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1942年11月14日から翌日にかけて行われた第三次ソロモン海戦の第二夜戦で「浦波」、「敷波」とともに第2艦隊第3水雷戦隊に所属していた。「綾波」と航行していた「川内」は「浦波」隊支援のため分離、サボ島北側を通って「浦波」隊に合同すべく急速に「綾波」から離れていった。こうして「綾波」のみで当初の予定通りサボ島西側を哨戒航行することとなり、戦況が進む中、「綾波」は戦艦2隻駆逐艦4隻の米艦隊に対し単艦で突入する格好になってしまった。 単艦でめざましい戦果は挙げたものの、米駆逐艦の砲撃と戦艦「ワシントン」の副砲射撃による反撃で「綾波」は次々と命中弾を受け被害甚大となって漂流を始めた「綾波」。喫水線下への被弾はなかったため浸水はしなかったものの上甲板の火災は既に消火不能となっており、魚雷の誘爆は時間の問題と見た艦長は総員退艦を下令。生存者は全員海へ飛び込み救助に駆けつけた浦波に収容された。 「浦波」に生存者全員が救助された後、23:46に遂に魚雷が誘爆。翌11月15日の00:06、2度目の大爆発をおこした後綾波は沈んでいったという。戦闘での戦死者は27名。浦波に収容された後に死亡した者も含めて戦死者は42名であった。生存者の一部はガダルカナル島へ渡った。