本日 2025年8月2日(土) 14:58 Etc/GMT-9

2025/08/06

駆逐艦嵐:戦没日(1943)

 1943年(昭和18年)8月6日、ブインおよびコロンバンガラ島への輸送のため増援部隊はラバウルを出港、第三水雷戦隊旗艦(司令官伊集院松治少将)の軽巡川内(陸兵450名、物資130トン)はブインへ向かい、駆逐艦4隻(萩風《第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐座乗》、嵐、江風、時雨)はコロンバンガラ島へ向かう[193][198]。 同日夜、コロンバンガラ輸送隊はソロモン諸島コロンバンガラ島沖(ベラ湾)にて、フレデリック・ムースブラッガー中佐指揮下の米水上部隊(駆逐艦6隻)と交戦した(ベラ湾夜戦)[201]。戦闘当時の天候は曇りで視界不良[200]。萩風-嵐-江風-時雨の単縦陣はアメリカ軍のレーダーに捕捉され、先制雷撃を受けた[202][198]。敵艦隊に気付いたものの回避は間に合わず、まず江風が轟沈した[203][198]。 その後の砲撃により第4駆逐隊2隻(嵐、萩風)も相次いで沈没した[204]。  嵐は左舷への被雷と共に主砲も魚雷発射管も使用不能となり、搭載していた陸軍物資弾薬に引火して炎上[204]。前部に残っていた25mm機銃で最後まで反撃に努めた[207][208]。しかし米艦隊の砲撃により、間もなく沈没している[204]。嵐では艦長以下178名が戦死(艦長は脱出したものの生還せず)[209]、生存者は嵐、萩風各艦約70名、江風約40名[210]。三隻が分乗させていた陸軍兵は940名中約820名が戦死した[211][212]。