本日 2025年12月4日(木) 20:56 Etc/GMT-8

2025/12/11 23:00~2025/12/12 23:00

駆逐艦照月:戦没日(1942)

 第三次ソロモン海戦により輸送船団が壊滅状態になると、帝国海軍は駆逐艦にドラム缶を搭載してガダルカナル島へおくりとどける強行輸送作戦(鼠輸送)、通称『ドラム缶輸送』を実施する[61]。  1942年12月11日、魚雷艇母艦に率いられた米軍魚雷艇(PTボート)は、すでにガダルカナル島北岸に展開していた[82]。魚雷艇3隻(PT37、PT40、PT48)が日本艦隊を襲撃[82]。 23時ごろ、アメリカ軍魚雷艇によると思われる魚雷2本[82]が「照月」の左舷後部に命中し(魚雷艇を発見できないままに被雷)[83][84][85]。舵と左舷主機が使用不能、航行不能となり重油や弾薬に引火して大火災となった[71][86]。この状況下、別の魚雷艇2隻(PT44、PT110)も戦場に到着した[82]。  被雷から約30分後、足を負傷した田中少将および第二水雷戦隊司令部は、駆逐艦「長波」(第31駆逐隊)に移った[87][88]。 第4駆逐隊司令有賀幸作大佐(海兵45期、のち戦艦大和艦長)が指揮する「嵐」が照月艦首部に接舷し、乗員救助と消火作業にあたった[71][89]。「照月」は絶望と判断した折田(照月艦長)は機関長にキングストン弁を開いて自沈を命じ、実行された[90]。米軍魚雷艇の再襲撃や離脱距離を考慮したため、自沈を決定したともされる[91][92]。 12月12日午前1時15分、総員退去[93]。自沈処理完了[94]。  放棄された「照月」は12月12日午前2時40分に沈没した[95][96]。沈没位置はサボ島の210度6.7海里地点[71]。南緯09度13分 東経159度46分[97][98]。