本日 2025年10月19日(日) 18:52 Etc/GMT-8

2025/10/24 23:00~2025/10/25 23:00

駆逐艦秋月:戦没日(1944)

 捷一号作戦の発令を前にした1944年10月12日、「秋月」は呉に入港し10月14日まで出撃前の臨戦準備を行った。10月25日午前7時、秋月以下前衛艦隊は小沢治三郎中将が指揮する機動部隊本隊と合流した[182]。その1時間後、エンガノ岬沖海戦がはじまった。  秋月は午前8時25分から対空射撃を開始した[186]。午前8時50分に斜め後方からSB2Cヘルダイバーによる急降下爆撃[189]により艦中央部に被弾する[190]。缶室では高圧蒸気が噴出し、機関科70名(砲術科に応援を出したため規定82名以下)は第一缶室の3名を除き全滅した[191]。午前8時56分、艦中央より黒煙と火災が発生[190]。次の瞬間、酸素魚雷の誘爆による大爆発が起きた[192]。艦中央部に大孔が開き、周辺の艦構造物は軒並み消失して「秋月」は完全に停止、総員退避命令が出される[195]。  まもなく二つに分断されて沈没した[196][197]。五十鈴戦時日誌では、0857「秋月眞中ヨリ折レル」 0859「秋月沈没」と記録した[187]。沈没地点北緯18度15分 東経126度35分[23]。