本日 2025年9月18日(木) 01:51 Etc/GMT-9

2025/10/05

駆逐艦樫:除籍日(1945)

 1945年(昭和20年)1月1日、サンジャックを出港して香港経由で1月7日に高雄に到着[27]。1月21日、高雄で第38任務部隊艦載機の空襲を受け、3発の直撃弾により缶室、電信室、射撃装置などが損傷して戦死者21名、負傷者20名を出す[28]。ただちに基隆への回航が命じられ、1月24日に到着した[29]。応急修理の後2月1日に「杉」とともに出港し[30]、舟山群島で南号作戦のヒ88A船団(「せりあ丸」(三菱汽船、10,238トン)、海防艦2隻)に合流して門司まで護衛を行った[31]。護衛終了後の2月8日に佐世保に帰投し、佐世保海軍工廠で修理が行われた[32]。修理後は呉に回航されて戦艦「大和」の護衛にあたるが、間もなく呉海軍工廠で再度の修理が行われた[33]。その後は瀬戸内海で訓練と待機の日々を過ごし、7月28日の呉軍港空襲では至近弾により小破、そのまま呉で終戦を迎えた。10月5日除籍。