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1945年(昭和20年)3月17日、第一南遣艦隊の命令により南号作戦の一環として、『ヒ88J船団』(輸送船7隻、護衛艦7隻)に加わっての本国帰投が決定する[101][注 2]。4月6日午前11時30分、アモイ沖にてく第498中隊(1機喪失)の反跳爆撃により500ポンド爆弾3発が船体後部に命中、主砲は全て破壊され、無線機・機関・舵は故障、火災が発生して左舷に傾斜した[113]。4月6日の戦闘で天津風は合計18機のB-25と交戦、計3機を撃墜し2機に損傷を与えた[114]。天津風は一時は弾薬庫付近の火災により危機に陥るが、浸水により鎮火に成功、人力操舵により速力6ノット発揮可能となり、アモイまで自力航行した[115]。 6日午後7時30分、天津風はアモイ湾内で機関停止したが機雷源通過後に推進機関損傷により機関再始動に失敗(潤滑油に海水が混ざったため)[116]、また錨鎖もなく潮流に流されて午後8時20分浅瀬に座礁した[117]。廈門特別根拠地隊の協力を得て物資・武装を揚陸、乗組員は退去した[122]。4月8日、天津風の乗組員の退去が完了[121]。 4月10日、軍艦旗降下の後、歴戦の天津風は爆雷の自爆により爆破処分された[123]。生存者は161名、戦死者39名(便乗者3名含む)[123]。