艦駆逐艦長免職[44])が島風の艤装員長に任命され た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沖波:進水日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260717T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260718T150000Z UID:282446378605 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第342号艦として 舞鶴海軍工廠で建造されることになり、1942年(昭和17 年)8月5日起工[9][1]。\n 1943年7月18日、「沖波」は進水 した[24][2]。本艦は12月10日に竣工[3][4][33]、沖波艤装員 事務所は撤去された[34]。牧野艤装員長も、正式に沖波 駆逐艦長(初代)となった[35]。舞鶴鎮守府籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦矢風:竣工日(1920) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260718T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260719T150000Z UID:621571343154 DESCRIPTION: 峯風型駆逐艦として1918年8月15日起工、1920年 4月10日進水。1920年(大正9年)7月19日三菱長崎造船所で 竣工。横須賀鎮守府籍。1931年(昭和6年)に所属の第2 駆逐隊は第一航空戦隊(鳳翔、加賀)に編入され、翌 年の第一次上海事変に参加する。\n 1937年(昭和12年) 以降は駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去し「摂津」の 無線操縦艦として用いられた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦清波:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260719T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260720T150000Z UID:281735706728 DESCRIPTION: ラバウルを出撃した夜戦部隊は、1943年7月19 日にショートランド北方で輸送隊と合流し、コロンバ ンガラ島を目指す[52][69]。 夜になってベララベラ島北 方で輸送隊を分離し、夜戦隊はクラ湾を遊弋する[70]。 これら一連の西村部隊の行動は、米軍のPBYカタリナ飛 行艇によって捉えられていた[71]。7月20日、カタリナか らの通報を受けた米軍は、ヘンダーソン飛行場から雷 撃機TBFアヴェンジャーを発進させ、西村部隊に対し夜 間空襲を敢行する。\n 午前0時35分頃、TBFが放った魚雷 が駆逐艦「夕暮」に命中し、同艦は轟沈した[76][77][78] 。 本艦は直ちに反転[79]。「夕暮」の救援に向かい、生 存者を救助中との報告が入る[80]。だが2時30分以降連絡 が途絶え[81]、総員戦死と認定された[82]。本艦は夕暮生 存者20名を救助したのち、爆撃を受けて船体機関部・後 部に爆弾が命中、航行不能となった[84]。黎明時にふた たび米軍機約15機の空襲を受け機関室部分に爆弾3発が 命中、轟沈した[84]。\n 米軍によれば、「夕暮」の沈 没地点南緯07度25分 東経156度45分。「清波」は南緯07度13 分 東経156度45分の地点でB-25ミッチェル爆撃機に撃沈さ れた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕暮:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260719T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260720T150000Z UID:174023366189 DESCRIPTION: 1943年7月20日、日付変更後の米軍機の空襲に より、巡洋艦部隊の右舷先頭にいた「夕暮」に魚雷が 命中[166][169]。艦体切断により轟沈した[170][171]。戦闘詳 報によれば空襲時の右舷先頭は清波で、夕暮はその後 方で魚雷を受けている。 駆逐艦「清波」が救援に向か い、夕暮生存者を救助したと報告[173]。だが2時30分以降 連絡が途絶え[174]、こちらも総員戦死と認定された[175] 。旗艦「熊野」にも魚雷1本が命中して損傷[176]。輸送 隊の「水無月、松風」も空襲により小破した。米軍に よれば、「夕暮」を撃沈したのはガダルカナル島から 飛来したTBFアベンジャー雷撃機であり、沈没地点南緯07 度25分 東経156度45分。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦睦月:進水日(1925) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260722T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260723T150000Z UID:472541834563 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日、 舞鶴工作部で建造予定の駆逐艦に第十九駆逐艦の艦名 が与えられた[4]。同日附で「第十九駆逐艦」、第二十 一駆逐艦、第二十三駆逐艦、第二十五駆逐艦、第二十 七駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。1924年(大正13 年)4月24日、艦名に「号」の字が加えられ艦名を第十 九号駆逐艦に改正した[6]。\n 第19号駆逐艦(睦月)は佐 世保海軍工廠で1924年5月21日に起工、1925年(大正14年)7 月23日進水、1926年(大正15年)3月25日に竣工し[7]、佐世 保鎮守府に所属する。その後1928年(昭和3年)8月1日附 で第19号駆逐艦は睦月へと改名された[1]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沼風:竣工日(1922) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260723T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z UID:126882833573 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1921年8月10日起工、1922 年2月25日進水。同年7月24日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年(大正11年)12 月28日より同型艦「野風」「波風」、神風型駆逐艦 (2代 )「第一駆逐艦」(「神風」)と第1駆逐隊を編成し、千 島、北海道方面の交通保護に当った。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦山雲:進水日(1937) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260723T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z UID:769022446970 DESCRIPTION: 駆逐艦「山雲」は藤永田造船所で建造開始 。1936年(昭和11年)10月22日、「山雲(ヤマグモ)」と 命名[1]。姉妹艦「朝雲」、工作艦「明石」も同日附で 命名されている[1]。同年11月4日に起工、1937年(昭和12 年)7月24日に進水、1938年(昭和13年)1月15日に竣工[4] 。同時に第41駆逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白雲:竣工日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z UID:187105319247 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐 艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦(のちの初雪)」 、「第四十一号駆逐艦(〃薄雲)」、「第四十二号駆 逐艦(〃白雲)」、「第四十三号駆逐艦(〃磯波)」 の艦名が与えられる[6]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類 別される[7]。 