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2025/10/12

駆逐艦叢雲:戦没日(1942)

 1942年10月11日深夜、ガダルカナル島飛行場砲撃に向かった第六戦隊部隊(重巡洋艦《青葉、古鷹、衣笠》、駆逐艦《初雪、吹雪》)は米艦隊に待ち伏せされ、夜間水上戦闘により重巡「青葉」が大破、2隻(古鷹、吹雪)が沈没した(サボ島沖海戦)[116]。12日昼間、吹雪型駆逐艦「叢雲」は沈没した「古鷹」救援中に米軍機の空襲を受け、朝潮型駆逐艦「夏雲」と共に撃沈された[117]。  10月12日日付変更後、第11駆逐隊(白雪、叢雲)が空襲を受けつつあった午前7時、日進隊(日進、千歳、秋月、綾波)は増援部隊(川内、由良、駆逐艦5隻)と合流する[147]。「由良、時雨、白露、天霧」は日進隊を護衛してショートランド泊地へ戻った[148]。「川内」と第19駆逐隊は「叢雲」救援のため12時頃に日進隊と分離、16時40分に「叢雲」を放棄して避退中の2隻(朝雲、白雪)と会合する[136]。「川内」隊はショートランドへ向かい、「朝雲、白雪」は「叢雲」救援・曳航のために反転した。 日没後、2隻(朝雲、白雪)は炎上する「叢雲」の傍に戻る[141]。第11駆逐隊主計士官の藤原によれば、第11駆逐隊司令杉野大佐は座乗する「白雪」より「叢雲」に対し総員退去を命令したが、東中佐は退艦しなかった[149]。そこで菅原六郎白雪艦長が説得におもむき、カッターボートで東中佐を連れ帰った[149]。東艦長は杉野司令の手を握りしめて泣きながら謝罪していたという[149]。その後、2隻(白雪、朝雲)は炎上して艦尾切断状態の「叢雲」曳航を断念[141]。「叢雲」は「白雪」[注釈 18]によって雷撃処分された[141]。米軍が記録した沈没地点南緯08度40分 東経159度20分。