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2026/07/31

駆逐艦蔦:引渡日(1947)

 1945年4月30日から佐世保相の浦泊地で待機。6月以降に呉に移動し、回天搭載艦に改装[4][5]。7月に回天搭載艦に改装された同型艦「竹」「榧」「槇」「桐」と共に山口県屋代島に移動。擬装したうえで待機中に終戦を迎えた。  12月1日特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年(昭和22年)7月31日に中国に引渡され、接九号と仮命名された後、華陽(ファヤン Hua Yang)と命名された。中華民国海軍所属の旧日本軍艦の一翼を担ったものの、艦の状態がよくなかったため再武装されず任務も与えられなかった[6]。国共内戦中の1949年5月に上海を脱出して馬公に到着するも、翌1950年に退役して解体される[6][7]。流用可能な部品は、同型艦の信陽(元「初梅」)に使用された[6]。