「白雲」は藤永田造船所で同年10月27日に 起工、1927年(昭和2年)12月27日に進水、1928年(昭和3年 )7月25日に竣工[8]。「白雲」の建造スケジュールは、 姉妹艦「東雲、薄雲、磯波」とほぼ同一だった[9][10][11] 。1928年(昭和3年)8月1日附で「第42号駆逐艦」は「白 雲」と改名される[1]。同日、第12駆逐隊に編入。同年12 月1日、第12駆逐隊は第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楓:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z UID:139109242879 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5505号艦として横須賀海軍 工廠で建造された。1944年3月4日起工、7月25日に進水、10 月30日に竣工した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初月:起工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z UID:248974949834 DESCRIPTION: 本艦は1941年(昭和16年)7月25日、舞鶴海軍 工廠で起工[6]。 1942年(昭和17年)3月1日、足摺型給油 艦「足摺」等と共に命名[3]、同日附で一等駆逐艦秋月 型に類別された[10]。4月3日に進水[11][12]。 12月29日に竣 工した[20][6]。 2隻(涼月、初月)は横須賀鎮守府部隊 に編入される[23]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦灘風:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z UID:516684462595 DESCRIPTION: 1940年(昭和15年)4月、哨戒艇に改装され艦 種変更、第2号哨戒艇と改名される。太平洋戦争開戦直 前、後甲板・艦尾を改造し、大発2隻を搭載する強襲揚 陸艦となり、12cm単装砲1門と魚雷兵装を撤去し陸戦隊約 250名収容可能の居住区を設けた。\n 終戦間近の1945年 (昭和20年)7月25日、小スンダ列島のロンボク海峡でイ ギリスの潜水艦スタッボーン(en:HMS Stubborn (P238))の雷 撃により撃沈された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桑:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z UID:276095327532 DESCRIPTION: 藤永田造船所で建造され、1943年12月10日起工 、1944年(昭和19年)5月25日に進水、7月25日竣工。訓練 部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将・海軍 兵学校41期)に編入される[2]。瀬戸内海に回航され、8 月3日から8月30日までは輸送任務に従事中の長良軽巡洋 艦1番艦「長良」に代わって第十一水雷戦隊の旗艦を務 めた[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦夕月:竣工日(1927) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260724T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z UID:198582398239 DESCRIPTION: 1923年(大正12年)度計画艦。藤永田造船所 で建造され1926年11月27日に起工、1927年3月4日に進水。192 7年(昭和2年)7月25日に竣工、佐世保鎮守府に所属した 。当初は「第三十四号駆逐艦」という艦名であり、一 等駆逐艦に類別され、1928年(昭和3年)8月1日に「夕月 」と改名された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦薄雲:竣工日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260725T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260726T150000Z UID:336868403749 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐 艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦(のちの初雪)」 、「第四十一号駆逐艦(〃薄雲)」、「第四十二号駆 逐艦(〃白雲)」、「第四十三号駆逐艦(〃磯波)」 の艦名が与えられる[7]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類 別される[8]。 「薄雲」は東京石川島造船所で同年10月21 日に起工、1927年(昭和2年)12月26日に進水、1928年(昭 和3年)7月26日に竣工[9]。「薄雲」の建造スケジュール は、姉妹艦3隻(東雲、白雲、磯波)とほぼ同一だった[ 10][11][12]。 竣工から一週間もたたない8月1日附で「第41 号駆逐艦」は「薄雲」と改名される[5]。同年12月1日、 第二艦隊・第二水雷戦隊・第12駆逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦涼波:竣工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260726T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260727T150000Z UID:685540505178 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第126号艦として浦 賀船渠で建造。1942年3月27日起工、1943年(昭和18年)2月 5日、命名[2]。同日附で他の潜水艦や海防艦と共に艦艇 類別等級表に類別される[3][4][5]。3月12日進水。\n 6月25 日、浦賀船渠に設置された涼波艤装員事務所において 事務を開始[6]。 日本海軍は7月1日附で、高雄型重巡洋 艦2番艦「愛宕」水雷長[7]、白露型駆逐艦10番艦「涼風 」艦長[7][8]、白露型5番艦「春雨」艦長[9]等を歴任した 神山昌雄中佐(海軍兵学校51期)[10]を、涼波艤装員長 に任命する[11]。 7月27日、竣工[12][13]。舞鶴鎮守府籍と なる[14][15]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦有明:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260726T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260727T150000Z UID:225760887791 DESCRIPTION: 1943年7月23日、第27駆逐隊第1小隊1番艦「時雨 」・2番艦「有明」はトラック泊地を出港、ラバウルに 向う[139]。「有明」は機関部の故障により最大発揮速力 28ノットであった[140]。25日ラバウル到着後、1番艦「時 雨」はサンタイサベル島レカタ基地とブイン輸送任務 従事のため第4駆逐隊(萩風、嵐)の指揮下に入り、3隻 は同日中にラバウルを出港していった[141][142]。残され た2番艦「有明」は、第30駆逐隊司令駆逐艦「三日月」 指揮下に入り、ニューブリテン島ツルブへの輸送作戦 に従事する[143]。\n 27日午前10時、「三日月」「有明」 はラバウルを出撃、ツルブへ向かうが、26ノットで航行 中の同日午後11時にニューブリテン島グロスター岬近海 でリーフに2隻とも坐礁する[143][144]。 「有明」は28日午 前0時45分に離礁に成功するも、左舷推進軸は屈曲し、 最大発揮速力6ノットという被害を受けていた[145]。 ラ バウルに向かう途中、B-25爆撃機複数機の空襲を受け、 「有明」の一番主砲右舷・三番主砲後部、右舷缶室、 左舷機械室水線附近に爆弾各1発が命中、左舷に傾斜し て14時40分に沈没した[145]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦梨:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260727T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260728T150000Z UID:236068517482 DESCRIPTION: 1945年7月28日、平郡島北岸沖において停泊中 、アメリカ空母機動部隊艦載機の空襲を受ける。