本日 2024年5月10日(金) 19:31 Etc/GMT-9

2024/05/20

駆逐艦柳:解体日(1946)

 7月14日、折から日本本土への最終攻撃作戦を行っていた第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)は、朝から艦載機を飛ばして北海道および東北地方の市街や港湾施設、飛行場、艦船を片っ端から攻撃していった。その後、偵察機に発見された「柳」は渡島福島沖で空母「エセックス」艦載機の空襲を受ける[8]。魚雷の回避には成功したものの、ロケット弾攻撃が命中。11時52分頃、艦尾切断、舵機室・推進機能喪失の被害を受けた[12]。大湊に曳航された「柳」だが、8月9日にも大湊湾で第38任務部隊の艦載機による再度の空襲を受ける(大湊空襲)。敷設艦「常磐」とともに攻撃を受けて大破し、浸水が激しく葦崎東方海岸に擱座して沈没を免れた。8月15日の終戦を迎えて乗員が艦を去っていく事により排水作業が出来なくなることから、8月15日中に艦の保全のために同じく葦崎東方海岸に擱座し、曳船の助けを得て投錨して艦を固定した[15]。  その後本艦「柳」は1946年(昭和21年)10月から翌年5月20日頃までに解体された。