本日 2024年5月14日(火) 00:32 Etc/GMT-9

2024/05/14

駆逐艦電:戦没日(1944)

 1944年5月3日、「電」は「響」とともにヒ61船団に加入し、六連島沖を出撃[109][110]。5月9日にマニラに到着後、船団加入船のうち3隻の特設運送船(給油)、「日栄丸」(日東汽船、10,021トン)と「建川丸」(川崎汽船、10,090トン)、「あづさ丸」(石原汽船、10,022トン)は第一機動艦隊(小沢治三郎中将)への補給任務のためマニラでヒ61船団から分離し、「響」とともに護衛にあたることとなった[101][109][111]。  5月14日未明、北緯05度03分 東経119度36分のシブツ海峡で哨戒中のアメリカ潜水艦ボーンフィッシュ(USS Bonefish, SS-223)が距離7,000ヤードのかなたに3隻のタンカーを発見し、戦闘配置を令する[112]。そのころ、「電」は「響」と位置を交代したばかりであった[114][115]。そこにボーンフィッシュからの魚雷が接近した。魚雷は中部と後部に1本ずつ命中し、「電」は右舷側に45度に倒れて後部は二つ折れとなり、間もなく沈没した[116]。「電」乗員のうち常盤駆逐艦長以下169名が戦死したが[114]、121名は「響」に救助された[117][115]。