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1944年10月中旬以降の捷号作戦で第4駆逐隊(満潮、朝雲、山雲、野分)は戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「時雨」と共に第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)に所属してレイテ湾突入を目指した。 10月25日、西村艦隊はスリガオ海峡に突入したものの「時雨」を残して全隻撃沈された。午前2時20-30分頃、「満潮」-「山雲」-「朝雲」-「時雨」-「山城」-「扶桑」-「最上」という単縦陣の二番手に位置していた「山雲」は、米軍駆逐艦隊が発射した魚雷の命中により航行不能となる[34]。西野(時雨駆逐艦長)によれば、「満潮、山雲、朝雲」はほぼ同時に被雷、「山雲」は轟沈であったという[35]。全員が戦死したとされる。生存者1名がマニラ地区地上部隊に編入されたという記録が残るが、その後の消息は不明[36]。