早朝 から午後にかけてグラマンF6F戦闘機による複数回の攻 撃を受け、艦の各所にロケット弾を被弾[32][33]、このう ち午後の艦後部弾薬庫へ命中した1発により大きな損傷 を受け、浸水により傾斜が増大、総員退艦が発令され た後、午後2時に転覆沈没した[15]。\n 確認された戦死 者は38名[15]、行方不明者を含む犠牲者は60名以上であっ た[34]。生存者155名は僚艦「萩」と地元漁民に救助され 、「萩」にて翌日に呉に帰還した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦椿:解体日(1948) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260727T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260728T150000Z UID:367379461888 DESCRIPTION: 1945年7月13日に備讃瀬戸に回航された後[16]、 7月24日に備讃瀬戸で第38任務部隊(ジョン・S・マケイ ン・シニア中将)の艦載機の攻撃を受け中破し、28日に も再度の空襲を受けた。8月15日の終戦時、呉で中破状 態で残存。11月30日に除籍ののち長く放置された後、1948 年(昭和23年)7月1日から播磨造船呉ドックで解体が開 始され、7月28日に解体が終了した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桐:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260728T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z UID:298049003864 DESCRIPTION: 1947年(昭和22年)7月29日、ソビエト連邦に 賠償艦としてナホトカで引き渡される。艦名は「復活 した」という意味のヴォズロジュジョーンヌイ(ロシ ア語:Возрожденныйヴァズラジュヂョーンヌィイ) に改称される。8月中旬にウラジオストクへ回航され、1 949年3月まで係留ののち、3月中旬には現役を退いて、武 装解除上で標的艦となる。7月17日に艦名を TsL-25(ЦЛ-25 ツェエール・ドヴァーッツァチ・ピャーチ 。「第25号 標的艦」といった意味)に改称。\n その後、1969年12月 20日に退役し、解体のため資金資産局へ引き渡される。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦三日月:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260728T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z UID:286068346249 DESCRIPTION: 1943年(昭和18年)7月25日、トラック泊地よ り第27駆逐隊の駆逐艦2隻(時雨、有明)が「三日月」 の停泊するラバウルに到着した[13]。東部「ニューギニ ア」方面作戦輸送に参加するためである[14]。27日午前10 時、第30駆逐隊司令(折田常雄中佐)が座乗する「三日 月」は、臨時編入された「有明」と共にラバウルを出 撃、ニューブリテン島・ツルブへの輸送任務に従事す る[17][18]。途中ココボで陸軍兵及び軍需物資を移載し目 的地へ向かうが、23時、「三日月、有明」ともグロスタ ー岬49度5浬のリーフに速力26ノットで座礁してしまう[19 ][18]。両艦の損傷は重大であった。「三日月」は兵員室 下部倉庫に浸水、左舷推進軸屈曲使用不能、屈曲した 右舷推進器は午前3時1分に脱落した[20]。「有明」は左 舷後部の座礁により最大速力6ノットとなった[21]。\n  その頃、座礁現場に残された「三日月」は燃料や糧食 を投棄し重量物を減らして離礁を試みていたが、無事 だった右舷推進軸も脱落して完全に行動不能となり、10 時30分頃に戻ってきた「有明」による救援作業も失敗、 7月29日13時30分をもって折田司令は「有明」にラバウル 帰投を命じた[26]。 しかし、両艦はアメリカ陸軍のB-25 爆撃機約20機の空襲を受ける。「有明」は爆弾3発が命 中して14時40分に沈没。「三日月」には右舷機械室水線 近くに命中弾1があり、横4.5m-縦1.5mの破孔が生じた他 、船体各部に被害が生じた[27]。進退不能となった「三 日月」の現状に対し、折田司令は駆逐艦「秋風」の到 着をもって「三日月」の放棄を決定、「三日月、有明 」生存者は同艦に移乗した[28][29]。戦死者7名、重傷者12 名、軽傷者25名、未収容者85名、「秋風」に170名移乗と 記録されている[30]。沈没地点南緯5度27分 東経148度25分 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初桜:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260728T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z UID:130365138524 DESCRIPTION: 9月15日除籍。12月1日特別輸送艦に指定され 、復員輸送に従事。その後、ソ連へ賠償艦として引き 渡すことになり、1947年(昭和22年)7月5日には佐伯にて ヴェートレンヌイ(ロシア語:Ветреныйヴィェートリ ェンヌィイ)(風のある、軽薄な」という意味)に改 称。艦隊水雷艇(駆逐艦のこと)としてソ連海軍へ編 入され、7月29日、ナホトカでソ連側に引渡され、1947年8 月中旬にはウラジオストクへ回航された。10月22日には 艦名は「表情豊かな、意味深長な」という意味のヴィ ラジーテリヌィイ(Выразительныйヴィラズィーチ ェリヌィイ)に改称された。\n ヴィラジーテリヌィイ となってよりは1949年までウラジオストクに係留された が、同年3月中旬には標的艦に類別を変更された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦汐風:竣工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260728T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z UID:295564418938 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1920年5月15日起工、同 年10月22日進水。1921年7月29日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦榧:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z UID:242669872303 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造された。1944年4月10日起 工、7月30日に進水、9月30日に竣工した。就役後、訓練 部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期) に編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦秋月:起工日(1940) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z UID:474548702896 DESCRIPTION: 1939年(昭和14年)度のマル4計画による乙型 一等駆逐艦の第104号艦として建造がはじまる。舞鶴工 廠にて1940年(昭和15年)7月30日に起工[6][7]。1941年(昭 和16年)2月に軍令部が策定した計画では、大和型戦艦 や改大和型戦艦、航空母艦の直衛艦として乙型駆逐艦 (秋月型)を大量配備することが検討されている[8]。5 月15日、正式に秋月と命名[4]、一等秋月型秋月として登 録される[9]。7月2日に進水[7]。同日附で佐世保鎮守府籍 [10]。\n 本艦の完成(竣工)は1942年5月25日を予定して いたが公試で主砲塔に不具合が判明し、6月中旬に延期[ 19]。秋月は砲塔の不具合を解消しないまま急遽作戦に 投入することになり、完成予定日を繰り上げて6月11日 に竣工した[22][23]。 