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1944年(昭和19年)2~5月頃、、ビアク島を巡って攻防が繰り広げられており(ビアク島の戦い)、日本海軍は渾作戦を発動してビアク島救援作戦を展開していた[92]。5月30日付で第10駆逐隊(風雲、朝雲)は渾部隊(指揮官左近允尚正第十六戦隊司令官:旗艦青葉)に編入され、間接護衛隊(戦艦《扶桑》、第10駆逐隊《風雲、朝雲》)、警戒隊(重巡洋艦《妙高、羽黒》、第27駆逐隊《春雨、五月雨、白露、時雨》)と共にタウイタウイからダバオへ移動する[93][94][92]。 6月7日深夜、第10駆逐隊(風雲、朝雲)は第五戦隊(妙高、羽黒:司令官橋本信太郎中将・海兵41期)とともにダバオを出撃[97][94]。この時、ダバオ湾(英語版)口にはアメリカの潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) が哨戒を行っていた[91]。翌6月8日未明、ヘイクのレーダーは湾の中央を高速で移動する4つの目標を探知した[98]。2時12分、北緯06度03分 東経125度57分の地点で魚雷を6本発射し[99]、うち2本が風雲の左舷中央部と左舷艦尾に命中、搭載の魚雷が誘爆し[100]、4分で沈没した[101]。