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1942年11月23日21時00分、「早潮」以下輸送隊はラバウルを出港し、パプアニューギニアのラエへ向かった[8]。輸送部隊指揮官は第2駆逐隊司令官橘正雄大佐で、各駆逐隊から集められた駆逐艦5隻(春雨、白露、電、磯波、早霜)で編制されている[9]。 翌24日、ラエ東方でB-17爆撃機7機の攻撃を受ける。至近弾により浸水して左舷機械が使用不能となり、応急処置を実施した[10][11]。左舷機械復旧により28ノットを発揮していたところ、19時25分に一番主砲と艦橋間に直撃弾を受け、大火災となる[12]。「春雨」が接舷を試みたが、誘爆の危険により果たせなかった[13]。弾薬や燃料に引火して手の施し様がなくなり、金田艦長は20時25分に総員退去と軍艦旗降下を命じる[14]。脱出者は僚艦が派遣した装載艇に救助されていった[15]。その後「早潮」は「白露」の砲撃により魚雷が誘爆、23時5分に沈没した[16]。戦死者50名[17]。沈没地点南緯06度54分 東経147度55分[17]。