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2025/06/29

駆逐艦深雪:沈没日(1934)

 1934年6月29日午後1時、第四回連合艦隊基本演習がはじまる[62]。午後5時頃より本格的な交戦がはじまるが、狭隘海面に多数の艦艇がひしめき、さらに天候と煙幕のため視界は極めて悪かった(約10km)[62]。午後6時頃、乙軍の第11駆逐隊(1番艦深雪、2番艦初雪、3番艦白雪)は甲軍(仮想敵)の第四戦隊第2小隊(高雄、愛宕)に対し雷撃を敢行し、続いて煙幕(軽巡洋艦「由良」展開)[63]を転舵で避け、たまたま発見した「衣笠」(乙軍)に続航しようとしていた[64]。  直後、煙幕の中から乙軍の第6駆逐隊(1番艦電、2番艦響、3番艦雷)が出現、回避できず「電」(第6駆逐隊司令駆逐艦)が「深雪」(第11駆逐隊司令駆逐艦)の左舷に衝突する[65][66]。 「深雪」の船体は艦橋直下の46番ビーム付近で断裂[67]。 後部船体に「那珂」が横付し、那珂・愛宕乗組員の応援を得て排水を試みたものの浸水が止まらず、第二水雷戦隊司令官阿部清少将(那珂座乗)は深雪乗組員の退去を命じた[68]。 深雪乗組員は「那珂」に移動[69]。軽傷者は金剛型戦艦1番艦「金剛」(連合艦隊旗艦)に収容された[70]。総員退去の後、「那珂」は「深雪」への横付を離す[68]。  午後9時53分[71]、北緯32度51分 東経127度11分[72]もしくは北緯32度57分 東経127度14分地点で沈没した[68]。 深雪艦首部分は駆逐艦2隻(初雪、叢雲)で曳航を試みたが濃霧の中で見失い、翌日の捜索でも発見できず、沈没したものと推定された[73][74]。