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1944年10月中旬以降の捷号作戦で第4駆逐隊(満潮、朝雲、山雲、野分)は戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「時雨」と共に第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)に所属してレイテ湾突入を目指した。 10月25日、西村艦隊はスリガオ海峡に突入したものの「時雨」を残して全隻撃沈された。「満潮」「山雲」に続く三番手に位置していた「朝雲」は、米軍駆逐艦の魚雷攻撃により艦首を喪失、低速で反転離脱を開始する[50]。だが2隻は追撃してきた米艦隊の砲撃を受け、砲雷撃を受けた「朝雲」は炎上[52]。「朝雲」軽巡洋艦デンバー、コロンビアの2隻にとどめを刺された[53]。 総員退去後、「朝雲」は米巡洋艦及び駆逐隊の集中射撃を受けて沈没した[54]。さらに米駆逐艦は「朝雲」から脱出した内火艇も撃沈、乗組員は漂着して捕虜となった[55]。約200名が戦死し、また生存者25名がマニラ地区地上部隊に編入されたという記録が残っている[56]。