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1942年11月頃、輸送船団によるガダルカナル島突入が失敗に終わると、ガダルカナル島の友軍2万数千名に対する糧食・弾薬の補給は緊急案件となった[49]。各種輸送手段を研究した連合艦隊は、ドラム缶を用いた鼠輸送に切り替える[49]。参加部隊は11月27日までにショートランド泊地に集結した[49]。 11月29日夜22時45分、第二水雷戦隊はショートランドを出撃して北方からガダルカナル島を目指した[57]。 しかし、翌11月30日朝に偵察のB-17 (戦史叢書ではB-25)に発見される[58][55]。サボ島沖に差し掛かった20時頃、「高波」は下令により単艦先行してアメリカ艦隊の攻撃に備える[55]。敵発見を報じた「高波」は21時20分頃から第67任務部隊の集中砲火を浴び、舵故障を起こしつつ人力操舵で操艦した[62]。12.7㎝主砲で反撃しつつ酸素魚雷8本を発射したものの、袋叩きの末航行不能となった[63][64]。 23時ごろ、戦場を離脱中の第15駆逐隊(親潮、黒潮)は田中司令官(長波)より高波救援命令を受けた[64][71]。反転した2隻は漂流する「高波」を発見、『短艇なし』の報告をうけて接舷救助を試みる[72]。「親潮」から見ると、「高波」の上部構造物は原型がなく、船体の各所から白煙がのぼり、沈没は時間の問題だった[65]。第67任務部隊の駆逐艦部隊が接近してきたため救援を中止して避退した[64][74]。23時30分頃、清水司令の命令により「高波」は自沈の処置がとられる[75]。当時生存者約100名は退去を開始したが、沈没直前の23時37分に米艦隊が発射した魚雷が艦尾に命中[76]、続いて艦尾の爆雷および弾薬庫が爆発し、サボ島の南6海里の地点(アイアンボトム・サウンド)で沈没した[64][75]。