同日附で警備駆逐艦[24]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦初霜:戦没日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260729T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z UID:772321874454 DESCRIPTION: 1945年6月、初霜は宮津湾で砲術学校練習艦と なった。 7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将 から松本毅少将へ交代[130][131]。だが7月15日、第十一水 雷戦隊は解隊された[132][133]。十一水戦先任参謀松原瀧 三郎大佐(駆逐艦五月雨艦長、第二水雷戦隊参謀《多 号作戦時島風乗艦》等を歴任)は第17駆逐隊司令に任命 される[133]。松原司令は雪風を司令駆逐艦に指定した[13 4]。\n 1945年7月30日、舞鶴をアメリカ軍機が空襲した。 初霜は対空戦闘中に触雷し大破し[135]、艦尾部分の沈下 により爆雷が誘爆し、初霜は海岸に擱座・着底した[135] 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楠:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:117792639030 DESCRIPTION: 大阪湾に到着後、1945年5月11日には大阪港で 対空戦闘を行った。その後、「柿」とともに呉に回航 され訓練に従事する[3]。やがて、第十一水雷戦隊は瀬 戸内海への機雷投下を避けて日本海側に移動すること となる。5月27日に舞鶴に到着するも、舞鶴鎮守府から 「空襲の際に刺激となる」との理由で、舞鶴以外の場 所へ移動するよう要請を受ける[4]。そこで、6月に入っ て小浜湾に移動することとなった[5]。7月15日付で特殊 警備艦となり舞鶴鎮守府部隊に編入され[6]、7月23日舞 鶴に戻り、そのまま終戦を迎えた。\n 12月1日特別輸送 艦に指定され、復員輸送に従事。その後、賠償艦とし て1947年(昭和22年)7月16日シンガポールでイギリスへ 引渡された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦蔦:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:220087866507 DESCRIPTION: 1945年4月30日から佐世保相の浦泊地で待機。6 月以降に呉に移動し、回天搭載艦に改装[4][5]。7月に回 天搭載艦に改装された同型艦「竹」「榧」「槇」「桐 」と共に山口県屋代島に移動。擬装したうえで待機中 に終戦を迎えた。\n 12月1日特別輸送艦に指定され、復 員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年(昭和22年 )7月31日に中国に引渡され、接九号と仮命名された後 、華陽(ファヤン Hua Yang)と命名された。中華民国海 軍所属の旧日本軍艦の一翼を担ったものの、艦の状態 がよくなかったため再武装されず任務も与えられなか った[6]。国共内戦中の1949年5月に上海を脱出して馬公に 到着するも、翌1950年に退役して解体される[6][7]。流用 可能な部品は、同型艦の信陽(元「初梅」)に使用さ れた[6]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楠:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:159214658745 DESCRIPTION: 仮称5521号艦、橘型(改松型)駆逐艦として 横須賀海軍工廠で建造された。1944年11月9日起工、1945年 1月8日進水。4月28日に竣工した。竣工後、訓練部隊の第 十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。 缶部に不具合があって修理の後[2]、瀬戸内海に向かう 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦杉:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:548101259234 DESCRIPTION: 1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員 輸送に従事。終了後は賠償艦に指定され、1947年(昭和2 2年)7月31日に中華民国に引渡し、接一〇号と仮命名さ れた後、恵陽(フェイヤン)と正式に命名された。し かし、同型の賠償艦で状態の良かった信陽(旧「初梅 」)[39]とは違い、状態の良くなかった華陽(旧「蔦」 )や衡陽(旧「楓」)とともに再武装されず任務も与 えられなかった[40]。国共内戦中の1949年5月に上海を脱 出して台湾に向かった際、淡水で座礁事故を起こし、 そのまま修理されないまま1951年に除籍され解体された[ 41]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦子日:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:193923539789 DESCRIPTION: 1942年7月31日、駆逐艦「霰」と「子日」の除 籍が決定した。「子日」は第21駆逐隊[67]、帝国駆逐艦 籍[68]のそれぞれから除籍された。 8月20日、「子日」は 初春型駆逐艦からも除籍された[69]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦曙:竣工日(1931) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:267928110122 DESCRIPTION: 「曙」は大阪市の藤永田造船所で建造され た。1929年10月25日に起工、1930年11月7日に進水、1931年7月 31日に就役し[1]、一等駆逐艦に類別され、第2艦隊第7駆 逐隊に編入された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦早波:竣工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:274103914882 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として 舞鶴海軍工廠で建造。1942年1月15日に起工、1942年12月19 日に進水、1943年(昭和18年)7月31日に竣工して一等駆 逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦蔦:起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:297020141908 DESCRIPTION: 仮称5514号艦、橘型(改松型)駆逐艦3番艦と して横須賀海軍工廠で建造された。1944年7月31日起工、1 1月2日進水。1945年2月8日に竣工した。竣工後、訓練部隊 の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編 入。2月20日に「宵月」とともに横須賀を出港して瀬戸 内海に回航される[2]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦霰:除籍日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260730T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z UID:296673733104 DESCRIPTION: 1942年7月31日、駆逐艦霰と子日の除籍が決定 された。霰は第18駆逐隊[53]、帝国駆逐艦籍[54]のそれぞ れから除籍された。 8月15日、第18駆逐隊は解隊[55]。 8 月20日、霰は朝潮型駆逐艦から除籍された[56]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦磯波:除籍日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260731T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260801T150000Z UID:320509979034 DESCRIPTION: 1943年8月1日、磯波の除籍が決定。