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1944年11月5日、マニラ湾一帯を米軍が空襲し、停泊中の「曙」は直撃弾2発を受けて炎上、航行不能となった。「曙」はキャヴィテ桟橋(北緯14度35分 東経120度55分座標: 北緯14度35分 東経120度55分)の第一〇三工作部の修理を受けるべく、キャビテ港第2桟橋に係留された。この時、機関故障を起こした2ET型戦時標準船の第5蓬莱丸(蓬莱タンカー、834総トン)が同桟橋に回航されており、11月11日には第四次多号作戦に参加中に空襲を受け、艦首切断を起こしていた「秋霜」も同桟橋に回航され、岸壁から第5蓬莱丸、「曙」、「秋霜」の順番で係留されていた[6]。 11月13日午後、米航空母艦艦載機がマニラ湾を再び空襲する。第5蓬莱丸は船体後部に直撃弾を受けて同日中に大破着底。「曙」は直撃弾1発・至近弾10数発を受けて左舷に傾斜し、その外側にいた「秋霜」も一番砲塔前方と後部甲板に直撃弾3発を受け、弾薬庫が誘爆して炎上する。 「曙」は翌14日朝に艦橋部のみを海面上に露出させて着底し、「秋霜」も同じ14日朝に右舷を下にして転覆し、艦橋部が海底に埋まった状態で着底した[6]。乗員48人が戦死し、43人が負傷した[9]。