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第30駆逐隊は南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官(旗艦「鹿島」)の麾下で、太平洋戦争開戦初頭のウェーク島攻略戦に参加した。12月10日夜半にウェーク島へ到着した攻略部隊は上陸舟艇をおろそうとしたものの、外洋の強風と波浪により失敗した。12月11日、戦闘は軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)の艦砲射撃ではじまった[23]。現地時間午前6時15分(日本時間と約2時間違う)、ウェーク島南東ピーコック岬のA砲台は距離5100mで「夕張」に発砲[20]。同艦は4時12分に煙幕を展開して退避、同時に退却命令を出す[24]。ビール島のB砲台は「睦月、弥生」と交戦し、2隻を撃退した[25]。 5時37分、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南でF4Fワイルドキャットの機銃掃射(AN/M2 12.7mm機銃)を受け、投下された100ポンド爆弾1発が命中[35]。魚雷(資料によっては爆雷)が誘爆、 艦橋と二番煙突の半分とマストを吹き飛ばし、しばらくすると艦は二つ折れになって[36]、5時42分に爆沈した[37]。 「天龍」主計長によれば、艦橋が吹き飛んだ「如月」はしばらく異様な姿で航行したあと、姿が見えなくなったという[38]。同様の光景は「追風」(如月より左舷前方約2000m)からも目撃された[36]。