初雪型駆 逐艦、 帝国駆逐艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雪風:起工日(1938) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260801T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260802T150000Z UID:161033925370 DESCRIPTION: 雪風は陽炎型8番艦(マル3計画の仮称艦名第 24号艦)として佐世保工廠で建造された。1938年(昭和13 年)8月2日に起工[3]。1939年(昭和14年)1月24日、雪風( ユキカゼ)と命名された[1]。佐世保海軍工廠で建造さ れた陽炎型駆逐艦は、雪風と陽炎型12番艦磯風のみであ る[4][5]。3月24日に進水[3]。1940年(昭和15年)1月20日に 竣工した[6][3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春月:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260802T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260803T150000Z UID:927644645133 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)に よる乙型一等駆逐艦の第362号艦として佐世保海軍工廠 で1943年(昭和18年)12月23日に起工[5]。1944年(昭和19年 )8月3日に進水[5]。同年12月28日に竣工した[5][7]。当初 は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表 改訂により佐世保海軍工廠での建造に変更された[8]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦松:戦没日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260803T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260804T150000Z UID:159775483892 DESCRIPTION: 1944年8月4日、第一空母部隊(ホーネットⅡ 、フランクリン、カボット)と第二空母部隊(バンカ ー・ヒル、レキシントンⅡ、サン・ジャシント)から 攻撃隊が発進[50]。艦載機は二波に分かれて襲来した[43] 。「松」は第一次空襲で5機撃墜を報じた[51][52]。空襲 後の第四八〇四船団および父島在泊艦艇は全滅状態と なる[53][54]。 健在艦は「松」と第4号海防艦(戦死4、負 傷21)、「利根川丸」を残すのみとなり[55]、損傷した 第12号海防艦(戦死6、負傷50)は別途で横須賀に向かっ ていた[56][50]。\n 19時40分、「松」は第4号海防艦に対 し『われ、敵巡洋艦と交戦中。これより反転、突撃す 』と最期の打電をおこなう[55][64]。この後、「松」は消 息不明となった[65]。アメリカ側の記録では、聟島北東2 5海里地点で、モービルが指揮下の駆逐艦とともに「松 」と「利根川丸」を撃沈したとある[68]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦大潮:起工日(1936) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260804T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260805T150000Z UID:496617366583 DESCRIPTION: 1935年(昭和10年)9月6日、日本海軍は佐世保 海軍工廠で建造予定の駆逐艦を「朝潮」、舞鶴要港工 作部で建造の駆逐艦を「大潮」と命名した[3][6]。同日 附で朝潮型駆逐艦が新設される[7]。 本艦は舞鶴海軍工 廠で1936年(昭和11年)8月5日に起工[8][9]。 1937年(昭和1 2年)4月19日に進水[9][10]。舞鶴要港部司令官中村亀三郎 中将は『のどかなる さくらさきそう 春の海に し ぶきたてゆく ふなおろし見る』という自作の和歌を 記念として贈った[4]。 7月5日、舞鶴海軍工廠に大潮艤 装員事務所を設置[14]。 7月7日、中国大陸で盧溝橋事件 が勃発、上海方面に派遣する駆逐艦が必要になったた め、艤装工事を急いだ[4]。\n 1937年10月5日、山代艤装 員長は正式に大潮初代駆逐艦長となる[15]。本艦は10月31 日に竣工[16]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沖波:起工日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260804T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260805T150000Z UID:431425422184 DESCRIPTION: 1942年度(マル急計画)仮称第342号艦として 舞鶴海軍工廠で建造されることになり、1942年(昭和17 年)8月5日起工[9][1]。\n 1943年7月18日、「沖波」は進水 した[24][2]。本艦は12月10日に竣工[3][4][33]、沖波艤装員 事務所は撤去された[34]。牧野艤装員長も、正式に沖波 駆逐艦長(初代)となった[35]。舞鶴鎮守府籍。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦江風:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260805T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260806T150000Z UID:247261137269 DESCRIPTION: 1943年8月6日21時30分、コロンバンガラ島とベ ララベラ島に挟まれたベラ湾を哨戒するアメリカ軍駆 逐隊は、レーダーで南南東へ進む日本艦隊を探知する と、魚雷24本を発射した[236][234]。萩風-嵐-江風-時雨の 単縦陣を形成していた日本艦隊は、駆逐艦3隻(萩風、 嵐、江風)が同時に被雷、回避できたのは「江風」の 後方1000mを航行していた「時雨」だけだった[237][238]。 \n 「江風」はスタレット(USS Sterett\, DD-407)、スタッ ク(USS Stack\, DD-406)からの砲撃雷撃を受け沈没、柳瀬 艦長以下169名が戦死した[240]。ほぼ轟沈であった[241][242 ]。沈没地点記録南緯07度50分 東経156度54分。また第4駆 逐隊(萩風、嵐)も一方的に撃沈された[232]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦嵐:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260805T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260806T150000Z UID:322308334884 DESCRIPTION: 1943年(昭和18年)8月6日、ブインおよびコロ ンバンガラ島への輸送のため増援部隊はラバウルを出 港、第三水雷戦隊旗艦(司令官伊集院松治少将)の軽 巡川内(陸兵450名、物資130トン)はブインへ向かい、 駆逐艦4隻(萩風《第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐座乗》、 嵐、江風、時雨)はコロンバンガラ島へ向かう[193][198] 。 同日夜、コロンバンガラ輸送隊はソロモン諸島コロ ンバンガラ島沖(ベラ湾)にて、フレデリック・ムー スブラッガー中佐指揮下の米水上部隊(駆逐艦6隻)と 交戦した(ベラ湾夜戦)[201]。戦闘当時の天候は曇りで 視界不良[200]。萩風-嵐-江風-時雨の単縦陣はアメリカ軍 のレーダーに捕捉され、先制雷撃を受けた[202][198]。敵 艦隊に気付いたものの回避は間に合わず、まず江風が 轟沈した[203][198]。 その後の砲撃により第4駆逐隊2隻( 嵐、萩風)も相次いで沈没した[204]。\n 嵐は左舷への 被雷と共に主砲も魚雷発射管も使用不能となり、搭載 していた陸軍物資弾薬に引火して炎上[204]。前部に残っ ていた25mm機銃で最後まで反撃に努めた[207][208]。しかし 米艦隊の砲撃により、間もなく沈没している[204]。嵐で は艦長以下178名が戦死(艦長は脱出したものの生還せ ず)[209]、生存者は嵐、萩風各艦約70名、江風約40名[210] 。