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1945年4月6日15時30分、第21駆逐隊(朝霜、初霜、霞)は沖縄水上特攻作戦(天一号作戦)に第一航空戦隊(戦艦大和、第二艦隊旗艦)、第二水雷戦隊旗艦矢矧(司令官古村啓蔵少将)、第17駆逐隊(磯風、雪風、浜風)、第41駆逐隊(冬月、涼月)とともに徳山を出撃した。しかし、翌4月7日早朝、第二艦隊が巡航速力22ノットで航行中[2]、「朝霜」は機関故障を起こして速力12ノットしか出なくなり落伍した[125][126]。朝霜側は呉工廠における減速機の修理が原因と判断していた[42]。だが、第二水雷戦隊司令部は機関故障の原因をクラッチ故障にあったと推定している[127]。 「朝霜」では応急修理(予定五時間)を実施したが復旧せず[128]、正午過ぎに『我敵機ト交戦中』『90度方向に敵機30数機を探知す』との無電を発した後、連絡が途絶えた[129]。単艦戦闘であった上、生存者がいない為に各艦が砲煙らしきものを確認しただけで、その最期は明らかではない[130]。 アメリカ側の記録では、空母バンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CV-9) のSB2C ヘルダイバー10機が大和の攻撃に向かう途中、「北の駆逐艦(朝霜)をやれ」との命令を受けて奄美大島近海を北上して「朝霜」を発見[132]、「朝霜」は左方向に逃げ続けたものの、至近弾数発を受けさらに爆弾3発(煙突の間、二番煙突後方、艦尾部)が命中した[133]。艦後部(3番主砲付近)に爆発が起きたあと後部に傾斜[134]。だがアメリカ軍機は雲により、それ以上の観測を妨げられた[134]。「朝霜」は消息不明となり、駆逐隊司令小滝大佐以下乗員326名全員が戦死認定された[132][2][135]。