共有されているカレンダーからスケジュールを検索します。ちっくたっくはカレンダーの共有やスケジュールを検索するサービスです
1944年10月30-31日、「秋風」はフィリピン方面への『緊急輸送作戦』に従事する空母「隼鷹」を護衛することになった[21]。「隼鷹」は空母でありながら航空機をまったく搭載せず、その格納庫に戦艦「大和」を含む第二艦隊(栗田艦隊)用の砲弾、第三十一根拠地隊向けの砲弾、第1挺進集団の一部、第七震洋隊の水上特攻艇「震洋」50隻と基地隊員130名を搭載したという[21]。 輸送部隊は隼鷹艦長を指揮官とし、空母「隼鷹」、軽巡洋艦「木曾」、第30駆逐隊(司令澤村成二大佐:夕月、卯月、秋風)で編制されている[22]。しかし艦隊の動向は米軍に察知されており、米潜水艦複数(ジャラオ、アトゥル、ピンタド等)からなるウルフパックが「隼鷹」を狙っていた[23]。 台湾・馬公市に立ち寄ったのちブルネイに向け移動中の11月3日夜、米潜水艦ピンタド(USS Pintado, SS-387)が「隼鷹」に対して魚雷6本を発射[23]、これが「秋風」に命中し22時53分、大爆発により「秋風」の艦体は分断され艦尾は22時58分に沈没した[24]。「夕月」が救援にあたるが[25]、秋風乗組員は全員行方不明(戦死認定)となった[26]。