三隻が分乗させていた陸軍兵は940名中約820名が戦死 した[211][212]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦萩風:戦没日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260805T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260806T150000Z UID:139415219450 DESCRIPTION: 1943年7月25日、第4駆逐隊司令指揮下の駆逐艦 3隻(萩風、嵐、時雨)はサンタイサベル島レカタ輸送 を実施、揚陸に成功して28日夕方ラバウルへ戻った[106] 。ニュージョージア島での戦局は悪化する一方であり 、日本軍はさらなる増援部隊を投入する。\n 8月6日、 コロンバンガラ輸送隊はブインへ向かう川内と分離後 、萩風-嵐-江風-時雨の単縦陣を形成し、30ノットを 発揮して目的地に近づいた[111][113]。各艦の開距離は500 mだったが、3番艦江風と最後尾時雨の距離は1000mに開 いていた[114]。海面には薄い靄がたちこめ、視界は不良 だったという[115] [116] [117]。 日中の時点で輸送隊はア メリカ軍哨戒機に捕捉され、行動を報告されていた[117] 。アメリカ軍駆逐艦6隻はレーダーを装備しており、日 本艦隊に対して先制攻撃を敢行する[118]。米水雷戦隊は 24本の魚雷を発射[119]。日本艦隊が米艦隊に気付いた時 には次々に魚雷が命中し、江風は轟沈した[120]。 第4駆 逐隊(萩風、嵐)も被雷して戦闘不能となった[116]。 萩風には魚雷2本が命中し[121][122]、 主砲や魚雷発射管 は使用不能となったため使用可能の機銃で反撃を実施 した[121]。だが2隻は続く米駆逐艦隊の砲撃によって炎 上し、嵐は22時10分前後に沈没、萩風も総員退去後の22 時18分に沈没した[123][124][125]。\n 米艦隊は時雨の追跡 を打ち切ったのち戦闘海域に戻り、萩風以下沈没艦3隻 の生存者を救助しようとしたが、ほとんどの者は救助 を拒んだという[131]。戦死者約170名以上[132]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦樫:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260806T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260807T150000Z UID:324724545773 DESCRIPTION: 1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員 輸送に従事した。終了後は賠償艦として1947年(昭和22 年)8月7日に佐世保でアメリカに引渡されるが、そのま ま売却。10月27日から1948年(昭和23年)3月20日にかけて 笠戸ドックで解体された[34]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦松:起工日(1943) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260807T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260808T150000Z UID:306143093092 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で 建造[3]。1943年(昭和18年)8月8日、起工[3][4]。同年12月2 2日、命名[1]。同日附で駆逐艦一等の部中に松型が新設 され、その1番艦に定められる[2]。 1944年(昭和19年)2 月3日に進水し[8]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[9]。\ n 4月28日、竣工[11][16]。訓練部隊の第十一水雷戦隊( 司令官高間完少将・海軍兵学校41期[17])に編入され、5 月1日に舞鶴を出港して呉に回航された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦島風:起工日(1941) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260807T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260808T150000Z UID:251612519252 DESCRIPTION: 1941年(昭和16年)8月8日、舞鶴海軍工廠で起 工。 1942年(昭和17年)5月15日、第125号艦を島風(シマ カゼ)と命名[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風 として登録される[37]。なお同日附で阿賀野型軽巡洋艦 能代[38]、秋月型駆逐艦5番艦新月も命名されている[20] 。 当時の舞鶴海軍工廠は、秋月型駆逐艦2隻(秋月、初 月)や夕雲型駆逐艦4隻(巻波、340号艦早波、341号艦浜 波、342号艦沖波)の建造[39][40]、軽巡4隻(那珂、名取 、天龍、龍田)や駆逐艦複数隻(薄雲、大潮、霞、不 知火、初春)等の修理整備工事を抱えており[41]、島風 の建造もその中でおこなわれた。 島風は7月18日に進水 した[42]。同日附で呉鎮守府籍[43]。\n 1943年(昭和18年 )3月20日附で、広瀬弘中佐(駆逐艦春雨艦長等を歴任 、朝潮型駆逐艦2番艦大潮沈没時の駆逐艦長。3月15日附 で同艦駆逐艦長免職[44])が島風の艤装員長に任命され た[45]。 4月に各種の試験をおこなったが、巡航機械に 不具合がみつかり、竣工予定日を延期した[46]。島風は5 月10日に竣工、海軍に引き渡された[47]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦天津風:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:284970690270 DESCRIPTION: 駆逐艦天津風は8月10日附で 帝国驅逐艦籍[124 ] 不知火型駆逐艦[125]のそれぞれから除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦槇:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:299849698755 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造され、1944年2月19日起工 、6月10日進水、8月10日に竣工[2]。訓練部隊の第十一水 雷戦隊(司令官高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。 瀬戸内海に回航され訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦春雨:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:408320331281 DESCRIPTION: 1944年8月10日、春雨と白露の2隻は白露型駆逐 艦[155]、 第27駆逐隊[156]、 帝国駆逐艦籍[157]より除籍さ れた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦早波:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:610701908299 DESCRIPTION: 1944年8月10日附けで夕雲型駆逐艦籍、帝国駆 逐艦籍から除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦谷風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:280860023940 DESCRIPTION: 駆逐艦谷風は8月10日附で不知火型駆逐艦[93] 、 第17駆逐隊[94]、 帝国駆逐艦籍[95][96]より除籍された 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桜:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:448594561042 DESCRIPTION: 1945年8月10日、帝国駆逐艦籍、松型駆逐艦籍 から除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦吹雪:竣工日(1928) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:919672172689 DESCRIPTION: 第35号駆逐艦の艦名は、既に浦風型駆逐艦浦 風で使われていた[6]。 