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1944年10月下旬のレイテ沖海戦では、第五艦隊司令長官志摩清英中将が指揮する第二遊撃部隊(重巡2隻《那智、足柄》、軽巡《阿武隈》、第18駆逐隊《不知火、霞》、第7駆逐隊《潮、曙》、第21駆逐隊《若葉、初霜、初春》)に所属し、レイテ湾に突入する計画であった[63]。だが輸送任務のため、第21駆逐隊(若葉、初春、初霜)は志摩艦隊本隊より遅れて行動を開始する[64]。ミンドロ島東を南下、ミンダナオ島入口で志摩艦隊本隊と合流する事を目指していた[63]。 10月23日、航海中に救助した陸兵をマニラで上陸させると、補給を受けて南下を開始する[65]。 だが10月24日午前8-9時、第21駆逐隊は米軍空母艦載機約20の空襲を受ける[63]。この戦闘で司令駆逐艦の「若葉」は直撃弾と至近弾による艦底損傷により浸水被害を受け[66]、沈没した[67]。沈没地点パナイ島西方北緯11度36分 東経121度36分[68]。第21駆逐隊司令石井汞大佐と二ノ方(若葉駆逐艦長)は生還した[69][70]。戦死30名(准士官以上1、下士官兵29)、重軽傷(准士官以上7、下士官兵67)と記録されている[71]。