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2026/04/07

駆逐艦磯風:戦没日(1945)

 1945年4月6日、磯風は第二艦隊旗艦大和を護衛し徳山を出港、夜間には陣形訓練と大和を目標とした襲撃訓練を行う[203]。翌7日、坊ノ岬沖海戦に参戦する。空襲序盤、17駆僚艦浜風が轟沈した。その後、航行不能となった第二水雷戦隊旗艦矢矧から『第二水雷戦隊司令官(古村啓蔵少将)移乗のため横付けせよ』との命令があり、空襲のタイミングを見計らって矢矧に接近した[204][205]。矢矧に横付けし、舫索を結ぶ[206]。直後、アメリカ軍機の襲撃を受けた。磯風は速度を落としていたため完全に回避できず、13時56分、右舷後部への至近弾により機械室に浸水、さらに機銃掃射で多数の死傷者を出した[207]。15時25分には速力12ノットで北方退避中を報告したものの[208]、浸水が進み、乗員の修理も成功せず、やがて航行不能となった磯風は漂流した[209]。  19時25分には雪風による曳航準備(速力9ノット予定)が進められていたが、潜水艦の襲撃や翌日のアメリカ軍艦載機による空襲を懸念する古村少将は再度雪風による磯風の処分を命じた[211]。こうして磯風乗組員は「雪風」に移動[212]。第17駆逐隊司令艦も雪風に変更された[213]。大和沈没から8時間の22時30分、雪風が雷撃で磯風を処分しようとしたが魚雷は艦底を通過、最終的に砲撃処分となり22時40分、搭載魚雷の誘爆により磯風は沈没した[214]。戦死20名、負傷者54名[215]。生存者326名[216]。沈没位置(北緯30度46分05秒 東経128度09分02秒)[217]。