吹雪は舞鶴工作部で1926年(大正 15年)6月19日に起工[7]。6月25日、浦賀船渠で建造の駆逐 艦に第三十三号駆逐艦(望月)[8]、本艦に「第三十五号駆 逐艦」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に第四十号駆逐艦(東 雲)の艦名が与えられる[9]。同日附で「第33号駆逐艦、 第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[10]。 \n 「第35号駆逐艦」は1927年(昭和2年)11月15日に進水 、1928年(昭和3年)8月1日、「吹雪」と改称された[1]。 改名から間もない8月10日に竣工[7]。 吹雪型初期姉妹艦 (吹雪、白雪、初雪、深雪)と共に第11駆逐隊を編制し ていた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦水無月:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:859500649456 DESCRIPTION: 1944年8月10日、「水無月」は卯月型駆逐艦[246 ]、 第22駆逐隊[247]、 帝国駆逐艦籍[248]のそれぞれより 除籍。 8月20日、第22駆逐隊は解隊され、残存2隻(皐月 、夕凪)は第30駆逐隊に編入された[249]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦松風:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:258217061219 DESCRIPTION: 1944年8月10日、「松風」は神風型駆逐艦[42]、 第30駆逐隊[43]、帝国駆逐艦籍[44]のそれぞれより除籍さ れた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦橘:除籍日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:287629140592 DESCRIPTION: 1945年8月10日、帝国駆逐艦籍および橘型駆逐 艦籍より除籍された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦白露:除籍日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:121359415085 DESCRIPTION: 1944年8月10日、「白露」と「春雨」は白露型 駆逐艦[70]、 第27駆逐隊[71]、 帝国駆逐艦籍[72]より除籍 された。 なお「白露」「春雨」除籍から間もなく、「 五月雨」は8月18日にパラオ近海で座礁、26日に米潜水艦 の雷撃を受けて大破・放棄された。10月10日附で除籍[73] 、「時雨」1隻のみとなった第27駆逐隊も解隊された[74] 。10隻が建造された白露型駆逐艦はこの時点で「時雨」 1隻となっていた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦沼風:起工日(1921) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260809T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260810T150000Z UID:355300277534 DESCRIPTION: 舞鶴海軍工廠で建造。1921年8月10日起工、1922 年2月25日進水。同年7月24日に竣工した。一等駆逐艦に 類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年(大正11年)12 月28日より同型艦「野風」「波風」、神風型駆逐艦 (2代 )「第一駆逐艦」(「神風」)と第1駆逐隊を編成し、千 島、北海道方面の交通保護に当った。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦東雲:起工日(1926) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260811T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260812T150000Z UID:684124550856 DESCRIPTION: 1926年(大正15年)6月25日、浦賀船渠で建造 の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦(望月)」[5]、舞鶴工 廠の駆逐艦に「第三十五号駆逐艦(吹雪)」、佐世保 海軍工廠の駆逐艦に「第四十号駆逐艦(東雲)」の艦 名が与えらる[6]。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐 艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[7]。8月12日、「 第40号駆逐艦(東雲)」は佐世保工廠で起工[8]。1927年 (昭和2年)11月26日に進水、1928年(昭和3年)7月25日に 「第40号駆逐艦」として竣工[8]。同年8月1日附で「第40 号駆逐艦」は「東雲」と改名される[1]。\n 竣工後、雲 級四隻の第12駆逐隊(叢雲、東雲、薄雲、白雲)に編入 。同年12月1日、同駆逐隊は第二艦隊・第二水雷戦隊に 編入された。1931年(昭和6年)、「東雲」は第12駆逐隊 から除籍され、「東雲、吹雪、磯波」の吹雪型3隻であ らたに第20駆逐隊を編制した。\n LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦樫:進水日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260812T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z UID:210340669011 DESCRIPTION: 藤永田造船所で建造された。1944年5月5日起 工、8月13日進水、9月30日竣工した。就役後、訓練部隊 の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編 入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦大波:進水日(1942) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260812T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z UID:200030528202 DESCRIPTION: 1939年度(マル4計画)仮称第122号艦として藤 永田造船所で建造。1941年11月15日起工。1942年(昭和17年 )6月20日、本艦に『大波』、夕雲型8番艦に『清波』の 艦名が与えられた[1]。同日附で2隻(大波、清波)は夕 雲型駆逐艦に類別された[5]。 8月13日進水。11月15日附で 平山敏夫少佐は大波艤装員長ならびに吹雪型駆逐艦白 雲艦長に任命される[6]。 12月20日附で平山艤装員長は免 職[7]。後任として吉川潔中佐(夕立沈没時駆逐艦長) が本艦艤装員長に任命された[8]。 \n 本艦は12月29日に 竣工(初月と同日)[9][10]。舞鶴鎮守府籍となる[11]。同 日附で3隻(涼月、初月、大波)は警備駆逐艦に定めら れた[11][12]。本艦は呉鎮守府直率部隊に編入される[13] 。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦槇:引渡日(1947) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z UID:234651231157 DESCRIPTION: 1945年12月1日に特別輸送艦に指定され、復員 輸送に従事。1947年(昭和22年)8月14日[51]、賠償艦とし てシンガポールでイギリスに引渡された。その後、「 槇」は解体された。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦桐:竣工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z UID:214547014005 DESCRIPTION: 丁型一等駆逐艦第5486号艦として横須賀海軍 工廠で建造され、1944年2月1日起工、5月27日進水、8月14 日に竣工した。