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2025/07/06

駆逐艦新月:戦没日(1943)

 1943年7月4日、コロンバンガラ島への輸送任務のため第一回輸送隊(指揮官金岡国三第22駆逐隊司令[70]:第22駆逐隊《長月、皐月》、新月、夕凪)と、7月5日出撃予定の第二回輸送隊(第11駆逐隊《天霧、初雪》、第30駆逐隊《望月、三日月》)が編制され、第一回輸送隊はブインを出撃する[71]。  7月5日23時5分、「新月」はレーダーで左舷方向に敵艦隊と思しき艦影を探知し[82][83]、左舷砲雷戦にて南下する[84]。谷風水雷長によれば、当夜はスコールが激しかったという[5]。23時18分、支援隊(新月、谷風、涼風)はUターンし、再びレーダーで米艦隊をとらえた[85][86]。 第36.1任務群も23時36分に任務群旗艦の軽巡ホノルル (USS Honolulu, CL-48) がレーダーで複数の目標を探知した[85]。エインスワース少将は、まず砲撃を行って混乱させてから雷撃を行う戦法を採った[87]。23時46-48分、支援隊は右舷方向に巡洋艦を含む米艦隊を発見する[88]。ちょうどスコールが晴れた頃だった[5]。23時52分、秋山少将は指揮下の全駆逐艦に全軍集結を下令し、第36.1任務群に対して魚雷戦に持ち込もうとしていた[89][90]。だが、攻撃は第36.1任務群に遅れをとった[91]。23時56分、第36.1任務群のホノルル、ヘレナ (USS Helena, CL-50) およびセントルイス (USS St. Louis, CL-49)は6300mで射撃を開始、初弾から「新月」に15センチ砲弾を命中させた[92][93]。「新月」では舵が故障し、火災が発生した[94][95]。艦橋にも命中弾があり、反撃もしなかった[92]。  7月6日0時11分に「我速力26ノット」を報告[96][97]。このあと西方へ漂流して消息を絶ち、「新月」は沈没と認定された[98]。駆逐艦長金田清之中佐以下290名が戦死[99]。秋山少将以下第三水雷戦隊司令部も全滅した[68]。