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2025/11/11

駆逐艦島風:戦没日(1944)

 レイテ沖海戦の後、島風はブルネイ湾を経てマニラに進出しレイテ島行きの多号作戦に投入された[83]。1944年11月11日未明、前日のB-24 からの通報を受けた魚雷艇隊の襲撃を受けるが跳ね返す[266]。しかし、最大の脅威である第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)が迫りつつあった。対空戦闘に際して、早川少将は誘爆を防ぐため魚雷を投棄させた[271]。狭い湾内での戦闘だったが、その速力と的確な操艦により、爆弾や魚雷の直撃こそ受けなかった[271]。しかし、多数の至近弾と機銃掃射により船体に多数の小破孔が発生して浸水、機関からも蒸気が噴出して回転数が急速に低下、航行不能となる[273]。島風では内火艇やカッターボートを海面に下したものの損傷により水没し、鈴木・松原参謀、駆逐艦長・機関長など合計21名は、沈没寸前に唯一残ったカッターに乗って島風を離れた[281]。午後5時30分、島風は後部附近の爆発により沈没した[282][246]。島風には行動不能の重傷者が多数残されていたが爆沈時に戦死、既に艦を離れていた乗組員も全員行方不明となった[283]。