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1943年(昭和18年)1月18日、第10駆逐隊司令は阿部俊雄大佐(後日、軽巡洋艦大淀艦長、空母信濃艦長)から吉村真武大佐[60]に交代(吉村大佐は1月7日まで軽巡龍田艦長)[61]。 1月23日、駆逐艦5隻(秋雲、夕雲、巻雲、風雲、雪風)は南東方面部隊に編入され、そのまま外南洋部隊に所属した[62]。本艦はガダルカナル島からの撤退作戦である「ケ号作戦」に参加する。1月31日、第一次作戦に参加する日本軍駆逐艦隊はショートランドを出撃。途中で空襲に遭遇する。 この空襲により「東京急行」の接近を知ったアメリカ軍は、駆逐群および機雷敷設部隊、魚雷艇群の三段構えで「東京急行」を待ち構えようとした。このうち、駆逐群は日本機の空襲に阻止されて動けなかった[65]。残る二隊のうち、機雷敷設部隊は2月1日夕刻にエスペランス岬付近に機雷を合計255個敷設していった[65]。その約3時間後[66]、エスペランス岬沖に接近しつつあったその時、本艦は艦尾に触雷して航行不能となった。「夕雲」が接近して横付け曳航法でカミンボ沖まで北上したが[67]、船体に歪みが生じてきた上に浸水がひどくなって曳航困難となる。曳航索も切断[68]。吉村真武司令の許可を得て藤田勇(巻雲駆逐艦長)中佐以下全乗員は「夕雲」に移乗、その後魚雷1本を発射して「巻雲」を雷撃処分した[67]。