本日 2025年10月19日(日) 20:11 Etc/GMT-9

2025/11/11

駆逐艦長波:戦没日(1944)

 11月8日朝、多号作戦第四次輸送部隊を護衛してマニラを出撃。第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機[59]による空襲を受けた。浜波が真っ先に被弾し、朝霜は浜波のわずかな生存者を救助した[59]。続いて若月、部隊指揮官の第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将(海兵44期)座乗の戦隊旗艦島風も被弾し、輸送船は全滅していた。やがて、激しい対空戦闘の末に弾薬が尽きた長波は右舷艦橋下に被弾し、艦右側にも至近弾を浴びた。間もなく右側に傾斜した後、長波は艦首を上げて沈没していった。