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2025/11/12 23:00~2025/11/13 23:00

駆逐艦夕立:戦没日(1942)

 1942年11月12日、第三次ソロモン海戦第一夜戦。混乱する状況下で夕立は敵発見を報告する[117][105]。続いて比叡の照射攻撃に米艦隊の注意が集まる間に距離を詰め、魚雷発射態勢に入った[118][119]。魚雷発射後、夕立は右に転舵したため、左に転舵した春雨を見失い、単艦で米艦隊へ突入していった[120][121][122]。  米艦隊の中央を突破して敵を混乱に陥れ大きな戦果を挙げた夕立だったが、00時26分前後に右前方から探照灯で照射され、続いて右舷と左舷の両方から砲撃を受け被弾する[126][122]。砲撃を受けた夕立は味方識別を行ったが射撃はやまず、この「敵艦」に砲戦を企図したところに直撃弾複数を受け大破、吉川艦長以下幹部将校も負傷[128]。機関室に損傷を受け、操舵装置も故障[122]。サボ島165度9浬の地点で航行不能となった[124]。  11月13日1時15分、第2駆逐隊の姉妹艦五月雨は夕立の救援を命じられて捜索を開始、1時55分前後に夕立を発見して接近していった[133][130]。五月雨から見た夕立は艦首を喪失し、火災が艦尾に広がりつつあったという[134]。2時26分、退去決定[135]。横付けして夕立の乗組員を移乗させた五月雨は、夕立を雷撃処分のため2時44分に魚雷2本を発射、だが魚雷は艦底を通過し、2時53分に再度魚雷1本を発射すると砲撃処分を開始する[136]。戦闘詳報の報告とは裏腹に魚雷は命中していなかったが、夕立は傾斜を増した[137]。このあと五月雨は米重巡洋艦(ポートランド)に捕捉された上に、日の出と共にアメリカ軍機の襲撃も予想された為、夕立の沈没を確認しないまま戦域を離脱した[138]。五月雨駆逐艦長に「まことにすまないが、もう一度引き返して魚雷を撃って貰えないか」と頼む吉川艦長の姿も目撃された[139]。  結局、放棄された夕立は重巡洋艦ポートランド (USS Portland, CA-33)の砲撃により、六斉射目に起きた艦後部の爆発によってアイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)に沈没した[140]。