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1943年11月11日早朝、第2回のラバウル空襲が行われた[107][108]。第38任務部隊はブーゲンビル島北方から、第50.3任務部隊は同島南方から挟み撃ちの格好で艦載機を発進させた[106]。 本空襲で阿賀野型軽巡洋艦1番艦「阿賀野」が魚雷命中により艦尾切断の被害を受け[123][108]、夕雲型4番艦「長波」が大破[124][125]。 南東方面艦隊(司令長官草鹿任一中将)の下令によりラバウル在泊艦艇(能代、阿賀野、摩耶《11月5日空襲で大破、ラバウル在泊》、長鯨、浦風、若月、風雲、早波、藤波、五月雨)[126][127]はトラック泊地に撤退し[108]。ラバウルに残る第二水雷戦隊は第31駆逐隊(大波、巻波、長波《航行不能状態》)となった[128]。 このうち夕雲型2隻(大波、巻波)も11月24日のセント・ジョージ岬沖海戦で沈没[129][130]、「長波」のみラバウルに取り残された[125]。