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦楡(にれ):起工日(1944) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260813T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z UID:122640334240 DESCRIPTION: 仮称4809号艦、橘型(改松型)駆逐艦2番艦と して舞鶴海軍工廠で建造された。1944年8月14日起工、11 月25日進水。1945年1月31日に竣工した。竣工後、訓練部 隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に 編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。4月25日付 で第三十一戦隊(鶴岡信道少将・海兵43期)第五十二駆 逐隊に編入された[2]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦冬月:終戦日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:258549674550 DESCRIPTION: 1945年(昭和20年)4月6日、第二水雷戦隊(司 令官古村啓蔵少将:軽巡矢矧、第17駆逐隊《磯風、雪風 、浜風》、第21駆逐隊《朝霜、初霜、霞》、第41駆逐隊 《冬月、涼月》)は菊水作戦にともなう第二艦隊(司 令長官伊藤整一中将:旗艦大和)の海上特攻作戦(坊 ノ岬沖海戦)に参加し、徳山沖を出撃[84]。4月8日朝、 「冬月」は各隊に単独帰投中の「涼月」の掩護を要請 した[114]。3隻(初霜、雪風、冬月)は同日午前中に佐 世保に帰投した[115]。\n 8月15日、終戦の日に第17駆逐 隊は解隊され、同隊所属だった不知火型駆逐艦「雪風 」が第41駆逐隊に編入された[126]。「冬月」は玉音放送 を門司港で迎えた[127]。8月20日、呉へ移動を命じられ、 門司を出港する[128]。曳船で埠頭から離れたたところ、 直後に触雷して5名が戦死、負傷者多数[128]。後部兵員 室より後方を亡失し、航行不能となった[129][130]。 9月20 日付で第四予備艦となる。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦深雪:除籍日(1934) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:125672395837 DESCRIPTION: 1934年7月5日、第11駆逐隊より除かれ、同隊は 吹雪型2隻(白雪、初雪)となる[82]。 7月22日、事務所 撤去[83]。 同年8月15日に除籍された[84][85]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦矢風:終戦日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:498817120050 DESCRIPTION: 1944年2月7日、トラック発の船団を護衛して 内地へ向かい、2月27日に呉に入港した[15]。その後は北 海道方面など内地で爆撃訓練に従事した[15]。\n 1945年 (昭和20年)7月18日 横須賀港小海に係留中に敵艦載機 の攻撃を受ける(横須賀空襲)。隣の艦が直撃弾を受 けた際に爆風や破片により損傷し、すぐに修理された がそのまま終戦を迎えた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦矢風:起工日(1918) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:138853021958 DESCRIPTION: 峯風型駆逐艦として1918年8月15日起工、1920年 4月10日進水。1920年(大正9年)7月19日三菱長崎造船所で 竣工。横須賀鎮守府籍。1931年(昭和6年)に所属の第2 駆逐隊は第一航空戦隊(鳳翔、加賀)に編入され、翌 年の第一次上海事変に参加する。\n 1937年(昭和12年) 以降は駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去し「摂津」の 無線操縦艦として用いられた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦雷:竣工日(1932) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:242950254991 DESCRIPTION: 「雷」は、浦賀船渠で1930年(昭和5年)3月7 日起工される。1931年(昭和6年)10月22日進水。1932年( 昭和7年)8月15日竣工する。1941年(昭和16年)2月から10 月に石川島造船所で行われた特定修理では九三式探信 儀と九一式方位盤を装備[3]。その他、二番煙突後方に2 基装備されていた13ミリ連装機銃[4]の九六式二十五粍高 角機銃への換装も計画されたが、供給問題により換装 は実施されなかった[3]。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦波風:終戦日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:132706561178 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)9月18日、択捉島南方で米 潜水艦「シール」の雷撃を受け大破。「神風」に曳航 され小樽で応急修理を実施後、舞鶴工廠で修理を行う と同時に、回天搭載艦への改造工事を1945年(昭和20年 )2月1日まで行った。同年6月19日から宇部沖で「B-29」 投下の機雷監視に従事。終戦を呉港で迎えた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦汐風:終戦日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:333952883459 DESCRIPTION: 太平洋戦争では、南方で海上護衛、上陸作 戦支援に参加。大戦末期、損傷修理を切っ掛けに、波 風と同様回天搭載艦へ改造された。\n終戦を呉港で迎え た。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦澤風:終戦日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:316696178383 DESCRIPTION: 1944年(昭和19年)1月14日、横須賀を出港し 東京湾口で船団護衛を実施。2月から尾鷲を基地として 紀伊半島方面での対潜掃討、船団護衛に従事。12月18日 、横須賀港に戻り、海軍対潜学校練習艦となった。\n  1945年(昭和20年)2月4日、 横浜に入港し、3月18日まで 対潜実験艦への改造工事を実施。5月5日、第1特攻戦隊 の特攻攻撃訓練目標艦となり、横須賀において無傷で 終戦を迎えた。 LOCATION: END:VEVENT BEGIN:VEVENT SUMMARY:駆逐艦涼月:終戦日(1945) DTSTART;VALUE=DATE-TIME:20260814T150000Z DTEND;VALUE=DATE-TIME:20260815T150000Z UID:165481694437 DESCRIPTION: 1945年4月7日アメリカ軍機動部隊艦載機の第 一波、第二波攻撃により「涼月」は被弾により艦首が 沈下(前方傾斜10度)、中央部も海面から甲板まで数十 ㎝という状態で前進すると船体が潜ってしまう状態だ った[140]。海図焼失、コンパス破損の状況ながらも涼月 は日本本土を目指した。4月8日朝、「冬月」は各隊に単 独帰投中の「涼月」の掩護を要請した[160][157]。9時32分 、指宿航空隊機により、佐多岬の262度140海里の地点を 北上しているのが発見される[161]。昼前には1隻の漁船 から「われ貴艦の側方を護衛する」と手旗信号をおく られ、涼月乗組員一同を苦笑させた[162]。14時30分、つ いに佐世保に帰投する[163][157]。\n 本艦の修理に必要 な期間は約3ヶ月と算出された[169]。5月5日完成を目標に 、停泊に差し支えない程度のものが行われ[170]、次いで 本修理の施工に関しては昭和20年度中には実施しない事 が決まった[170]。6月10日に佐世保を出発、後部砲塔二基 のみ砲側照準で射撃可能な状態となって相浦に係留さ れた[172]。岸まで板桟橋を渡し、機関に火は入れず陸上 より給電を行った[173]。当時の乗組員は約100名ほどで、 農耕隊と漁撈隊を編制すると、開墾や、貰い受けた漁 船を活用して食糧調達を行う[177]。その間の7月と8月に 対空戦闘を行い、うち8月の対空戦闘でP-51「ムスタング 」1機を高射砲で撃墜した[177]。\n LOCATION: END:VEVENT END:VCALENDAR