本日 2025年12月3日(水) 06:14 Etc/GMT-9

2025/12/04

駆逐艦岸波:戦没日(1944)

 1944年11月26日、岸波は敷設艇由利島、第17号海防艦とともに特設給油船八紘丸(日本油槽船、10,022トン)を護衛して昭南を出港し、12月1日にマニラに入港した。燃料の荷揚げを済ませた後、往路と同じ顔ぶれで12月3日10時にマニラを出港して昭南に向かった。しかし翌12月4日10時30分、北緯13度12分 東経116度39分[11]のパラワン島北西海域にさしかかったところでアメリカの潜水艦フラッシャー (USS Flasher, SS-249) の攻撃に遭った。フラッシャーは八紘丸船団の存在を、近在の僚艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366) からの報告により知り、船団の前方に出て待ち伏せを行っていた所であった[12]。フラッシャーは朝潮型駆逐艦と目された[13]岸波に対して魚雷を4本発射し、2本を命中させた。岸波は航行不能に陥り[14]、「朝潮型駆逐艦」を撃沈と推定したフラッシャーは[13]、艦尾発射管から八紘丸に向けて魚雷を4本発射。2本が命中して八紘丸も航行不能になった[15]。  やがて爆雷攻撃が始まったので、フラッシャーは攻撃を避けるため深深度に潜航して魚雷の装てんを行い[16]、約1時間後に潜望鏡深度に戻って三度目の攻撃の態勢に入った[16]。その間、岸波は由利島に曳航されようとしていた[14]。14時2分、フラッシャーは大雨の中を岸波と八紘丸に向けて魚雷を4本発射[17]、岸波は魚雷が2本命中して沈没した。