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1944年(昭和19年)7月上旬、マリアナ沖海戦に続くサイパンの戦いで、サイパン島地上戦に巻き込まれた第三水雷戦隊司令部は全滅、第三水雷戦隊司令官中川浩少将も戦死した[309]。そこで日本海軍は第三水雷戦隊の残存艦艇を基幹として、8月20日附で第三十一戦隊 を編制する[310][311][312]。8月上旬、「夕凪」はヒ71船団に加入[315][316]。 8月22日、神風型2隻(夕凪、朝風)は海防艦と共にルソン島沖でマタ24A船団の護衛中[321]、船団中のタンカー第二八紘丸(日本油槽船、10,022トン)がスペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) の雷撃によりバサレン湾に座礁したため、その警戒として付き添った。 8月23日、姉妹艦「朝風」は米潜水艦ハッド(USS Haddo, SS-255)に雷撃され[5]、近くの陸地に曳航されたあと、沈没した[322]。 8月25日、バサレン湾を警戒中、付近を通りかかったマタ26A船団[323]がアメリカ軍の潜水艦ピクーダ(USS Picuda, SS-382)の雷撃を受ける様子を目撃し、現場へ対潜掃討に向かう[324]。だがピクーダが発射した魚雷が艦橋後部(左舷)に命中し、衝撃で缶室が爆発[324]。船体は両断され、「夕凪」は沈没した[324]。乗員約40名が戦死、さらに僚艦の爆雷攻撃の影響で救助された重傷者多数が戦死した[324]。沈没地点記録北緯18度42分 東経120度49分[323]。