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2025/11/26

駆逐艦早霜:戦没日(1944)

 1944年10月18日、捷一号作戦発動に伴って第二艦隊(栗田健男中将・海兵38期)はリンガ泊地から出動し、ブルネイ湾(英語版)で補給の後、10月22日に出撃した。早霜は第2駆逐隊司令白石長義(大佐、海兵49)が座乗していた。また清霜は第二部隊(指揮官鈴木義尾第三戦隊司令官)に編入され、不知火型野分と行動を共にした[39][40]。早霜はミンドロ島南方を航行中に第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機の攻撃を受け、艦首部と艦中央部の命中弾によって艦首と二番煙突を吹き飛ばされ、沈没を防ぐためにアンティーケ州セミララ島の浅瀬(北緯12度4分5.3秒 東経121度22分8.8秒座標: 北緯12度4分5.3秒 東経121度22分8.8秒)に擱座した[51]。  10月27日、レイテ島への輸送作戦からの帰途に空襲で沈没した軽巡洋艦鬼怒の救援のために派遣された駆逐艦不知火がセミララ島の西方海域で空襲を受けて沈没し、早霜はその光景を目撃することになった[55][56]。藤波に続いて2度目の目撃である。11月1日、重巡洋艦那智の艦載機が擱座している早霜を発見して着水し、不知火と藤波の最期を聞きだした[55][57]。その後、早霜の船体は放棄された