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1943年(昭和18年)7月25日、トラック泊地より第27駆逐隊の駆逐艦2隻(時雨、有明)が「三日月」の停泊するラバウルに到着した[13]。東部「ニューギニア」方面作戦輸送に参加するためである[14]。27日午前10時、第30駆逐隊司令(折田常雄中佐)が座乗する「三日月」は、臨時編入された「有明」と共にラバウルを出撃、ニューブリテン島・ツルブへの輸送任務に従事する[17][18]。途中ココボで陸軍兵及び軍需物資を移載し目的地へ向かうが、23時、「三日月、有明」ともグロスター岬49度5浬のリーフに速力26ノットで座礁してしまう[19][18]。両艦の損傷は重大であった。「三日月」は兵員室下部倉庫に浸水、左舷推進軸屈曲使用不能、屈曲した右舷推進器は午前3時1分に脱落した[20]。「有明」は左舷後部の座礁により最大速力6ノットとなった[21]。 その頃、座礁現場に残された「三日月」は燃料や糧食を投棄し重量物を減らして離礁を試みていたが、無事だった右舷推進軸も脱落して完全に行動不能となり、10時30分頃に戻ってきた「有明」による救援作業も失敗、7月29日13時30分をもって折田司令は「有明」にラバウル帰投を命じた[26]。 しかし、両艦はアメリカ陸軍のB-25爆撃機約20機の空襲を受ける。「有明」は爆弾3発が命中して14時40分に沈没。「三日月」には右舷機械室水線近くに命中弾1があり、横4.5m-縦1.5mの破孔が生じた他、船体各部に被害が生じた[27]。進退不能となった「三日月」の現状に対し、折田司令は駆逐艦「秋風」の到着をもって「三日月」の放棄を決定、「三日月、有明」生存者は同艦に移乗した[28][29]。戦死者7名、重傷者12名、軽傷者25名、未収容者85名、「秋風」に170名移乗と記録されている[30]。沈没地点南緯5度27分 東経148度25分。