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1944年11月30日午前[29]、第七次多号作戦が発令され、松型駆逐艦2隻(桑、竹)、第9号輸送艦、第140号輸送艦、第159号輸送艦と第三梯団を構成してマニラを出撃した[30][31]。 12月2日夜、船団はオルモック湾に到着して揚陸を開始した[31]。大発が輸送艦と陸上を往復して物資を揚陸させている頃、南方の哨戒を開始した[35]。しかし、その南方からは第120駆逐群がオルモック湾に入りつつあり、ザーム大佐は日本側の雷撃を警戒して、艦を横に広がらせた横陣の隊形で湾内に入っていった[36]。オルモック湾に入った第120駆逐群は11,000メートル先の目標を狙い、まずクーパーが砲撃を開始した[36]。「桑」は第120駆逐群のオルモック湾侵入を確認するや、発光信号で敵艦発見を「竹」に知らせた[37][31]。最初の交戦はおよそ9分で決着がつき[38]、一方的に叩きのめされて沈没していった。